41:ボーイズバー
和泉はいったん県警本部に戻った。
渡邊義男の死亡推定時刻及び、死因の詳細を知りたい。連行された金髪の青年の身元についても。
それにしても隠密行動とは疲れるものだ。
和泉は肩を回しながら捜査1課の部屋に入り、ずっとスリープ状態になっているパソコンを再起動させた。
すると、
「戻ったのか?」と、聡介。
「はい、聡さん」
「随分と長い買い物だったな? コンビニに、コーヒーとお菓子を買いに行くだけじゃなかったのか?」
聡介は苦い顔をする。
「ごめんにゃさい」
和泉は冗談めかして舌を出して見せた。
「……気持ち悪いから止めろ。それより例の被疑者だが」
「周君によく似た?」
「ああ、そうだ。髪の色こそ違うが、本当に良く似ているな」
「身元はわかったんですか?」
聡介は首を横に振る。
「ずっと黙秘しているらしい。名前も住所も職業も、一切話そうとしないらしいんだ」
「聡さん、どこからその情報を?」
「だいぶ前だが、長野課長がお前を探しにきていて、伝えてくれと言われた」
「ふーん」
そうだろう。
おそらく彼は犯人ではない。そして、頭から自分を疑っているであろう頭の悪い刑事達には、何を言っても無駄だと悟っている。だからしゃべらずにいるのだと思う。
少しかわいそうなことをしたと思うが、あの場合はああするのが最善だった。
しばらくして、
「彰、戻ったんか」
長野が部屋に入ってくる。
「……あの男の子は?」
ゆるキャラ親父は首を横に振る。
「身元だけはなんとかわかった。過去に補導歴があったけぇの……」
「どこの誰だ?」
「葛城陸、20歳じゃ」
顔も周に似ているが、歳も近いなんて。
「家族は?」
「おらん。生まれたばかりの赤ん坊の時に、施設に預けられたらしい」
18歳で施設を出た後は職を転々とし、その日暮らしをしていたそうだ。
土木建築作業から黒服まで、それこそいろいろな仕事を経験してきた彼は、最近流川のとあるボーイズバーで働いていた。
「ボーイズバー? ホストクラブじゃなくて、そんな店があるのか?」
「あるらしいど。ワシは行ったことないから知らんけど、ガールズバーの男版みたいなもんじゃろ」
和泉はスマホを取り出し、検索サイトを起動した。
ボーイズバーとホストクラブは、指名制ではないとか、接客はカウンター越しだとか、風俗営業法に当てはまらないという違いがあるそうだ。
深夜営業が可能で、昼夜2部制の店舗もある。
なお、ホストクラブよりも料金が安めで、今や女性客はそちらに流れることが多いのだとか。
「あともう1つ、判明したことかある」
遺体の傷口からして犯人は右利きだということ。
と言うか、右利きの人間が世の中に何人いるというのだ。あまり手掛かりにはなりそうにない。
容疑者も右利きであることはわかったが、今は否定も肯定もせず、何も語ろうとはしないそうだ。
「で、死亡推定時刻と死因は?」
「午前1時から5時の間……ってとこじゃな。死因は胸と腹を刺されたことによる失血死。他に外傷などは見当たらず。防御創もなし。さて、ここから導き出される可能性は?」
「……顔見知りによる犯行、って言いたいんだろう?」
長野は満足そうにうなずく。
「ちなみに、遺体には動かした跡があったそうじゃ」
「動かした跡……?」
『自分がここに到着した時にはもう死んでいた』
どこか別の場所で殺害され、あのプールバーに運ばれたのだとしたら。あの青年が言っていた『到着した時には既に死んでいた』と言う供述が真実性を帯びてくる。彼が血のついたナイフを手にしていたのは、遺体から抜いた可能性の方が高い。
「で、アリバイは?」
「じゃけん、黙秘しとるけぇ何とものぅ。勤め先に出てたんか、家で寝とったんか。仕事場におったんなら、同僚へ確認はとれるじゃろうが」
「なんていう店だ?」
「確か、ナイトゲームとか言うとった」
和泉はその店の営業時間を調べた。
午後9時から翌午前7時まで。場所は薬研堀通り3丁目。
遺体発見現場と店の場所は約1キロ離れている。
葛城陸がその日、該当の店で働いていたとしたらアリバイは証明できるかもしれない。
いや、どこか別の場所で殺害されたのであれば、その場所によっては、あまり意味をなさないだろう。
「彼は車の免許を?」
「持っとらん」
「遺体を運ぶのに絶対、車は必要だろ」
彼を犯人にしたかったのだとしたら、ずいぶんと杜撰な計画だ。
真犯人はよほど警察を舐めているのか。
あるいは、単に頭が悪いのか。
和泉は髪をかき回しながら、
「なんで黙秘しているかはわからないけど、とにかく。考えられる可能性として、犯人は周君に似たあの子を罠にはめようとして、わざわざあのプールバーに遺体を運んで、彼を呼び出した……」
「捜査を混乱させるためか?」
「というより彼を犯人だと印象づけるため。あの状況じゃどう見たって、彼がやったとしか思えないだろう」
「遺体を動かせば痕跡が残るってこと、犯人は知らなかったんかのぅ?」
「かもな」
「ほんなら犯人は刑事や鑑識ではありえんかのぅ」
それはまだわからない。
知っていてあえてそうしたのだとしたら、何か理由があるはずだ。
いずれにしても北署刑事課の杜撰な捜査では、真実など見抜くことはできまい。
「そう言えば例のようつべ男はどうなった?」
「がんばっとる。名探偵が必ず真相を解明してくれるけぇ、って伝えておいた」
「だから……」
「モミじーも、応援しとるけぇな」
バイバイ~、と長野はスキップをしながら部屋を出ていく。
正直、ようつべ男のことは二の次だ。
木で鼻をくくったような態度のあの次期副署長とか言う男に加え、あの頭の悪そうな管理官。
あいつらを見返してやりたい。
和泉はそれだけを考えていた。
※※※※※※※※※
まだそれほどできる仕事はないものの、さすがにおしゃべりの時間があまりにも長かったため、郁美は必死で今日の分の仕事を終わらせにかかっている。
そして、先ほどから、気のせいだろうか。
室長の聖が何か言いたそうな顔でこちらを見ている。
上村のことは既に話してある。
明日、彼と一緒に出かける予定についても。
なぜか少し微妙な反応だったが。
そして、本日の業務終了。
「それじゃ、お先に失礼します!!」
郁美は片付けを終えて、ちらりと時計を見た。
まだ小野田との約束の時間には間に合う。
「平林さん」
部屋を出ようとしたところで、室長に呼び止められる。
「はい?!」
よほど迷惑そうな顔をしていたのだろうか、やや引きぎみの顔をされた。
「……いえ、なんでもありません」
そういえば、時間があったら、この人にこそ皐月のことを訊いておきたいところだ。
岩淵が言っていた妙な疑惑を含めて。
すんなりと話してくれるようにも思えないが。
※※※
郁美が指定されたレストランに到着すると、小野田は既に待っていた。
「すみません、お待たせしました」
「いいえ、時間ぴったりですよ。それに、待つのもまた楽しい時間です」
改めてよく考えてみれば、なんとなく相手のペースにはめられてしまった気がする。
しかし、悪くはないと郁美は思う。
何しろ男性から食事に誘われるなんて初めてだし、もしかしたらこちらの知りたいことを知るチャンスかもしれない。
ただ、気になるのは相手の男性が独身なのかどうかという点である。
左手の薬指にリングはしていないが。油断はならない。
「実は私、バツイチでしてね。なので心配なさらずに」
小野田は笑いながら言う。
どこからどこまでが浮気なのか、というテーマは人により様々な意見があるが、その点は深く考えなくて良さそうだ。
でも。今や監察官である自分がこんなふうに【接待】を受けていいのだろうか?




