38:楽な仕事なんてない!!
和泉はスマホを取り出し、女性に被害者の顔写真を見せた。
ちょっと待ってて、女性はいったん奥に引っ込んだかと思うと、老眼鏡を持ってきて戻ってきた。
眼鏡をかけ、写真を近づけたり遠ざけたりしながらしげしげと見つめる彼女は、再び眉を吊り上げる。
「この人、そうこいつよ!! そう、思い出したわ……あれは先月の中旬だったかしら。上の階からものすごい、バタンバタンって大きな音がするから、通報してやったのよ。私も案内のために、こっちです、ってお巡りさんと一緒に3階に向かったんだけど……」
何を思い出したのか女性は身ぶるいをした。
「何があったんですか?」
「3人がかりで、1人の男の人を殴ったり蹴ったりしてて、そりゃもうひどかったんだから。やって来てくれたお巡りさんが止めに入ってくれて……おかげでその人、助かったみたいだけど……」
「被害に遭っていた男性がどういう人だったか、顔は覚えていますか?」
「ううん。私は、ドアの外からちらっと見ただけだから。でもその時、やって来てくれたお巡りさん……強くてカッコ良かったわよぉ」
通報を受けて臨場したのは恐らく新天地北口交番の係員だろう。
詳しいことは調書に残っているだろうし、そちらに当たればいい。
「ちなみにその時やってきたお巡りさんの特徴、覚えていますか?」
「もちろん。私、イケメンの顔は一度見たら忘れないの」
オバさんはある有名な俳優の名前を挙げて、その男性に似ていると述べた。
和泉達は礼を言って店を後にした。
※※※
クレクレファイナンスの下の階、スナックの女性から聞いたイケメンなお巡りさんの特徴について近くにいた事務員の女性に訊ねると、
「たぶん逢沢警部補ですよ」と教えてくれた。
「逢沢氏なら知っています」
と、駿河が言ってくれる。
「ほんと?!」
「廿日市南署にいた頃、彼が地域課にいて、何度か遣り取りをしたことがあります。聞いている特徴にも合致していると思います、恐らく。あまり俳優さんには詳しくありませんが」
ラッキーだ。
先ほどの女性が言っていた似ているという俳優、あまり芸能人に興味のない和泉でさえ名前ぐらいは知っている。
上手く会えるといいのだが……そう思いながら和泉と駿河が北署の廊下を歩いていると、ちょうど向かいから恐らく該当の人物と思われる私服の男性が歩いてきた。
「逢沢さん」
駿河が声をかけると相手は足を止める。
「お久しぶりです、駿河です」
彼のことを覚えていたようで、相手もああ、という顔をする。
聞いていた特徴がぴったり当てはまることについ、笑いそうになってしまう。
「ご無沙汰しています。今はどちらへ?」
他愛ない挨拶を交わした後、相棒はバトンを渡してきた。
「私は県警捜査1課強行犯係第1班、和泉と申します」
「何の御用でしょうか?」
やや警戒されているようだ。
決してそんな、怖い顔はしていないつもりだが。
「恐れ入りますが、この男なんですが。見覚えは?」
被害者の顔写真を見せてみる。
俳優似の地域警察官は一瞥すると、
「……さぁ? 見覚えがありません」
「つい先月でしたか、本通り商店街のとある雑居ビルに、クレクレファイナンスという闇金業者が入っているんですが……ここで男性が1人、チンピラに襲われて暴行を受けるという事件が発生しましてね。通報を受けて制服警官が臨場したという話を聞いたのですが、覚えておいでですか?」
「そう仰られても……何しろ場所柄、チンピラやゴロツキを相手にするのは日常茶飯事ですし、そう言った事案も多発していますのでいちいち覚えていません」
「ほんとですね」
和泉が同意したことに、相手は少し驚いたらしい。
「僕なんて一度会った人の顔と名前が覚えられなくて。たぶん、次回あなたにお会いした時も初めまして、って言うと思いますよ?」
しょうもない話題に和んだのか、微かに表情が和む。
「この男がどうかしたんですか?」
「……殺害されました」
ああ、だからかという反応を見せ、
「阿漕な商売をしていましたから。いずれはこんなことになるのでは、と思っていました」
「あなたが仲裁に入った時の、その被害に遭った男性の身元はわかりますか?」
「……交番に行けば資料が残っていますが。これから非番なので、後日にしていただけませんか?」
正式な捜査ではないためゴリ押しもできない。
和泉は次の当直の日に必ず、と約束を取り付けてその場を去った。
※※※※※※※※※
友人の都合で昼休憩の時間は午後1時からとなった。
「郁美、久しぶり~!!」
学生時代に比べたら当然だがメイクも大人っぽくなった友人。何の仕事をしているのか詳しいことは知らないが、ビジネススーツを着ている。
元気だった? そんな当たり障りのない話をしつつ、店に入った。
「ねぇ、郁美って今は何の仕事をしてるの? 警察官になったのは知ってるけど」
緑茶で手を温めながら麻衣子が訊ねてくる。
監察官、といったところで理解されないかもしれない。
「……うん、まぁ……なんて言うのか事務屋みたいな感じ」
と、郁美は曖昧にごまかしておいた。
「へぇ~、じゃあ、そんなに外には出ないの?」
「そう!! もう、前は大変だったんだから……」
山奥の現場だとか、岩のゴロゴロしている渓流沿いとか、暑くても寒くても現場に出向いてひたすら地道な作業をしていたあの頃。ほんのついこないだまでの話だったというのに、既に過去の記憶になりつつある。
「そういう麻衣子こそ、今はどういう仕事してるの?」
「実はね……」
彼女の勤め先は全国的に有名な某企業の広島支社だった。
「すごいじゃない!!」
「それが、すごくもないのよ……お客様センターっていう……クレーム処理の部署なんだもの」
それは確かに大変だろう。
「しかも今年からCSVに抜擢されちゃって……」
「何それ、なんかのファイル?」
「チーフスーパーバイザーの頭文字よ。要するに中間管理職。社員の勤怠とか、売り上げの計上とかね、とにかくいろいろ忙しくってね」
「……の割には、顔色がいいんじゃない?」
郁美は麻衣子の顔をじっと見つめた。肌つやはいいし、なんとなく綺麗になったような気もする。
「わかる? 実はね……最近、彼氏ができたの!!」
お前もか!!
郁美は石を飲んだような気分になってしまった。
「結婚も考えてて、それでね……郁美にも式に出席して欲しいと思って……」
だからか、突然かつ、久しぶりに誘われたのは。
妙だと思った。
こちらの心中など知ってか知らずか、麻衣子は嬉しそうにグラスの水を飲みながら、
「そういえばさぁ、何年前だったかな……町中で郁美にそっくりの婦警さんに出会ったのよ。あんまりにもよく似てたから、思わず声かけちゃったのよね。そしたら彼女、笑って『よく似てるけど、違うんですよ』って」
自分に似ている女警?
思い出した。
郁美が警察学校を出て初めて配属されたのが廿日市南署。宮島を管区に持つこの署の地域課で、住吉東交番に勤務していた。
最初の一年をどうにか乗り越え、ホッとしていた頃に入ってきた後輩……それが上村皐月。社会人からの転職組。それゆえに年齢は同じだった。
いつも笑顔を絶やさない明るい子だった。さりげない気配りに長けていて、それでいて少しも嫌味がない。
そんな彼女と自分はよくまわりの人間から『顔立ちが似ている』と言われたものだ。
良く見たら違うのだけど、パッと見た感じや雰囲気は確かに似ているかもしれない。
彼女とは『私の方が美人よ』なんて、冗談を言い合えるほどの仲だった。
郁美の鑑識への転属が決まった時、念願かなって良かった、と祝いの品をくれたぐらいだ。
今、どこでどうしているのだろう?
退職したという話は聞かないし、どこかの交番あるいは【専務】と呼ばれる刑事課や交通課などにいたりするのだろうか。




