64:周とJK
寒い。
周は首を竦めて頭を左右に軽く振る。
その時。
「……だね? マジウケるんですけどー」
突然、不意討ちのように若い女の子の声が聞こえた。
いつの間に?!
周のすぐ目の前に若い女の子が立っていた。
近づいてくるのにまったく気づかなかったなんて。
改めて周は相手を観察した。
この交番の管内にある学校の制服を着ている少女。確か昨日、本屋で漫画を盗もうとして店員を殴り、強盗傷害扱いになってしまったあの少年と同じ学校の。
ブレザーに赤いチェックのミニスカート。スポーツバッグに紺色のハイソックス。
学校指定のハーフコートを羽織り、赤いマフラーを巻いている。
長い睫毛に大きな瞳、朝っぱらから揚げ物でも食べたのだろうか、唇がやけにツヤツヤしているのは。
「……何か?」
「何か? だってー!! ウケる~!!」
黄色くて甲高い声に、周は顔をしかめた。
「ちょっと、まだ寝てる人もいる時間なんだから静かに……」
「名前」
「……え?」
「名前、教えてよ」
「誰の?」
女子高生は周の鼻先を指差す。失礼な子だ。
周が何か言いかける前に、少女はバッグから生徒手帳を取り出してずいっと突き出してくる。
学校法人安井学園普通科2年A組 関谷真帆と書いてある。
「ねぇねぇ、いくつ? こっちは名前も年齢も教えたんだから、答えてよ」
誰かに名前を聞かれても、無闇やたらに教えちゃダメだよ? と、以前、和泉に言われたことがある。
下手をすると周君だけじゃなくて、美咲さんや他の親しい人に迷惑がかかる可能性もあるからね。
周が黙っていると女子高生は突然、腕に抱きついてきた。
「ねぇってば~、なんて呼んだらいいのか教えて?」
時々。姉の美咲はとても嬉しい時や、感極まった時に同じようにして抱きついてくる時があった。その時には単純に伝わってくる温もりが心地よくて、自然と口角が上がったものだが。
今はただ困惑しかない。
どうしたものか。
辺りを見回した時、周は物陰に隠れているもう1人の女の子の姿を確認した。
同じ制服を着ている。少女は目が合うと、さっと隠れてしまう。
するとその時だった。
「おはようございます、藤江さん!!」
こんな早い時間だというのに、バッチリメイクを決めてあらわれたのは、パン屋の娘。
「前にサーモンお好きだって仰ってましたよね? 今日はスモークサーモンを使ったサンドイッチをご用意……」
パン屋の娘は周の腕に絡みついている女子高生を睨むと、
「ちょっと、何なのこの子?!」
「誰? オバさん」
「きーっ!! 誰がオバさんよ?!」
パン屋の娘は周の反対側の腕に抱きついてくる。
「ちょっと、あの、今何時だと……?」
「その汚らしい手を離しなさいよ、小娘っ!!」
「ふーん、藤江っていうんだ。あ、私のことは真帆でいいから」
なんだこのシチュエーション。
女性達の金切り声に驚いた同じ係の仲間達、ほとんどが2階で仮眠していた……は、何だなんだと起き上がり、1階に降りてくる。
「……で?」
なんでこんなことになっているのか、こっちが聞きたい。
周は楽しそうな顔でパイプ椅子に腰かけている女子高生の横顔をチラリと見た。ちなみにパン屋の娘は両親に呼ばれ、店に戻って行ったようだ。
「興味があったから見に来たの」
女子高生、関谷真帆は悪びれた様子もなく言う。
「興味? こいつにか? まぁそりゃ、アイドルだって言われても納得する顔立ちではあるけどな」
交番長の小橋は呆れた表情で肩を竦める。
「昨日、平井を捕まえたおマワリって君でしょ?」
「平井……?」
「私のクラスメートでダチの1人。スーパーの本屋で漫画をパクったら、捕まっちゃった、ってREINが流れてきたんだよね」
思い出した。昨日、万引きの挙げ句に店員を殴って逃走しようとした男性高校生がいたのは確かだ。
「一緒にいた奴が店の人に連れて行かれるところ動画撮っててさ~。それで君の顔を見たんだ」
真帆は得意げに周を指差す。
「一緒にいた奴って、その平井っていう子の友達か?」と、小橋。
「そ。あいつドジだからさ、1人だけ店員に捕まっちゃって。で、逃げた他の2人はその後どうなったか、裏口に回って待ってたらしいんだよね。そしたらおマワリに連れて行かれるシーン、バッチリ撮れたって。マジウケるんだけど~」
可笑しそうに足をバタバタさせ、両手を叩く女子高生。
「で、その動画をネット上に拡散させた、と?」
「うん。すぐ削除されちゃったけどね」
周には理解できない。
逮捕された高校生の友人もそうだが、この少女の神経も。
それから女子高生は立ち上がり、周の肩に両手を置いてしなだれかかってきた。
「ねぇ~、今付き合ってる彼女いる?」
眼を逸らして返事をしないでいると、少女は周の手を掴んで自分の方に引き寄せる。
「私、君みたいなの、タイプだな……」
「おいコラ」
交番長の声。
手を振り払おうと思っていたのだが、向こうから離してくれたことにほっとする。
「交番でおマワリをナンパするってなんだ。それもこんな時間に。親を呼ぶぞ?」
「別にいいよ~、呼んでも。どうせ来ないから」
「とんだ放任主義だな」
「そ。ウチの親、仕事忙しくってさ。この時間ならどっちも寝てるよ。朝から晩まで働いてばっかりで、興味あるのはお金を稼ぐことばっかり」
信じられない。
周の父は確かに仕事が忙しい人だった。それでも必ず1日1回は一緒に食事をすることを決めていた。休みの日にはどこかへ連れて行ってくれたり、一緒に遊んでくれた。
父との思い出は楽しかった記憶しかない。
「……かわいそうに」
思わず呟いた周の台詞を、女子高生は聞き咎めた。
「何それ?」
綺麗に整った眉が吊りあがる。
「お前の親も、そのクラスメートの親もだ。友達が逮捕されて、連行されて行く場面を録画して、皆が見られるように拡散したって? それが面白いって?」
おい藤江、と小橋が止めようとするが、怒りが抑えられない。
「どういう教育をしたら、平気でそんなことできる人間が育つのか教えてもらいたいもんだ!! 自分が相手の立場だったらって、少しでも考えたことあるか?! そんなことをされて何も感じないのか? おかしいだろ!!」
グイっ。
後ろから誰かに腕を引っ張られて周はよろめいた。
振り返ると桜井が口を固く結び、無言のまま首を横に振る。
「とにかく……学校へ行くなり、家に帰るなり、とにかく。特に相談がないのに業務を妨害するようなら、それなりに怖い罰則が待ってるんだぞ?」
女子高生……関谷真帆はさっと青ざめ、踵を返す。
それから走り出して去って行った。
「……と、言う訳で、だ」
小橋は前触れもなく周にデコピンを喰らわしてきた。
あまりの痛みに涙が浮かんでくる。
「お前の言ってることは正しいが、ここは子供に道徳を教える場所じゃない。そう言うのは各家庭で、学校で、親や教師が教えるべきことだ。もっとも……いや、やめておこう」
交番長は自分の手で自分の肩を揉みながら、溜め息をつく。
「この時間、ほとんど誰も通りかからなかったし、無線も静かなもんだったから良かったけどな。もし重要な指令が飛んでいたのに『気が付きませんでした』じゃ、済まされないことがあるんだからな? 胆に銘じておけよ」
「……はい」
確かに。自分は目の前の1つのことに夢中になる癖がある。あんな遣り取りの間にもし、交通事故発生の報せや、重大事件が起きたとの連絡が入っていたのに、聞き逃してしまっていたら。
背筋がぞっとした。




