2:ふつつかものですが
式典が終わった後は保護者との自由面談である。
場所は中庭。
この時間に家族や保護者と揃って記念写真を撮るのだ。
「……何か不満そうだな」
「別に」
口にも顔にも出さないが、わざわざ有給休暇をとって卒業式のためにここまで出向いてやったんだぞ、と言っている……というのは周の勝手な憶測だが……義兄はいつもの調子で見つめてくる。
抑揚のほとんどない、感情のこもらないいつもの口調と共に。
周はつい目をそらした。
決して彼のことを嫌っている訳ではない。むしろその逆だ、が。
周にとってはいつまでも【大好きな姉を奪っていった憎たらしい男】という肩書き(?)がついて回るのである。ゆえに、未だ素直になれない。
「ねぇねぇ、写真、写真を撮りましょうよ!!」
すっかりお腹の大きくなった姉の美咲がカメラを手に、周と義兄……駿河葵を手招きする。
姉にはもうすぐ子供が産まれる。そんな身体で出歩いて大丈夫なのかと心配したが、本人はいたって平気そうだ。
「シャッター押しましょうか?」
そう申し出てくれたのは、なんと担当教官だった。
他の学生の保護者との挨拶で忙しいだろうに、それらをスルーしてきたのだろうか。
「あ、北条さん。この度は周君……弟が大変お世話になりました!!」
「いいえ。こちらこそ、彼にはとても助けられました」
義兄がちらちらと自分と北条を交互に見る。
「北条警視。本当に……ありがとうございました。いろいろとご迷惑をおかけしたかと思いますが」
何でお前が『ご迷惑』とか言うんだよ? と、周はついイラっとしてしまった。
「あら、葵ちゃん。ねぇ、この子をぜひうちのチームに入れたいんだけどどうかしら? 将来的にはアタシの右腕になって欲しいわ」
すると義兄、駿河は深々と頭を下げ、
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「おいっ!! 何でお前がそこでそういう返しをするんだよ?!」
「兄に向かって『お前』呼ばわりとはなんだ」
「うるさいっ!!」
「……写真……」
そう言えば。
和泉はやってくるのだろうか?
入校式の時もさんざん、学校の中に入って一緒に写真を撮りたいと騒いだ彼だったが、結局余裕がなくて断念したらしい。
卒業式には絶対に記念写真を、と直前までギャアギャア言っていたが……。
周はつい、目だけで和泉の姿を探した。
中庭は学生とその保護者達で溢れかえっており、人を1人探し出すのは容易ではなさそうだ。
「……彰ちゃんだけど、今日は来られないのよ」
北条が言う。
「えっ、なんで?!」
「ちょっと、いろいろあってね。ま、心配しなくても具合が悪いとかそういうことじゃないから」
何があったのだろう?
急に不安になってきた。
つい先日、卒業式直前の日曜日のことだ。
和泉がデートしようとうるさいので、仕方なく周はその日、彼に付き合って外出した。
その日は朝から快晴で、和泉が連れて行ってくれたのは宮島の弥山であった。
登山道を上り、観光名所である獅子岩に到着すると、四国までがくっきりと見える。
待ち合わせ場所で落ち合ってから帰り路にいたるまでずっと、彼はこれから直近で始まる交番勤務について詳しいことを教えてくれた。
警察学校で習ったことはあくまで基礎である。
現場に出てから覚えなくてはいけないことの方がむしろ多いのだ、と。
庶務的なことは交番によって違うけれど、基本的な原則は同じ。初日は早めに行って会議室や執務室の掃除をしておくこと。
警察署内は保護されなければいけない重要な機密情報がいっぱいだから、外部から清掃業者を入れたりしない。そうなると掃除やゴミ出し、そう言った雑用は署内で一番の下っ端、つまり新任巡査の役割になる。
交番でも同じ。
先輩達が気持ちよく仕事できるように、掃除やお茶くみは率先して行うこと。基本的にすべて食事は出前になるから、立て替え用のお金を持っておくこと。
食べた後の食器の片付けももちろん、忘れずにね。
そんな細かいことから、新任巡査としての心構えや、覚えておくべき基本的なこと。
周は和泉の言ったこと1つ1つを、しっかりと心に留めておいた。
そのおかげで、これからいよいよ現場に出るという不安と、緊張に押しつぶされそうになっていたのが少なからず緩和された。
日頃は適当を絵に描いたかのような人間のくせに、肝心な時に役に立つ。
だから今日、顔を見ることができたら必ず礼を言っておこうと思ったのに。
「……あんたの頭と心の中は、彰ちゃんのことでいっぱいなのね」
北条の台詞に周は我に帰った。
「なっ、な、何……?!」
「ほらほら、いいから整列!!」
号令がかかると条件反射で直立不動になる。
「敬礼!!」
シャッターを切る音。
「あ、北条さんも一緒に」
こうして写真撮影を終え、後は卒業後配属先各署からのお出迎えを待つのみとなった。
※※※
どんな人が上司になるのだろう?
周はドキドキしながら、名前を呼ばれるのを待っていた。
式が終わって講堂を出た時には、出口に待ち構えている県警の幹部達と代わる代わる挨拶と握手を交わすという、一連の儀式が行われたが、その時は誰がどの部署の人なのかなんて、まったくわからなかった。
ただ、偉い人達ということしか。
「次、広島北暑」
お迎えがきた!!
「藤江周巡査と、上村柚季巡査?」
すぐ目の前に制服姿の男性が立っていた。
年齢は40代前半ぐらいだろうか。
日焼けした小麦色の肌はツヤツヤしているが、目尻に少し皺が刻まれている。
少し日本人離れした彫の深い顔立ちに太い眉毛。
「はいっ!!」
「……はい」
周は緊張でやや声を裏返してしまったが、上村はいたって冷静に返事をする。
「卒業おめでとう。そして、広島県警へようこそ。俺は広島北署地域第2課長、小野田警部だ。今後ともよろしく」
「どうぞよろしくお願いします!!」
「……よろしくお願いします」
それから小野田と名乗った課長は周と上村と交互に見つめると、
「まぁ、外見はあまり関係ないか……」
と、呟く。
何の話だろう?
「いろいろと問題があったそうだな、50期生については」
50期生とは周達長期過程の学生達全員を指す。
確かにいろいろあった。
教場内での殺人事件、そして。
学生同士のイジメや教官による虐待。
「とてもそういう苦難を乗り越えてきたようには、その可愛らしい顔からは想像もできないが。2人ともなぜ、警察になんか入ったんだ? 芸能界にでも入れば売れたかもしれないのに」
カチン。
しかし周は顔に出さないよう我慢した。
それなのに。
「……お言葉ですが、職業選択の自由は憲法で保障されているはずですが?」
いきなりか!!
直属の上司に向かって、新任巡査が言い返すのか?!
周は冷や汗をかいた。
こいつがそういう奴だとはわかっていたが、今このタイミングでやられるとさすがに胃が縮む。
しかし、小野田課長は怒り出すどころか笑い出した。
「ははは、まったくそのとおりだ。噂に聞いた通りだな。手よりも口が早い……名前、何だったかな……とにかく」
「小野田課長」
と、もう1人別の制服警官が呼びかける。
後で知ったことだが、課長代理と呼ばれる立場の人らしい。課長である小野田よりもだいぶ年齢が上に見える。
「ついて来い。お前達の【職場】へ連れて行ってやろう」
そうして周達は玄関に迎えに来ていた小型バスのような、護送車のような車に乗り込む。
警察学校の正門が段々と小さくなる。
周はふと、教場内で一番親しくしていた護はどこの署だったかな、と記憶を辿ってみた。
確か福山中央署だと聞いた。
県内で2番目に人口が多い町。
岡山県との県境に位置するそこに行ってしまったら、気軽には会えないだろう。
3か月後、またここに戻ってくる。
それまでに一人前にならなければ。
周は胸の内でそう、自分を叱咤した。