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18/86

18:初めてのおつかいはムリでした

 それはつい昨日、本通り商店街で演説に回っていた姿を見た県知事候補だ。

「……この人、有名人なんですか?」

 先輩達が振り返る。

「おお、新入りか。知っておいた方がいいぞ。この人は……祖父がかつて警察庁OBで現衆議院議員の秋山剛(あきやまつよし)。その父親は現在の公安部長。まぁ、言ってみればエリート一家だよな。敵に回したくない相手だよ」


 周は思わず新聞記事を凝視してしまった。


 現在、広島県知事に立候補している秋山義隆氏(32)は、知人の紹介で知り合った女性(24)と婚約を発表した。お相手の女性はなんと離婚歴あり、前夫との間にもうけた子供連れの再婚とのこと。 

 児童福祉に特に力を入れるとマニフェストを掲げている彼にとって、有言実行と言ったところだろうか。


 その時、周は上村が通りかかったのに気付いて、先輩たちに声をかけてその場を離れた。


 朝食の乗ったトレーを手に、周が上村の前に座ると案の定、迷惑そうな顔をされた。

 今日はお互いに休みのはずだし、今がチャンスだ。


「なぁなぁ、前から訊きたかったんだけどさ。上村のお姉さんって、どんな人?」

 警察学校にいた頃。といっても、ほんの少し前までの話だが。

 ある日、自習室でうたた寝をしていた彼が、寝言で呟いたことがある。

『姉さん……』と。


 詳しいことを訊きたかったのに、それ以降チャンスがなくて流れていた。それが昨夜急に思い出したのは理由がある。


 姉から電話がかかってきたからだ。

 何か必要なものは、足りないものはないかと。


 やっぱり俺の姉さんは日本一、いや世界一できる人だ……と感動に浸っていたところ、不意に思い出した。そう言えば上村にもお姉さんがいたんだっけ、と。


 姉妹がいない友人に一度、どれほど姉が素晴らしいかを熱く語ったのだが、反応はイマイチだった。

 やっぱり同士がいないのは寂しい。


 夢にまで見るほどだから、きっと上村も姉を愛してやまないに違いない。


 ところが上村はどういう訳か顔をしかめる。

「あ、もしかしてここじゃ嫌か? 今日休みだろ? 俺、管内を歩いて回る予定だったから一緒に……」

「君と僕は管轄が違う」

「いいじゃん、大通りを挟んだだけなんだし」


「……あまり気分が良くないんだ」

 そう言われて周は気がついた。確かに顔色が悪い。


「それと」

 姉大好き仲間はトレーを手に立ち上がる。

「僕に姉はいない」


「……え、嘘……」

 その時、周と上村のスマホが同時に着信を知らせた。



 休みの日であろうがなんだろうが、呼び出されれば出勤しなければならないとは聞いていたが、本当だった。


 今、周の所属する広島北署にはとある殺人事件の捜査本部が置かれている。

 雑用は山ほどある。その手伝いに来い、と駆り出されたのだ。


 コピー用紙の補充、飲み物のストックを用意すること、すぐ満杯になってしまう灰皿の掃除から、ゴミの分別……など。


 何人ぐらいの刑事が詰めているのかわからないが、現在のところ、会議室はがらんとしている。ほとんどが出払っているのだろう。


 いるのは管理職と思われる男性が3人ほど。

 その中の1人、やや小柄な白髪頭の男性に、周は見覚えがあった。


「おい、そこの」

 3人の内の1人、眼鏡をかけた比較的若い男性の声。最初、周は自分に声をかけられているとわからなかった。

「そこのお前だ、聞こえんのか?!」

「は、はいっ?!」


 何でしょうか、と周は男性の元へ走って行った。私服警官だが、襟章からして恐らく高い地位にいるのではないかと察する。


「煙草、買ってこい」

 会議室用の細長い机に、ぴらっと1万円札が置かれる。

「できません」

「……何だと?」

「自分は現時点で19歳、未成年です。たとえお遣いでも煙草を購入することはできません」

 男性はちぃっ、と盛大に舌打ちした。

「高卒のノンキャリアかよ、使えねぇなあ、おい!!」

 捜査が上手く行かなくて苛立っているのだろうか。ムっとしたが周は黙っていた。


「誰かおらんのか?!」

 残念ながら現在、周以外にすぐ動けそうな職員はいないようだ。


 すると、

「はいは~い、ただいま」

 白髪の小柄な男性が揉み手をしながら1万円札を手に取る。

「銘柄は何でしたかいのぅ? 北斗星、それとも南十字星……ってそりゃ、寝台特急じゃ」

「……長野さん……」

「ほんなら、お遣い行って来ますけん。この子と一緒に」

 長野さん、と呼ばれた男性は周の背中を押す。そうして一緒に会議室を出た。


「気を悪くせんとってな? さっきのおじさんは更年期じゃけん」

 更年期って、男性にもあるんだろうか。


 そして周は思い出した。初出勤の日、地域課の部屋を掃除していた時にあらわれた謎のおじさん。

 もっと遡れば確か、八丁堀にある猫カフェで出会ったような。


挿絵(By みてみん)


「もしかして、和泉さんの……?」

「ピンポーン。叔父みたいな、そうでもないような?」


 不思議なオジさんの後ろをついて周が廊下を歩いていると、前方を上村が歩いているのが見えた。バケツを手によろよろしている。

 今朝、少し具合が悪そうだったが、大丈夫なのだろうか。


 すると案の定。ふらり、と彼はバランスを崩してしまう。

「上村!!」

 周は駆け寄って手を伸ばしかけた。が、曲がり角からにゅっと逞しい腕が伸びてきて、彼の細い身体を抱きかかえる。


 北条だろうか?


 しかしそうではなく、姿を見せたのは事務員の富岡嬢だった。彼女は今日、本来なら休みのはずだが。彼女は無言で上村の手からバケツを取り上げ、スタスタと会議室の方向へ歩いていく。

 なんかすごい。


 その後、庁舎を出て縮景園方面へ歩くこと約500メートル。

 

「ど、どこまで行くんですか?」

 コンビニなら署の敷地を出てすぐの場所にあるが。

「いいからいいから、ついてくるエビよ~」


 長野はとあるマンションの前で立ち止まった。1階部分は店舗になっており『焼きたてパン』と書かれた幟がはたはたとひらめいている。


「こんにちは~」

「あ、長野さん。いらっしゃい」

 白衣を着た人の良さそうな中年女性が、タオルで手を拭きながら出てくる。

「今日は新顔を連れてきたど。基町南口交番期待の新人、藤江周巡査じゃ!! ひいきにしてやってぇな? 小橋の班じゃけん、ローテーションはわかるじゃろ?」

「まぁ、若くてハンサムなお巡りさん。小橋さんね。もちろん承知しとりますわ。あ、そうそう、いつものを用意してあるから持って行ってね。ちょっと待っとって」

 いつもすまんのぅ、と答えてから長野はくるりと店内に並んだパンの方を向き、

「これ、彰が好きなやつ」

『神石高原牧場牛乳100%使用』とポップに書かれたクリームパン。和泉が酒飲みのクセに甘い物も好んで食べることは知っていたが。


 すると。お待たせ、とカウンターの上にたくさんパンが入った紙袋が置かれる。

「ほんなら、これはちゃんと買うけぇな」

 長野はポケットから小銭入れを取り出し、先ほどのクリームパンを3個買った。


「あの……」

「あのパン屋さんはワシの古くからの知り合いでの」

「これはいったい……?」

 紙袋にはサンドイッチや菓子パン、調理パンが山ほど詰め込まれていた。

「差し入れじゃよ。捜査員へ」


 周の疑問を読みとったのか、

「消費期限を過ぎて売れ残ったパンがどうなるか知っとる?」

「たぶん、全部廃棄……ですよね」

「そんな勿体ないことするなら、ワシにくれちゅうて……捜査員への差し入れによう利用させてもろうとるんよ。公務員が物品を受け取ってええんかちゅう点についてはしー、じゃよ、しー」

 そう言って長野は人差し指を唇の前で立てる。

「食べるものを粗末にしたらいかん、ってことじゃ」


 それほどカチコチに規律を守ることばかり考えなくていいんだ、と周は少しだけ気が楽になった。


「署に戻ったら、今日はもう上がってええよ?」

「……え? いいんですか、本当に?」

「今日は寒いけどええ天気じゃけん、散策にはもってこいじゃ」


 もしかして。ただ真っ直ぐ寮に戻るのではなく、管内を歩き回っていろいろと下調べをしておけということだろうか。


 周は頷き、今からぐるりと周囲を見回しておいた。

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