21:朝礼はじめます!!
今日からまた泊まり勤務だ。
その日の早朝。周は支度をして北署に向かい、服を着替えて部屋の掃除と朝の準備を済ませ、講堂に向かった。
今日は署長からの訓示などを含めた【全体朝礼】がある。
それは学校で言うところの全校集会みたいなものだ。
学生時代は毎朝、ホームルームがあった。警察学校でも。
その内容は連絡事項を伝えたり、小話だったり。担当教官の北条はよく、頑張った学生を褒めたり、自分の経験談を語ったりしてくれた。
どうしてそんなことを思い出したかと言えば。
昨日、周が窃盗犯を現行犯逮捕したことが署長の口から、地域課職員全員に告げられたからだ。
藤江巡査を見倣って、皆さん頑張りましょう!!
そんなところだろうか。
偶々だ。周は拍手の音を気まずい思いで聞いていた。
署員が全員、心から祝福してくれていると考えるほどおめでたい人間ではない。
なぜなら微かに耳に入ってくるからだ。
聞こえないように、しかしさりげなく確実な舌打ちとか、ヤラセじゃないか疑惑がヒソヒソと。
被害妄想だろうか?
だけど。いかに基本ポジティブな周であっても無条件に他人を信じたりはしない。必要以上に警戒しないまでも、自分に対する悪意には割と敏感だ。
まだ人生19年しかやっていないのに。
彼はそういった護身術(?)を見に着けていたのであった。
そんな中で少し気になったのが上村の表情だ。
驚いていた。
と、同時にやはり悔しそうな顔。
何も言うまい。
周はなるべく彼の姿を見ないようにして、急いで出立の準備を整えた。
講堂を出てすぐ、
「聞いていたとおりだ、よくやった」
そう言って頭をポンと撫でてくれるのは交番長の小橋だ。
何をどう聞いていたか知らないが、彼に言われると素直に嬉しい。
「偶然です、交番長」
「まぁ、確かにな。けど、その気で管内を回ってなければ検挙には至らなかった。お前さんの観察眼が勝利したんだと思っていい」
周は微笑んだ。
「他人を観ること、何よりも刑事にとって大切な要素だからな」
するとその時、
「おい。藤江、それから小橋係長」
小野田課長から呼び止められた。
「少し話がある。交番に出る前に、廊下で待っていろ」
何だろう? 一緒にいた小橋も首を傾げている。この後は警察手帳と拳銃の貸与などで課長は忙しくなる。
言われた通り、周は交番長と2人でしばらく廊下に立っていた。
やがて。苦々しい顔をした小野田課長がやってくる。彼は前置きも抜きに、
「……野上瑛太、この名前に覚えは?」
ある。
「2日前の夜、1人で外を歩いていた迷子です。基町南口で保護したのですが、すぐに母親が迎えに来ました」
課長は舌打ちする。
「問題はその後だ」
「問題……?」
周と小橋は顔を見合わせた。何も問題になるようなことをした覚えはない。
「昨日の山陽毎日新聞を読んでいないのか?」
読んだと言うと語弊があるが、昨日の朝、食堂で先輩達が話題にしていたのは覚えている。確か、県知事に立候補している男性が子連れの女性と婚約したとかなんとか。
周がそのことを述べると、交番長もああ、と頷く。
でもそれが、あの時の迷子とどう関係するのか。
そんなこちらの疑問に答えて課長は教えてくれた。
「児相からクレームが来た」
「なんでです? こちらとしては適切な処置だったと判断していますが」
小橋は納得がいかないといった様子で反論する。
「その幼児だが、秋山義隆氏のフィアンセの子供だったんだ」
それが何か? と、交番長は怪訝そうに訊ねる。周にもまったく意味がわからない。
「どういう言い方をしたのか知らんがえらい剣幕だった。児童福祉をマニフェストに掲げている県知事候補のフィアンセ、その子供にまるで虐待の疑いがあるような情報を流してきて、他立候補者の回し者か、ってな」
「そんな、こと……」
ある訳がない。
あの子供の事情をそこまで詳しくは把握していなかった。巡回連絡帳の記録を見る限り、母子家庭のようだということしか。
「でも。そうだとしたら、どうしてあんな時間に一人きりで外に……」
周の台詞を小橋が遮る。
「申し訳ありません、そこまでは確認不足でした」
すると課長は苛立たしげに、
「なんでも、迎えに来た母親に対して随分、高飛車な態度だったそうだな?」
誰のことを言っているのか知らないが、そんなことはない。周はそう弁護したかったのだが、交番長は何も言うなという目でこちらを見つめてくる。
「気をつけろ。相手はあの、秋山家の御子息だぞ」
「はい。以後、注意いたします」
納得がいかないが、周が反論する訳にもいかない。
黙っていることにした。
「それと藤江、お前」
「……はい?」
「ちょっと手柄を挙げたからっていい気になるなよ? 署長には黙っておいてやったが、今回のことを合わせると、本来ならプラスマイナス0だからな。賞が出なかったのはそう言う事情だと思っておけ」
確かに。一般人であっても、犯罪者を現行犯逮捕したとなれば署から表彰され、感謝状も贈られる。
それが今回、朝礼での『お達し』にとどまったということはつまり、そういうことか。
別に賞なんていらない。
でも。
周としてはどこか釈然としない気分だった。
※※※
それから交番に到着するなり、周は小橋の背中を追いかけ、
「どういうことですか?! 小橋係長!!」と詰め寄った。「児相に連絡したことが、間違いだったっていうんですか?」
「……間違いじゃない」
「だったらどうして、クレームなんて……」
「聞いただろう? 今回ばっかりは相手が悪かったっていうことだ」
そうかもしれない。だけど。
瑛太はどう感じているのだろう? あの夜、上着も着ないで外に出てしまったあの子供はきっと、何かモヤモヤしたものを感じていたに違いない。
虐待とまではいかなくても。
家にいたくなかった、だから飛び出した。それ以外には考えられない。
「でも……」
「いいから。それより、お前の今日の時間割はどうなってる?」
予定では立番に始まり、その後警ら、巡回連絡となっているはずだ。もう頭の中に一日の勤務予定はしっかりと書きこまれている。
「立番です」
「だったら……」
とっとと外に出ろと言いたげな小橋に、周は告げた。
「交番長……怖いです」
「怖い?」
立番が、ではない。
「この仕事、いろんな人の名誉を傷つけたり……下手をしたら誰かの人生を狂わせることもあるかもしれない。そう考えたら、怖くなって……」
あきれられるだろうか。
そんなことを怖がってどうする、と。
しかし返ってきたのは、思いがけない返答だった。
「本当だな、怖いな」
驚いて周は顔をあげた。
交番長は微笑んでいる。
「それでいい。自分がそれだけの権力、権威を持っていることを忘れるな。決して力に驕ることなく、いつも慎重でいろ」
「はい、小橋係長」
「結論から言えば俺たちはただの人間だ。天から人の動きを見ている訳じゃないし、他人の心は読めない。だから時には今回みたいな結果になることもある」
ぽん、と肩に手を置かれる。「目の前で泣いてる子供を見たら助ける、転んだ年寄りがいれば手を差しのべる。そんな当たり前が難しくなってる、それは間違いなく今の世の中の風潮だけどな……」
そうだ。近年、幼子を狙った犯罪が多発しているため、たとえ迷子になって泣いている小さな子を見かけても手を差し伸べるのを躊躇する人が多い。
実は危害を加えるつもりじゃないか、誘拐するつもりじゃないか。
そんなふうに誤解されたらどうしよう、と。
「けど、俺達が着てるこの制服は伊達じゃない。お巡りさんなら間違いない、っていう市民の安心感を裏切るな。だから怖がりつつ、慎重に前へ出ろ。万が一、お前がミスっても俺達がフォローする。それが仕事だからな」
たぶん、生きていれば実の父親と同じぐらいの年代だろう。
交番長の小橋がどれぐらい長く警察官をやっているのかわからないが、正直言って、小野田課長よりもずっと頼りになりそうだ。
周は元気にはいっ!! と答えて交番の外に出た。




