12:犬のおまわりさん
一日が終わるのがあっという間だった。
いや、正確には本当に忙しくなるのはこれからだ。
気がつけばもう午後7時を回っている。日中は一息つく暇もなかった。
初っ端から比ゆ的な意味での【爆弾】を抱えたオバちゃんの相談対応に始まり、その後は指導部長である桜井の後にくっついて、次々と交番へやってくる【お客さん】への対応。
道を訊ねる人、落し物を届けてくれる人。
お金を落としたから貸して欲しいという人。
覚えなくてはいけないことが山積みだ。自分がパソコンだとしたら、もはやメモリは許容量を越えている。オーバーヒート、このままでは熱を持ってショートしてしまう。
それでも周は、交番の制服警官が請け負う仕事の1つ1つ、それぞれに深い意味があることを知った。
なぜその書類が必要なのか。
なぜその確認をしなければいけないのか。
特に拾得物の届け出に関しては、持ち主が名乗り出てきた場合、あるいは3か月を過ぎても名乗り出ない場合の対処方法が異なる。
拾った人間にしてみれば『ゴミかもしれないけれど』と思いながらも届けたものが、実はとんでもなく価値のあるアンティークだった場合。
そうなればトラブルに発生する可能性が生まれる。
警察としては拾い主が拾得物の権利を放棄、あるいは所持するかをきちんと証明できるように記録をとっておく必要があるのだ。
周が子供の頃、道端で拾った100円玉を交番に届けた時、優しい顔をしたオジさんの警察官がにっこり笑ってくれたことを、ふと思い出した。
今は交番長の温情で、10分だけ休憩時間がもらえた。
周は通称【奥の院】と呼ばれる、1階の待機所にあるデスクに座り、次々と流れてくる無線機の遣り取りをボンヤリと聞いていた。
「……疲れただろ?」
指導警官である桜井は面白そうに問いかけてくる。ゴツい外見に似合わず、市民や観光客への対応も丁寧だ。
「……はい」
見栄を張ったり嘘をついても仕方ない。周は素直に答えた。
「ははっ、聞いてた通りだ」
「誰に、何をです……?」
「そりゃお前、警察なんて……プライベートなんて筒抜けだと思っておいた方がいいぞ? 警察学校にいた時に何があって、どういう行動をとったかまで現場に流れてくるんだから。それに俺、北条警視と同じ大学の出身でサークルの後輩だからさ。いろいろ聞いてる」
そう言えば。この組織の人間関係はとにかく濃いと聞いたことがある。
外部の人間とあまり接触を持たない警察官達は、飲み会などのイベントが多く、とにかく内部の人間の事を話題にするらしい。
その時。
「こんばんはぁ~」
と、聞き覚えのある呑気な声が。
周はそれが和泉の声だとすぐにわかった。
あの変人はまさか、自分がちゃんと仕事しているかどうかを確認しに、いや冷やかしに来たのだろうか? 冗談じゃない!!
どうやら現在、外で立番しているチャラ男、西浦が応対しているようだ。
今がチャンスと思い、周はデスクの下に隠れた。
と、思ったら!!
「藤江周? ああ、いますよ」
思わず飛び上がり、机の引き出しで頭を打ってしまった。
痛みに涙が滲んだ。
「藤江~、お客さん」
呼ぶなバカ、と胸の内で先輩に向かって罵声を浴びせる。しかし。
「周君、どこ?」
和泉は同業者のよしみ(?)で、ドンドンと奥に入ってくる。
「見つけた!! マイハ……痛―っ?!」
周は和泉の足を思い切り踏んでおいてから手をつかみ、カウンター外へと引きずり出した。
「ご用件は?」
「そんな他人行儀にしなくたって……」
「ご・よ・う・け・ん・は?!」
卒業式前の休日に会って以来だから、まだほんの1週間ほどしか経過していないのだが、随分懐かしいような気がする。
「落し物を拾ったから届けに来たんだよ、おまわりさん」
落し物?
しかしそれは『物』ではなかった。幼く小さいとはいえ、りっぱな『人』だ。
「工業高校の近くで拾ったんだよ。名前はノガミエイタ」
3歳ぐらいだろうか。この寒いのに上着を着ていないだけでなく、半ズボンである。
「どこの子かわからないかな~って思って、来てみたんだよ」
偉いでしょ? と言わんばかりの笑顔。返事をするのもアホらしい。
さて。迷子を保護した場合、どうするべきか。
ちょうどその時、中にいるのは桜井と小橋。指導員と上長である。周がどう動くかを見守ろうという心つもりのようだ。
必死で頭を働かせる。
まずは膝を床について子供の視線に合わせる。それから両手でその小さな手を包むと、驚くほど冷たかった。
「寒かったね。ママに迎えに来てもらうように、連絡するからね。ところでエイタくん、ママの名前はなんて言うの?」
しかしどういう理由か、幼子は答えてくれない。
周は焦りを覚えた。
「どこに住んでいるの?」
「だんち」
団地というのはもしや近くにあるあの巨大な公営住宅だろうか。あの公団は長く住んでいる人達が多いので、もしかすると『巡回連絡』に情報があるかもしれない。
と、思った時。
「エイタ!!」
女性が交番に飛び込んできた。
派手な化粧と服装で、年齢は20代後半ぐらいだろうか。
「ママ!!」
男の子は走って母親に飛びついていく。
「勝手に出かけないでって、いつもあれだけ言ってるでしょ?! どうしてママの言うことが聞けないの!!」
ぱしーんっ!!
止める間もなく、男の子は母親に頬を叩かれた。
「帰るわよ、ほら!!」
子供の手をとって踵を返しかける彼女に、
「待ってください」
そう声をかけたのは桜井である。
「こちらとしては迷子として御子息を保護したので、必要な手続きがあるのですがね」
すると母親は目を吊り上げて振り返る。
「忙しいんですけど?!」
「こちらも仕事でしてね。そちらの男性が、迷子だった御子息を交番に連れて来てくれたんですよ」
「ああ、それはどうも」
少しも礼を述べている感じではない。
和泉はまるで気にした様子も見せないが。
「書類を作成しますので、おかけください」
「忙しいって言ってるでしょ?!」
「ご協力いただかないと困ります。今回はたまたま、お子さんが無事だったから良かったですが、万が一事故や危険な目に遭った時、ここまで連れて来てくれた男性に責任を負わせるような真似をされても困りますのでね。あるいはこちらの方に、子供を連れ回したなんていう不名誉を着せる訳にもいきません。場合によっては保護監督責任遺棄として、あなたの方に罪状がかかるケースもあるんですよ」
女性は青ざめ、パイプ椅子に腰かけた。
すると子供は母親の手を離し、なぜか周の方に駆け寄ってくる。
ギュっ、と制服ズボンの布をつかんで縋りついてくる。その表情からは離れるもんかという強い意志が感じられた。
周はその小さな身体を抱き上げた。
「ココア飲む?」
うん、との返事。
「ちょっと待ってて」
周は子供を床に下ろそうとしたのだが、嫌がって暴れられてしまう。参った。飲み物を用意する場所は一般市民が足を踏み入れて良いところではない。一緒に連れては行けない。
「ほら、坊主」
いつの間にか西浦が、湯気の立つココアの入ったマグカップを子供へと差し出していた。チャラ男のクセに、意外とできる。
「……ありがとう」
「お、ちゃんと礼が言えるんだな。偉いぞ」
エイタと呼ばれた子供をパイプ椅子に座らせると大人しくなった。その後はマグカップを両手で抱えてじっとしている。
そのすぐ後に必要事項の書類作成が終わったようだ。
「エイタ、帰るわよ!!」
しかし子供は嫌々と首を横に振る。
「エイタ君」
周は男の子に微笑みかけた。
「いつでもここに遊びに来ていいから。ね? でも、一人じゃダメだよ。ママと一緒の時にね?」
その小さな身体を抱いたまま周がカウンターの外に出て、顔を上げた時。
「……え?」
子供の母親がひどく驚いた顔でこちらを凝視してきた。
「……あの……?」
すいません、と彼女は顔を背ける。それから子供をひったくるようにして受け取る。
バイバイ、と周が手を振ると男の子は何度も振り返り、姿が見えなくなるまで手を振っていた。
エビ太じゃないよ~(*^^)v




