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25:そんな気がしただけ

 ごっくん。

 卵の塊が紅茶と共に喉を通過していく。


 それなりにというか、かなり偉い人じゃないか。

 失礼がなかっただろうか、と。今さら周の背中を冷たい汗が伝う。


 まぁでも、良くも悪くも顔を覚えてもらえたかもしれない。

 刑事になる近道はとにかく、刑事課の人間に【顔を売る】ことなんだよ、とは和泉に散々言われていたから。


「そういや係長、ずっと気になってたんスけど」

 チャラ男の西浦がコーヒーを啜りながら「藤江のこと、どっかで見たことあるって言ってましたよね?」


「ああ、そうだ。今から2年前……県警本部の向かいにある安芸総合病院で、人質立てこもり事件があっただろ?」

「そう言えばそうでしたね」と、桜井。


「あの事件の時の、人質なんだよ」

「へぇえええ~っ?!」

 西浦だけでなく、その場にいた全員が目を丸くする。


 余計なこと言いやがって……と、周はマグカップを口元に運び、苦々しい表情を少しでも隠そうとした。


「俺はあの頃、本部の生安ギルドにいたんだがな……その事件に関連して、調べて欲しいことがあるって、同期の友永っていう胡散臭いおっさんに頼まれて……何となく成り行きで、現場に居合わせることになったんだが。いや~、まさかあの時の子供がな」


 子供だと?

 あの頃はもう高校2年生だったぞ。周は反論を紅茶と一緒に飲み込んだ。


「へぇ~……縁ってのは奇妙なもんっすね……」


 そんな呑気な遣り取りの中で、サンドイッチや調理パン、けっこうなボリュームがあったにも関わらず、差し入れはあっという間に全員の胃袋に収まった。警察官は食事が早いというのは本当だ。


 それから周がグラスを洗ったりゴミを片付けたりしていると、下から子供の泣き声が聞こえてきた。

「びぃえええええ~んっ!!」


 急いで階下に降りると、先日の迷子がカウンターの外に立っている。


 それまで警らに出ていた、砂川という神経質そうな線の細い先輩が傍に立って苦い顔をしている。彼とはあまり接触したことはないが、口数が少なく、外見そのまま細かいところが気になるタイプである。

 こういうタイプは子供が苦手なはず。


 その予想は見事に当たっていたようで、彼は周の顔を見つけると、一刻も早く何とかしろと目で訴えてきた。

 確か名前は瑛太だ。

 男の子は周を一目見るなり、カウンターをよじ登って飛びついてこようとする。


 抱き上げようと腕を伸ばしかけた周を桜井が制し、声をかける。


「おはよう。瑛太君、だよね? どうしたの?」

 そうだった。小さな子供とは言えあくまでも【お客さん】をカウンター内に入れてはいけない。

 それでいて。子供は警察官をおびき寄せる【餌】であり、もしかしてすぐ後ろに襲撃者が待ち構えているかもしれない。


 周は慎重に周囲を見回す。

 外に出てもいいぞ、と先輩警官の耳打ち。


 ほっとしてカウンター外に出ると、ひしっ、と瑛太が膝にしがみついてくる。


「また迷子になっちゃった?」

 周がその小さな身体を抱き上げると、幼子は首を横に振る。代わりに、

「……さいきん、ちっともきてくれないのね。しごと、いそがしいの?」

 思いがけない台詞が飛び出してきた。


 きっと母親の真似だろう。おかしくなってしまった。


 この子の親は何をやっているのだろう? そう考えて思い出した。県知事候補のフィアンセだ、と。


「ごめんね。仕事も忙しいし、いろいろ覚えなきゃいけないことで一杯だから……」

 いやいや、と瑛太は再び首を左右に動かす。

 再度の『ごめんね』


 それから周はさりげなく小さな身体の全体を見回した。今日はちゃんと上着を着ている。

 服の下、見えないところに痣があったりしないだろうか……。めくってまで確かめる訳にはいかないだろうか。


「坊主、ちゃんとママに『行ってきます』って、言ったか?」

 いつの間にかすぐ傍に立っていた小橋が、瑛太に問いかける。返答はない。

「交番にいるお兄ちゃんに会いに行きますって、ママにいいよ、って言われたか?」


 たぶん、だが。この子はちゃんと自宅から交番までの道のりを覚えていたのではないだろうか。賢そうな子だ。

 瑛太は無言で周の首元に顔を埋め、顔を隠してしまう。


「もしかしなくても、保育園に向かう途中だったな……こりゃ」

 そう言われて初めて気がついた。

 彼は肩に黄色い通園カバンをかけている。


 するとその時、

「瑛太!!」

 母親が交番に飛びこんできた。


「いい加減にしてよ、もう!!」

 彼女の怒鳴り声に瑛太はびくっと震える。

「遅刻しちゃうじゃない!!」


 彼女は息子をほぼ無理矢理奪い取り、何も言わずに去って行こうとする。


「待ってください」

 周は思わず呼び止めた。するとものすごい形相で怒鳴られる。

「こないだは、勝手な真似をして……!! おかげでとんでもない恥をかかされたわ!! 彼にも申し訳が立たなくて……どうしてくれるのよ?!」


 虐待の恐れがあるのではないか。

 こちらから児童相談所に連絡したあの件を言っているのだろう。


 周は改めて瑛太の母親の顔を見た。

 先日、県知事選挙運動に回っていた立候補者についていた、ウグイス嬢の1人に間違いない。


「……申し訳ありません。ただ、お母さん。瑛太君としっかりコミュニケーションを取れてますか? この子の気持ちを……」


「余計なお世話よ!!」

 瑛太の母親は周を睨みつけ、

「私、警察官なんて大っ嫌いだから!! もう、一切ウチのことに口を挟まないで!!」

 そう叫び、猛スピードで走り去っていく。


 周はただ呆然とその後ろ姿を見送った。


「……お兄ちゃんは? って、やって来たんだよな。あの子」

 神経質な先輩警官、砂川が言う。

「念のためこっそり見ておいた。全身を確認した訳じゃないけど、痣とか火傷の類は見られなかったから、虐待って言うことはなさそうだけど……かわいそうに。ありゃあ相当、親の愛情に飢えてるんじゃないか?」


 確か母子家庭だと聞いた。

 子供を養うために母親が長時間労働を強いられる。仕方のないことだとはいえ、周もやはりかわいそうだと思う。


 そんなこちらの内面を見透かしたかのように、西浦が口を挟む。

「でも砂川主任、もうすぐお金持ちのお坊っちゃまと再婚でしょ? 気分はウキウキ、子供にだって優しくなっちゃうんじゃないっすか」

「それは最近の話だろう? それに……やっぱりなさぬ仲の親子ってのは、なかなか難しいもんだ」

 と、今度は小橋。それから彼は、

「お前はどう見た? 藤江」


 急に話を振られた周は、思いつくままを口にした。


「お母さんの方は全然、余裕がなさそうでした……」

「余裕?」

「たぶん時間もお金も、気持ちも何もかも。先日の夜もすごい剣幕で瑛太君を迎えに来ましたし。それと、これはあくまで自分の感じたことですが」

 言いかけて口をつぐむ。

 口にしたら生意気だと思われないだろうかと感じたからだ。


「なんだ、言ってみろ」

「もしかして、交番……いえ、警察と関わりを持ちたくないのではないかと。それはあの、警察は嫌いだってご本人も仰っていましたし……それに」

「そんなの、よほどの警察マニアでない限りは普通だろ?」

 西浦は少しバカにしたような笑い方をする。


 ムっとして、周は続きを話すのを躊躇したのだが、

「続けろ」と、交番長の命令。


「もしかしたら何か、後ろ暗いことを抱えているのでは……そんなふうに思いました。ただの直感です」


 しばしの沈黙。


「……西浦、お前はこれから警らだな? 桜井と藤江は引続き立番」

 西浦は行ってきます、とそそくさ自転車置き場に向かう。


 何か間違っていただろうか?


 和泉ならなんと言ってくれただろう。指導部長が和泉だったらな、なんてことを考えてみたらゾっとした。


 あらゆる悪い想像を振り払うように、周は首を横に振った。


詳しくはシリーズその7を参照っ!!

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