31:ふたたび第一発見者!!
『そごう』は物心ついた時には確か、経営破たんしたと聞いていたが。
未だにしっかりと営業しているのはどういうことだろう? 周は学生時代からずっと不思議に思っている。
広島市の中心部に位置するこのデパートの3階には、市内各地へ向けて運行している巨大なバスターミナルがある。そのためか、この界隈は平日でも多くの人が歩いている。
時計を確認すると午前9時前。デパートはまだ開店していない。
というか、周にとって本来ならもう任務解除時間帯のはずだが……。
突発事案が発生して終業が遅れるなど、よくあることだけれど。
「……ねぇ、和泉さん。プールバーって、言ってみれば飲み屋だろ? こんな時間に店、開いてるの?」
歩きながら周は和泉に訊ねた。
「そうなんだよね。僕も少し気になったんだけど……」
この仕事に就く前、周は【プールバー】と言うのは屋内外問わず、温水プールのある居酒屋か何かだと思っていた。
そうではなく、ビリヤード台の設置されている飲み屋だということを知った時、なんでそういう呼び方をするのかと不思議に思ったものだ。
歩くこと5分ほど。
交番長の言っていたビルが見つかった。
地上5階建て。一階は輸入雑貨などを扱う店が入っており、いわゆるテナント、小さな会社や店舗など法人が契約しているようだ。
エレベーターはあるが、和泉は階段を登ろうと言う。なるほど、もしかするとそこにも『何か』が隠れているかもしれない。
地道に細かいところまで目と気を配る。
刑事に必要な素質なのだろう、周はそう考えた。
狭くて細い外階段を上って4階を目指す。すると。
階上から野良猫がスタスタと降りてくるのが見えた。
「あ、猫……」
触りたいけれど今はダメだ。和泉がくすっと笑ったのが聞こえて、周はつい苦い顔をしてしまった。
白黒の2色猫はこちらの存在に気付いても恐れることなく、悠然とすれ違う。
その時、周の視界の端に違和感を覚えた。気のせいだろうか。猫の前脚の一部に血のような色のシミが見えたように思えたのは。
4階に到着する。
突き当たりにある店舗のドアには、看板こそかかっていなかったが、確かに【ヴィーナスクラブ】とプレートが壁に貼ってあった。
シャッターが中途半端に開いており、中から微かに灯りが漏れている。まだ午前中のこの時間から営業しているはずもないのだが。
その時、周は異臭に気付いた。
「……和泉さん、何だか妙な臭いが……」
化学薬品ではない。どちらかというと、人間の発する臭いではないだろうか。さらにそこへ、アルコールが混じったような複雑なにおい。
和泉も気付いていたようで、無言の内に頷く。
いったい、この中に何があるというのだろう?
急に怖くなってきてしまった。
これではいけない、と周は自分を叱咤して首を左右に振る。
すると和泉はいつになく真剣な顔で、
「周君、僕が合図をするまではここで待っていてくれる? 不審者が近づいて来たらすぐに報せて」
「う、うん」
腰に提げた警棒を握り直す。
周は先ほど和泉の言った『とんでもないもの』は、もしかして死体なのではないだろうか……そう考えはじめていた。
※※※※※※※※※
先ほどのは悪戯電話などではなかった。
狭い店の入り口をくぐって1メートルほど奥に入った場所、その床の上に横たわっている、男性の遺体を見て和泉は息を呑んだ。
ベージュ色のタイルに真っ赤な血だまりが広がっており、そこにおよそ50代の中年男性が倒れている。
念のために脈拍を確認したが既にこと切れていた。
凶器は犯人が抜いたのだろうか。
刃物は遺体の身体に刺さっていなかった。
腹部と胸部。2箇所から出血が見られる。
床の上に幾らかの酒瓶が砕け落ちており、ビリヤードで使用するボールも散らばっていた。被害者が犯人と争った形跡だろうか。
強いアルコールの匂いがすると思ったらこのせいだ。
強盗か、それともそう偽装した顔見知りによる犯行か。
いずれにしてもまだ結論を出すには早い。
それから和泉は改めて遺体の顔をよく見てみた。
スマホを取り出して何枚か写真を撮る。
どこかで見た記憶がある。
和泉は、人の名前はロクに覚えられないくせに、顔はわりと覚えることができる。だから顔と名前が一致しないことがよくあるのだが。
どこでだっただろう……。
必死に記憶を辿ってみるが、すぐには思い出せない。
それにしても。電話をかけてきた人物は、どういうつもりだったのだろう。
わざわざ和泉に遺体を発見させたかったのだろうか?
だとしたら、何のために?
普通は犯行そのものの発覚を恐れ、遺体を隠すなり埋めるなりするものだ。
警察に対する何かしらの挑戦だろうか。
ふと、ビリヤード台の向こうに黒いスニーカーが見えた。もう1人誰かがいるようだ。
まさか犯人がその場にまだいるのではないだろうか。
和泉は念のため持ってきていた警棒に手を伸ばし、さらに奥へと踏み込んで行く。
すると台の裏側に若い男性が座りこんでいた。
金色に染めた髪、白っぽいブルゾンにジーパン。
年齢はおよそ20代前半ぐらい。
真っ青な顔をして、ぶるぶる震えている。
そして驚くべきはその手元だ。
刃先が真っ赤に染まったナイフを握りしめている。状況から判断するに、この若い男性が刺した……あるいは、遺体からナイフを抜いた。
「……君は?」
男性は和泉の存在に気がつくと、ひどく怯えて震え上がる。
「お、俺じゃ……俺じゃないよっ!?」
ジリジリと後退しながら、壁にもたれかかって立ち上がる彼は、必死の形相で叫んだ。
「違うんだ、俺が来た時にはもう……俺じゃないっ!!」
「落ち着いて。君の話をちゃんと聞くから」
しかし若い男性は、かなり混乱しているようだ。しきりに『違う』と呟きながら震えている。
「だ、誰……? 俺は、俺は違うんだ……っ!!」
今は恐怖と慄きにすっかり歪んでいるが、どちらかと言えば可愛いと表現するのが良さそうな甘いマスク。
どこかで見たような顔……そうだ、周に顔立ちがよく似ている。
驚き戸惑いつつ、和泉はゆっくりと若い男性に近づく。
「とにかく。名前は? まさか、電話をかけてきたのは君じゃないよね……」
「電話……なに……?」
「ああ、ごめんね。僕は警察の人間なんだけど……」
『警察』の単語に男性は強く反応したようだ。うわあーっ!! と突然叫び声を挙げ、彼は走り出す。
「待って!!」
半分開いたシャッターをくぐって男性は外に飛び出す。和泉も急いで後を追った。
※※※※※※※※※
中から人の叫び声が聞こえた。
「和泉さん?!」
周は何も考えず、中に飛び込もうとした。しかし。
急に目の前に人影があらわれた。咄嗟のことで避け切れず、正面からぶつかってしまう。
相手も自分もバランスを崩し、床の上に2人で転んでしまった。
「いてて……」
そして気がつけば、ぶつかってきた誰かの上に、周の方が覆いかぶさる形になっていた。
金髪の若い男。
どこかで見たような顔である。
「周君、手錠かけて!!」和泉の声。
「違う、俺じゃない!!」
男は周の身体を押しのけ、逃げようと必死で暴れる。
逃がすまいと周も応戦した。
少しの格闘の末、周は右頬に男の拳を喰らってしまった。これで立派に公務執行妨害が成立する。
腰に提げた手錠を取り出す。
何が何だかわからないうちに、周は持っていた手錠を男の腕にはめた。
そしてすぐ近くに戻ってきた和泉は、周が肩にかけている無線機を口元に当てた。
「至急応援お願いします。八丁堀○丁目○、河岸ビル4F……男性の変死体発見。容疑者と思しき人物一名特定。人着にあっては……」




