表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/86

6:それぞれの答え

 会議室の設営を終わらせておいたおかげか、入ってきた小野田課長の表情は柔らかい。

 彼は2人の新任巡査の向かいに腰かけ、机の上に地図を広げた。


 広島北署の管内は中区全域。

 繁華街を抱えるこの地域は市内一人口が多いこと、それだけに軽犯罪は言うまでもなく窃盗、強盗など重大事件発生率も高い。


 要するにやたら忙しいということだ。

 そんなことは言われるまでもない。


 たとえ小さな事案であろうと、実績を積み重ねることが重要だと上村は思っている。漁村や農村のようなひなびた田舎であっても警察が出動しなければならないような事件は必ず起きる。だが、その発生件数は県の中心部と比べ物にならない。


 数の面で多くの手柄を上げたいなら、ここは有利な土地柄だと言えるだろう。


 先ほど、署長も課長も言っていた。

 点数を上げること。

 目に見える結果を残すこと。


 論より証拠。

 上村自身はそう考えている。


 こいつにだけは負けたくない。

 上村は藤江周の横顔をちらりと見た。


「まぁ、そう気負うことはない」

 課長に言われて上村はハッとした。まさか、顔に出ていたのだろうか。

「ひとまずしばらくは見取り稽古だ。警察の仕事にマニュアルなんてものはない。だが、基本原則はある。先輩達の仕事を良く見て学べ」

「はい!!」

 藤江周は目を輝かせ、元気よく返答する。

 上村もそれなりに大きな声で肯定の返事をする。


「ところで、警察で働く上で一番大切なことは……なんだと思う? えっと、名前は……すまないな、右の君」

 課長から向かって右の君、ということは自分のことだ。


 上村は答えた。

「法律を遵守することです」

「ほぅ、その理由は?」

「我々の義務は法を逸脱するものを発見し、摘発することです。その自分達が違反を犯し、市民から見咎められるようなことをすれば、秩序を保つことはできません」


 なるほどな、と課長は頷く。

 どこか笑われているような気がしてならないのは考え過ぎだろうか?


「では、藤江巡査はどう思う?」

 彼は即答した。

「……コミュニケーションだと思います」

 それは上村にとって意外な返答だった。


「ほぅ、なぜだ?」

「職質はコミニュケーションだって聞きました。突き詰めれば地域警官の仕事って、人と接することだから平和にやって行きたいです」


 ふぅん、と上官はニヤリ、唇の端を吊り上げる。

「世の中にはな、ビックリするような意味不明のへ理屈をこねる奴がいるぞ? カバンの中身を見せる代わりに、お巡りさんの下半身を見せろ、とかな。見られたくない恥ずかしさは一緒だ、と何とか言ってな」

 同期生はぎょっとし、一瞬だけ口をつぐむ。


 しかし気を取り直したように、

「もちろん、中には誠意を尽くしてもわかり合えない人がいるのは知っています。でもだからこそ、お互いに気分良く終わることができるように……言葉遣いには気をつけます」

「なるほどな、良い心がけだ……他には?」


 他には、ってなんだ?

 上村は微かに混乱を覚えた。

 

 すると、

「1人きりで仕事をするわけじゃなくて、同じ班の他の警察官と一緒に働く訳ですから、先輩たちは言うまでもなく、接する市民の方にも敬意を持って接して行きたいです」

 藤江周が答える。


「たとえばどうしようもない不良警官でも、か? あるいは……救いようのないクズでも?」

 ギョロリとしたに微かな輝き。答えによってはタダじゃ置かない、そんなふうに言っているように見えた。


「少なくとも警察学校を卒業して、現場に出ている時点で立派な先輩です」

 ニコっと微笑んで。

 卒業生代表に選ばれた優等生はそう解答する。


 すると小野田課長は俯き、そうして笑い出した。

「はっはっは……!! 聞いていた以上の大物だな?! よし、今日はここまでだ。くれぐれも怪我をしないように気をつけろ」


 その時、上村は気付いた。

 課長は自分の名前を覚えていなかったが、藤江周のことは覚えていたことに。


 それがなんだ。

 たまたまかもしれない。


 課長は片付けておけよ、と命じてから会議室を去った。


 藤江周よりも先に立ち上がり、上村はブラインドを閉め、ホワイトボードの文字を消す。

「優しそうな課長でよかったな」

 呑気な同期生は笑う。


 優しそう? どこがだ。


 この能天気な男はなぜ、ああして人に好かれるのだろう。


 するとそこへ富岡嬢がやってきた。

「灰皿、あるだろう?」

 小野田課長は喫煙者のようだが、先ほどの時間は吸わなかった。なので灰皿は空である。


 そこで上村が灰皿を渡すと、

「これ、洗っとけ。新しいのを3FのB会議室に置いて来い」

 山盛りの吸い殻が乗った灰皿と交換となった。


「……この署に帳場が立ってるみたいだな」

 藤江周が呟く。

 3階B会議室の隣の会議室には、入り口のところに【戒名】と呼ばれる捜査本部の名称が張ってある。


『京橋川女子大生刺殺事件捜査本部』


 そう言えば今朝も新聞に書いてあった。先月末、ちょうど卒業式の前の日だ。京橋川の土手で女性の刺殺体が発見され、県警は殺人事件とみて捜査を開始した、と。


 女子大生、と書いてあるということはもう身許は判明したということか。


 すると。

 B会議室から刑事と思われる男性が1人出てくる。

 すると廊下にいたブルゾン姿の、ラフな格好をした男がすかさず近づいていく。

「守警部、被害者についてもっと詳しいことを教えてくださよ!!」

「詳細は部長から聞いてください」

「そう言わずに、ちょこっとだけでも!!」


 新聞記者か雑誌記者だろう。

 ああしてマスコミに追い回される刑事と言うことは、かなり高い地位および、実力のあるベテランだと見て間違いない。


 今日、やっと実習が始まった自分達にしてみれば雲の上の存在だ。


 でもいずれは自分も……そう考えなくもない。


 ※※※


 灰皿を片付け終えた後は、捜査本部に詰めている刑事達への差し入れの買い出しを命じられた。ビールやつまみ、ちょっとした夜食などを買ってきて、会議室の隅のテーブルに並べておく。

 それが終わったらようやく、今日は寮に帰って良いと言われた。


 署から寮までは歩いて10分ほど。

「なぁ、寮に帰ったら一緒に挨拶回り行こうぜ?」

 ロッカールームで私服に着替えながら、藤江周が言う。


 そうだ、独身寮。

 これからしばらく……恐らく何年か単位で暮らすことになるであろう部屋。

 既婚者および特別な事情がない限り、独身の警察官は寮生活を強いられる。突発事案が発生した際にすぐ呼び出せるようにするため、全国どの県警でもそう取り決められている。


 なお、県警によっては本部の上層階が寮になっていて、職住一体になっている所もあるらしい。

 術科(柔道と剣道)の朝稽古はまず逃げられないだろうし、休みの日のプライベートな外出だって、逐一チェックされることになる。何時に出て、何時に戻った、と 


 そのことを考えたら広島県警の独身寮は署から離れた場所にあるだけマシだ。

 その上、警察学校と同じでワンルームタイプである。


 それほど多くない荷物は昨日の内に片付けておいた。

 六畳一間の狭さだが、別に不満はない。


 風呂と洗面所は共同。そういった場所の清掃もやはり新参者の仕事なのだろう。

 警察学校の頃には皆で交代でやっていたが、体育会系のこの組織においては、単純に先に入った方が偉いという図式が成立するので、必然的にそうなる。


 ところで。独身寮には【寮長】なる人物がおり、そのキャラクターにより生活が左右されると聞く。とにかく群れるのが大好きな人間なら、毎夜のごとく飲み会が催されるらしい。


 ちなみに寮長は特に資格がいる訳ではない。

 単純な年功序列だ。


 どうか、一番望まないタイプの寮長だけではありませんように。

 上村は祈る気持ちだった。



新聞記者などのマスコミ関係者は、部長や署長クラス以外にはベテランの捜査員にぶら下がって(?)取材するそうです。

逆に言えばマスコミに声をかけられる刑事はベテランかつ、優秀だと言っても過言ではない……そうですよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ