二度目の暴力沙汰
2年A組を飛び出した俺は、アリスを探して放課後の校内を駆けずり回る。
途中、生活指導の男性教師とすれ違った。
「あ、おい北川っ!
廊下を走るんじゃない!」
しかし俺は受けた注意も無視して、息を切らせながら走り回る。
屋上。
教室。
校庭。
校内のめぼしい場所は探し終えたが、アリスは見つけられない。
「はぁっ、はぁっ……!
くそっ。
どこに居やがるんだよ」
気持ちばかりが逸る。
「つぎはどこを探せば……。
そうだ。
校舎裏……!」
ふたたび駆け出した。
◇
――いた!
至るところを探し回った俺は、ついに校舎裏で揉み合いをしている男女の姿を見つけた。
遠目にもはっきりと目立つ金色の髪。
アリスだ。
彼女は男に組み敷かれながら、必死になって抵抗していた。
「……っざ……けんな!」
瞬間的に頭に血がのぼる。
渾身の力を脚にこめ、大地を蹴ってアリスのもとにひた走る。
のし掛かっていた男が、俺の接近に気付いて顔をあげ、ぎょっとした。
やはり田中だ。
アリスは懸命に身体を丸めているせいか、まだ俺には気付いていない。
駆け寄って、田中の胸倉を掴みあげた。
首が締まるのもお構いなしに、無理やり立ち上がらせる。
「……ぁ……」
ここに至ってアリスがようやく俺に気づいた。
顔をあげ、俺を見つめてくる。
俺は彼女の無事を確認してから、抑揚を抑えた口調で田中に語りかけた。
「……おい。
なにやってんだ。
てめぇ」
「き、北川……!
なんで、お前がここに……」
「質問に答えろ。
なにやってんだって、聞いてんだよ……」
怒りが視界を真っ赤に染めていく。
俺はさらにきつく田中の襟首を締め付けた。
「ぐぇぇ……!
い、息ができない。
ぐるじい……。
は、離ぜ……」
ジタバタとあがき始めた田中は、この後に及んでも尊大な態度を崩そうとしない。
拳をぎゅっと握りしめる。
そして俺は怒りの赴くままに、固めた拳でヤツの鼻っ面を殴りつけた。
「ぎゃ!」
ごすっと重たい音がなる。
田中が鼻頭を押さえてたたらを踏んだ。
「ま、待て……!
落ちこぼれのお前が、この俺にこんな真似をして――」
「……聞こえねえよ」
目の前の男がなにかほざいている。
だが俺はその言葉を無視して、ヤツの髪をつかんだ。
「おらぁ!」
「や、やめろ――」
そのまま引きずりまわす。
無理やり頭を下げさせて、今度は右膝を力いっぱい顔面に叩き込んでやった。
「あぎゃ!」
ぐしゃりと歪な音がなり、鼻の骨が砕ける感触が膝に伝わってきた。
髪を離す。
すると田中は腰が砕けたように、その場に崩れ落ちた。
両膝を地につけて、今にも前のめりに倒れこみそうだ。
だが俺はそれを許さない。
「……誰が倒れていいって言ったよ?」
アリスに手を出したのだ。
この程度で許すはずがない。
俺は大地を踏みぬくように、力強く軸足を踏み出した。
顔面から倒れようとしている田中のあごを、サッカーボールの要領で思い切り蹴り上げる。
「ぎゃはぁっ!」
田中の頭が跳ね上がった。
蹴り飛ばされた田中は大の字になって倒れ、無様な姿を地に晒した。
◇
田中が仰向けに倒れている。
砕けた鼻から、ダラダラと止めどなく血を流していている。
「ぶひゅぅ……。
たひゅ、たひゅけてぇ。
この俺が、こんな……」
もう田中は完全に抵抗の意思を失っていた。
それでも怒りの治らない俺は、さらに追撃を仕掛けようと、田中に向かって一歩踏み出した。
「……なぁおい。
てめぇはよ。
アリスが助けてって言ったら、襲うのをやめたのか?
言ってみろ、田中ぁ!」
また顔を蹴りつけてやろうと助走をつける。
しかし――
「……だ、ダメなのです。
大輔くん……。
それ以上は、いけません……!」
背中から声が掛けられた。
理性を失っていた俺は、アリスのその言葉を受けて我に返った。
そうだ。
こんなヤツのことよりも、いまはアリスの無事を確認するのが先決だ。
「大丈夫か、アリス!」
地面に身を横たえたままの彼女に向き直る。
服は汚れ、いつもは綺麗に整えられた金髪も、今ばかりは乱れ切っている。
「アリス!」
そばに屈みこんで、抱き起こした。
「……ッぅ⁉︎」
アリスが眉をしかめる。
「す、すまねえ!
どっか痛むのか⁉︎」
「足が……。
突き飛ばされたときに、挫いてしまったみたいなのです」
見ればアリスの足首はパンパンに腫れていた。
発熱もしている。
これは相当な痛みがあるに違いない。
……酷え真似しやがる。
「遅くなってすまねぇ。
……ごめんな。
お前をひとりにさせちまった」
「いいえ。
大輔くんはこうしてちゃんと、助けにきてくれました。
それだけで十分なのです」
「アリス……」
抱え起こした細い身体を、無言で抱きしめる。
アリスの身体はまだ震えていた。
俺は彼女の背中をぽんぽんと優しく叩いて、安心させようとする。
「もう大丈夫だ」
「大輔くん……」
アリスが頷き返してくる。
腕のなかにすっぽりと収まったアリスが、俺の腕に顔を押し当ててきた。
そのまますぅはぁと息をしている。
「ど、どうした?
アリス?」
「……大輔くんの匂いがします」
「う、うぇ⁉︎
ちょ、ちょっと待て!
ついさっきまで走り回ってたから、汗臭いだろ!」
さすがに胸板に顔をつけて直接体臭を嗅がれるのは、さしもの俺も気恥ずかしい。
「いいえ。
そんなことないのです。
こんな汗だくになるまで走り回って助けに来てくれたのですね。
大輔くんの匂い……。
安心します。
良い匂いです」
「そ、そうか?」
「はい。
それに体温もお日さまみたいに暖かくて、心臓の音もトクン、トクン、ってしています」
抱きしめた身体の震えが止まった。
「そうか。
なら気の済むまでそうしていいぞ。
まぁちょっと恥ずかしいけどよ」
「ふふふ。
……大輔……くん」
アリスの瞼が下がっていく。
極度の緊張から解放された反動だろうか。
彼女を眠気が襲い始めたようだ。
「……だい、……す……」
アリスは可憐な唇から小さな声をこぼし、そのまま眠りについた。
◇
意識を失ったアリスを寝かせて、田中に向き直る。
もう先ほどまでの我を忘れた状態ではない。
だが俺は、静かに怒っていた。
地面に這いつくばった田中を眺める。
「たひゅ……。
たひゅけ……て……」
片目を手で押さえ、砕けた鼻から大量の血を流している。
もしかするとあごも割れているかもしれない。
端的に言ってボロボロだ。
「…………はぁ。
やっちまったなぁ……」
さすがにこれはアウトだろう。
事が公になれば、二度目の暴力事件として扱われるに違いない。
となれば俺は、最悪退学処分だ。
だがまぁ、やっちまったもんは仕方がない。
ならついでに、こいつをトコトンまで追い込んでおこう。
「……おう。
田中ぁ」
「ひぃぃ!」
「こらこら。
逃げんじゃねぇよ」
這いつくばって逃げだした田中の横っ腹を蹴り上げる。
「ぎゃぼぉ!」
ここで中途半端に許せば、こいつはまたアリスを狙うだろう。
きっちり落とし前をつけなきゃならない。
「……なぁ、お前よ。
アリスに手ぇ出したんだ。
まさか、こんなもんで済むとは思ってねぇだろうな」
言葉とは裏腹に、もう俺にはこいつを無駄に痛めつける意思はなかった。
怒りに任せて殴り付けたい気持ちは、たしかにある。
だがそんなことをしても、誰も喜ばないだろう。
第一、アリスはきっと悲しむ。
だからここからは、あくまでアリスに手を出せばどうなるかを、教え込むだけだ。
憤怒を装い、田中に近寄っていく。
「くりゅなぁ!
くりゅなよぉ……!
北川のくせに……。
北川なんひゃにぃ!」
「なんだお前?
まともに喋れないのか。
ははは。
そっか。
あごもやっちまったもんなぁ……」
這いつくばる田中の背中を踏みつける。
「……さて。
今度はどこを殴ってほしい?
リクエストくらいなら聞いてやるぜ。
言ってみろよ」
「いやだぁ。
いやだぁ……!
離ひてくれぇ!」
「……ふむ。
リクエストは特になしか」
ならとりあえず、もう一発くらい脇腹を蹴り上げておこう。
「おらぁ!」
「ぎゃはぁ!」
田中がゴロゴロと地面を転がる。
俺はゆっくりとした足取りでまたヤツに近寄り、その隣に屈みこんだ。
髪を掴んで顔を起こさせる。
「……アリスに手ぇだしたらどうなるか。
わかったか?」
「わかっひゃ……。
わかっひゃから、もうやめろぉ……!」
「……本当にわかってんだろうな?
てめぇ……。
今度もしなにかあったら、そんときゃあこんなもんじゃ済まさねぇぞ?」
蒼白になった田中がコクコクと何度も頷く。
それを見届けてから、俺は田中を解放してアリスへと向き直った。
もうこのくらいにしておこう。
アリスを連れて帰ろうと、足を踏み出したそのとき――
「お前ら!
そこでなにをしている!」
声のしたほうに振り向く。
すると生活指導の男性教師が、遠くからこちらに向かってくる姿が目に入った。
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