3:うらみます
「……のぅ、彰。怒らんけぇ、ほんまのことを言えや?」
「……」
「ええんよ、仮にも身内じゃけん。そんなに厳しい扱いにはせんけぇな。上もそこはようわかっとる……」
「いい加減にしろよ、このくそジジィっ!!」
和泉は思わず机を叩いた。
ここは広島県警本部、刑事部捜査1課長の執務室。
苛立ちに任せて叩いた机は取調室にあるようなスチールではなく、木製のソファテーブルである。
大きな音が鳴り響いたが、部屋の主である長野謙信捜査1課長はまったく動じた様子もない。
怖いの~、と口では言いながら手元のぬいぐるみをいじっている。
「お2人とも……」
頭痛がするのか、捜査1課第2班を率いる守一警部は額を手で押さえる。
「和泉さんが被害者女性と何の関係もないことは、既に明白です。本当に通りがかりに出くわしたというだけのことでしょう」
「当たり前ですよ」
「なんじゃ、つまらん」
「何だと?!」
「……和泉さんが現場保存をしてくださったおかげで仕事が楽だった、と鑑識さんが仰っていました」
それなら良かった、と和泉は守警部に微笑みかけてみせた。
「たまにはお前も役に立つんじゃのぅ? 彰」
「おい……」
再び、空気が淀む。
「だから……もう、すみませんけど2人にしてもらませんか?」
「え~……」
「だったら静かにしていただけませんか?」
叱られた捜査1課長、長野謙信警視はソファの隅でちょこんと丸くなってしまった。
つい昨日の朝のこと。
京橋川沿いの土手で発見された女性の遺体。
身元を証明するものを何も所持していなかったので時間がかかったが、歯の治療痕から今日になってようやく判明した。
工藤八重子。広島音楽女子大学に通う学生である。
それがあの日の朝、和泉が第一発見者となった遺体の身元だという。家族から捜索願が出され、自宅最寄りの交番がそれを受理していた。
死因は刃物で胸部を刺されたことによる失血死。
県警は殺人事件と断定し、所轄署である広島北署に特別捜査本部を設置した。捜査1課からは守警部率いる第2班が出動している。
偶然にも遺体の第一発見者となってしまった和泉は、参考人として事情聴取を受ける羽目になった。
「何度も訊かれたかと思いますが、マル害が最期に口にした単語をもう一度、お聞かせ願えますか?」
「いっちゃん、こんな奴に丁寧語使うことないで~」
「黙れ。えっと、確か……【しえすぶい】とか、【びな】とかそんな感じでした」
「あれじゃのぅ、ダイイングメッセージちゅうやつじゃ。彰、お前がこの謎を解け。名探偵じゃろうが」
「黙ってろって言っただろうが、この……」
「ストーっプ!!」
和泉は口をつぐんだ。
「とにかく」
守警部はため息をつきながら立ち上がる。
「今回の件は全面的に我々の班で扱いますけれども、ご協力が必要な時にはお声をかけますのでよろしくお願いいたします」
訳すと『付き合いきれないからさっさと切り上げよう』だろうか。
ばいばーい、と手袋サイズのゆるキャラぬいぐるみを手に、長野は呑気に手を振る。
「……おいコラ、ゆるキャラ親父」
「なんじゃ」
「まさか、第一発見者である僕を本気で疑っている訳じゃないだろうな?!」
「しーらないっと」
「ふざけんなよっ!! あの事件のおかげで、今日は大切な周君の卒業式だっていうのに、こんなところで見たくもないお前の顔なんか見てなきゃいけなかったのかと思ったらもう……悲しくて、切なくて……やりきれない。時間を返せ!!」
長野は時計を見た。
「あ~……この時間じゃもう、お迎えが来とる頃じゃろうな。署長へのご挨拶とか、課長からの教養とか……おい、どこ行くんじゃ」
和泉はそれに答えず、急いで捜査一課長の部屋を後にした。
周の卒配先は広島北署。
広島市内中心部を管区に受け持つ、まさに県内筆頭の所轄署である。署員の人数は恐らく3000人近くいるはずだ。
県内で一番忙しいとされる北署に配属された彼は、周囲からかなり期待されていると考えていい。
そして今は人生で一番緊張している時だろう。
北暑は県警本部と隣接した敷地内に庁舎がある。歩いて1分もかからない。
遠くからでもいい、チラリとでも周の顔を見ることができたら……。
と、思っていたのに。
「おい、彰彦」
聞き覚えのある、というよりも聞き慣れた声に呼び止められる。
「……な、何でしょう? 聡さん」
和泉が振り返ると、そこには引きつった笑顔を浮かべる父……高岡聡介警部の顔があった。
「まさかと思うが、北署へ行くつもりじゃないだろうな? 周君の様子を見に」
ぎくっ。
「ま、まさかぁ……」
「ならいい。課長の用事はすんだのか? 終わったのなら早く仕事に戻れ」
実は周の配属先が決まってからずっと、毎日のようにチクチクと釘を刺されていた。
絶対にフラフラと顔を見に行ったりするな、と。
そもそも恥ずかしいし、他の誰かに見られたら周が色眼鏡で見られることになりかねない。縁故採用だなんだ……。
わかっている。
充分わかっているのだけど。
ため息をつきながら和泉は自席に戻った。隣の席は今日、空いている。
そこにいつも座っているのは、周にとって義理の兄。彼は有給休暇を取得し、義弟の卒業式に参加している。
うらやましい。和泉がため息をついた時、
「えええ――――っ?!」
と、右斜め前の席に座っている女性刑事の声が聞こえた。
稲葉結衣。捜査1課強行犯係第1班唯一の女性刑事である。名字が『イナバ』だから、と因幡の白ウサギにちなんで彼女のニックネームを【うさこ】と命名したのは和泉が最初である。
「どうしたの? うさこちゃん」
彼女は自分のスマホを見ていたので俯いていたが、和泉が声をかけると頭を上げた。なぜかひどく青ざめている。
「い、いや……あの……」
別にいいや。
和泉がそれ以上突っ込んでこないのを見た彼女は、ホっと息をついたが、やはりどこか落ち着かなそうな様子である。
それからうさこは突然立ち上がり、部屋にいる全員分のお茶を配り始めた。
和泉の隣に立った時、なんとなく何か言いたげにしていたが、黙っていた。
すると。
「あ、あの、和泉さん……」
痺れを切らして彼女の方から話しかけてきた。
「どうしたの?」
「まさかと思いますけど、何か監察に睨まれるような真似……してませんよね?」
唐突かつ、よく考えてみたら失礼な質問に、和泉はムっとした。
監察に睨まれる、つまり警察官として咎められるような非違行為はしていませんよね? ということである。
「何それ」
「い、いや、まさか……和泉さんに限って、ねぇ?」
うさこの淹れてくれた緑茶を一口すする。少し薄い。
「僕は別に、監察に睨まれなきゃいけないようなこと何もしてないよ」
「そ、そうですよね。失礼しましたっ!!」
うさこは部屋を飛び出して行く。
「なんだ? あれ」
その様子を見ていた同じ班の友永修吾が不思議そうに呟く。
「誰か、知り合いか同期が、人事1課にでも異動させられたとか?」
和泉は思いついた適当なことを口にした。
警察の人事異動は4半期に1回だが、不祥事を起こして処分された人員の穴を埋めるためにイレギュラーな時期に行われることもある。
ちなみに捜査1課高岡班のメンバーは創設以来、一度も顔ぶれが変わっていない。
「かもなぁ~。だとしたら、かわいそうだな」
と、少しも同情が感じられない口調で、友永はお茶を啜りながら言う。
「もしかして郁美ちゃんが、監察に異動になったとか?」
「ああ、例の鑑識員か? まったく畑違いだろうがよ」
「わかりませんよ。この会社って、ムチャぶり大好きじゃないですか」
確かにな、と2人で笑い合っていたその頃……。