27:物申す
まるでもう解散ムードだ。
京橋川女子大生刺殺事件捜査本部と書かれた会議室に一歩入ると、刑事達はすっかり弛緩した様子で談笑している。
「ちょっと待ってください!!」
会議室の一番前の席、捜査全体の指揮をとる管理官のいるところへ和泉が大股で近づいていくと、40過ぎぐらいだろうか、銀縁眼鏡の男性がレンズ越しに睨みつけてきた。
「……なんだお前は?」
「捜査1課強行犯係、和泉と申します。当該事件の遺体の……第一発見者でもあります」
「ああ、例の。しょうもない情報を持ちこんだ迷探偵か」
幡野ちゅう管理官じゃ、と長野がこそっと耳打ちする。
「……被疑者を任意で署っ引いたというのは本当ですか?」
「そんなことを訊いてどうする」
「長野から聞いています。被害者をストーキングしていた男性の存在。確かに状況としてはクロいでしょう。ですが、あまりにも早計だとは思いませんか? 僕が聞いた、被害者の最期のメッセージをなんて説明するつもりですか」
管理官は鼻を鳴らす。
「あんた、本職の刑事だろうが。安っぽいミステリー小説や刑事ドラマでも見すぎたんじゃないのか。ダイイングメッセージだと、くだらない……!!」
「……くだらないとは思いませんが。被害者はあの時、まだ微かに意識があったんです。必死で犯人が誰かを告げようとした、それは間違いありません」
「なぜそう言い切れる?」
「……あなたも刃物で致命傷を負わされてみたら、きっとわかりますよ」
少しの沈黙の後、
「仮に犯人を示すメッセージだとしたら、ハッキリと人名を言うだろう。CSVだ? どう考えたって人の名前じゃない」
「相手の名前を知らなかった可能性もあります。あるいは、名前は知らなくても肩書きやペンネームなどは知っていたとか」
「ストーカーの名前なんて知りたくもないだろう……長野さん」
幡野と言う管理官は、長野の方を振り向く。
「あんたも例の……ダイイングメッセージだったか? えらくこだわっていたが、何の意味もなかった。聞けばあんた達、親戚同士らしいじゃないか。くだらない推理ごっこなら盆や正月にでも家の中でやってくれ。こんなのが捜査1課長だなんて、この県警の刑事部も地に落ちたもんだな」
眼鏡を外してハンカチでレンズを拭きつつ、彼はそう口にした。
「……状況証拠だけで自白に追いこんだ挙句の送検ですか? そんなので検察が納得するんでしょうか」
怒りを必死で抑え、和泉は訊ねる。「四国のどこかの県警じゃあるまいし、主観だけで犯人だと決めつけてそれでもし間違いだったら、マスコミや世間に叩かれるのは我々警察官ですよ?!」
すると。幡野という管理官は余裕綽々と言った様子で語る。
「物証がある」
「……物証?」
「おい、あれを見せてやれ」
管理官は顎をしゃくり、近くにいた刑事に命令する。「くだらないとはいっても、一応情報提供者だからな。特別に見せてやるよ。せいぜい一般人じゃなかったことを喜ぶんだな」
ひな壇の背後にあるスクリーンに画像が映し出される。
防犯カメラの映像だ。
「これは遺体発見現場付近のコンビニで撮影されたものだ」
生前の被害者が店から出てくる。午前4時46分。
そしてその3分後。
恐らくこれが容疑者だろう。背中を丸めながら被害者を追いかけるかのように、急いで外に出てきた男の姿が映っている。
和泉は近くにあった捜査資料を取り、ページをめくった。
死亡推定時刻は午前4時から5時の間。和泉が遺体を発見したのが5時半すぎ。
暗かったのでわからなかったが、現場付近には争ったような形跡があったと記載されている。
被害者があの川土手付近で殺害されたのは間違いない。
和泉が彼女を発見した時は、刺されて間もない頃だったのだろう。
そして、現場近くにコンビニがあったのも確かだ。
「これでわかっただろう? 被害者はこの男にストーキングされていた。いつもよく利用するコンビニを知られていて、この日も偶然を装って待ち伏せされていた。雑誌コーナーで立ち読みするフリをしながら……な。店員の証言も取れている」
「追いかけて行って拒否されたから、腹が立って刺した、と?」
和泉は管理官の眼を見つめた。
僅かに逸らされる。
「他に考えられる可能性があるのなら、教えてもらいたいものだな。名探偵さん」
「それだって状況証拠に過ぎないじゃないですか。凶器の刃物から、ストーカー男の指紋が検出されたんですか?」
「被疑者は指紋を残さないように手袋をしていた。計画的な犯行だ」
「冬の早朝なんだから手袋をしていたのは当たり前でしょう」
管理官は立ち上がる。
「署長も太鼓判を押してくれた。こいつがホンボシで間違ないってね。知っているか? 北署長は長い間、刑事畑を歩いてきた人だ……」
「知りませんね」
「あんた、仮にも本職だろう? それとも刑事ごっこしてんのか? もしそうならもう一度、交番勤務からやり直したほうがいい」
そう簡単に引き下がってたまるか。
和泉はどうにか取りつく島を見つけた。
「……取調べの様子を見せてください、お願いします」
「なぜだ?」
「被疑者が何と供述するのか、知りたいからに決まっているでしょう?!」
思わず声を荒らげてしまう。彰、と長野が袖を引っ張る。
「部外者は立入禁止だ。長野さん、あんたも……」
長野は驚いた顔をする。
「こっちのヤマは片付いたんですから、これから何かと忙しいでしょう。記者会見の準備だとかね。マル被逮捕の後がずっと大変だってこと、知らない訳でもあるまいに」
仕方なく和泉は会議室を後にした。
「彰、すまん……」
「なんでお前が謝るんだよ」
和泉は鼻を鳴らした。
「冤罪だったら、泥を被ることになるのはお前や幹部だ……僕には関係ない」
長野は何か言いかけたが、結局、黙ってしまった。
するとそこへ、
「長野課長!!」
守警部が走ってきた。
「ついさっき、連絡を受けて……戻って来ました。管理官は何を考えているんですか。あんなあやふやな状況証拠だけで任同だなんて……」
任同つまり任意同行。
平成が既に終わり、新しい元号になった現代。
取調べの可視化の他、様々な制約が科されるようになった今でも、冤罪は起きる。現に愛媛県ではとある窃盗事件で逮捕された女子大生が、必死に無実を訴えたにも関わらず、刑事達はまるで取り合わなかったという。
被疑者はこれまで社会と隔絶し、引きこもっていた無職の男性。
その男性がどういう性質の人間かはわからないが、圧力をかけられたらすぐに潰れてしまう、そんなタイプだったとしたら。
やってもいない罪を認める可能性が高い。
「例の証拠品のことだって、まだ何も判明していないじゃないですか」
「アンクレットのことですね? 指紋がすべて拭きとられていたっていう……」
和泉さん、と守警部はその時初めて、こちらの存在に気付いてくれたようだ。
「話はいろいろ聞いています。僕も、この事件にはかなり関心を持っています。極秘裏にお手伝いっていうか、調べさせていただこうと思っていた矢先なんですが」
こんなことになるなんてね、と和泉は会議室の方を睨んだ。
「本当ですか?!」
「ええ、もちろん」
「おそらく、今回の任同がどういう結果になろうと、捜査本部が縮小することには違いありません。我々も引き揚げるよう命令されています。ですから和泉さん、私は表立って動くことができませんが、情報が必要な時にはいつでも仰ってください」
さすがだ。
嬉しくなって和泉は右手を差し出した。
守警部も微笑んで握り返してくれる。
そこへモミじーのぬいぐるみが重なってきた時、和泉は一瞬だけ長野を殴ってやろうかと思ったのだが、やめておいた。




