43:井出さん登場
毎度あり!!(笑)
図書館に到着した周はさっそく、机の上で参考書とノートを開いた。
昇進試験については警察学校にいた頃から何度も言及された。それは別に、見栄や誇りのためではない。
上を目指さない警察官は終わりよ。
担当教官は常々、そう語っていた。
警察は階級組織。出身大学だとか経歴は関係ない。ただ勤務評価と試験の結果だけがものを言う。面接もあるけれど。
上に言えば行くほど、発言力が大きくなる。
自分の考えで組織を変えて行くことができる。仕事を処理していくことができる。
たかが一巡査の意見なんて、誰が真剣に聞いてくれる思う?
安月給でこき使われて、なんて言う不満が出てきたら、そいつは無気力になる。そうして暇な僻地の交番や駐在所でクダを巻きながら警察官人生を終えることになる。
これだけ厳しい授業を乗り越えてきたあんた達がそんなことでいいの?
現場に出るようになったら、自由な時間なんてないに等しいけど。でもね、それを言い訳にして挑戦をあきらめちゃダメ。
たとえ50代になっても定年間際になったとしても。
そう言えば。上村が学校にいた頃、よく昇進試験のことを口にしていたことを思い出す。
ほとんど無駄話をしない人間だったが、その話題だけはやけに熱心だった。
もしかして彼は【変えたい組織上の何か】があるのだろうか?
どちらかと言えばクールで、あまり組織改革だとか、そう言ったことには関心がなさそうに見えたのだが。
そんなことを考えている場合ではない。
周がシャーペンを握り直した時、スマホが着信を知らせた。
ジャマしやがって、と思って画面を確認すると、電話ではなくメールだった。和泉からだ。
昨日の事件に関して何か進展があったのだろうか?
急いでボタンを押すとなんのことはない。いつも通りハートマークいっぱいの気持ちの悪い、どうだっていい文面の下に、茶トラ猫の写真が。
《周君おはよー!! うちのニャンコ、しらたま、だよ。いろいろ忙しいと思うけど、時々は会いにきてにゃん?》
なんで【しらたま】なんだ、とかいろいろ疑問は浮かんで消えたが、結論。
《また今度》
大阪の人間が断りの常套句としている『行けたら行く』と同義語を打ちこんで返信しておいて、周は再びノートを開いた。
この際、和泉のことは正直どうだっていいが猫には会いたい。
だが、今はそれよりも大切なことがある。
※※※※※※※※※
一晩ぐっすり眠ったら、確かに疲労が回復した気がする。
和泉は今日の予定をあれこれと思い巡らした。
昨日の遅い時間、プールバーで発見された渡邊義男の遺体遺棄事件について報道されていた。
どこから探りを入れようか。
とはいうものの、通常業務の傍らの探偵業である。相棒を申し出てくれた駿河にだってしなければいけない業務がある。
周は今日、休みだが……試験勉強をしているか、町中の視察に出かけているか。
さっきメールを送ったら、彼らしいつれない返事が帰ってきたが。
仕方ない。
今日のところは1人で行動するかな。
そう思ったら何となく寂しくなってしまった。探偵には相棒がつきものだし、宇宙刑事にだって初代から必ずパートナーがいた。
「……さっきから、なんでそんな目で俺を見るんだ?」
気がつけばじっと聡介を見つめていたらしい。
「聡さん……」
父は何を言われるのかと身構えているようだ。
「そろそろお昼ご飯、買いに行ってきますね」
「まだ9時過ぎだぞ?」
どうにか理由をつけて外に出たいのが、思い切りあらわれているようだ。
「ちょっと外回りに出てきます」
外回りってお前は営業マンか、と言う父の声を背に、和泉はさっさと1階に向けて階段を下りる。
「和泉さん」
階段の上から誰かが呼ぶ声が。
「葵ちゃん?」
「待ってください、ご一緒します」
若い刑事は素早く追いついてくる。
「……美咲さんは大丈夫?」
「ええ、まだ予定日まではもう少しありますし。昨日……できる限り和泉さんのことを手伝ってあげて欲しいと言われました」
「そうなんだ。美咲さんにありがとう、って伝えておいてね」
「彼女は和泉さんに、数えきれないほどの恩を感じていますから……僕も含めてですが」
改めてそう言われると、なんと言っていいのかわからない。
「ところで、どこから着手しますか?」
「それなんだけどね……遺体発見現場の周辺はもう、どうせ所轄の刑事が聞き込みに回ってるでしょ? かぶると面倒だし……どうしたもんかなぁ」
とりあえず県警本部の敷地外に出る。
すると。通りの向かいから、誰かがこちらに向かって手を振っているのに気づいた。
他人の名前を覚えない和泉も、さすがに檀家の顔ぐらいは覚えている。自分の中で勝手に【コンビニの息子】と命名している男性だ。
横断歩道まで向かって通りを渡る。
「あ、こんにちは!! 伊豆さん!!」
「……井出ですから」
「……毎度すみません……」
井出氏はまぁまぁ、と苦笑いしながら、
「お仕事中ですか?」
「ええ、まぁ。井出さんはどうしてここに?」
「実はウチの親戚が先日、新たにこの店をオープンしましてね、開店セールで応援に駆け付けた次第です。ちなみに場所はここから約300メートル。今、通りがかりの人にクーポン付のチラシを配っているところですよ」
チラシに記載されている地図を確認すると、なんと、周の住む寮のすぐ近くではないか。
「ひいきにさせていただきます」
「それはどうも」
ふと、和泉は井出氏の横顔を見ていて考えた。
彼の人脈の広さはハンパなく、井出氏が提供してくれた情報が事件を解くカギになったケースは数え切れない。今回も期待していいだろうか。
「あ、あの、井出さん……お忙しいかと思いますが」
「ええ、紛れもなく忙しいですが。何か事件ですか?」
「そんなところです。ところで……」
「今はちょっとここを離れる訳にはいきませんが、昼過ぎなら大丈夫ですよ」
だったら、と和泉は彼に微笑みかけた。
「おいしい蕎麦屋をご紹介しますよ」
※※※※※※※※※
昨日、皐月の弟に会っていろいろと話を聞いて、彼女との思い出がいろいろと甦ってきた。楽しかったこと、苦労したこと。
家で身支度を整えながら郁美は、アクセサリーを保管する箱の中から赤いイヤリングを取り出した。
それはかつて上村皐月が、念願かなって郁美が鑑識課に異動することが決まった時に、お祝いだと言ってプレゼントしてくれたものだ。
皐月に弟がいるのは聞いていたけれど、当時、彼女が話題にする男性といえば、もっぱら片想い中の彼についてだった。一緒に働いている間に進展はなかったようで、その後もどうなったのかを知らない。
しかも名前をハッキリとは言わなかった。
皐月は『I』さん、と頭文字だけでごまかしていたから。
その当時は考えもしなかったが、今にして思えば、秘めた恋だったから、オープンにはできなかったということだろうか。
それから準備を整えた郁美は家を出た。
待ち合わせ場所は本通り商店街のアンデルセンというパン屋。
約束の時間より早く到着しそうだな、と思いながら歩いていた郁美だが、店内に入ると相手は既に来ていた。
「……ごめんなさい、待たせた?」
「いいえ。僕が早すぎただけですから、お気になさらず」
そして彼……上村の格好を見た郁美は思わず目を丸くしてしまった。
まさかスーツで来るとは。
何だかデートみたいじゃない、と妙な気分になってしまう。
「……何か?」
「う、ううん。何でもないわ。それより、私も飲み物を買ってくるから」
ホットコーヒーを買って席に戻る。
「皐月と同じ交番にいたのは、もう何年前になるのかしら……私の次の年に卒配で入ってきた後輩だから……」
「9年前です」
「え、なんで知ってるの?」
「自分が10歳の頃、姉は警察に入りました。今、19歳ですから」
ほぇえ~……と、郁美はつい妙な声を上げてしまった。未成年か。
「ところで、平林さんは聖警部をご存知ですか?」




