猫と財布
ボロボロの財布
いや綺麗だった財布なのだ
噛まれて引き摺られ
よだれでベタベタになり
砂やゴミがくっついて
くわえた猫と目が合った時
落として逃げて行った
財布を拾いあげて開いた瞬間
猫が腕に飛びついた
小銭が落ちて転がった
猫は追いかけようと身構えたが
四方八方をキョロキョロ
どれを追いかけるか迷っていた
私はお札が入ってないか見た
盗むつもりはないが
中身を確認した
いくつか入っていた
スーパーのポイントカードに
名前が書いてあったから
すぐに落とし主も分かるね
そう思って交番に届けようと
パンパンと汚れをはらうように
財布を叩いた
あっそうだ小銭拾わなきゃ
そう思って落ちた方を見たら
猫がぜんぶ集めて
私の方に持って来た
だめだよ
このお金は僕のだよ
ぜんぶだよ
なんと
猫がしゃべたのだ
その財布返してよ
僕のおねえちゃんのだから
もう一度カードの名前を見た
たかはしともこ・・・
おまえの飼い主さんかい
もういないんだ・・・
ずっと昔に・・・
僕が春に生まれて
夏が来る前に天国へ行ったんだ
だから顔は忘れてしまったよ
今は匂いしか覚えていないんだ
そっか
もうこの財布は形見なんだな
あっそうだちょっと待って
これを・・
このネックレスを・・
こうして・・つければ・・
ほらこれでいいだろ
財布にネックレスを付けて
そして
猫の首に付けてあげた
ありがとう
ところでおまえは
どこへ行くの
飼い主の家はどうしたの
もういいんだ
おねえちゃんがいない家は
おねえちゃんが行った
天国というところへ
俺も行くんだ
でも誰に聞いても知らないって
ねえ知ってたら教えてよ
天国ってどこ?
まだ遠いの?
ずいぶん歩いて来たよ
おねえちゃんは
南が好きだって言ってたよ
暖かくて花が綺麗だって
あのさ教えてあげるよ
おねえちゃんがいる天国の場所
俺も行こうかな
ほんと!?
一緒に行ってくれるの
ところで名前は何ていうの
僕はミントって言うんだよ
ハッカ畑で生まれたんだって
お前はさ
きっと前世は美しい
お姫様だったと思うよ
お姫様?
そうさ神話のメンテだったのさ
メンテ?
ギリシャ神話さ
今度ゆっくり話してあげるよ
俺の名前は
ひろしって言うんだ
天国までよろしくな
ねえ天国って
すごくすごく
綺麗な所なんでしょ
この財布のお金で足りるかな
大丈夫だよ
きっと買える
辿り着いたら
その財布を置いて
扉を開けてもらうのさ
そしたら逢えるかな
おねえちゃんに
・・・ああ
早く行こう
入場券が値上がりする前に
うん!走ろうよ
風がゆるやかに流れた
いい匂いがするな
お前は生まれついての
ミントだな
二人は笑いながら
黄昏の森に消えて行った
今夜は満月だな
森全体が巨大な影絵だよ
ほら見てごらん
ミントの影だって
虎のようじゃないか
そう言って
小さなミントをからかった
ひろしの影は何処?
探したが分からなかった
俺の影は・・・まあいいや
ひろしは自分の影が
薄く消えてしまいそうで
怖くなった
もう寝ようか今日は
たくさん走って疲れたよ
あっ!!
ひろし!
あれ見て!
月が落ちてるよ!!
それは池一面を
覆い尽くして煌めく月だった
ふたりの姿を眩しく灯し
森の隅々まで
月光が走っていく
綺麗だねひろし
おねえちゃんがいる天国も
きっとこれくらい・・・
ぼーっと見惚れていると
月が池から溢れ出した
これはいったい
ひろしはミントを抱いて
立ち尽くした
足元まで月は流れてきた
魔法にかかったように
ひろしとミントは動けなかった
やがて黄金の光の中に
ふたりは飲み込まれていった
こっこれが天国なのか?
ひろしはそう思いながら
ミントの財布を見た
月の中心から
光の中心から
森の四方へ
金色の空気が流れ
満ちていく
ミントは腕をすり抜けて
跳び下りた
そして
森に流れ込んだ月を見つめた
天国だよ
ここが天国だよ
あの中にいるんだよ
僕は行くよ
待てよミント
まだわからないだろ
あれは水だ
水に浮かぶ月だ
ミントは財布を首から外した
聞こえるよ
歌ってる
誰か歌ってる
呼んでるよ
おねえちゃんだよ
池の畔に咲く露草の妖精に
ミントは財布を置いていく
これでぜんぶなんだ
お金は・・・これだけ
ミント待てよ幻だよ
おちつけ
幻でもいい
逢えるなら
僕には聞こえるよあの歌が
おねえちゃんの声が
池の中に立つ人影が
ゆっくりと音もなく
岸辺に近づいて来る
湖面をすべるように現れ
ミントを抱き上げる
懐かしいぬくもり
やっぱり
おねえちゃんだ
ありがとうミント
よくここまで
これで・・・私
ほんとうに天国へ行ける
四十九日めの満月の夜
これでもう本当に会えなくなる
でも明日からはミントの
この小さな胸の中だけで
いつでも会える
ともこはミントを下ろした
そしてひろしに言った
お願いしますと
風が一瞬強く吹いた
黄金の空気を森からはらった
ぜんぶ・・・
おねえちゃんも消えてしまった
泣いてるミントの足元に
クロウエアが咲いていた
妖精がミントの涙をふく
妖精になったの?
おねえちゃん?
ここだったのか?
ひろしは思い出していた
ひと月ほど前に
池で亡くなった子がいた事を
ミントの財布を拾うと
中は空っぽだった
そっかこれで天国を買えたんだ
買ったのはミント?
それともあの子?
どっちでもいいか
ミント帰ろう
明日おねえちゃんの
お墓参りに行こう
この財布を届けてこよう
うん!
ねえまたお金貯めて
ここに来ようよ
そうだな
ミントの頭に妖精が一人
嬉しそうな笑顔で立っていた
*** おわり ***