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52:口から出まかせ

 周の上司、小橋から折り返しの電話がかかってきたのは、和泉が北暑を後にしてすぐ後のことだ。


『悪い、何度か電話もらったみたいだけど……』

「ちょっと教えて欲しいことがあるんです。今からメールに写真を添付して送りますから、どこのなんて言う店で働くホステスか……」


 森本君江から借りた同窓会の写真を添付して小橋にメールを送ると、すぐに返信があった。


『流川3丁目のコンフォートヴィーナスって言うキャバクラ。カレンって名前で出てる店のママだ』


 さすがだ。保安課のプロとは聞いていたが、まさかここまでとは。


 まだ開店時間には少し早い。

 キャバクラとなると純情可憐な若い刑事や、いい歳をして水商売の女性が相手だと、ペースを崩されてしまうオジさんを連れて行く訳にはいかない。


 1人で行こう。


 ※※※※※※※※※


 気がついたら閉館時間が迫っていた。

 周はノートと参考書、文具を慌てて片付け、図書室を後にした。


 このまま真っ直ぐ寮に帰るか、あるいはこの時間帯ならではの町中散策をしてみるか。先日みたいにそう複数の事件に遭遇することはないかもしれないが。


 そう思って歩き出した時にふと思いついた。

 もう一度、昨日の現場に行ってみよう。

 何か新しい発見があるかもしれない。


 真犯人は必ず現場に戻る。その話がほんとうなら……って、容疑者は逮捕・拘留されてるんだっけ。でも。


 自分は犯人じゃないと叫んでいた彼。

 周はその言葉が嘘だとは思えなかった。


 そごうの裏の狭い路地にあるあのビルに行くには、どうしたら良かったんだっけ?


 周は道のりを探りつつ現場となったプールバーに到着した。黄色い規制線は張られているものの、見張りの警官はいない。


 鑑識作業は終わったらしいが、中に入ったら叱られるだろう。


 周はテープの手前に立って店の様子を見た。


 すると、

「あら? 思ったよりも早かったのね」

 下の方から声が聞こえた。周が振り向くと、非常階段の方から知らない女性がこちらに近づいてくる。


 コートを着ているが、髪型は明らかに水商売の女性っぽい。

 正直言って、周が一番苦手とするタイプだ。


「やっぱりあの先生に頼んで良かったわ。腕利きだとは聞いていたけど、さすがね」


 何の話をしているんだろう?

 自分を誰かと勘違いしている?


「こんなところにいたらまた疑われるわよ? 今日、お店は? シフト入ってるの?」


 周が返答しかねていると、

「どうしたの? あなた、リクでしょ」


 それはもう本能というか、理屈で説明できない直感だった。

 この女性は事件に関して何か知っているのではないか?


 そして【リク】と言う名前。

 昨日の昼間もやはり、同じ人違いをされた。


 このプールバーで遺体となって発見された男性を殺害したとして、逮捕された容疑者の顔をどこかで見たような気がすると思っていたが、それはほかならぬ自分自身だったと気づいたのは今朝、顔を洗っていた時だ。


 ここは上手く話を合わせて、何か情報を聞き出せないだろうか。


「うん、ごめんね。ぼんやりしていて。今日は休み……なんだけど、いろいろ気になったから様子見に来たんだ」

 口から出まかせではあるが、事実でもある。


「そう。じゃあ、ウチの店を手伝ってもらえない?」

「えっ……」

「嫌なの? あなた、お金が要るって言ってたじゃない」

「ど、どこの店?」


 しまった。

 不審に思われるかもしれない。


 しかし女性はふふっと微笑んで、

「やぁね。寝惚けてるの? だったら一緒にいらっしゃい」


 どうしよう?

 とんでもない場所に連れて行かれたら、帰れないかもしれない。

「ちょ、ちょっと待ってて。友達にメールしていい?」

「タクシー待たせてあるから、早めにね。先に乗って待ってるから」


 女性がこの場を離れた今がチャンスだ。

 周は急いで和泉の番号にかけた。



 気がつけば周は流川のとある雑居ビルの中にいた。

 そんなつもりじゃなかったのに。今さらウソでした、ごめんなさいとは言えない。


 何か事件のヒントになる情報をつかめるかもしれないなんて考えたのは、たぶん10年早かったのだ。和泉からの返信がない。


 バックヤードで白いワイシャツと黒いベストに袖を通しながら、周は鏡を見た。髪型をなんとかしたほうがいいんだろうか。

 するとそこへようやく、和泉からの着信があった。


「もしもし、和泉さん?!」

『周君、どうしたの?』

「助けて!! 今、流川3丁目の……えっと、なんていう店だっけ……」

『すぐに行くから、待ってて!!』


 あんな曖昧な説明でわかってくれたのだろうか? しかしあの変態ストーカー男のことだ。スマホのGPS位置情報を駆使して、この場所を突き止めてくれることだろう。


「用意できたの? リク」

 さっきの女性が和服姿で入ってきた。

「は、はいっ!!」


 和泉が来てくれるまでなんとかごまかすしかない。

 おそるおそる店内に踏み込むと、薄暗い照明の中、露出度の高いドレスを着た若い女性達が複数人集まっている。


「あ、リクじゃん。久しぶり~」

 そのうちの1人が周の腕に抱きついてきた。きつい香水の匂いにやや眩暈を覚えてしまう。

「髪色変えたんだ? そっちの方がいいよ。あ、でも髪型は……」

 その女性は手を伸ばして周の前髪をかき上げてくる。凶器になりそうな長い爪には、キラキラとやたらに装飾が施されていた。

「うわぁ~、さらさら!! いいなぁ……」


 ぱん、と手を打つ音が響く。

「はい、皆。いいわね? 今日はとっても大切なお客様がお見えになるってこと……覚えてるでしょ?」


 遺体発見現場であるプールバーの前で出会った女性は、どうやらこの店で一番偉い立場の人みたいだ。和服を着ているからきっと、この人が主任みたいなもんなんだな、と周は考えた。


「くれぐれも接客は丁寧に。失礼のないようにね」

「はい、ママ」


 するとそこへピンポン、とチャイムの音が。

 いらっしゃったわ、とママと呼ばれた女性が声をかけると、女性達は一列に整列する。


 戸惑ったが周もそれに倣った。警察学校にいた頃は毎朝やっていた『○○教官に敬礼!!』 とか、そう言ったノリで問題ないだろう。


「こんばんは」

 入ってきたのは見覚えのある男性だった。


 思い出した。県知事候補の秋山義隆。


 彼は慣れた足取りで奥のボックス席に腰かける。

 2人の女性が彼を挟んで座り、上着を脱がせたりハンガーにかけたりと、甲斐がいしく世話をしている。


 周がボンヤリしていると、

「何やってるのよ、早く、これ」

 先ほどのキラキラした爪の女性がおしぼりを盆に乗せて手渡してくる。


 はい、と返事をしてとりあえず、あの席に運べばいいんだなと周はおそるおそるボックス席に向かった。


 この手の仕事は全く未経験だ。が、とりあえず昔一時期だけ、姉の実家の旅館を手伝った時に覚えた所作でいいのだろう。

 片膝をついておしぼりを差し出す。


「いやぁ~、参ったよ。今日はさんざんだった……」

 県知事候補の男はおしぼりで手を拭いたあと、右隣に座っている女性の肩に腕を回して撫で始めた。


 あれ? 確か婚約者がいるって……。


「お飲み物はいかがなさいますか?」

 少し怪訝そうな顔をされた。常連客なら黙っていても【いつもの】が出てくると思っているのだろうか。


「先生はいつも、ビールからよね?」

 女性の1人が助けてくれる。

「そうそう。いつものね」


 周は冷や汗をかきながらカウンターに戻った。

「あの、いつものビールって……?」

「これよ」

 ママと呼ばれていた和服の女性がビンとグラスを差し出してくれる。


「どうしたの、久しぶりで忘れちゃった?」

 はい、と適当に微笑んで再び、先ほどの席に戻る。


「私たちぃ、ぜ~ったい、秋山さんに投票しますからねぇ?」

「あはは、ありがとう。けど、大きな声で言っちゃダメだよ」

「でもぉ、ウチはありがたいですけど、こんな時期にお店来て大丈夫なんですかぁ?」


 秋山さん、と呼ばれた県知事候補の男は左隣に座る女性の膝を撫で、

「大丈夫だよ。バレなければ」


 なんだ、このおっさん……。


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