零章 回想(3)
全員が一斉にそちらを振り向く。
そこに立っていたのは、長い黒髪に穏やかそうなたれ目の女性だった。
誰だろう…?
「り、理事長…しかし…」
へぇ、理事長なのか…。隣を見ると、ミマリは唖然として固まっていた。
「ですからもう結構ですよ、先生。」
おずおずといった感じで言われた教師の言葉をぶった切り、理事長はこちらを向いた。
「時間を取らせてしまいましたね。どうぞ授業に向かって下さい。」
尚も食い下がろうとする教師を彼女は手で制し、逆の手で俺たちを校舎へと促した。
俺は横目でミマリを見た。
「?何?ほら、お許しも出たことだし、早く行くよ。」
そう言って彼女は俺の首根っこを掴んでずるずると俺を連行した。
そう言う彼女の表情は、まだ固いように見えた。
「そ、そういえばお前さっき、理事長?見て驚いてたけど、知ってたのか?」
さっき気になったことを聞いてみると、彼女は嫌そうに顔をしかめて答えた。
「知ってるも何も…。彼女、有名よ?知らなかったの?12歳のときに、大学を飛び級で卒業し、その後、前理事長だった父親の跡を継いで弱冠18歳にして就任した、才能と家柄に恵まれた人よ。
そんなに恵まれているのに、それをちっとも鼻にかけない態度らしくって、評判も良いらしいわ。
まさかこんな所でお会いするとは思わなくて驚いただけよ。」
「…お前が嫌いそうなタイプだな。」
「…そうね。嫌いよ。その噂だけでも腹が立つほど嫌なのに、その上いざ相見えてみれば…。
神様の悪戯ってやつかしら。そうだとしたら、悪趣味極まりない。」
彼女は吐き捨てるようにそう続けた。
いつもイライラとして、突っかかってくる態度の彼女だが、基本的には人に本気で怒ることはない。
いや、怒るだけでなく、人に本気で感情をぶつけることが無い。そんな彼女がそこまで言うのは珍しいので気になったが、俺は自分の命が惜しいので黙った。
誰だって、わざわざ檻の中の虎を野生に帰そうとは思わないだろう。
「な・あ・に?」
ありとあらゆる武道を幼少の頃より学び、一応全て出来る(本人談)、二流の武道家(自称)のミマリの機嫌が本当に悪そうなので、さっさと授業に向かうとしよう。