祖父のアドバイス
時刻は夕方。
うちに遊びに来ていたアリスを、帰りしなに駅まで送っていく。
「今日も、拓海や明希が騒がしくて悪りぃな。
あいつら、お前がいるといつにも増してうるさくなりやがる。
きっと楽しくて仕方ねぇんだよ」
「……わたしもです。
大輔くんや、みなさんと話していると1日があっという間です。
こんなことは初めてです」
「……晩飯。
食っていけばいいのによ」
「ありがとうございます。
でもマリアもまだ小さいですし、やはり帰ってから食べることにします」
「そっか。
わかった」
肩を並べて、駅までの道をとことこと歩く。
「そういえば大輔くん。
マリアといえば、今朝こんなことがあったんですよ」
アリスが楽しげに語る。
なんでも朝になって目が覚めると、彼女の顔にお尻を向けた格好で、あの白猫が胸元に乗って眠っていたらしい。
「道理で寝苦しいなと思ったのです」
「ははっ。
随分と懐いたもんじゃねぇか」
「はい。
ふふふ。
あの子が居てくれるから、家に戻っても寂しくありません」
楽しげに笑う。
そうして何気ない日常のことを話しながら歩いていると、もう駅に着いてしまった。
……うちから最寄り駅までって、こんなに近かったっけ?
思わずそう首を捻ってしまうほど、アリスと歩くと時間が経つのが早い。
「じゃあ、大輔くん。
送っていただいて、ありがとうございました」
彼女がぺこりと頭を下げる。
「おう。
またすぐに遊びにこいよ。
うちのみんなも、待ってる。
もちろん、俺もだ」
「……はい」
そのままなんとなく、無言で見つめ合う。
ここ最近、俺とアリスは別れ際にこうして、つかの間の離れを惜しむようになっていた。
「…………」
「…………」
ただ押し黙って見つめ合う。
アリスが俺に向ける目は、もう以前のように死人じみてはいなかった。
◇
駅の構内から、列車の到着を告げるアナウンスが流れてきた。
「……それでは、もう行きますね」
「……おう。
気をつけて帰れよ」
「はい」
アリスが背を向けて、駅へと消えていく。
その後ろ姿が見えなくなるまで、俺はじっと彼女の姿を目で追いかける。
改札を通る前。
最後にもう一度、アリスが名残惜しそうに、こちらに振り向いた。
軽く手を振ってみせると、彼女はもう一回お辞儀をしてから、ふわりと優しく微笑んで、駅の雑踏へと消えていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
家に戻ってきた俺は、なんとなく気持ちを持て余しながら縁側に座っていた。
このところの俺は、なんだかおかしい。
いつもアリスのことを考えてしまうし、あいつが笑顔を向けてくれると、胸の奥のほうがくすぐったくなってくる。
それがなんとも言えず幸せなのだ。
こんな気持ちになるのは、生まれて初めてのことである。
俺は一体、どうしてしまったのだろう。
ひとりで悶々としながら縁側から夜空を眺めていると、じいちゃんがやってきた。
「どうした、大輔。
なぁに、黄昏てやがんでぇ」
じいちゃんは二合徳利とお猪口を手にしている。
どうやら一杯やっているようだ。
「……別に黄昏てるわけじゃねぇよ。
ちょっと考えごとをしてただけだ」
「考えごとぉ?」
「あ、そうだ。
ちょっと話を聞いてくれよ、じいちゃん。
実はだな――」
俺は胸に抱え込んだこの気持ちがなんなのか、じいちゃんに相談してみることにした。
◇
俺が話し終えると、じいちゃんは手酌で徳利からお猪口に酒を注ぎ、くいっとひと息に煽った。
「ぷはぁー!
うめぇ……!
そうかぁ。
大輔も、もうそんな歳になりやがったのかぁ。
かかか……」
「なんだ、じいちゃん。
いまの話で、なんか分かったのか?」
「おうよ。
オメェの態度といまの話を合わせて考えりゃあ、丸わかりってやつだわなぁ」
さすがは年の功である。
じいちゃんは俺のいまの状態を、的確に見抜いたようだ。
「なら勿体ぶらずに教えてくれよ。
なぁ、じいちゃん。
俺は一体、どうしちまったんだ?」
じいちゃんは愉快そうに膝をパンっと叩いてから、もう一杯酒を飲んだ。
お猪口を縁側の床にトンッと叩きつける。
「ぷはぁ!
お前も存外鈍いやつだな。
まったく、そういうところは竜二に似たのか、俺に似たのか」
竜二というのは親父の名である。
因みにじいちゃんの名前は竜之介だ。
「耳の穴ぁかっぽじってよく聞けよ、大輔。
そりゃあなぁ。
…………恋だ」
「ぶふぉ⁉︎」
たまらず吹き出す。
じいちゃんが臆面もなく、柄にもないことを言い出した。
「は、はぁ⁉︎
恋ぃ⁈」
思わず声を裏返らせてしまう。
「んなわけねぇだろ!
世迷い言を言うには、まだ早え歳だぞ。
この俺が恋だぁ?」
「バッカ野郎!
恋を軽んじてんじゃねえ。
大輔。
俺と桜子のやつが恋をして、目出度く生まれたのが竜二だ。
その竜二がまたテメェの母ちゃんと恋をして、この世に生まれ落ちたのが、お前や雫や明希や拓海じゃねぇか。
恋を軽く見てんじゃねぇぞ。
…………ひっく」
じいちゃんが熱く語り出した。
頬が赤いし、もしかすると少し酔っているのかもしれない。
「ひっく……。
桜子のやつは、本当に可憐だったんだぜ?
初めて見つけたあいつぁ、病室の窓から儚げに外を眺めていてなぁ……」
じいちゃんが思い出話を始めた。
これはじいちゃんと、死んだばあちゃんの出会いの話だ。
この祖父は、いつも酔ってはばあちゃんの思い出を語り始めるもんだから、聞くのはもう何度目になるかも分からない。
適当に聞き流しながら、俺はじいちゃんが言ったことを考えていた。
……恋か。
さっきは咄嗟に否定してしまったが、言われてみればたしかにこれは恋だ。
妙に納得できたし、悶々としていた気持ちがストンと落ち着いた。
では、いつから俺は恋に落ちたのだろうか。
茜色に染まった教室で、泣いているあいつを初めて見つけたときだろうか。
それとも、やっと探し出した白猫をじゃらしながら、柔らかく微笑んだあいつを見たときだろうか。
……よく分からない。
だがこれだけは、はっきりと理解できた。
俺はいま、西澄アリスに恋をしている――
◇
「……そのとき病室の看護婦がこう言いやがったんだ。
だから俺ぁ、てっきり桜子のやつが死んじまったもんだと勘違いして――」
まだじいちゃんはひとりで、ばあちゃんとの思い出話に花を咲かせていた。
「じいちゃん。
話の途中で悪りぃな。
ちょっと相談に乗ってくれ」
「お、おぉ……。
つい熱が入っちまった。
で、なにが聞きてぇんだ大輔?」
こほんと咳払いをする。
「俺がアリスに恋してるっつーのは自覚した。
……なら俺は、これからどうすりゃいいんだ?」
じいちゃんがニカっと笑う。
「なんだ大輔。
テメェ、そんなことも知らねぇのか。
まず、相手の事情を察することは忘れんな。
まぁお前なら、この点は問題ねぇ。
あとは……。
ガンガン押していけ!
好きって気持ちを、恥ずかしがらずに伝えりゃいいんだ」
「なるほど……。
そんなことでいいのか。
なら大丈夫だ」
「おう。
その意気で嬢ちゃんのハァトを射止めろよ!」
徳利を持ってじいちゃんが立ち上がる。
そして俺の肩をポンポンと数回叩いてから、家の奥に去っていった。
★をもらえると嬉しいです。