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ああ

天才勇者は世界を救わない

作者: 勇者

俺の未来は明るかった。



 勉強をすればなんでもできた。運動をすればなんでもできた。性格も良かった・・・はずだ。少なくととも今よりは確実に良かったかな。そんな完璧な俺でも数の力には逆らえない。


 妬み。それが俺の前に立ちはだかった。出る杭は打たれるとはうまく言ったものだと思う。街で100年に一度差し出される勇者。まあ言ってしまえば生贄みたいなものだ。それに推薦された。みんな表面上では褒め称える。俺にピッタリだ!なんて言ったりする。それが光栄なぴったりではなく、いなくなってくれて助かる方のぴったりであることは15の俺でもよくわかった。みんなで出た杭をタコ殴りにしたわけだ。



 最悪だった。



 急に出発の日時を伝える憲兵が俺の家にやってくる。親はすんなりと了承してしまった。そう、愛されていないのだ。生まれてこのかた誰かに抱きしめられた記憶というものがない。まあそれも仕方のないことかもしれない。教えられてもない字が勝手に読めたり、生まれて一ヶ月で立ったらそれはそれで気色の悪さは覚えるかもしれない。


 そんなこんなで出発の日である。この街の王に謁見し、持たされたのは鉄の棒切れと王の一ヶ月分の給料にも満たないであろうはした金。この材料でどうやったら魔王を倒せるという思考に至ったのか、その頭を開いて脳みそがしっかり入っているか確認したくなる。


 でも仕方ない。こうするしかない。






 門を出る。わが町ながら立派な街であったことを痛感した。街とそれ以外の境目がよくわかる。この街を出るのは本当に久しぶりだ。幼い頃に旅行で隣町に行ったきり。まずはその隣町を目指す。

 道中これからについて考える。もちろん大真面目に魔王を倒しにいく気なんてさらさらない。周りもそんなことは期待しちゃいない。邪魔者が消えただけでみんな清々しているのだ。となるとこれからの生活は自分で組み立てて行かなくてはならないのだが・・・




 隣町に着く。途中スライムが飛び出してきたが魔法を使うまでもなかった。隣町でまずは宿を探す。宿を探しているうちに気づくことが一つあった。それは俺が元いた場所とは違い、意外にも勇者の評価が高いことだ。勇者の印を腰にぶら下げているだけで宿代から、食い物代まで色々なものを値引きしてもらった。これは案外良いかもしれない。ここの住人は絶対的正義というフレーズに酔いしれているようだ。試しに他人の家のタンスを漁って見たが何も言われなかった。それはどうなんだ・・・



 兎にも角にもこれからの生活に苦労はなさそうだった。この街での俺の待遇は最高だと言っていいだろう。問題は金だが・・・依頼をこなせばなんとかやっていけるだろう。


 街で薬草を買っている時、女が声をかけてきた。なんでも一緒に旅をして魔王を倒しに行きたいらしい。笑顔で丁寧に断った。危険だから、長い旅になるから、色々並べたが本心は邪魔だからやめてほしいと思った。それにも関わらず幾度もお願いしてくるので、そしてしまいにはなんでもするとまで言いだしたので、性処理にでも使うことにした。まあ、邪魔になったら事故にでも見せかけて消せばいいだろう。



 旅に必要な道具をあらかた買った。防具から、劔、縄などこれから必要になりそうなものを重点的に絞って買った。金が底を着く。明日には依頼をこなさなくてはならないだろう。


 宿に帰った。女も一緒の部屋に来ると聞かないのであげた。意外にも小綺麗な肌をしていたので抱いてその日は寝た。失望と期待が入り混じったようなよく分からない顔をしていたが俺の知ったことではない。


 次の日になる。依頼は野生のモンスターの駆除だった。数がかなりいたのでかなり時間がかかったが全て片付けた。一体だけサイズと魔力がおかしい奴がいたが不意打ちと定点魔法でなんとかなった。俺優秀すぎ。女は終始騒いでいた。ある程度は戦えるようでここでは切り捨てなくて済んだ。



 金はかなり入った。なんでも一体上級魔族が紛れていたらしくそれがアイツだったらしい。


 入った金で遊ぶ。裏カジノやら風俗やら裏闘技場やら、なかなか面白いものがたくさんあった。中でもエルフの見世物は面白かった。俺に死んだ眼に希望を含ませた眼差しをかけてきたが、にっこりと笑ってその場を後にした。戦争に負けたら俺だって逆の立場になりうる。そんなもんは運次第であろう。だがこれからの旅で雑用が必要なことに気づき奴隷を買うのもまた一興だなという考えも浮かんだ。金はたんまり入ったし、なるべく汚れてなさそうなエルフを一匹買った。卑下た笑みをこちらに向けて来る奴隷商キモすぎ。買われた奴隷は何度も何度も俺に礼を言ったが、これからこき使われまくるのわかってんのかな。


 よくない噂が立ち始めた。なんでも勇者様は色好みで奴隷を調教するのが趣味らしい。街にでるとみんなこちらを盗み見ては何やら話をしだす。自分が元いた街の雰囲気を思い出す。まあ世界は広い。また隣の街に向かうことを決意する。とりあえずは奴隷の服装を目立たないものに変えて、ある程度の食を確保してから、隣の街を目指した。




 隣の街は、街とは聞いていたがどちらかというと村というのが正しいような貧相な街だった。だが歓迎してくれたようで、宿なんかは無料で三人分手配してくれた。超VIP待遇。


 この街の長に話があるとでかい家の客間に通された。なんでもこの村の近くに龍が住み着いているようで、その関連で生贄とかまあ色々苦労してるらしい。正直どうでもいい。悲壮に顔を歪め、ことの顛末を真剣に聞き取ろうと前かがみになる自分が鏡に写った時は思わず吹き出しそうになった。まあうまく話をつけて長期間のスパンで龍を退治することになった。民衆なんか今魔法の準備で忙しいって言えば何もいってきやしないだろう。

 宿について旅の疲れを癒す。今度は勇者としてめだたない行動を心がけ、できるだけダラダラするのが目標だ。仕事なんざしたくない。女が仕事がどうだ依頼がどうだの言ってたが組み伏せたら黙った。行為の最中エルフが入ってきて微妙な雰囲気が流れたがまあ良しとしよう。


 だらだらと時を過ごす。金がなくなったら依頼をこなし、それがなくなるまで怠惰な時間を満喫する。龍の話を振られれば魔法の設置の準備やら何やらの難しい用語を並べて説明すると皆おずおずと頭を垂れて帰っていく。

 そんな中で起こるある変化。俺らと同種の旅人が流れつく。何やら目がキラキラしてるイケメン君で村中の女が嬉々としてみていた。同じように龍の話をされたらしく明日にでも倒しにいくと豪語したようだ。自分の実力も測れない子だったとは・・友達にはなれそうにない。が、イケメン君は俺たちに協力してくれないかと提案してきた。かなりの数の民衆が見ている街の酒場の中で。意図的に断れない空間を作っているのか、はたまた天然バカなのか。いづれにしろ一本取られた。勇者を演じる以上、皆の前で断るわけにはいかない。民衆の熱気は最高潮に達していた。なんでも俺とそのイケメン君が合わさればホントに龍を倒せるつもりでいるらしい。俺の理想はイケメン君は死に、俺は生き残りまたダラダラと龍退治の策略を練ることだ。龍に死んでもらっては困る。イケメン君、君は死んでね。



 

 何はともあれ、翌朝名目上の龍退治に向かう。お祓いだのなんだのと儀式的なものを山ほどやったおかげでもう昼だ。お腹減った。


 森を抜け、洞窟の入り口に到着する。女とエルフは邪魔なので一応置いてきた。入り口から奥に向かって歩き出す。雰囲気の違いは肌で感じることができた。これまで相手にしてきたどの相手よりも強いことを確信する。


 広い場所にでた。天井がどこまであるのか暗くてよく見えないが・・・突然に洞窟内の温度が跳ね上がる。龍が起きたのだろう。本能的に悟る。瞬間、上に跳躍する。自分が元立っていた場所を見るとマグマのように溶解していた。スピードも危険性も桁違いのようだ。隣で同じく飛んだイケメン君は・・・笑っていた。心底楽しそうに。

 龍の尻尾が遠心力を利用しながらこちらに迫ってくる。凡人なら目で追うことすら不可能だろう。寸前で体をひねり躱す。溶けていない足場を探し、降り立つ。劔を抜き様子を瞬時に伺う。推定で15メートル程か。生き延びることは出来ても殺すのはまず無理だろう。

 さてイケメン君には死んでもらわなくては。イケメン君の姿を探すが、地上にはどこにも見当たらない。飛んでいた。跳躍じゃない。飛んでいるのだ。赤黒い翼を肩から生やして。彼のキラキラとした印象には驚くほど不釣り合いである。



 絶句した。龍の尻尾で薙ぐのを身体で受け止めていた。次の瞬間には消える。俺の眼にはそうとしか写らなかった。だが龍が後ろに吹っ飛んだことから察するに、高速で動いているのだろう。音速を超えたことを示す独特の爆音がその凄まじさを語る。笑い声が洞窟全体にこだました。龍が咆哮と共に起き上がる。起き上がり、何やらバキバキと音を立てながら腕を増やした。人間の腕ようなおおよそ龍には合わない腕だ。そして翼の数が増えた。

 生えてくるたびに多量の血やら体液やらが洞窟一面に散乱する。俺の顔にもかかったが、ヌルヌルして生臭くて、吐き気を誘う。おそらく龍の第二形態なのであろう。もう原型はとどめていない。この世のものではない。そこからはあまり覚えていない、俺は必死で逃げた。途中足が豪炎で消し炭になったり腕が吹き飛んだりしたが、その度にイケメンが数秒で治してくれた。一つは巨大な影、もう一つは小さな影、それが人智を超えた疾さで飛び回っている中、俺の意識は空中に霧散した。






 起きたのはそれから三日程立ってからだという。龍は俺が倒したことになっていた。なんでもイケメン君がそう話したらしい。村まで運んでくれたのも彼。だがもう彼は次の街に旅立ったらしい。村で俺は英雄と持て囃された。その後、ありとあらゆる御馳走に加え、村で一番の美人の娘、美酒に、金。全てが振る舞われた。ひと段落つき、豪華な新たな宿に着く。受付を済ませ、やっと一人の時間ができた。


 俺は机を蹴り上げた。机が天井に突き刺さった。俺は守られたことが気に食わなかった。あの男に。助けられたことが心底気に入らなかった。生まれてこのかた自分の身は自分で守ってきた。それなのに。あいつに見下されている。あいつに治された。あいつはめんどくさそうに俺を治した。俺が民衆に話すときのように哀れみに満ちた眼差しをこの俺に向けた。それはどんな凶器よりも俺を恐怖させ、憤らせた。俺は泣きべそかきながらあの龍から逃げ、みっともなく背を向け走り回っていたというのに。いっそ死んだ方がマシだ。こんな姿を人に晒して今後生きていける気がしない。それから小一時間は自分の腕が破裂しそうになるまで自分で握り、実際出血し、その度に回復魔法を自分でかけるの繰り返しをしていた。俺には目標ができたかもしれない。あの男を殺す。




 翌日になり、幾分か憤怒は軽減された。村では俺の復活祭をしようなんて言いだしたが、やんわりと断りを入れた。一刻も早くこの村を旅立たなければ精神が崩壊する。半狂乱で旅の支度をし、村をでた。村人達は勇者さまは忙しいんだとか都合のいい解釈をしてくれて助かった。女とエルフは察したのか何も言わなかった。次の目標となる街を女が決めてくれた。いくらか遠いが、大きな街なのでまたゆっくりできるのでは、という女なりの配慮だ。


 でてくる獲物を斬りふせる度少しずつ落ち着きを取り戻した。自分は圧倒的であることを、相手を倒す度に自覚していく。元の自分が少しづつ、また形作られていく。

 

 今夜は初めての野宿をすることになりそうだ。まあ明日には着く距離である。結界を張り、テントもエルフに貼らせる。女とエルフはいつのまにか仲良くなったようで何やら思い出話に花を咲かせている。普段なら耳もかさないところだが今回は野宿ですることもない。適当に相槌を打っている間に話をする羽目になった。女はわりかし良い家の女らしい。勇者の血筋を引いているとかなんとか。それは近親にあたるのだろうかと怖くなったが近親と呼べるほどの近しさはないらしい。太古の昔勇者がでた家系というだけだ。

 エルフの方は案の定戦争孤児だ。見た目の年齢は15、6といったところではあるが、成人しているらしい。この中では一番年上ということになる。話しているうちにエルフが処女であることが判明した。なんでもエルフは他種族と不必要な交わりをすると肌の色が変色するらしい。望まない交配がストレスでそうなるようだ。なんだ高かったのは伊達じゃないということか。



 酒を飲み交わし幾分か酔いが回り始めた頃、先日いた村の話になる。女がイケメンがどうのこうの言い始めたので首を締めて黙らせた。

 翌日、早朝山賊に周りを囲まれていて目が覚めた。女とエルフに処理させた。女に負ける山賊ってどうなんだ・・・

  

 大きめの街につく。防壁が厭に頑丈で、それに加えモンスターの血痕も残るので戦闘の激しい地域であることがわかった。街の中に通されると、この街の王との謁見が早速行われた。得た情報はあのイケメン君もこの街を通ったこと、この街は魔界に近いため強力な魔物が多いこと、俺が最高級の待遇を得ること。一つ目の情報が手に入っただけこの街に来た甲斐があったというものだ。


 部屋に案内された。確かに今まで泊まってきた部屋に比べると格が違った。有名な画家が描いたのであろう絵画、金で装飾された彫刻、沈み込むようなしっとりとした絨毯まで、完璧に配慮が行き届いている。中でも注意を引いたのは歴代勇者の絵図。今までも夥しいほどの勇者が魔王に挑もうと果敢に魔界へと旅立ったが、還ってきたものは皆無。もう皆、奴を倒すことは無理だと悟っているのだ。それでも”勇者”への敬意を忘れないのは古くからの習慣か、それとも一縷の希望か。


 それぞれの部屋に着く。奴隷出身のエルフまでまるで女神のような扱いを受けていて本当に笑える。

 これからの主な目的としては主に俺自身のレベルを上げなくてはならない。かなり手のかかる事が予想されるが、仕方がないあの男を倒すためだ。そんな俺の思考を俗にいう神が読んだのか、はたまた偶然か、警報が街中に響きわたる。人の神経を逆撫でするような嫌な音が尋常でない事態が起こることを示唆する。俺達についた護衛やらなにやらが早口に自体の説明をする。なにも心配せず部屋に待機しているように、それが俺たちに下された命令だ。

 まあ、状況としては魔王軍の進行が始まったのであろう。俺が出て行っても良かったが、まあこの一兵卒達に負けるような魔物を幾百と倒したところで、あいつに近づけないことは分かっている。大人しく部屋で待機することにした。


 この街の猛者達が荘厳な門の入り口に集合されていくのが俺の部屋からでも見る事ができた。只者ではない。一人一人が恐ろしく強いのが、そのレベルに達している勇者だからこそ理解できる。

 数千人だろうか。とにかく恐ろしい数の勇敢な男達が集められている。遠くから見ていてそれは夏場の盛りに盛った黒々とした蟻にも見えるほどだ。それほど事態は深刻なのであろう。だが、まあ、この人数とこの戦闘力であれば、大丈夫なはずだ。俺の出る幕はない。それを直感できるほどに鬼気迫るものが男達にはあった。しかし、勇者は劔を砥ぐ。ゆっくりと。何か肺の下あたりにしこりのようなものを感じながら。




 小一時間経っただろうか。魔法による爆発音。金属が激しくこすれる音。地鳴りのような、恐らくは鈍器に近いものが地上に振り下ろされる音。こちらからは壁の外の様子を窺い知ることはできない。しかしながらそこには動物であれば無条件に逃げ出したくなるような激しい戦闘が行われているのが、空気の振動だけでもわかる。聞いているだけで神経をすり減らすような戦闘音は、拷問の時に永遠を感じるように、永いものに感じられた。しかし事態は変動するものである。戦いがあるところには、必ずと言っていいほど勝ち負けがつく。


 一瞬音が止む。勇者はそれは一瞬であることをそれが起こってから知った。とにかく、音が止まった。その無音の空間は赤子が母の腕に抱かれながら、安らかに眠りにつく様をも想像させた。瞬きをするまでもない、その一つの時間。次の瞬間壁が、崩壊した。




 崩壊したのは正門。もっとも頑丈な、少なくとも勇者が見た時には崩壊することなんて思考の片隅にも浮かばなかった。しかしそれは、側から見れば、やすやすと崩れ去ってしまった。それは事実上この街の終わりを意味する。

 崩壊し砂煙が立ち上る中、姿をまず姿を現したのは絵に描いたような黒騎士だった。その男は黒い煙のようなものを身に纏っていて、その黑さは勇者がこれまでに見てきたどの夜空よりも暗く、陰鬱なものだった。その姿を見ただけで、勇者は判断する。俺の求めていたのはこれだ。こいつを倒せばあの男に近づく事ができる。戦闘の準備はとうにできている。

 女とエルフには部屋で荷物の見張りをするように伝えておいた。いかなるときにも、さもしい人間というものは存在するのだ。

 無駄に豪華に飾ってある窓を興奮でぶち壊し、地上に降りたつ。





「やあ。」





 軽く声をかける。その返事はない。しかし代わりと言ってはなんだが、その甲冑の面が開けられる。余程の記憶力がないと記憶にないであろうが、勇者は意外にもすんなりとその顔を思い出すことができた。この街の勇者の肖像の内の一つにあった顔だ。凛々しく、生涯その身を世界のために使おうと、心に決めている者の顔であった。おおよそ俺とは正反対な。


 しかし今となっては、目に生気を失い、どんよりとくぐもった目つきで俺を見る。確かに俺のことを見ている、しかしその意識に勇者は写っていないであろう。




 勇者は考える。どう先手を繰り出すか、はたまた受けか。

 勇者は決める。まずは小手調べだ。

 勇者はその切っ先をまっすぐに黒騎士の喉元へと向け、地面が抉られるほどの勢いで、蹴った。

 黒騎士はというと勇者が迫っても反応すら見せなかった。時間にして刹那。勇者の剣は明確に首へと迫ろうとしていた。勇者の心の中に”落胆”の2文字が浮かぶ。勇者の経験上、ここまできたら如何なる反応を見せようと手遅れだ。

ーーーー黒騎士はここまでの戦いでの疲労か、一瞬の気の緩みかーーーーそんなことを考えながら、しかし容赦などという言葉は微塵も頭の中に芽生えることも許さず、その剣を喉笛へとーーーー。

 肉が弾け、血が飛ぶ、その独特な音が勇者の耳を慰める。




 はずだった。勇者の予想とは裏腹に、その劔が、何か熱した針金を曲げるように、容易に、曲がって、ひしゃげた。


 戦場の一秒が何十倍にも感じられる最中、勇者はその一秒をかけて判断する。

 こいつに物理攻撃は効かない。



 効かない理由としては様々なものが考えられるがしかし、今は必要ない。その事実さえわかればこんなものは必要ない。

 勇者は易々とその鉄の塊を地面に捨てた。そして大きく距離をとる。

 物理攻撃は効かない。

 単純に考えて、残るのは魔法か。



 相手の力量は未だわからない。しかし攻撃して来るそぶりも見せない。勇者はここまでの経験と知識全てを総動員し、相手の観察に当たる。

 事細かに繊細な部分まで検分してみると、不気味で幽幽たる様態で静止している。鎧からは黒に近い紫色の煙が伸びており、その鎧にかかった呪いを現している。余程邪気が強いものでない限り、物理攻撃を無効化するような類の甲冑にはならないであろう。

 

 物理攻撃の無効化。全ての鎧がそれを目指して創られ、しかしながら今まで達成されることのなかった高み。

 それが今日勇者の前に姿を現しているのである。


 無敵か。勇者の頭にそんな夢物語が浮揚する。



 そんなものはない。六合には終わりがある。




 考えろ。考えるんだ。

 ここまでの戦闘でダメージを負っている様子は辛うじてその、口元から漏れ出た血から想像することができる。こいつには何か弱点があるはずなのだ。




 最大出力の魔法。とりあえずはそれを打ちあてよう。話はそれからだ。



 勇者はこれまでに込めたことのないほどの量を腕に、そしてその手掌に込める。魔力が集まることにより周りの風景は勇者を中心に乱れ、混濁して行く。

 

 最大最高にして極限、その雷撃の魔法をあの黒騎士へと向ける。周囲への被害は計り知れない。だが勇者にとってそれすらも愉快、そして逸楽。

 また、勇者の域に達していないと感受することすら困難な全力をぶつけることができる喜び。


 勇者の口元には笑みがこぼれ出る。その笑顔はまさに天に選ばれし、神秘性すらも秘めている。

 


 そして。放つ。







 後に勇者のその魔法は伝説として語り継がれることになる。

 地上で起こった戦争で、魔王との戦闘を除き、最大にして窮極。其事様は一種のビッグバンに近いものであり、何かの始まりであるとされている。




 そんな魔法。そんな魔法で姿形を残しているだけで、素晴らしい憐憫たる栄光。




 しかし。黒騎士は立っている。

 無傷で。かの甲冑には弊竇がない。



 一般の者であれば、逃げる、そして思考停止する。そしてある考えに達する。

 関わってはいけない。

 魔法、物理攻撃ともに通じない。そんな化け物魑魅魍魎の主を考えるという行為すらも悍ましい。




 しかし勇者も異類という意味では普通ではない。この黒騎士という化け物に対して、考える事の放棄はしない。

 次の思考に達する。

 

 そもそも勇者の全身全霊を込めたこの魔法は、魔法が効くか効かないか、それを確かめるための一撃であったのである。身魂込めて放った攻撃であるからこそ気づける。外部からの魔法攻撃の無意味性。それがわかれば彼にとってはまた進歩。



 勇者は思いよぶ。

 次は内側からの攻撃だ。

 その鎧の頑丈さ、堅牢さはよくわかった。しかしながら、それを身にまとっているのは儚くも人間。その人間がまとうからこその鎧である。


 勇者は定点魔法の準備にとりかかかる。この魔法には座標の設定、発動時間の設定など、様々なことに時間が取られる。しかしながら相手は鈍重そのもの。準備する時間は大いにある。



 魔法を極めせし魔女と雖も二日はかかるであろう代物を高速で済ませながら勇者は考える。

 幾ら何でも攻撃して来なさすぎる。殺意がない。その暗然たる手中に収まっている劔はなんのためにあるのか。


 そう思ったのも束の間。



 黒騎士が口を開く。





「・・・・ニ、・・、っ・・げ」




「??」





 何も理解できないまま、距離にして数十メートルはあったであろう勇者と黒騎士の距離がほんの数センチの距離まで縮まる。さしもの勇者も突拍子のなさに面を食らう。



 こいつ、こんな捷く動けたのか。それなら何故早く攻撃して来なかった。


 腕に魔力を込め、最大まで硬化させたかいなで攻撃を受け流す。


 黒騎士は、まるで何かを押さえ込んでいたかのような。



 それはいい。

 兎にも角にも、定点魔法の設置である。幸いなことにこの黒騎士の踏み込みや、切り込みには何か、迷いがある。

 戦場に置いてそれは一瞬に過ぎないとしても、大きな命取りになる。たとえその者が無敵の鎧を身にまとっていたとしても。



 この魔法ははっきり言って一度きりだ。奇襲にも似たような方法であり、元来その用に使うものではない。しかも勇者が初めて使う手法となる。




 相手の内側に瞬間移動の魔法を設置する。

 それも相手の心臓部、急所となる場所を近くの山奥へと空間転移させる。それが勇者の絡繰り。うまくいかなかったとしたらまた他の策を考えるだけだ。


 しかしこれは命取りにもなりうる。いくら相手が振っている剣が躊躇いを孕んでいようともその太刀筋は真。一瞬足りとも気を抜けたものではない。

 

 しかし勇者はやってのける。

 目にも止まらぬ切り結び、魔法の横行の中。完成させる、定点魔法。



 勇者はこれまでないほどの距離を黒騎士から取る。

 数百か数千メートルか。相手を誘っているのだ。



「来いよ。」



 勇者のその一言と呼応するように黒騎士は、地面を蹴る。





 タイミングは一瞬だ。この黒騎士ほどの手練れを相手に二度目が通用するほど戦いの世界は甘くない。

 勇者は構える。定点魔法の設置はもう完了している。

 勇者と黒騎士その二者間を線で結んだ延長線上。高さは黒騎士の左胸のあたり。

 当の黒騎士はもう接近を開始している。


 勇者の前方1.3メートル。ちょうど、一般的な劔の長さと同じである。勇者が避けることが可能な最後の一線。外せば終わり。避けられなくても終わり。その極限の重圧の中。やはり勇者の顔には微笑みが。


 あと一秒。



 破裂音と鞭が空を切る音のちょうど狭間にあるような音が二人の間に響く。

 失敗か、成功か。

 それは勇者にはまだわからない。魔法を受けた本人すらまだ気づいていないであろう。


 それどころではなく、勇者は四肢を捻り、屈曲させ黒騎士の必死の一撃を掻い潜る。勇者は避けたつもりであった。

 しかしながら音速を超えた一撃、神までもが目を見張る斬撃。その閃光は物理的接触はなくともダメージを勇者へともたらした。



 「ぐ、っカァ・・ッ」




 喉。その斬撃は稀代の勇者の喉笛を切り裂いた。

 戦に置いて首への損傷。女子供でもわかる、もはや先が長くないことの証明。









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