71:あんたか!!
パルコの前。先日たまたま見かけたバイオリニストの女性が、今日も同じ格好で路上ライブをしていた。
郁美は美しい音色を耳に、店の入り口脇に立っている上村を見つけた。
「お待たせ」
なんだかデートのために落ち合った恋人同士みたいだわ、なんて思ったことは置いておこう。
今日はスーツではなく、至って普通のカジュアルな格好をしている。そういう姿を見るとまだまだ新卒の、若い男の子なのだな、と思う。
「どこのなんて言うお店? なんでわかったの?」
「先日、思い出しました。毎年、姉に年賀状を送ってくださる方がいて、その方が市内でレストランを経営していること、いつも利用してくれてありがとう、といったことが書かれていたので、おそらく……」
「なるほどね」
なぜか上村は申し訳なさそうに、
「あの、すみません。確証があった訳ではなく、もしかしたら無駄足になるかもしれませんけれども……」
「そんなこと。事件捜査って、そういう無駄足の積み重ねじゃない?」
上村は少し驚いた顔をしてそれからうなずく。
目的の店は基町地下商店街の中にあるという。恐らく皐月が本部にいた頃、利用していたのだろう。
『キッチンヒロ』と言う名前のその店は、すぐに見つかり、営業しているようだった。
いらっしゃいませー、の声に出迎えられ、ぐるりと店内を見回す。午後1時を少し過ぎた時間帯、7割方席が埋まっている。
他の客が帰るのを待つ方がいいだろう。
こちらへどうぞ、と案内された席に向かっている時だった。
「……交番長?」
後ろを歩いていた上村の声が聞こえた。
郁美が驚いて振り返ると、カウンター席の一番端っこに、男性が1人で座って食事をしている。確かにその顔には見覚えがあった。
先日、上村を訪ねて交番に行った時。何となく隠れるようにしてそそくさと去って行った男性。今は私服姿だから雰囲気は違うが、たぶん本人だろう。
「上村……?」
交番長と呼ばれた男性は驚き、そして立ち上がった。
皿の上にはまだ半分ほど料理が残っていたが、彼は伝票をつかみ、レジへと急ぐ。
確かに、飲食店で知り合いに出会うと気まずいものだけれど。逃げるような真似しなくたっていいじゃない。
「皐月さん? 久しぶりに来てくれたのね」
水を運んできた店員の女性がニコニコしながら声をかけてくれる。
違うのだが、今は黙っておくことにする。
「逢沢さんと待ち合わせしてたんじゃないの? どうしたのかしらね、急に出て行っちゃたりして。あれ……?」
店員の女性は不思議そうに上村の顔を見る。
「あら、ひょっとして弟さん? 前によく話してくれたわよね」
一瞬の内にあれこれと頭の中を疑問符が駆け巡った。
逢沢さんと待ち合わせ?
逢沢さん……?
「あの、すみません!!」
上村は勢いよく立ち上がると、
「先ほどの男性と、姉……上村皐月が、この店で待ち合わせというのは?」
店員の女性は不思議そうな顔をする。
「え、えっと……?」
まさか。
郁美の頭の中に、皐月の日記に書いてあった【I】のことが思い浮かんだ。
初めは「い」のつく名前の人だと思っていた。井上さんとか、井沢さんとか。でももしかしたら【アイザワ】さんなのかもしれない……。
福山の駅前交番で聞いた話。
上村の父親の部下で、よく自宅に連れて帰っていた若い男。初めは思うようにカップルにならなかったけれど、別の女と結婚した男の方は、上手く行かなくなった時に皐月と再会し、焼けぼっくいに火がついた。
「えっ、ちょっと柚季?!」
※※※※※※※※※
上村は急いで店を出て、上官の姿を探した。
ここ基町地下商店街は本通り商店街よりも、歩いている人はそれほどいない。逢沢を探し出すのは比較的容易だった。
交番長、と呼びかけそうになって思い留まる。
「あ、逢沢さん!!」
逢沢は急いで店を出て行った割に、ゆっくりと商店街を歩いていた。
すぐに追いつく。
「……あ、あの……」
「そんな声のかけ方でいいのか? 俺は職質対象者だぞ」
「今はその時間ではありません!! 僕はただ、一個人として……あなたにお訊きしたいことがある、それだけです」
「急いでいるんだ」
逢沢は踵を返して反対側へ歩き出そうとする。
「それほどお時間は取らせません。それに!!」
彼は足を止める。
「場合によっては監察に、しかるべき部署への報告が必要となりますが……それでも?」
そんなことはしたくない。
配属されてから今日まで、親切にしてくれた人。
それほど長い時間ではなかったにしても。彼に対して覚えた感謝は数え切れない。もし兄がいたら、こんな感じなのだろうと思わせてくれるような、そんな人を。
「皐月の行方を捜しているんです!!」
後ろから聞こえたのは郁美の声だ。
「こないだ、私を見てひどく驚いていましたよね……? 皐月のことをご存知なんでしょう? さっきの店で待ち合わせって、もしかして……彼女と付き合っていたんじゃないですか?」
「……」
「お願いします。ご存知のことがあるなら、教えてください!! この子は、彼女の弟はずっと心を痛めているんです。このまま闇の中を探るような真似をさせるなんて……そんなの、ひどいじゃない!!」
姉の友人だったというよく似た女。
決断が早くて行動派で、何度も驚かされた。
気の強い人なのかと思えば、意外に優しいところもあり、そして今は。
案外、涙もろい人なんだなと上村は思った。
「……皐月が誰か、好きになってはいけない人を好きになったというのは、知っています。そのことで2人とも充分苦しんだ、って。だから私、その件について責めることはしません。ただ、彼女がどこにいるのか……それだけは絶対にはっきりさせないと!!」
「ああ、そうだ。俺は彼女が好きだった……皐月のことが。やり直せるなら、彼女と一緒に……そう思っていた」
姉が誰かと不倫しているらしい、と言う話は認識していた。だけど。その相手が【I】だということは知っていて、だからきっとあの監察官だと。
まさか、こんなすぐ近くにいた人だったなんて。
「さっきの店は、よく皐月と一緒に利用していた店だった。もしかして彼女とまた会えるんじゃないかと思って、時々寄っていたんだが……」
「まだ、会ってはいない?」
逢沢は頷く。
「皐月の行方がわからないのは、俺も知っている。原因はわからない。ただ……」
「ただ?」
「彼女はおそらく、県警内に渦巻いている闇を暴こうとしていたから消された。そんな噂もある」
「あなたは彼女から詳細を聞いてはいないのですか?」
「俺の身に危険が及んではいけないから、と彼女は何も話してくれなかった」
そうだろう。姉はそういう人だ。
けれど、ふと上村は思った。
姉が書いた手紙と日記を届けに来た男がいた。あの男は自分の身に何か起きた時のために、弟に預けて欲しいと託ってきた、そう言った。
「交番長の元に、何か手紙とか、その他……姉から届いたりしていませんか?」
逢沢は首を横に振る。
「俺もそのことを期待していたんだが、今のところそう言った形跡はない」
県警内に渦巻く闇?
姉はどうやってその存在を知り得たのだろう。
ひょっとして監察室に届いた密告状だろうか?
「上村」
呼ばれて上村は顔をあげた。
「俺を、恨んでいるか?」
逢沢は苦笑している。
「お前が卒配でうちの交番に来た時は驚いた。すぐにわかったよ、あの時の子供だって。上村のおやっさんが俺を家に連れて帰ると、皐月の後ろに引っ込んで、じーっと睨みつけていたあの子が。恥ずかしいからって、一度も一緒に飯食ったことはなかったな」
不思議な気持ちだ。
姉はこの男のせいで苦しんだに違いない。けれど。
怒りとか恨みとか、そう言った感情があまり湧いてこない。彼は彼なりにきっと、姉を大切にしてくれたに違いないとさえ思える。
「……柚季、いいの?」
郁美の手が肩に触れる。「引っ叩いてやりなさいよ、こんな奴」
上村は思わず苦笑してしまった。
しかしつい今の今まで怒っていたはずの彼女は何を思い出したのか、急に表情を変える。




