14:密着24時
一方その頃、新天地北口交番では。
日中は拾得物預かりや自転車の盗難届、基本的な業務が続いた。そうしてあっという間に19時になる。
上村はつい、溜め息をついた。
世の中にはいろいろな人がいる。
善良な人も、そして残念ながらそうではない人も。
たった100円玉一枚を正直に届けてくれる人もいれば、拾ったものは自分のものになるのだろうなと、我欲を剥き出しにする人。
人間の欲とは果てしないものだ。
かつ、自己中心的な輩が多い。
そういえば。
警察学校にいた時にもいたな、そう言うのが。
どこまでも自分が中心。世の中は自分のために回っていると勘違いしている奴が。
誰のことも信用してはならない。
人は皆、自分の利益しか考えていない。
他人を踏み台にしてでも、自分の名声、立場、そして金を追う生き物。
そう教えてくれたあの人は、今、どこでどうしているだろうか……。
「そろそろ行くぞ、準備はいいか?」
交番長である逢沢に声をかけられ、上村は我に帰った。
肯定の返事をしつつも、装備品の確認をこっそりしておく。
「忘れ物はないか?」
遠足じゃあるまいし。上村は黙って頷く。
交番を一歩外に出ると、途端に寒気が吹きつけてくる。
考えてみれば今は2月初旬。
雪が降ることだってありうる季節だ。
移動は軽自動車である。白黒のおなじみパトカー。
無理を言って2台目を用意させた、と交番長は言った。現時点で一台は交番から少し離れたところを回っている。
新天地北口交番の管内は細い路地が多く、歩行者も多い。
不審者を見つけ職質をかける際には即、パトカーの後部座席へ押し込む。
相手が暴力団関係者だった場合、奴らはすぐに応援の人員を呼ぶからだ。そうなれば警察側としても応援を呼ばざるを得ない。そこで、人の輪が増えない内にさっさと車の中へ押し込むのが得策。そんな事情があるのだそうだ。
それにしても。考え過ぎかもしれないが、何となくすれ違う人達の視線が突き刺さる気がする。パトカー見てニッコリ微笑む人はまずいないだろうが。
逆に、不自然に視線を逸らしたり、急に歩調を早めたりするのは、何か見つかってはマズいものを抱えている人間だと警察学校では何度も習った。
卒業式直前に行われた職務質問コンテスト。
自分達のコンビは準優勝という評価だった。
もし組んだのが藤江周だったら、あるいは……なんてことを考えてしまう。
「おい、あれ」
逢沢が顎を動かす。その先にいたのは男女の2人連れ。繁華街でならどこででも見かけるような、何の変哲もないカップルである。
あれが何か? などと質問して答えてくれる訳もない。
交番長は確実に【何か】を嗅ぎとったのだ。しかし残念ながら、上村にはまだその正体がつかめない。
男の方は別段、チンピラという感じでもない。カジュアルな格好からしてサラリーマンではなさそうだ。髪型もいたって普通。どこにでもいる、そんな外見だ。
対して女の方はスマホを片手に男と手をつないでいる。
年齢は20代前半ぐらいだろうか。分厚いコートにロングブーツ。男が何かしゃべっているが、女はスマホの画面に夢中だ。
言われる前に動く。
パトカーを路肩に停車させて降り、上村はカップルの前に立ちはだかった。
「こんばんは。少し、お時間よろしいでしょうか?」
男の方が明らかに動揺した。間違いない。
「な、なんだよ?」
「広島北署です。現在、防犯警戒中でして。ご協力をお願いいたします」
「別に何も危険なことないから、急いでるから、それじゃ」
男は女を連れ、去ろうとする。
「待ってください。年齢とご職業を」
無視して小走りに先へと進むカップルの前に、交番長の逢沢が立ちはだかる。
「すみませんね~、ついさっきこのあたりで事件がありまして。被害者がちょうど、お連れの彼女と同じぐらいの年代だったものですから、お声を掛けさせていただきました」
すると今度は女の方がギクっという表情になった。
どういうことだ?
「だから別に、何もないって言ってるだろ?! じゃあな!!」
「捜査にご協力ください」
上村はつい、いつもの口調で言ってしまった。
「お住まいは、お名前は?」
しまった、と思ったが遅かった。まずは自分が名乗れ、そんな基本中の基本を忘れてしまったのは、焦ってしまっているからだ。
「何なんだよ、あんた!! 俺は何も……」
「お急ぎのところ申し訳ありませんね」
逢沢の声で上村は気がついた。練習の時には上手く行ったのに、実際に現場でやってみるとこうも思うようにならないなんて。
「失礼ですが」
交番長はニッコリと女の方へ微笑みかける。「お連れの女性とは、どういったご関係ですか?」
「何って、か……妹だよ、俺の!!」
上村は男と女の顔立ちを見比べた。兄妹というにはあまりにも不自然すぎる。
「私は広島北署の逢沢、と申します。こちらは上村。恐れ入りますがお名前と、身元を確認できるものをお持ちでしたら拝見したいのですが」
「持ってねぇよ」
「それは変ですね。手に握られているのは、ロードスターのマークがついた鍵ですよね。であれば免許証をお持ちではないかと?」
「べ、別に車に乗ってなくたって、鍵を持ってたっていいだろうが!!」
男は額に汗を浮かべ始めた。
「立体駐車場から出てこられたのは、車に乗って来られた証しだと思うのですが」
気がつかなかった。
渋々、男は名乗った。そして免許証を投げつけるようにして寄越す。
免許証を照会したころ前科なし、名乗った名前は真実だった。
そして。
「そちらのお嬢さんのお名前は?」
「……直美だよ、直美」
男が答える。
「おいくつですか?」
「……は、二十歳だよ!!」
「干支は?」
「た、たしか……ネズミ……」
逢沢は微かにニヤリと笑った。
「おかしいですねぇ……」
「な、何がだよ?!」
「二十歳なら、ウサギのはずですが」
「そ、そいつは俺の勘違いだっ!! だいたい、あんただって家族の干支なんかいちいち覚えてたりしてないだろうが?!」
男はキレ出した。
「うちは奥さんがものすごく、そういうことにこだわる人でしてねぇ。誕生日を忘れたりなんかした日にはもう、烈火のごとく怒ってしまって……手がつけられないんです。それはもう正確に細かく……何年何月何日だったか、即答できないと」
その時、上村はピンときた。
この警部補は連れの女が未成年だと疑っている。女性の年齢はわからない。化粧や服装でどうとでもごまかすことができるからだ。
「正直に答えた方が、あなたのためですよ? 妹(?)さんは何年生まれですか?」
言いながら上村はチラリと上官の視線を感じた。
余計な口を出すな、ということだろうか。しかし。ドンドン前へ前へと出て行かなければ、実績は、結果は得られない。
「さっきから何なんだよ、てめぇはよ?!」
男が上村に掴みかかってきた。
思わず目を固く閉じてしまう。が、予想していたような衝撃はない。
「……彼女、あなたの妹さんではありませんね?」
交番長の問いかけに、男は手を離した。
「い、いや、その……姪っ子だよ、そう。姪。親戚の子なんだ」
男は青い顔になり、へどもど答える。
「であれば、咄嗟に生年月日を知らなかったとしても無理はありませんねぇ。ですが」
逢沢は免許証を見せる。
「調べればすぐに分かることです。嘘はいけません。そちらの彼女の靴下……刺繍されているのは広島南高校の校章です。この靴下が学校指定となったのは、去年の入学生から……つまり。彼女はどう考えても高校生、未成年です」
男は完全に青くなった。
「署はすぐそこですから、それじゃ行きましょうか? これ以上はあまり人に見られたくないでしょう?」
こうして一件検挙に至った。




