57:和泉の信頼
男子学生はそわそわ、全身を揺らしながら答えてくれた。
「り、留学ってそれなりに費用がかかるんですよね。それに彼女、大学に入ってからお父さんが身体を壊して入院してるって言ってて……お金が要るんだろうな、ってボンヤリ思ってみていました……」
「ねぇ、もしかしなくてもその事務所って……表向きは【クレクレファイナンス】っていう看板が出ていなかった?」
「そ、そうです、はい!!」
和泉は友永と顔を見合わせた。
「この人、知ってる?」
渡邊義男の顔写真を見せる。
「は、はい。この人はチーフを名乗る、一番偉そうにしてる人でした!!」
「最後に会ったのはいつ?」
「え、えっと……先週の水曜日だった、かな?」
「ニュース、見てない?」
「うち、テレビがないので……」
「殺されたよ」
「えええーっ?!」
男子学生は恐怖に顔を引きつらせた。
「わかってると思うけど、この手の組織的犯罪は必ずと言っていいほど、裏に暴力団が控えているんだからね。楽なアルバイトかもしれないけど、二度と手を出しちゃダメだよ? 自分でも、あんまりいいことじゃないと思ってたんでしょ」
「は、はいいぃ~っ!!」
男子学生を解放してやると、彼は罠から解いてもらったウサギのように猛スピードで走り去っていく。
「……ナベの野郎と被害者に接点があった」
車窓から外を眺めていた友永が呟く。
「そうですね。けど、捜査本部は一切その点をつかんでいませんでした」
和泉は男子学生の言ったことメモしながら答える。
「いったいどういう捜査をしていたんだ? 本部は」
守警部から秘かに流してもらった捜査資料をめくると、被害者がどこかの居酒屋でアルバイトをしていたという情報があった。当初はそこでの人間関係のトラブルも考慮に入れていたらしい。
「考えられるケースとして、ナベ野郎がその飲み屋で被害者を見かけて、サクラにならないかと誘った……」
友永が呟く。
「ありえますね。しかし、店が特定できないことには裏の取りようがないです」
「資料になんていう店か書いてないのかよ?」
「ありませんね……」
友永は少し何か考えていたようだが、
「……居酒屋ってのは間違いないのか?」
「どういう意味です?」
「もし、ガイシャまわりの人間が『飲み屋でバイトしてた』って供述したら、報告書に何て書く?」
「そりゃ……」
彼は何を言わんとしているのだろう?
和泉がしばらく考えて黙っていると、
「なぁ、お前交番にいた頃、落し物の財布をなんて書類に書いてた?」
「財布……あ、そういうことか!!」
話が早いぜ、と友永は笑う。
同じ財布の落し物であっても、長財布、折り畳み財布、小銭入れなど種類は多岐にわたる。がまぐちの財布なら【がまぐち】であることを明記しなければならない。
「もしかして刑事達が聞いてきたのは【飲み屋】でアルバイトしていた。一口で飲み屋と言ってもいろいろ種類はある。その辺をきちんと確認していなかった可能性がある……そういうことですね?」
友永はボリボリと髪の毛をかき回す。
「他部署のミスを暴くってのは、あんまり気分のいいもんじゃないけどな」
「まぁ、確かにね……しかし。それが真実だとしたら、随分と杜撰な捜査ですね。もっとも、該当の店を探しているうちにストーカー男が出てきて、そちらに気を取られた……とも考えられますが」
言ってからふと、和泉は考えた。
「いや、でも……」
なんだ? と言いたげな顔で見つめられる。
「工藤八重子の事件は、守警部の率いる班も捜査に参戦していたんですよ。あの人は真面目で優秀な人です。まさかそんな、杜撰な仕事をするわけがありません」
「ずいぶん買ってるんだな、守警部って人を」
友永は笑っているが、和泉は真剣だ。
すると彼は笑いを引っ込め、
「聞いた話だけで受けた印象だが……なんかこう、いろいろ胡散くさいっていうかよ……裏にもっと何かありそうな気がしてならねぇんだよな」
「その点は僕も同感ですね。というか……」
ここは署内でも県警本部内でもないから、何を言っても平気だろう。和泉はずっと感じていたことを口にした。
「現場の指揮を取る人間がなんというか、やる気がない感じなんですよね。長野じゃないですよ、管理官の方です」
友永は鼻を鳴らす。
「刑事が全員、真面目で熱心だとは限らないだろ。給料泥棒はいるさ、どんな会社にだってな」
それはそうだが。それが事実だったとしたら被害者があまりにも気の毒だ。
「だからこそ、お前さんがこうやってコソコソ動き回ってんだろうが?」
「コソコソって言わないでください……」
「さてと、何だっけな。ガイシャの友人って言う娘っ子を探すぞ」
今日の相棒は相当マイペースな人だ。
和泉はどこか振り回されている感を覚えつつ、うなずいた。
それから不意に、和泉の頭の中で1つの可能性が頭に浮かんだ。
もしも事実だとしたら。
「……どうした?」
「何でもありません」
考えるだけで不愉快だ。
今、考えたことは最後の最後まで頭の片隅にしまっておこう。
※※※※※※※※※
会議に出てきます、と聖が部屋を出て行くと、岩淵がすかさず、ねぇねぇと寄ってくる。もはや日常的なパターンと化した。
「あんた、上村皐月の行方を探しているんでしょ?」
郁美は驚きに目を見開く。
「……なんで知ってるんです?」
「実は昨日、室長と電話で話してるの、聞いちゃったんだわ~」
このオバさんは。
どこまで野次馬なのか。
郁美はイラっとしたが、ぐっと堪えた。
「実は私、もしかして有力な情報かもしれないネタ、持ってるんだわ……」
「え……っ?!」
餌に釣られた魚の気分だ。
しかし黙ってもいられまい。
「な、な、何なんですか?! 教えてください!!」
すると彼女は綺麗に塗った爪をいじりながら、
「重要な情報だからね~……そう簡単には」
「お金を要求するんですか?」
「今日のお昼、袋町の方まで行ってみない? 最近、新しい割烹料理店がオープンしたんだわ」
それぐらいなら。
郁美は引き受けることにした。
そうだ、柚季も一緒に来られないかしら。いや、今日は当務だ。交番勤務の巡査がそう自由に行動できる訳がないだろう。
とりあえず話を聞いておいて、仕事帰りに彼のところへ寄ろう。
しっかり録音しておかないと。
※※※
昼休憩の時間。
どうでもいい岩淵の自分語りを右から左に聞き流しながら、郁美は本通り商店街を縦断しつつ、袋町方面へ向かっていた。
ふと。商店街の一番端で、若い女性が1人、バイオリンを弾いていた。
ここは市の条例で演奏禁止となっていなかっただろうか。というか、基本的に路上ライブが許可されるケースはほとんどない。
上手なのだけど。中には騒音だと感じる人もいる訳だし、交通の妨げとなる可能性もあるから……どうしようかと郁美は考えた。
新天地北口交番の警官を呼ぼう。郁美がスマホを取り出そうとした時、演奏している女性を見守る男が2人見えた。
「……和泉さん?!」
拍手をしていたのは彼だった。一緒にいる、どこか崩れた雰囲気の中年男性は確か、同じ班の刑事だ。
「あれ、郁美ちゃん。久しぶりだね」
微笑みかけられ、郁美のテンションは一気に上がってしまった。どうしよう。何か言わなきゃ。こんなチャンスめったにないのに!!
「お、お元気……でしたか?」
「うん。郁美ちゃんも変わりない? あ、もしかして今、昼休憩の時間かな」
ふと郁美は昨日の、脅迫状の件を含め、彼にいろいろと話してしまいたい衝動に駆られた。しかし。あまり広めるなと今朝、釘を刺されたばかりだ。
演奏が終わる。
和泉が拍手を送っていたので、郁美もついそれに倣った。
「早く行きましょうよ、お店が混むから」
岩淵にせかされて我に帰る。
「またね」
和泉は手を振ってくれる。後ろ髪を引かれる思いで、郁美は会釈をしてその場を去った。




