39:紙屋町ラブストーリーは突然に
「それでね、彼ったら……」
その後は友人から、彼氏との取りとめもない惚気話を聞かされたが、幸いなことに郁美の頭の中は思い出でいっぱいだった。
右から左に聞き流しつつ、上村皐月のことを考える。
たまには電話かメールでもしてみようか。
そもそも彼女は今、どこにいるのだろう?
友人と別れた後、郁美は少しだけ時間の余裕があったので、フラフラと大通りのショーウインドーを見て歩いていた。
先ほど、電話帳に登録されていたかつての後輩にメールを送ったのだが、エラーで帰ってきてしまった。何年も経過するから番号やアドレスだって変わっているだろう。
ここは職権乱用しかないか。仮にも人事1課なんだから。
なんてことを考えて、郁美はブンブンとカバンを振り回した。
何を考えているのかしら、私ったら……。
するとその時だった。
「落ちましたよ」
背後から誰かが声をかけてくれた。
今、カバンを振ったせいだ。多少の恥ずかしさを覚えつつ、郁美は振り返る。
「あ、すみません……」
立っていたのは若い男性。背丈は自分と同じぐらいで、色白でほっそりした体型をしている。
ペンを落としたようだった。
その男性が手にしていた自分のペンを受け取ろうとした瞬間、郁美は驚いた。
それと言うのも、こちらを見ている若い男性の表情がただごとではなかったからだ。
「……あの……?」
硬直している、と表現すべき状態。
無遠慮、と言うよりはあまりの驚きに、視線すら動かせずにいるといったところだろうか。彼は郁美を凝視している。
変な人に捕まったかしら、と郁美は警戒心を覚えた。
そして次の瞬間。
「……姉さん……?」
「……へ?」
郁美は生まれた時から今に至るまで、兄弟姉妹と呼べる存在はいない。
れっきとした平林家の1人娘だ。
万が一戸籍に改竄の形跡でもない限りは。しかし。
今、目の前にいる若い青年は、確かに『姉さん』と言ったはずだ。その形相がただごとではない。
「……あなたは?」
郁美は青年に問いかけた。すると、
「何言ってるんだ、姉さん、僕だよ!! 柚季だよ!!」
ユズキ? 郁美のデータベースにその名前は存在しない。
「今までどこにいたんだ?! 必死に探したのに……!!」
彼はその細い腕からは想像もつかないほど強い力で郁美の肩をつかみ、揺すってくる。
「どれだけ心ぱ……」
途中まで言いかけて止めたのはきっと、彼の言う探していた【姉】ではないことに気がついたからだろう。
確かに似ているけれど、瓜二つと言う訳ではない。
良く見れば違いがわかるはずだ。
彼は気まずそうに手を離し、目を逸らす。
「……ごめんなさい……たぶん、人違いじゃないかしら」
すると。
柚季と名乗った青年は明らかに落胆した様子を見せた。
「……大変、失礼しました」
彼は背を向け、反対方向へ急ぎ足に歩き出そうとする。
「……待って!!」
思わず郁美は呼び止めた。
なんだか急に嫌な予感がしてきたからだ。
それに、どうしても彼のことを放っておく気になれなかった。
先ほど、麻衣子と話したことが記憶に新しかったせいもある。
自分とよく似ていると言われていた上村皐月。
何年も連絡を取っていないが、便りがないのは元気な証拠だと思ってあまり深く考えなかったけれど、でも。
目の前の青年の様子からして、彼女の身に何か良くないことがあったと考えられる。
「もし、違っていたらごめんなさい。あなたの言う【姉さん】ってもしかして……上村皐月って言う名前じゃない……?」
通りの真ん中で互いに言葉を失い、ただただ呆然として向き合っている異様な姿をさらしている男女。
「……姉を、上村皐月のことをご存知なのですか?!」
青年は身体に見合わない大きな声で叫ぶ。
通りがかりの人々が好奇の目を向けてくる。
「す、少し落ち着いて」
我に帰った青年はすみません、と俯いた。
「……ねぇ、これからあなた時間ある?」
「は、はい」
ちょっと待ってて、と郁美はスマホを取りだして上司の番号にかけた。
「あ、平林です。今、昼休憩で外にいるんですが急用ができたので戻りが少し遅くなります。詳細は必ず後ほどお話しします」
向こうが何か言う前に通話ボタンを切ってしまう。
「行きましょ」
「え、ど、どこへ……?」
「どこか、ゆっくり話せる場所よ」
※※※
世の中には似た顔の人間が3人はいるというが。
とあるパン屋のイートインコーナー。そこが一番近かったので、コーヒーを2人分買って郁美は青年と向かい合って座った。
相手はだいぶ緊張しているようだ。
それでも改めてマジマジとこちらの顔を見つめてくるから、少し恥ずかしい。
「恥ずかしいから、あんまり見ないでよ」
「……すみません……」
郁美の知っている皐月の顔立ちと少し異なるが、弟だと名乗る青年はそれはそれでイケメンというか、綺麗な顔立ちをしている。
「それじゃあらためて。私は平林郁美。皐月の、あなたのお姉さんの同僚って言うか先輩よ。廿日市南署にいた頃、同じ交番で働いていたの」
「女警さん……ですか」
「ええ、そう。あなたは?」
「自分も広島県警北署地域課の……新天地北口交番に勤務する、上村柚季巡査と申します」
まさか同業者だったとは!!
こんなか弱そうな男の子に、あんなハードな仕事が務まるのだろうか?
「つい先月、配属されたばかりの新任者です。平林さんはどちらの部署ですか?」
「私? 私はかん……」
監察室、と言いかけて躊躇してしまった。今朝、基町南口交番へ行った時、監察官だとわかった瞬間の、制服警官の反応を思い出したからだ。出会ったばかりの彼に余計な警戒心や、先入観を植え付けたくない。
「……鑑識ですか?」
「そ、そう!! 鑑識なの、鑑識……」
嘘ではない。事実でもないが。
「だったら、あの……!!」
上村はやや食い気味に迫ってくる。
しかし我に帰ったのか、恥ずかしそうに俯いてしまう。
何を言おうとしたのだろうか?
少し待ったが、結局彼は何も言わなかった。
郁美はコーヒーに砂糖とミルクを入れてかき混ぜながら、
「皐月とはね、約2年ぐらい一緒の交番にいたの。私が鑑識に異動して、仕事に追われるようになって……ほとんど連絡も取らなくなっちゃって。気にはしていたのよ」
彼女は今どうしてる、と訊きかけて飲み込んだ。
その質問に答えることができるなら、先ほどの反応はあり得ないからだ。
上村はしばらく一切コーヒーに手をつけず、じっと琥珀色のカップの中を見つめていたが、
「……姉は、およそ3年前ぐらいから、行方がわかりません……」
「えっ……」
「確かに姉は県警に入ってからというもの、連絡が途絶えがちになっていました。それにしても……あまりにも長い間連絡が取れないというのは、どう考えても不自然です。ですから……」
「届け出は?」
「もちろん、提出してあります。でも……」
そうだ。行方不明届を出したところで、警察が果たしてどれほど本気で探してくれるかと言ったら、その実態は……。日本国内だけでも行方不明者が年間何十万人といる世の中だ。中には自らの意志で失踪する人間もいる。
もしかしてこの子は、姉を、皐月を探す為に警察へ?
「私が異動になった後、彼女もどこか他所の部署へうつったのは知ってる。どこだったか本部に帰って記録を調べればきっとわかると思うけど」
「……確か、福山のどこかの所轄の、交通課だったと聞いています」
福山か、遠い土地だ。
「ただ、ずっとそこにいた訳ではないようです。再度どこかに異動したとも……」
郁美は頭の中でいろいろと考えた。
「……ねぇ、明日は非番?」
「は、はい。そうですが……」
「決めたわ。明日は、私も休みを取る。一緒に福山へ行って話を聞いて、それから皐月の立ち寄りそうな場所を調べてみましょう」
善は急げ。
思い立ったが吉日、だ。




