零章 回想(2)
事件、と言っても、それは大々的に報じられることは無かった。
ある一体のアンドロイドが、一人の人間を殺した。死に至らしめた。
本来なら大ニュースになるはずであろうその事件は…。
アンドロイドの採用に一番反対していた、他ならぬ政府によって揉み消されたのだから。
これだけでは何のことやら分からないだろうが、まだ詳細を話すわけにはいかない。
先にまず、この世界の説明をした方がいいだろう。
時は正暦50年。正暦というのは、世界の生物が人間のみになった年を一年とする暦のことである。
世界が人類だけのものとなったのは、お分かりのように、最近のことだ。とはいえ、俺が生まれる前のことなので、俺もよくは知らないが。
ちなみに俺は正暦33年生まれの十七歳だ。
部屋の扉が開く音がした。誰が来たかは大体推測できるため、無視をした。しばらくすると破壊音がした。
そちらを見ると、無残に壊れたドアの後ろに人影が見えた。どうやら彼女は俺がドアを開ける気がないことを知り、ドアを蹴破ったようだ。全く、脳筋なヤツめ。
俺がねぐらにしている物置のドアを平気で蹴飛ばした彼女は、ドアの残骸を超えて俺の前に仁王立ちになった。
「こらヒョーマ!今何時だと思ってんの!?」
「うん?ミマリか。」
白々しく彼女ーー未茉に今気づいたというフリをしてみた。
「ほら、教室行くよ!ボヤボヤしないで!」
華麗に俺の演技をスルーしたミマリに怒鳴られ、俺はしぶしぶ体を起こした。
制服はかなり前から替えておらず、いつから着ているか覚えていない。
リュックに端末とペンを突っ込み、ポケットから小さなプラスチックのケースを出す。中に入っているサプリメントを数粒出し、掌の上で転がした後口に放り込む。
「早くしないと置いて行くんだからね!」
ドアの前で仏頂面で突っ立っているミマリに急かされ、慌てて俺はミマリの後を追った。
どこの学校でもそうだが、俺たち生徒は実力別にクラス分けされ、自分のレベルに合ったカリキュラムを適用される。
俺たちの両親の時代には、年齢でクラス分けされる、馬鹿馬鹿しいシステムがあったらしい。一番出来が悪い者に常に合わせる。なんとも効率が悪いやり方だ。
「そう?私は、今のシステムのが嫌。だって、周りが皆上のクラスに入るために必死な嫌な人ばっかりだもの。年齢で分けた方が、もっとゆったりしてて、人として必要なことが学べると思うけど。」
知らずのうちに口に出してしまっていたのか、横から口を挟まれた。
「人として必要なこと、ねぇ…?そんなものあるのか?」
「あるに決まってるでしょ!まず、アンタは、そう考えてる時点で間違ってるの!
皆、分かってないよ…。」
はっきりとそう言い切られてしまった。険しい表情が一瞬だけ途切れた気がしたが、すぐに再び険しい表情を作った。
「別に間違ってても人じゃなくても生きていけるだろ。」
「勝手に言ってれば?ってヤバい!本気で遅れる、早くして!」
慌てて急かす彼女の時計を盗み見ると、一時間目が始まる時刻になろうとしていた。
あ、と思った瞬間、大音声で学校のチャイムが聞こえてきた。
「…よし、諦めるか。」
「諦めがよすぎる!もう少し急いだりしなさいよ!
…もう!ほら、走る!」
無理やり俺の腕を引いて、ミマリは走り出す。
「あ〜、景色が流れていく〜。」
「ふざけてないで少しは自分で走んなさいよ!」
曲がり角を曲がったとき、前方に教師が立っていた。どうやら待ち伏せされていたらしい。
「今、何時か分かっているんだろうな?」
押し殺した声で、教師にそう訊かれ、俺は答える。
「さあ?生憎、今時計を持ち合わせていないもので。」
「ふざけるな!もう授業は始まっているんだ、分かっているのか!?」
「分かりました。では、授業に向かいたいので通して下さい。」
俺なりに誠意を見せたつもりだったのだが、学年主任がさらに怒鳴るのを見て、首を傾げる。
「おかしいな、先生がさっき、授業が始まっていると仰ったので、それに向かいたいので通して下さい、とお願いしているのですが…?」
「だからそれに対する反省を…!」
「先生、もう結構ですよ。」
学年主任の後ろから、突如、場違いな涼やかな声が響いた。