61:にゃんですと?!
「ど、どうもこうも……こ、これ……」
先ほど送られてきたメール、そして自分宛ての封書。
郁美はすべてを上司に見せた。
彼はしばらく無言でそれらを見つめていたが、
「……岩淵さんは、どこへ行きました?」
何の関係もなさそうなことを聞いてくる。
「えっ、彼女、今日は午後休だって……」
「私は聞いていませんが」
郁美は思った。
サボりだわ。やる気あるのかしら、あのオバさん。
「あ、あの。ところで、この小野田課長に気をつけろって言うのは……いったいどういう意味でしょうか?」
「そのままの意味です」
「いや、そりゃそうでしょうけど……」
「彼から何か誘いの連絡が来ましたか?」
郁美は聖に小野田から2度目の食事に誘われていることを明かした。何となく今は、この人を信頼してもいいと思っている。
「で、どうしようかと返事を保留にしていたら催促がきちゃって」
「小野田は既婚者です」
嘘、と思わず声が出た。
初めて一緒に食事をした時、バツイチです、と言っていた記憶がある。
「長年、別居状態にあるため事実上は独身のようなものかもしれませんが、まだ籍は抜いていません。恐らく世間体を気にしてのことでしょうが」
もしかして奥さんの方はずっと実家にこもりっきりとか、そう言うことだろうかと郁美は考えた。
「そう言う意味で、気をつけろってことでしょうか……?」
「恐らくそうでしょう」
誰の仕業だろう。
あの地域課長のことを好きな誰かだろうか。あれだけ口が上手くて、顔も悪くないのであれば、好意を寄せる女性がいてもおかしくはない。
「じゃ、じゃあ、このメールの方は?!」
監察官はややため息混じりに、
「前にも申し上げましたが、上村皐月さんの件で表立って動き回るのは止めておいた方がいい」
郁美は反発を覚えた。
「でも、それじゃ柚季が……」
すると。聖はめずらしく、ふっと頬笑みを浮かべる。
「ずいぶん仲が良いのですね、上村君と。ファーストネームで呼ぶのですか」
不意討ちとはこういうことを言うのだろう。
郁美は顔に血が集まってくるのを感じた。
「だ、だ、だって、それは……!!」
その時、救いの手を差し伸べるようにREINが着信を告げる。
失礼します、と郁美は上司に背を向けた。
《上村です。先日はどうもありがとうございました。実はあれから、いろいろと姉の立ち寄りそうな場所を探してみたのですが、恐らく行きつけだと思われる店を発見しました。次の日曜日、お時間が許すようであればご一緒いただけないでしょうか》
皐月の立ち寄りそうな場所。
店の人と親しくしていたのなら、何かわかるかもしれない。
《りょーかい。何時頃にする?》
《郁美さんの御都合に合わせます》
《私も少し話があるから、今日の仕事帰りに、交番へ寄っていい?》
《承知しました。お待ちしています》
「……私の言ったことを聞いていますか、平林さん?」
突然、後ろから上官の声が聞こえて、郁美は縮み上がった。
「な、な、何でしたっけ?!」
「つい今しがた申し上げたことです。前にも言いました」
なんだっけ?
ほんの数分前のことなのに思い出せない。
「上村皐月さんの行方を、表立って探すのはよした方がいいと」
「なんでバレたのっ?!」
郁美は語るに落ちたことを悟った。
すると聖は人差し指でスマホの画面をさす。
「の、覗き見なんて悪趣味ですよ?!」
「たまたま見えただけです」
ぐぬぅ。
「……止めても無駄のようですね」
そう。走り出したら止まらない、それが自分だ。
※※※
仕事を終えた郁美は庁舎を出て新天地北口交番へと向かった。手ぶらという訳にもいくまい。何か差し入れでも買って行かなければと思いパルコに入った。
地下に降りるエレベーターの途中で、甘い匂いが鼻をくすぐった。
降りてすぐの場所にタイ焼き販売のコーナーが出ている。
そう言えば。皐月はタイ焼きが好きだったけど、弟の方はどうだろう? 細い体つきだからきっと食も細いに違いないが。
少しぐらい太ればいいのよ。
郁美はタイ焼きを5人分買って、目的地へと急いだ。
夕暮れの繁華街はボチボチと赤い提灯に火が灯り始め、仕事帰りのサラリーマンがぞろぞろ、今日はどの店にしようかと物色している。
交番に到着すると、奇妙な光景が目に入った。
女性の格好をしてはいるが、どう見ても明らかに男とわかる体つきの人物が3名。立番をしている上村を囲んでいる。
あれはきっと、流川あたりで働くゲイバーのスタッフだろう。
可愛い顔をした若いおマワリが入ってきた、とその界隈では話題になっているのかも。
「……なのよ~」
「……ねぇ? 何とかしてくれない……?」
「サービスするから」
野太い声の男達に囲まれて上村が辟易しているのがわかった。
郁美は思わず間に入り、彼の前に立った。
「あらちょっと、何よあんた?」
「おネェさんたち、公務のジャマをしないで。それこそ公務執行妨害よ?」
「やだ、私達は相談に来てるのよ?!」
「そうよそうよ」
「流川のお店の人でしょ? お店関係のトラブルなら、大通りを渡った所にある北署の生活安全課を訪ねてちょうだい。そっちの方が話は早いわ」
顎のひげ剃り跡が青々している和服の男性が、溜め息をつきながら肩を竦める。
「お役所ってそうよね。それはウチの担当じゃない、かけ直せとかさ」
「本当にそうね。でも、より早く対応してくれる方があなた達だって助かるんじゃないのかしら? ここで相談を受理したら、すぐ上の人に話が行って、そこからまた次の上の人に話が上がって……伝言ゲームよ。それこそ、本来伝えたかった内容がちゃんと伝わらない可能性があるわ」
オネェ達は顔を見合わせ、つまらなそうに鼻を鳴らす。
それから、
「じゃあね、ユズちゃん。今度はお店に遊びに来てね?」
と、上村に向かってウインクしつつ手を振る。
やっぱり、狙いはそっちか。
オネェ達が完全に見えなくなった頃。
「あ、ありがとうございます……」
上村は長い溜め息をつき、額の汗を手で拭う。
その時、郁美は彼の左手に包帯が巻かれていることに気づいた。
「ど、どうしたの? その手は!! 怪我したの?!」
「たいしたことはありません。それに……」
「それに?」
皐月の弟は嬉しそうな顔をする。
「郁美さんのおかげで、自転車泥棒を現行犯逮捕することができました」
そう言えば。ライバルに差をつけられて悩んでいるような話はしていたけれど。
「……やったじゃない、でかした!!」
思わず郁美は彼の両手を握ったが、
「痛っ……」
「ご、ごめん!!」
どうやら怪我をした方に触ってしまったらしい。「ごめんね、ほんと……こっちにすれば良かった」
郁美は何も考えずに上村の頭を撫でた。けっこうクセのある固い髪質なのね、などと思いながら。すると。
「……?」
綺麗に整った顔が真っ赤に染まる。
余計にマズかったかしら。郁美は慌てて手をひっこめた。
するとそこへ、
「上村、どうした?」
恐らく交番長だろう。中年の男性が奥から出てきた。
「あ、こんばんは。実は私、同業者なんですけど……上村柚季巡査に用がありまして。すぐに済みますから、少しだけお話ししてもいいですか?」
返答がない。
妙に思った郁美は改めて、相手の顔を見た。
硬直している。
初めて上村と会った時と同じ反応だ。彼もまた、皐月と間違えているのだろうか。
と言うことは彼も彼女を知っている。
しかし何ごともなかったように、
「どうぞ、中へお入りください」と背を向ける。それから「松山、立番を少しの間、代わってやってくれ」
松山と呼ばれた浅黒い肌の色をした制服警官は、外に出てくると、
「上村!? お前、生きてたんだな?!」
何言ってるの、この人。
郁美はあきれて黙っていた。




