告白
(アリス視点)
「……好きなのです!
大輔くん。
これからもわたしと、ずっと一緒にいて下さい!」
心臓がドキドキと高鳴る。
膝もガクガクしている。
「……ミャア?」
震えるわたしの足もとで、白猫のマリアが鳴いた。
可愛らしく小首を傾げながら見上げてくる。
なにをしてるの、とでも言いたそうな表情。
「…………ぷはぁっ」
たまらず息を吐き出した。
どうやら呼吸するのを忘れてしまっていたらしい。
「うー。
緊張するのです」
わたしは自室でひとり、鏡に向かい、告白の練習をしていた。
「こんな調子ではいけません……」
練習でこんなに震えるのだから、本番を思うと意識が遠くなってしまう。
「はぁぁ……」
大きく息を吐いてから、わたしはベッドにへたり込んだ。
するとちょうどそのタイミングで、耳元にあったスマートフォンが着信のメロディを鳴らした。
「――はぅっ⁉︎」
わたしに電話してくる相手なんて、ひとりしかいない。
跳ね起きてからスマートフォンを手にとり、通話をタッチする。
「ひゃ、ひゃい!」
『よ、アリス』
やっぱり相手は大輔くんだった。
さっきまでの自分を思い返したわたしは、急速に顔が真っ赤に染まっていくのを自覚する。
『いま電話いいか?』
「い、いまは少し忙しいのです……!」
『そ、そうなのか?
いや、このところウチにもこねぇし、なんかあったのかと思ってな』
「な、なんにもありません!
それでは!」
思わず通話を終わらせてしまった。
スマートフォンが、ツーツーとむなしく鳴っている。
「うぁぁ。
ま、またやっちゃいました……」
このところのわたしは、いつもこんな感じだった。
「ああああ……。
自己嫌悪なのです……」
わたしはまたベッドに倒れ、うつ伏せになって、ぼふっと枕に顔を埋めた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(大輔視点)
梅雨明けの空は、抜けるような晴天だった。
頭上から降り注ぐまばゆい日差しが、心地の良い温もりを与えてくれる。
わずかに冷んやりとした、清々しい朝の空気を胸に吸い込みながら、俺は登校する生徒たちに紛れて通学路を歩いていた。
「……ねぇ、あの男子」
「うん。
2年の北川くんよね……」
「……停学、とけたんだぁ……」
隣を追い抜いていった女子生徒たちから、俺を噂する声が漏れ聞こえてくる。
見覚えのないその女子たちが、こちらを振り返った。
隣り合った友人同士で囁きあいながら、制服姿の俺をちらちらと盗み見ている。
だがその視線には、これまでのような嫌悪は感じず、むしろ好奇のようなものを感じる。
そんなことを考えていると――
「……き、北川くん。
おはよう!」
その見知らぬ女子から、いきなり声を掛けられた。
「お、おう。
おはよう」
俺は面食らいながらも、咄嗟に挨拶を返す。
「きゃー⁉︎
みた、みた?
私、あの北川くんに話しかけちゃった!」
「きゃあ、きゃあ!
ほら『……おう、おはよう』だって!」
「私も、私もぉ!
おはよう、北川くん!」
「あ、ああ。
おはよう。
……つか、なんだぁ?」
俺の疑問には応えず、女子たちは姦しく騒いでいる。
かと思うと、笑いながら手を振って、足早に歩み去っていった。
「…………。
……はぁ?
……いまのは一体、なんだったんだ?」
俺は思いもしない出来事に、その場に足を止めて目をぱちくりとさせた。
◇
通学路の少し前方。
三叉路のあたりに見慣れた人影を見つけた。
近づくとその人物が、軽く手を振り、そしてから中指で眼鏡を押し上げる。
「よう。
きたか、大輔」
「……時宗」
「どうだ?
久しぶりの通学は。
たまには一緒に登校しないか」
「そりゃあ構わねえが……」
というか時宗のやつ、もしかして俺を待っていたんだろうか。
なるほど。
きっと今日、俺の停学が解けるという情報を、どこかからキャッチしたのだろう。
それでわざわざこうして、迎えに待っていてくれるとは、なかなかに友達甲斐のあるヤツである。
「どうした。
行くぞ、大輔」
「待てよ、時宗。
……ん?
なんだお前、怪我してんのか?」
時宗の顔には、殴られてついたような痛々しい痣があった。
「まぁな。
だがお前の気にすることではない」
「そっか。
けど、なんかあったら俺に言えよ」
並んで歩き始める。
するとしばらくしてから、時宗のやつがふっと笑った。
「……見ていたぞ。
さっきの女子たちとの会話。
お前の顔、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔だったな。
くくく……」
「う、うっせぇよ!
……しかし、まぁ訳がわかんねぇよなぁ。
なんだったんだんだろう」
こう言っちゃなんだが、俺は学校一の嫌われ者だ。
そんな俺に話し掛けてくるのは時宗かみなみ先輩くらいなもので、女子から声を掛けられるなんて、入学以来初めての出来事である。
「別に不思議なことではない。
誤解がとけて、いままでお前に向けられていた悪感情が反転しただけの話だ。
ほら、よく言うだろう。
不良がたまに良いことをすると、過剰に褒めそやされる。
それと似たようななものだろうな」
「はぁ?
訳がわかんねぇ。
だいいち、誤解がとけたってなんの話だよ」
時宗が不思議そうな顔を向けてきた。
「……お前。
西澄から、なにも聞いていないのか?」
「アリス?
アリスなら、なんかここ最近パッタリと家に来なくなってよ。
こっちから出向こうとしても、忙しいとかで断られるし……」
だから彼女とはこの2週間ほど、会っていない。
まぁスマホでメッセージのやりとりはしていて、元気にしていることは分かっているのだが、顔を見れないのではちょっと寂しい。
「……ふむ。
なら、誰から停学明けを知らされたんだ?」
「誰からって、そりゃあ学校からだが。
何日か前にいきなり、週明けの月曜日から復学するようにって連絡が来たんだ」
「そうだったか」
「それより時宗。
さっきのアリスから話を聞いていないのかって、どういう意味だ?
なんかあったの――」
尋ねようとすると、大きな声に言葉を遮られた。
「あー!
大輔くんっ。
大輔くんじゃないのぉ!」
振り返るとみなみ先輩が、飛び跳ねながら手を振っていた。
満面の笑顔で駆け寄ってくる。
「今日から復学なんだ!
よかったぁ。
ほんとによかったわねぇ……!」
俺の手をとって、ぶんぶんと大袈裟に振り回す。
かと思うといきなり抱きついてきた。
「ちょ⁉︎
せ、先輩⁉︎」
「もうっ。
これからは、ひとりで無茶したらだめよ!
ぐすっ……」
みなみ先輩はちょっと鼻声になっている。
肩に手を置いてそっと身体を引き離すと、先輩の目は少し赤くなっていた。
「……悪りぃ先輩。
心配掛けちまったみてぇだな」
「ほんとよ、もうっ。
でもこうして戻ってこられたんだしね。
許してあげる!」
「ああ。
ありがとう」
みなみ先輩は指で目尻を拭ってから、また笑顔を向けてくれた。
◇
俺と時宗とみなみ先輩。
3人で雑談や軽口を交わし合いながら、通学路を歩いてゆく。
やがて遠目に学校の正門が見えてきた。
だがその手前に、厳しい顔をした教師が仁王立ちしている。
生徒指導の吉澤だ。
この教師は俺のことを目の敵にしていた。
俺は少し警戒しながら目の前を通り過ぎようとする。
すると――
「……北川大輔!
すまなかった。
この通りだ!」
吉澤がいきなり大声で謝罪をしてきた。
ばっと頭を下げ、腰を直角に曲げて微動だにしない。
「俺はお前たちの言い分を信じず、頭から否定した。
本当にすまなかった!」
さっきの女子たちに引き続き、またしても俺は面食らってしまう。
通学路にいる周囲の生徒たちもびっくりしている。
吉澤は一体どうしてしまったのか。
というかなんかさっきから変だ。
もしかすると、俺が停学でいない間に、学校でなにかあったんじゃないか。
取り敢えず、頭を下げ続ける吉澤に声を掛ける。
「……なんだ?
なにを謝られてるのかもよくわからねぇし、頭を上げたらどうっすか」
「お前が怒るのも無理はない。
許してくれとも言わない。
だが、……すまなかった!」
「はぁ?
だから怒るとか許すとか、なんの話だよ」
田中とのことだろうか。
いやそれにしたって実際に俺はあいつをこの手でぶちのめしたわけだし、そもそも吉澤から謝罪を受ける筋合いがない。
「……ふっ。
理不尽に罰せられた自覚すらないか。
大輔。
お前ならそう言うだろうなと思っていた」
「まぁそうよねぇ。
大輔くんだもんねぇ。
でも、吉澤先生。
あたしはまだ今回の件、完全に許したわけじゃないわよ!」
みなみ先輩が、きびしい目つきで吉澤を睨みつける。
「…………わかっている。
すまなかった」
先生はさっきから、ぴくりとも姿勢を崩そうとしない。
正直俺は困ってしまった。
「……よくわかんねぇよ。
行こうぜ」
先立って歩き出すと、時宗や先輩もついてきた。
俺たちが立ち去るのを、吉澤はずっと頭を下げながら見送っていた。
◇
正門を抜けると、見慣れた人物を見つけた。
朝の陽光を受けてキラキラと輝く金髪。
西澄アリスだ。
アリスは正門すぐにある前庭の真ん中に立ち、校舎に背を向けて、門から入ってくる俺たちのほうを向いている。
どうやら俺を待っていたらしい。
いつも通りの無表情で、俺を迎えてくれる。
久しぶりに眺めるアリスの姿に、思わず胸が高鳴った。
「……大輔くん。
復学、おめでとうございます」
「ああ。
ありがとう。
お前にも、随分と心配を掛けちまったな。
許してくれ」
「……本当なのです。
助けてもらっておいてこう言うのもなんですが、もうこんなに心配させるのは、これっきりにするのですよ」
「わかってる」
「ふふ。
なら、許してあげます」
無表情だったアリスが、柔らかく微笑んだ。
それを目撃した登校中の生徒たちから、驚きの声があがる。
「……み、見たか。
いま、西澄が笑った……」
「ほわぁ……。
なんだ、いまの?
こんな……天使……。
天使がいた」
みんなが足を止めて、アリスに魅入っている。
そう言えばこいつらって、無表情なアリスしか知らないんだよな。
俺にはもう何度も見せてくれた彼女の笑顔ではあるが、学校のやつらは初めて目にしたのだ。
それは驚きもするか。
なにせ、アリスの笑顔の破壊力は尋常ではない。
口を半開きにして、ぽかんとしている生徒すら何人もいるが、それも無理からぬことである。
そんなことを考えていると、アリスがもじもじし始めた。
「あ、あの……!
だだ、大輔くん。
き、聞いて欲しいことが、あるのです……!」
アリスは胸のまえで指を突き合わせ、顔を耳まで真っ赤に染めながら、忙しなく目を彷徨わせている。
そのまるで小動物のような堪らない可愛らしさに、この場にいる男子も女子も、全員が虜になった。
それは俺だって例外ではない。
「そ、その……!
大輔くんが、わたしのこと、ただ放って置けなくて構ってくれてるのは知っています。
で、でも、その……。
わ、わわ、わたしは違ってて。
わたしが大輔くんといたいのは、そうじゃなくて――」
アリスは一度言葉を切ってから、すぅはぁと深呼吸をした。
様子が激しくおかしい。
「だ、大輔くんに伝えたい想いがあって――」
アリスが潤んだ瞳で見つめてくる。
俺はピンときた。
もしかすると俺はいま、彼女から告白されようとしてるのではないだろうか。
「そそそ、それでなのですが。
はぁ、はぁ……」
アリスが指をさらに激しく突き合わせながら、荒い息をしている。
これはやはり告白……。
けど普通、こんな生徒の多い場所で告白なんてしようと考えるものだろうか。
そもそも彼女は俺に恋愛感情を持っているのだろうか。
……いや、アリスはいま盛大にテンパっている。
普通の状態ではない。
きっと周囲のことなんて目に入っていないに違いない。
それに仮にだ。
仮にアリスが俺に恋愛感情を持っていなくとも、俺のほうは持っている。
その気持ちを伝えたい。
「アリス」
俺は待ったを掛けた。
「ひゃ、ひゃい?」
俺が自意識過剰なだけで、これは告白なんかではないのかも知れない。
だがそれならそれで構いやしない。
俺は大きく息を吸ってから、言葉を紡いだ。
「好きだ」
騒ついていた周囲の生徒たちが、鎮まりかえった。
緊張の面持ちでアリスを眺める。
アリスはピタッと動きを止めていた。
もう一度。
彼女を見つめながら、はっきりとした口調で話す。
「好きだ、アリス。
この先もずっと、俺と一緒にいてくれ」
思いの丈を込めて、俺は告白の言葉を言い切った。
◇
静寂が訪れる。
生徒たちが、固唾を飲んで成り行きを見守っている。
「わ、わたしは……」
固まっていたアリスが、ようやく動きだした。
突き合わせていた指を解き、両手の手のひらを胸に添えて、一度うつむく。
「……片想いかと思っていました」
小さく呟いた彼女は、顔をあげ、これまで見せたことがないほどに幸せそうな笑顔を浮かべた。
「……はい。
大輔くん。
わたしも、あなたのことが好きです」
生徒たちから歓声があがる。
だが俺たちは、お互いのことしか目に入らない。
「大輔くん。
愛しています」
こうして俺とアリスは、恋人になった。
お読みいただきありがとうございました。
これにて本編は完結になります。
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