47:初めまして、お父様。
上司からの返信は以下である。
《なぜあなたが?》
なぜ?
そう問われて郁美は、はたと我に帰った。
行方不明だと言う皐月の安否を探ろうと、彼女が調べていたことをなぞってみることにした。そうすると避けて通れないのが15年前の事件。
《友人が、大切な人を探しているからです》
《友人が、と言うのは平林さん、あなた自身ではないということですか?》
細かい男ね……。
《私の友人でもある大切な女性です。詳しいことは、明日以降ちゃんとご報告しますから》
《上村君は一緒ですか?》
《はい》
《彼に伝えてください。あなたのお父さんは決して、他人があれこれ悪く言うような人ではありませんでした。県警が誇るとても立派な警察官です。詳しいことは必ず、折りを見てお話しします。それまで待ってください。今はまだ、そのタイミングではありません》
そのタイミングって何よ。
どうもあの人はいろいろ隠しているみたいだ。
腹の読めない奴。けど、どうしても郁美は、聖という警部が悪人には思えないのである。
それから郁美は少し悩んだ末に、これを見て、と上村にスマホを渡した。
彼はしばらく無言で画面を読みこんでいたが、
「……これは……」と、呟く。
先ほど読んだ15年前の強盗事件に関する資料。臨場した警察官の1人は室長、聖警部に違いない。
彼は彼なりにその事件に関して、言いたくても言えない【何か】があるのかもしれないと、郁美は考えた。
ありがとうございます、と上村はスマホをつっ返してくる。
どこか不貞腐れているようにも見えた。
「どうしたの?」
「……あの人は、何を隠しているんでしょうか?」
「あの人って?」
「聖と言う監察官です。父と同期だったことは知っています。あの事件の時、父と共に臨場したことも」
「ねぇ、柚季は何を、どういうふうに聞いてるの?」
上村は少し迷った末、
「父を見殺しにした……と」
「……え?」
「あの日、すぐに救急車を呼べば助かったかもしれないのに、そうしなかった。あるいはあの事件そのものを、父が他人を罠にかけようとして仕組んだ狂言だと噂を流した、その張本人だと」
「誰がそんなこと言ったの?!」
しかし上村は黙っている。
「それこそ、ほんとかどうかわからないじゃない!! 私、聖警部のことはそれほど良く知ってる訳じゃないけど、とてもそんな人には思えないわ……」
返答はない。
しばらくして、
「姉は……彼の下にいたことがある、と聞きました」
「監察室にいたってことね? それは私も聞いているわ」
「姉の日記に書かれていた【H】と【I】のイニシャル、その該当者はやはり彼だと、僕はそう考えています。姉は父の事件の真相を調べようとして、彼に近付いた……その結果」
電車が尾道へ着いた。
この件はいったん棚上げにしましょ、と郁美は話を切り替えた。
どうもこの子は、誰に何を聞いたのか、室長を逆恨みというか……完全に親の仇だと信じて疑っていないようだ。
先ほどの交番で聞いた話からすると、皐月は確かに誰かと不倫をしていたようだ。
でも【パッとしない男】と言うのは、どう考えても室長には当てはまらない。最もあの白髪の制服警官の美的センスを信用するのなら、の話だが。
それに、上村の父親の部下だと言っていたではないか。
もうすぐその父親に会うのだから、何か詳しいことを聞けるかもしれない。
※※※
山陽本線の尾道駅、改札をくぐるとすぐ目の前に瀬戸の海が広がっていた。
上村は迷う様子もなく、真っ直ぐに駅前の通りを横断する。
「え、柚希。どこに行くの?」
「フェリー乗り場です」
そう言えば。宮島に行くにもフェリーに乗らないといけなかった。改めて『島』に向うのだな、と郁美は思った。
フェリーに乗ること約3分。短い船旅だった。
そう言えば何年か前、愛媛の刑務所から脱走した受刑者が、向島から尾道へ泳いで渡ったというのが話題になったのを思い出す。
船着き場から西方向へ歩くこと約5分。
道路は整備されていて、県内でよく見かけるコンビニやドラッグストアも建っているものの、寂れた町という印象が拭えない。
郁美は広島市内の、それも割と賑やかな場所で生まれ育ったので、ほとんど人も歩いていない島の光景を珍しく思った。
ついキョロキョロしている間に、
「着きました」と声をかけられた。
築何年ぐらいだろうか。かなり年季が入った建物はところどころヒビが入っている。
向島警察署と言う看板は一部が剥げていて、島警察署としか読めない。
「……予算がないのね……」
どこの地方自治体もそんな感じだろう。悲哀を感じて思わず郁美は呟いた。
こちらです、と案内されたのは地域課の部屋。
広島北署に比べればずっと狭い間取りで、4つの机で作ってある島が2つのみ。
課長の札が置いてある席は空席だ。
「……失礼ですが、上村は……上村誠一は外出中ですか?」
上村が近くにいた職員を捕まえて質問すると、
「ええ、巡視に出てます。おたくさんは?」
「上村の息子です。それとこちらは……監察室の係員、平林郁美巡査です」
どうも、と会釈して郁美が名刺を出そうとすると。
「お、おい!! 大変だっ!! 皆、監察だ、ズイカンだっ!!」
まるで熊が出たぞ、と言われているような気分だ。
やや気分を害しているところへ、
「あ、あの……この度はどういった……?」
腰を曲げつつ揉み手をしながら、平身低頭にやってきた七三分けヘアの中年男性。
「別に査察のためにやってきたわけではありません。上村課長に用があるんです」
「上村課長~……ああ、あの人はよく席にいらっしゃらなくてねぇ。どこかの駐在所か交番でお茶飲んでるんじゃないですか?」
上村息子がムッとしたことに気づいた郁美は、
「本当に仕事のできる地域課長は、椅子を温める暇もないほど動き回って巡視していると聞きますけど?」
「……まぁ、その内に戻ってくるでしょう。まま、どうぞ、こちらへ……」
慇懃な態度で部屋の隅のソファを勧められる。
郁美はぐるりと部屋の中を見回した。
北署の地域課と言えば、何十人もの職員が忙しそうに行き交っていて、電話もひっきりなしに鳴っていた。ところがここの地域課と来たら。
職員は5人ほど。全員がそれぞれのパソコンの画面に向かってじっとしている。電話も鳴らないようでシーンとしている。その上、平均年齢が高めだ。
ここもきっと過疎が進んでいるのだろう。
どんな田舎町でも犯罪は起きるけれど、人口に比例して発生率も高くなるのかもしれない。
そんなことを考えていると、
「なんじゃ、ユズ。こんなところに何の……」
中年男性の声が部屋の入り口から聞こえた。
郁美も上村と共に立ち上がる。
制服警官が中に入ってきた。警部の階級を示す袖のライン。彼が上村の父親、上村誠一だろう。
その男性は立ちどまり、少し呆然とした後に、
「……皐月……?」
「姉さんじゃない」
息子にそう言われて彼は我に帰ったようだった。
「……あんたは?」
「私は、こう言う者です」
郁美は名刺を取り出す。
「監察……」
「ですが、今日は査察のために伺ったのではありません。個人的なことでお聞きしたいことがありまして」
背丈は自分と同じぐらい。横幅はそれほど出っ張っていないから、この年齢にしてはまずまずのスタイルと言ったところか。
「ほんなら、外に出ましょか。昼飯は?」
「まだですけど……」
「美味い中華屋があるんですわ」
こちらの返事も待たずに、彼はさっさと部屋を再び出て行く。
「すみません、自分勝手な人間で……」
息子の柚季は申し訳なさそうに言う。
「ああ言うのはマイペースって言うのよ。行きましょう」




