22:なんでだろう?と悩む日々
朝礼で聞いた話は上村にとって、決して愉快な話ではなかった。
何年も警察官をやっていても、いわゆる【現行犯逮捕】できるような事案に、まったくぶつからない人もいると聞く。
藤江周が何となく『運』に恵まれているとは前々から感じていた。
それは本人の努力だけではどうにもならないことだ。だから、そんな不確かなものなどあてにせず、ひたすらに職質をかけるのみ。
そう考えていた。
それなのに。
思ったような結果が出ない。
初当直の夜、交番長と共に警らへ出た時。逢沢は援助交際という名の売春および買春、もっと言えば児童ポルノ禁止法に抵触していた男を職務質問の末に検挙した。鮮やかな手際で。
自分も同じようにできるはずだ。
そう信じて上村は今日一日、少しでも怪しいと感じた人物を片っ端から呼びとめて声をかけた。
だが。結果はゼロ。
中には上村の職質に対して逆ギレし始め『俺の父親は地元の名士なんだぞ』と喚き散らし、宥めるのに必死になった……必死だったのはもちろん指導部長だが……事案もあった。
なぜだろう。
上手くいかない、思うようにならないのは。
舐められている?
女の子みたいだと言われる顔立ちのせいか。
あるいは華奢な体つきのせいか。
いろいろ考えてみたがわからなかった。
※※※
「まぁ、そんな日もある!! しかし、明日という字は明るい日と書くように、未来は決して暗くはない!! 今日の反省点を踏まえ、今後につなげて……って、あれ? 聞いているのか?! 上村、君ならできるぞっ!!」
一緒に警らへ出ていた指導部長の松山が、何やら暑苦しく語っているのを背中で聞きながら、上村はコートを脱いでハンガーにかけた。
なぜ上手くいかないのか、いろいろ考えてみたが結論はまだ出ていない。
「どうした、浮かない顔だな」
逢沢が声をかけてきた。
「……いえ、別に」
「しっかり頑張っているじゃないか。お前が次々と、無線で自転車の防犯登録照会をかけていたのを聞いた。自転車泥棒はこの界隈に多いから、地道だが確実な仕事だぞ」
指導してくれる先輩は鬱陶しいが、直属の上司には恵まれたものだ。
上村はしみじみと思う。
「ですが……未だに結果を出せていません」
思わずそう呟く。
何が、なぜいけない? 自分の職質のどこが問題なのか。
「……お前の担当教官は誰だった?」
「北条警視です。北条雪村警視」
すると逢沢はああ、と納得したように頷いた。
「あの人は学生に、自分の頭で考えさせるタイプだろうな」
ダメ出しだけなら簡単だ。ではどう改善すればいいか? それは自分の頭で考えるしかないよな……。
そう言われて上村はさらに、必死で頭をひねった。
卒業式直前に行われた職務質問コンテストに向けて、上村は先輩たちが書き残してくれたテクニックや事例をまとめた本を、隅々まで読み尽くした。
内容はしっかり頭に入っている。
だからコンテストでは準優勝をおさめることができたのだが。
現場でも学んだことを実践したはずだし、己のモットーも全面的に押し出した。
決まりを、ルールを守らない人間にはどこまでも厳しく。
非があるのは相手側だ。
斟酌など要らない。
上村にとって知識を詰め込むことは苦痛ではない。だが。既に得ている知識と、なぜそう言えるのだろうかという【理解】を結び付けることができていない、そのことに彼は気付いていない。
なぜそういう決まりができたのか。
その決まりにはどういう目的があるのか。
それを守ることによって、あるいは守らなかったことによって、どんな結果が生まれると考えられるか。
守れない人間はどうして、そうすることができなかったのか。
何か深い事情があるのだろうか。
表には出ない何かを読みとる洞察力。
藤江周にあって、上村柚季に足りないもの。
※※※
早く勤務日誌を仕上げよう。
上村は空いている席に腰掛け、ペンを取り出した。
パソコン入力が主流の現代でも、未だ手書きの文章を書かせるのは警察ぐらいじゃないだろうかと、常々思っている。
すると、
「ああ、そうだ上村。お遣いを頼んでいいか? さっき北条警視の名前が出て思い出した」と、逢沢。
「……はい」
嫌だと思っても、嫌だなどと口にはできない。
「これを県警本部の捜査1課……北条警視に届けてくれ。新天地北口交番の逢沢からだと言えば、すぐに話は通じる」
A4サイズの茶封筒。
何となく中身は想像がつく。
恐らくだが、初当務から今日に至るまでの上村の、言い方は悪いが【観察日記】のようなものだ。
いわゆる勤務評価とはまた別の。
広島県警だけの伝統なのか、あるいは全国的な習慣なのかは知らないが。
警察学校を卒業した新任者を受け入れた交番では、該当者に関する行動を逐一記録せよ、との命令があるらしい。
目的としては、今後もその交番で上手くやっていけそうかどうかを計るためらしい。
担当教官である北条警視は繰り返し述べていた。
警察にとっての財産は何よりも【人】だから。人材を育成することが先輩たちや上官の仕事なのだ、と。だから記録をつけさせる。
アタシはその『記録』を必ず読むわよ。
新人がきちんと働いているかどうかじゃない。面倒を見なければならないはずの警察官達が、しっかりと自分の分を果たしているのかどうかを確認するため。
もちろん教え子たちのその後も知りたいけどね。
しかし。
その育児日記のようなものを自分で、かつての担当教官に届けるのか。
恐らくは、その【お遣い】は表向きの理由だろう。
自分の悩みに対する答え。いくら考えてもわからなければ、顔見知りにヒントをもらってこい。
交番長はそういうつもりなのではないだろうか。
上村はチラリと時計を確認した。
そろそろ受持ち区域がざわめきだす午後7時前。
たとえたいした戦力にならないとしても頭数がいる方がいいだろうに。それとも。別にいてもいなくても一緒だから、と思われているのだろうか。
「そんな顔をするな。今日は月曜日だから【客】は、週末よりも少ない」
それに、と逢沢は続ける。「今、この時だからこそ、かつての担任に会って相談してみるのもいいかもしれないな」
そうだろうか。
もう弱音を吐きにきたの?
そんなふうに言う人ではないとは思うが……。
※※※※※※※※※
捜査1課の部屋には現在、本日の当番である和泉以外に誰もいない。
HRT隊員の皆さんは道場で訓練中。3度の食事よりも筋トレと武術の稽古が大好きな肉体派隊員達は、戻ってきたらこの静かな部屋に汗の匂いを充満させるのだろう。
そう考えたらウンザリしてしまった。
かく言う自分の仲間達は、早々に仕事を切り上げて帰宅してしまった。
それというのも聡介のせいである。
早く帰って飼い猫に会いたいから、などという理由で、この頃は急いで仕事を終わらせるのだ。上官がさっさと帰宅してしまったら部下達も残る理由があまりない。
1人でいると案外広いこの部屋で、和泉はひたすらデスクワークに勤しんでいた。
すると。部屋の入り口に人の気配を感じた。
誰か忘れ物でも取りに戻ったのだろうか。しかし、なかなか入って来ない。
「……誰? どうしたの」
和泉が立ち上がってドアを開けると、そこに立っていたのは思いがけない人物だった。
「上村君。どうしたの、何かお遣い?」
北署の捜査本部から何かパシリでも命じられたのだろうか。
「あの、北条教官……いえ、北条警視はいらっしゃいますか?」
どことなく思い詰めたような表情に見える。
「あのオカマなら今は道場だよ。一度熱中し出すと、誰かが気絶するまで止まらないからねぇ……」
どうしようかと、彼は迷っている様子だった。
「どうしたの、何か相談ごと? 僕でよければ話を聞くよ?」
しばし沈黙。
胡散臭いかつての教官モドキ、と思われているのだろう。
「……よろしいでしょうか?」
「うん。とにかく、中に入りなよ」




