34:早く大きくおなり
そういえば、あれから長野のいう【ようつべ男】はどうなっただろうか。
任意同行とは言っても実質ほぼ逮捕だろう。
それから48時間以内が勝負の時間だ。
容疑者が耐え切るか、刑事達がでっち上げを真実と化してしまうのか。
捜査1課の部屋に戻った和泉を、聡介が苦い顔をして出迎えてくれる。
「……文句を言いに行って、気は済んだか?」
そう言って父は深いため息をつく。
聡さん、と和泉は父の眼を真っ直ぐに見つめる。
「この際だから、僕はいっそのこと探偵になりきろうと思います。自腹で捜査費用を捻出した上、好き勝手に動いて調べ回ります」
「……おい」
「例の、守警部達が捜査していた女子大生の事件と並行して【独自】にやらせていただきます。もしかしたら、二つの事件はどこかでつながっているかもしれませんし」
実を言えば、長野の見解に和泉も全面的に同意してる。
2つの事件の共通点を見過ごすことはできない。
「ご心配なく。聡さんにご迷惑はおかけしませんから」
嘘をつけ、と父の眼が強く訴えている。
「和泉さん」
すると、思いがけないところから声が上がった。駿河だ。
「なに? 葵ちゃん」
「自分もお手伝いします」
「……ほんと?!」
「はい。周が……義弟が巻き込まれることを考えたら、自分が犠牲になった方がまだマシだと思いますので」
素直に喜べない。
周を【巻き込む】という言い方はどうも気に入らないが。
「ありがとう。やっぱり刑事はコンビで動くものだよね?」
それから和泉はまず、鑑識課に向かった。
「古川君、いる?」
「あ、お疲れっすー」
少し薄暗い鑑識課の部屋は今、彼1人らしい。
「ねぇ、ちょっと頼みがあるんだけど」
「何すか?」
「……君、いつも発泡酒飲んでるって言ってたよね? たまにはビール飲みたくない?」
「和泉さんがおごってくれるんすか?」
「おつまみつきでね」
「乗った! で、何をすればいいんでしょ」
※※※※※※※※※
和泉が父と慕う人の温情により、周は急いで交番に戻った。
すっかり遅くなってしまったが時間的には既に【任務解除】である。次の係への引継ぎを終えた周達は北署に戻り、諸般の手続きを済ませる。
それから私服に着替えて署を出た。
コンビニで昼食を買って帰ろう。
周は家事全般が得意だが、面倒くさくて料理をする気になれない。
県知事選挙の日が近いせいで、選挙カーが町中で声を張り上げている。
何となくそれを聞き流していたら、周はふと、瑛太のことを思い出した。
元気にしているのだろうか、泣いてはいないだろうか……。
その時、周は寮の近くに新しくコンビニがオープンしていたことに気づいた。全品5%引きに魅かれて足を踏み入れる。
店内は意外と賑わっている。
周がお弁当のコーナーを見ていると、くいくい、とズボンの裾を引っ張られた。
不思議に思いながら後ろを振り返ると、なんと瑛太だった。
「瑛太君?」
幼子は笑顔全開でだっこー、と手を伸ばしてくる。まるで子犬みたいだ。
「ママは? 近くにいるの?」
瑛太を腕に抱き上げ、おそるおそる辺りを見回す。周はどうもこの子の母親が苦手だった。
すると。
「リク!!」
その母親が周に向かって突進してくる。
え、誰?
彼女はこちらに何か言う隙を与えず、
「あんた、どうしたのよ?! 朝から一向に電話はつながらないし、瑛太のことお願いって頼んだじゃない!! 約束を破るような子じゃなかったでしょ……」
???
どうも、誰かと勘違いしているのではないだろうか。
「……あの……?」
周の反応を怪訝に思ったのか、瑛太の母親は眉根を寄せる。
「すみません、俺……自分は藤江周って言いいます。過去に2回ほどお会いしましたよね? 基町南口交番の……警察官ですが」
すると。みるみる内に母親の表情が曇り、そして頬が赤く染まって行く。
「行くわよ!!」
彼女は瑛太をもぎ取り、店を出て行こうとする。
しかし息子の方は、
「やだやだーっ!!」と大騒ぎ。
何が何でも離すものか、という勢いで瑛太は周にしがみついてきた。
店内にいる他の客がうるさい、と言いたげに顔をしかめ、こちらを見ている。
仕方ない。周は瑛太を腕に抱いたまま外に出た。
「瑛太、いい加減にしてよ!!」
うわぁあああ~んっ!!
いよいよ大声で泣き出した幼子はもう、誰にも止められそうになかった。
するとそこへ、
「どうしたんだ?」
スーツ姿の男性が駐車場に停めてあった車から降りてくる。
「義隆さん。ごめんなさい、瑛太が……」
つい先ほどまで周に対し見せていたのとは180度違う、柔らかな口調と表情で、彼女は男性に話しかける。
確か、県知事候補の秋山義隆だ。
「……あの、良かったらしばらく息子さんを預かりましょうか? ちょうど仕事が終わったところですから」
周はそう申し出た。
「しかし……」
見ず知らずの人間に子供を預けるのは危険だと考えたのだろう。即答はしかねるようだ。
「自分は広島県警広島北署地域課、藤江周と申します。お子さんは責任を持って預かりますので」
以前、交番長が言っていた。
その制服が伊達じゃないってこと教えてやれ。お巡りさんなら安心だって、誰もが思ってくれるように。
用意してもらった自分の名刺は常に持ち歩いている。周がポケットから名刺を取り出して手渡すと、
「そうか、警察の人なら安心……なぁ?」
「嫌よ!!」
瑛太の母親は拒絶反応を示す。
「警察なんて信じられない、絶対に!!」
過去に何かあったのだろうか。
なぜか瑛太は急に泣きやんだ。下ろして、というジェスチャーをする。周が地面に幼子を下ろすと、彼は母親に走り寄った。
「……ごめ、なさ……」
行きましょ、と母親は急いで子供を後部座席に乗せる。瑛太は窓越しに、ずっと周の方を振り返って小さく手を振るのだった。
何だったんだ……?
コンビニで昼食を買って寮に戻る。
半分ほど食べ終えた時、スマホがREINの着信を知らせた。
《マイハニー周君、お疲れ様。今からちょっと会えない?》
《やだ》
《そう言わずに。午前中の事件のことで協力して欲しいんだ。実はもう、寮のロビーまで来てる》
周は箸を置き、仕方なく立ち上がった。
寮のロビーに向かうと和泉と、なぜかの義兄、そして鑑識課のジャンパーを着た若い男性がソファーに座っていた。
周が近づくと、
「ちぃーっす、鑑識課の古川って言います」
「初めまして、藤江です」
挨拶をして着席する。
すると和泉が、
「さっそくだけどね、周君。前にほら、上村君と3人でカフェに行った帰り……チンピラみたいな男が、女の人を追いかけていた光景、覚えてる?」
覚えている。周が頷くと、
「女の人の方、どんな顔だったか覚えてるかな」
確か。裸の現金を手に走っていた女性。あの日のことをゆっくりと思いだそうと努めてみる。テーブルの上にはスケッチブックと鉛筆。
その時に周は、この鑑識課の男性が似顔絵を描くためにここにいるのだと気付いた。
「えっと、もっと眉毛が薄くて……唇が厚くて……」
そうして完成した似顔絵の女性は確かに先日、本通り商店街で、先ほど遺体となって発見された男性とトラブルを起こしていたその人だった。
「僕も思い出した……確かにこんな感じの顔だった」
和泉も呟く。
「ありがとうね、周君」
刑事達は立ち上がる。
「ねぇ、和泉さん……あの人、どうなるの?」
周は思わず彼を呼び止めて訊ねた。
「あの人?」
「さっきの店で見た……っていうか、北署に連れて行かれた人」
自分が来た時にはもう、被害者は死んでいた。あの人はそう主張していたが。
すると、和泉はポンポン、と頭を軽く撫でてくる。
「早く刑事になってね、周君?」
ムカっ。
上手くはぐらかされたような、からかわれたような。そりゃ捜査情報は機密事項なんだから、いくら警察官同士とはいえ、新人にそんなことを教える訳にはいかないだろうが。
周は去っていく和泉の背に向かってあかんべーをして見せた。




