37:お名前を漢字で表記すると?
周と別れた後、和泉と駿河は新天地方面に向かった。プールバーの遺体の身元がわかるかもしれない。そして和泉達が見かけたトラブルの詳細も。
身許不明の遺体が発見された場合、まずは何者かを特定するため指紋データベースを検索するのが手順である。
警察の指紋データベースに情報が登録されているのは職員全員および、前科者など。
所轄署は今頃、既に照会を行っていることだろう。
本来なら和泉も手っ取り早くこの方法を取りたかったのだが、現時点で【私立探偵】の真似ごとをしなければならない彼にとってはできない相談である。
報道発表を待っている時間はもったいない。
「あ、和泉さ~ん!!」
商店街を歩いていると、少し離れた場所から女性が手を振っている。
「こんにちは。休憩するお店を探してるんなら、ウチにどうぞ?」
ミズキだった。
「……ミズキさんは商売上手だね?」
よく言われます、と笑って彼女は和泉達を店に連れて行く。確かに今この時間、店内は空いていた。実はまだ昼食を摂っていない。
日替わりランチがまだ辛うじて2人分残っていたのでそれを注文する。
「少しお願いがあるんですが」
遺体の写真しか持っていないので申し訳なく思いつつも、和泉はスマホを取り出して、先ほど殺害されていた男の顔をミズキに見せた。
「この男性、見たことありませんか?」
「……あります」即答である。
「どこでです?」
ミズキはガラス窓の上方を指差す。
「向いにある雑居ビルに、よく出入りしてるのを見ました。何階に用事があるのか知りませんけど……たぶん、3階の窓になんとかファイナンスって書いてある会社じゃないんですか? 顔つきからして」
確かに、被害者の顔立ちはお世辞にも善良そうな人には見えない。
むしろ凶悪と言ってもいいかもしれない。ヤクザかチンピラかといった顔つきの男と金融業者を結びつけるのは、ごく普通の感覚だろう。
「何度か、ウチのお店に来たことがあるんです。若い女の子を連れて」
「若い女の子……?」
「アルバイトの面接っぽいことしてましたけど……」
若い女の子、アルバイトの面接。駿河がテーブルの下で秘かにメモを取っているのを確認しつつ、和泉は質問を続ける。
「その男性がなんて呼ばれていたかわかります?」
「……さすがにそこまでは、ごめんなさい」
「いえ、とんでもない。覚えていてくださっただけでありがたいですよ」
「あとは、若い男性が一緒だったこともありますね。詳しい会話の内容までは聞こえませんでしたけど、ちょっと険悪な空気だったように思います」
そこへ、
「ちーっす、シロネコでーす」
と、有名な宅配業者の制服を着た男性がやってきた。
ミズキははーい、と立ち上がり、店の入り口に向かう。それから2、3こと交わした後に、なぜかその男性を連れて和泉達のところに戻ってくる。
「さっきの写真、見せてもらえます?」
そうか。この界隈を担当している宅配業者なら、向かいのビルにいる人間のことも知っている可能性が高い。
理容店と宅配業者とピザ屋は檀家にしておけ、と地域課の警官が皆よく知っていることを、今さら和泉も思いだした。
「ああ、確か3階のクレクレファイナンスの人です。確か、ナベさんとか呼ばれていたような……」
被害者の顔写真を見た宅配業者の男性は、そう答えてくれた。
ナベさん。そう呼ばれる名前として可能性が高いのは、鍋島とか川鍋さんとかそんなところだろうか。
「どんな感じの人でしたか?」
「見たまんまですよ。なるべくあそこに荷物は届けたくないな~……っていうね。だってしょっちゅう、外にまで漏れるような怒鳴り声とか、酷い時には誰かを殴ってるんじゃないかって言う音まで聞こえましたから」
和泉は宅配業者の男性に礼を言った。
とりあえず向かいのビル、クレクレファイナンスへ向かってみることにする。
「それにしてもどうして、わざわざ遺体を発見させるため、和泉さんを指名して電話をかけてきたのでしょうか?」
歩きながらぽつり、と駿河が言う。
「そうだね……」
「通常、犯人は事件そのものが発覚することを恐れて、遺体を隠蔽しようとするものですが」
「それが面倒くさくて、僕ら警察に遺体を始末させようと思ったんじゃない?」
「ですが……」
若い刑事は納得がいかないようだ。
「絶対に捕まらないっていう、根拠のない自信があるのかもね。いずれにしろ人殺しの考えることなんて理解できないよ」
そのビルは恐らく築年数40年以上は経過しているであろう古さだった。エレベーターが故障中との張り紙がしてあり、狭い階段を3階まで登って行く。
和泉は『クレクレファイナンス』の看板がかかったドアをノックした。
はい、と応答があり、内側から扉が開く。
するとなんというかもう、わかりやすいとしか言えない格好の男性が出てきた。
パンチパーマに白いスーツ。黒いワイシャツにえんじ色のネクタイ。金のネックチェーンが浅黒い肌の上で光っている。
「……お客さん?」
「いえ、こう言うものです」
和泉達が警察手帳を示すと、男は顔を歪める。
「何か?」
「この男性をご存知ないかと思いましてね。ナベさん、と呼ばれていたそうですが」
スマホを取り出して被害者の顔写真を見せる。
チンピラはしげしげと写真を見つめると、深く息を吐いた。
「……な、ナベさん……?」
「フルネームをご存知ですか?」
「確か、渡邊……義男だったかな」
どういう漢字を書くのかを確認していて、和泉はつい笑いそうになってしまうのを我慢した。義の男だと? まだ詳しいことはわからないが、およそ義には遠い人間のようにしか思えないのだが……。
その後、渡邊義男の個人情報について訊き出そうとしたが、そのチンピラはほとんど何も知らないようだった。ただ判明したのは、この闇金業者が、関西系の流れを組むとある暴力団の系列にあるということだけ。
他の階の住民からも話を聞こう。
「な、ナベさんがどうかしたっすか?!」
こちらが警察だと意識してか、チンピラは妙な敬語で質問してくる。
「詳しいことは言えませんけど、とりあえず亡くなりました」
真っ青な顔で棒立ちになった相手に背を向け、和泉達は階段に向かう。
2階に入っている店舗はスナックである。幸いなことに店のドアは開いていた。
「あら、イケメンなお兄さん達。悪いけどまだお店はやってないのよ」
ケバケバしい化粧を施した中年女性が、煙草をぷかぷか吹かしながら入り口のところへやってくる。
「少しお伺いしたいことがあるのですが。3階の、金融会社で働いていた男性について」
すると。女性は途端に顔をしかめる。
「ちょうど、相談に行こうと思ってたのよ!!」
「相談……?」
「前々から問題になってて、他の階の人達とも話し合ってたんだけど。3階の人、煙草の吸殻をここのマンションのエントランスに捨てて行くの!! エレベーターが故障中でしょう? 歩き煙草をして、ちょうど吸い終わった頃に1階へ到着するんじゃない?!」
中年女性は自らの推理を披露した。
それに、と鼻息も荒く彼女は続ける。
「ゴミの出し方もひどいのよ。ゴミ出し日を守らないから、おかげでカラスや野良猫が集まって来ちゃって…!!」
口を挟む隙もない。
その後も女性は延々と騒音がうるさい、派手な水商売風の女性が出入りするのが気に入らない……等など、言いたい放題。それでもすべてを語り終えたらスッキリしたのか、一段落ついた時には、晴れやかな表情をしていた。
「……で、この男性なんですが。見かけたことはありますか?」




