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55:アナログな脅迫状

 どうしたものか。

 誰よりも早く出勤した郁美は、机の上で1人、昨日の夕方のことを思い出していた。


 向島から帰ってきて、広島駅に到着した時には既に午後7時を回っていた。移動時間が意外に長かったように思う。


 郁美はバスで、上村は路面電車で寮に戻ると言うので駅で解散となる。


「今日はお付き合いいただいて、本当にありがとうございました……」

「ううん、皐月のことは私も知りたいから。また新しく何かわかったら、すぐに連絡するわね」

 はい、と返答する彼は微笑みを見せてくれる。


 初めて会った時から今日の朝に至るまで、何と言うか愛想のない子だと思っていた。


 尖っているというか、ツンツンしているというか。ところが。行きの電車の中で彼の姉について話しているうちに、段々と打ち解けてくれたことが嬉しかった。


 帰りの電車の中、西条の駅を通過した頃には、彼の生い立ちも知ることができた。


 生みの親の亡くなった事件は現時点で未解決だという。

 そこには何か裏があったかもしれない、と。


 正義感の強い皐月のことだ。可愛い弟のために自分が真相を探ってやろうと考えたのだろう。

 彼女の弟の推察と、上村皐月を良く知る自分の見解は一致している。


 それから郁美は駅ビルで晩ご飯を買って、近くのコンビニで発泡酒を購入し、自宅マンションのエントランスに入った。

 郵便ポストには大量のチラシと請求書が突っ込まれている。管理会社が設置してくれたゴミ箱にチラシを捨てていると、ひらりと1枚の封筒が床に落ちた。


 慌てて拾い上げたが切手が貼られていない。なんだ、ダイレクトメールか、と思って捨てかけた。しかし。


 社名が書いていない。


 よくある白い封筒だが、宛名も書かれていない。このポストに直接投函されたと考えていい。

 郁美は爆発物でも抱えるような気分でその封筒をつまみ、部屋に戻った。


 慎重に開封する。

 カミソリや他、危険物は入っていなかった。しかし。


 出てきたのは新聞や雑誌の切り抜きを使った、それこそ昭和の初めに流行った(?)かのようなアナログな脅迫文であった。


【上村皐月の件についてはこれ以上調べるな】


 おそらく。メールなら発信元が特定されてしまう、そのことを危惧したのだろう。マンションのエントランスに防犯カメラは設置されているが、金で雇われたアルバイトが届けたのであれば、依頼主が誰なのかを知らない可能性も高い。


 とりあえず明日会社に持って行って、古川に鑑定させよう。指紋を検出できればもうけものだ。


 皐月の弟には……今のところは黙っておこう。


 ※※※


 考えごとをしながら郁美がパソコンが立ち上がるのを待ってボンヤリしていると、監察室の部屋の扉が開く音が聞こえた。


「おはよー、ねぇねぇ。こないだの小野田課長とのデート、どうだった?」

 岩淵が呑気な調子で訊ねてくる。一瞬、何のことだっただろうかと郁美は混乱した。

「そんなことありましたっけ……?」

 

 そう言われてみたら、そんなこともあったっけ。


「つい昨日か一昨日の夜のことじゃない、何言ってんのよ。さては、たいして印象に残らなかったってことね」


 印象に残ったのは昨日の出来事の方が強くて、確かに小野田と一緒に食事に行った時のことは霞んでいるかもしれない。

 何食べたんだっけ……?


 微妙な気持ちになった時、RINEが着信を告げた。

 その地域課の小野田課長からだ。


《先日はどうもありがとう、とても楽しかったです。もし良かったら明日の夜、時間取れませんか? 素敵な割烹料理店を見つけたので》


 明日の夜……。

 以前は約束などできる状態ではなかった。突然、急ぎの仕事が割り込んできたり、人員不足で休みの日に急遽駆り出されたり。それが今は。


《それともイタリアンやフレンチの方がいいですか? あるいは他にご希望があれば教えてください》


 どうしよう?

 悩んだ末に、郁美は返信を打ちこんだ。


《ありがとうございます。予定を確認しますから、少しお待ちください》


「あらやだ、ちょっとー!! また小野田課長から~?」

「……またって……」

「いいわね~。そこは素直に、はいって応じておきなさいよ。あなたも上手くすれば将来は署長夫人よ?」

「どういう意味ですか?」

「聞いてないの? 彼って次期副署長、その後はエスカレーターで次の北署長よ。ノンキャリアであの若さでそこまで登り詰めることができるなんて、ただごとじゃないわ」


 別にそんなもの……と、まったく興味がないわけでも、正直ない。

 だけど今はそれどころではない。


 皐月のことが重要だ。


 そしてふと思い出した。

 あの晩、小野田課長に皐月のことを訊ねた時のこと。


『あなたほどの美人に似ている女警なら、一度見たら忘れることはないのですがね』

 そう言って彼は笑っていた。


 確かに県警職員が何人いるというのか、全員が顔見知りな訳がないだろう。


「でもさぁ、あの人結局、無事に離婚できたのかしらね?」

 岩淵は思いがけないことを言いだす。

「……え?」

「未だに名字が小野田、だし」


「どういうことですか?」

「知らないの? あの人、婿養子なのよ。で、この奥さんってのがまぁいわゆる県の偉い人の娘で……なんだけど、すごく嫉妬深い人みたいでね。小野田課長ってモテるし女性に気軽に声かけるからさ。なんだかんだ噂が流れて……おっとっと、室長だわ」


 室長の聖が入ってきた。

 岩淵は慌てて席に着く。


 彼は挨拶もそこそこに、

「平林さん」と、郁美を呼んだ。

 いつも感情の読めない人物ではあるが、今朝は妙に、何か怒ったような顔をしているような気がする。


「少しお話がありますので、こちらへ来ていただけますか?」

「昨日のことなら、改めて……」

「そのことではありません」


 言われるまま奥のミーティングルームへ入ると、開口一番。

「一昨日の夜、地域課の小野田課長と一緒にいたって言うのは……真実ですか?」

「え? あ、はい……」


 やはり何か怒っているようだ。

「あ、あのでも、決して接待とかじゃないです!! 支払いは割り勘にしたんですから」

 店を出る時、郁美はこれだけは譲れないと思ってちゃんと料金を支払った。

 帰る時もタクシー代を、と言われたけれど、定期があるからと丁重にご遠慮申し上げたのである。


 こちらの反論が意外だったのか、監察官は一瞬怯んだように見えた。


「……とにかく。不必要に他部署の人間と、職務以外で接触するのは控えてください。いいですね?」


 どうしてですか、などと訊ねるほど郁美も子供ではない。公正が施行されるべき監察の現場に、私情を挟んで『もみ消し』などの行為があってはならないから、だ。


「はい……」

 郁美の返事を確認すると、聖は「仕事に戻りましょう」と、業務室へ戻ろうとした。


「あ、あの室長!!」

 そうだ。

 郁美は彼に、昨日ポストに投函されていた脅迫状のことを打ち明けた。


 彼はしばらく無言で文面を見つめていたが、

「他に誰かにこのことを話しましたか?」

「いえ、まだ……」

 皐月のことを調べたいと、昨日メールで遣り取りしたから知っているはずだ。


「これは私がお預かりしてもかまいませんか?」

「え? ええ、はい……」

「この件については決して誰にも、上村柚季巡査にも伝えないでください」


 なんでだろう? 不思議に思ったが郁美は黙って頷いた。


「それと、今後はなるべく表立って行動するのは控えてください。いろいろな人に上村皐月さんのことを訊ねるのも」

「え、でも……」

 いいですね、とやや強めの口調で言われてしまった。


 どことなく自分や上村のことを心配してそう言ってくれているような気がして、反発する気にはなれなかった。


 それから室長は呟きつつ部屋を出て行く。


「今度こそ、二度と同じ過ちは……」


 それは郁美に対してというよりも、自分自身に対する誓いのように聞こえた。


 その後ろ姿を見ながら、

 表立ってがダメなら、隠密ならいいのね。


 郁美は上官の言葉を自分に都合よく解釈した。


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