45:筆跡鑑定
勝手知ったる鑑識課の部屋。
郁美は大きく扉を開けて、入るわよとズンズン歩き進める。
「古川、いる?」
「……何すか? 俺は別に、監察に睨まれるような真似はしてませんけど」
「筆跡鑑定して欲しいのよ」
ソファーに寝そべっていた古川は上半身だけを起こし、髪をボリボリとかき回す。
それから彼は郁美の後ろに立っている上村を見て、不思議そうな顔をした。
「和泉さんのことをあきらめて……今度は若い男の子をナンパですか?」
「ゴチャゴチャ言ってないでさっさとやれ!!」
生意気ではあるが、仕事は早くて正確だ。
「なんかヤバい書類にサインでもしたんすか?」
「違うわよ。知りたいことがあるの」
「プライベートなら、何かおごってくださいよ」
「あ、あの、それなら自分が……」
「いいのよ。気を遣わないで」
※※※
「うん、同一人物の文字ですね」
古川はそう断定してくれた。
上村の表情が少しだけ和らぐ。
ということは彼女から送られてきた手紙は本物だ。ただ、そこに書かれていることが真実かどうかはこれから探らなければならない。
「ねぇ、柚季。この後、北署と福山に行ってそれから、お父さんにも会いに行こう。ハードスケジュールだけど、若いから平気よね」
「え、あ、はい……」
「何すか、郁美センパイ。ナンパした男の子の親御さんにいきなりご挨拶に行くとは、仕事が早いっすね~」
そう言われて初めて郁美は、なんかトンデモない誤解を与えるような発言をしてしまったことに気づいた。
そこで慌てて取り繕うように、
「お、お父さんなら皐月のこと、もしかしてあんたの知らないことも知ってるかもしれないでしょ? 私も、もっと詳しいこと知りたいし……」
上村は嫌そうな表情はしていない。
というよりも、やや困惑したような赤い顔だ。
「父は向島、です。遠いですが……それでも問題なければ」
「県内でしょ。ノープロブレムよ!!」
行くわよ、と思わず彼の手を引っ張って部屋を出て行く。
「末永くお幸せに~」
※※※
それから郁美は上村と一緒にまず北署へ向かった。
北署の資料室には所狭しと、歴代の刑事達が残した手書きの資料から何から詰め込まれている。それでも綺麗にきちんと整頓されているのはきっと彼女の仕事だろう。
先ほどから何か言いたげな、それでいて唇をへの字に曲げている事務員。
資料室が観たいから鍵を貸して欲しいと申し出た時、なぜかひどく驚いた顔をしていたが。
もしかすると彼女も皐月のことを知っているのだろうか?
だから、よく似た自分が歩いているのを見て驚いたのか。
しかしその話は後だ。今は資料を見つけることが先決。
「あった……見て、柚季!!」
資料に記載されていたことは、上村が聞いていたこととほぼ同一だった。
事件が起きた場所、状況、犯人グループの人数。
場所は本通り商店街の宝石店。日時は15年前の大晦日、深夜11時半。犯人は3人組のいずれも男。国籍は不明だが日本人で間違ないとのこと。
通報を受けて臨場したのは新天地北口交番の係員、広瀬、聖、橋場巡査の3名。応援を呼び、基町南口交番からも係員が2名現着。
予め逃走用に用意していたと思われる黒いワゴン車に、奪った宝飾類を積んでいた所に出くわし、犯人グループと揉み合いになった。犯人達は全員凶器を所持。
格闘の末、広瀬巡査は胸部に深い刺傷を負い、救急車の到着を待たずに失血死によって命を失った。
犯人グループの内2名は現行犯逮捕に成功。
しかし残りの1名だけが未だ、逃走を続けていると。
顔は目出しの黒いニット帽で隠されていた。
確かに資料には室長の名前が記載されている。そうありふれた名字じゃないし、同姓同名の別人とは考えにくい。
確か上村の生みの父が広瀬、で。
となると、あとは当時のことを知っているのは橋場と言う人物と、応援で駆け付けた基町南口交番の2名。郁美は必要事項と思われるところをメモしておいた。
「そろそろ行きましょ」
上村ははい、と返事をして後をついてくる。なんだか私の方が偉そうにしているみたいだわ、と郁美は複雑な気分になってしまった。
大通りに出て路面電車に乗る。広島駅から岡山方面へと向かう快速列車に乗りこむと、平日の中途半端な時間のだというのに、意外と車内は混んでいた。
まず向かうのは皐月が何年か前にいたという福山中央署の交通課だ。
電車を降りて郁美がまず驚いたのは、福山が県内第2の都市と言われるだけあって、高層ビルが建っていること、綺麗に整備されていること。
大学時代、福山に実家があるという同期生がいたが、昔は駅前に7階建ぐらいのデパートが4軒ぐらい固まってて、駅前に商店街もあって賑やかだったと言っていたが、今はまた違った景色が展開されている。
駅前でタクシーを拾い、福山中央署へ向かう。
美しく整備されているのは駅前だけで、少し離れると田園風景である。署は田んぼの真ん中、民家がポツリポツリと建っている土地の真ん中にでーんとそびえていた。
さて。受付に向かったはいいが、どう用件を切り出そうか。
悩んでいた時だ。
「上村?! 上村柚季だろう?」
若い男性の声。
振り返ると、背が高く短髪で、目の細い男性が立っている。
「倉橋巡査……」
「何やってんだよ。こんなところで?」
知り合い? こそっと郁美は上村に耳打ちした。
「同期生です。同じ教場の仲間で……」
それなら話は早い。
この署で一番古くて、情報通を教えてもらって。
郁美は彼に丸投げしておいて、自分はロビーにあるソファに腰かけた。
※※※※※※※※※
そう言えば。彼の卒配先はここだった。
「……一緒にいるのは、彼女か?」
「違う」
「何しに来たんだ?」
「この署内で一番古くて、何でも知っていそうな人を紹介してもらえないか」
倉橋は不思議そうな顔をする。
しかし、あまり深く考えずに誰か……恐らく直属の上司だろう……の元へと走って行く。
しばらくして、
「誰かを探してるのか?」
「……何年か前に、ここの交通課にいたっていう上村皐月という女警のことで」
ふーん、と彼は深く訊ねることなく再度、上司の元へと急ぐ。ありがたいと思った。
それから、
「上村皐月さんって女警のことなら、今は駅前交番にいる、下野さんって人のところに行けばいいって」
「ありがとう!!」
上村は思わず同期生の手を握り、上下に振った。
何も訊かず、疑問に思わず、素直に頼んだことをしてくれた彼。以前の自分なら、主体性がないと批評していたことだろう。だが今は、そんな単純さが非常にありがたい。
「なぁなぁ、周は元気? あいつのことだからいつも一生懸命なんだろうな」
「……元気にしている」
「そっか。会うチャンスがあったら、伝えてくれよ。3か月後……もう、2か月と2週間後ぐらいかな? また学校で会えるのを楽しみにしてるって」
そうなのだ。
初任科を卒業し、それぞれの配属先で3ヶ月間の研修を受けた後、再度警察学校に戻ることになっている。いわゆる上級コースをクリアしなければならない。
それを無事に切り抜けたらほんとうの意味での【卒業】である。
「君も、頑張ってくれ……」
上村は特に意識することなく、自然と口から零れた言葉を述べたつもりだったのだが。倉橋はひどく驚いた顔をする。
「やっぱり彼女ができると、違うんだな……」
振り返ると郁美はスマホをいじっていた。
「郁美さん、駅前交番にいらっしゃる方が、姉のことをよくご存知だと……」
「そうなの? 初めからわかってたら……って、文句言ってる場合じゃないか」
彼女は立ち上がる。
ふわり、と長い髪が広がってフローラルな香りがする。
姉の皐月はショートヘアにしかしたことがない。長い髪は手入れが大
変だから、と。そこがたぶん、彼女との大きな違いなのだろう。
行きましょ、と言う彼女の後をついていくと、署の玄関前にタクシーが停まっていた。
「さっき駅前交番って言ってたのが聞こえたから、呼んでおいたの」
手回しがいい。
そうして再度、駅前に戻った。
本文中に書き忘れましたが、上村は姉の手書き文字が書かれたメモを持参しておりました。
比べる対象がないと、筆跡鑑定も何もないですな……( -д-)




