桜庭姉妹の日常1:すごい本
桜庭菊花「ちょっと新しい部活を立ち上げようと思うんだ」
※2作目以降はできたてのもの以外を非公開にしてありますが、シリーズ一覧から読めます。
基本的に時系列順ですが、どこから読んでもOKです。
やあ。僕は勉強が嫌いだ。
だから僕はこうして部室にこもっている。
「お姉ちゃん」
「僕は桜庭菊花だよ」
僕はドアの前で立ちふさがり、大の字のポーズを決める。
「菊花お姉ちゃん」
「長い栗色の髪が自慢の、いまどきのJKさ」
髪をさらりとかきあげて、どや顔で格好つけてみせる。
「どうだい?」
姉妹揃ってチビだから、中学生が背伸びしているようにしか見えないね。
ゲームセンターで店員さんに「中学生ですか?」と素で間違えられたよ。
間違えられたのは実話だよ。
「何をきょとんとしているんだい。JKは女子高生の略だよ。たぶん」
「そんなことは聞いてないのです。あと授業をサボらないでほしいのです」
今日の授業は、国語、英語、社会、公民、総合だよ。
「理系の僕には必要のないものだよ」
せめて理系科目か体育のひとつでもあったなら考えたのに。
「漢字の読めない大人になってしまうのです」
僕と同じ栗色の髪を小さなポニテにしているのが妹の初花だよ。
僕は初花を新しい根城に招きいれたよ。
「聞いてくれ、初花。僕は毎日が退屈で仕方がないんだ。毎日、部室で科学の実験ばかりするのもいいけれど、何か突飛なことがしたい。だから、」
「だから、勝手に部活を立ち上げたのですか。そうですか。科学部はどうするのですか。顧問の田口先生を一人にしたらかわいそうなのです」
いま、科学部には僕と菊花の二人しかいない。……あれ?
「さらりと聞いていたけれど、初花も科学部に入部しているから、科学部をやめて僕の部活に入ろうというのかな」
「お姉ちゃんを一人にしたら犠牲者が増えてしまうのです」
「何か勘違いしているようだね。僕は科学部の部長を続けるし、新しい部活の部長も勤めるつもりだよ。初花は実質生徒会長なんだろう? 入部手続きは僕が受理したことにしていいから」
初花の生徒会長は仕事を放棄して消えてしまった。書記や会計も会長につられて蒸発してしまった。だから、いまの実質生徒会長は初花だよ。初花は、文化祭や体育祭の前後、書類の山をこなすために、生徒会室で必死になっているよ。
「……わかったのです。初花の入部手続きはこちらで処理しておくのです」
「助かるよ。じゃあ、さっそく模様替えしようか」
「え」
部屋にふたつある勉強机をくっつけて、部屋の隅に重ねられた勉強用の椅子を机の前にそれぞれ運ぶ。教室の棚がすっからかんだったので、何か置くものがないか部屋から探し出す。
「お、これはよさそうかな」
「あんまり散らかさないでほしいのです」
「珍しい。この暴走特急たる僕を止めないのかい」
「できれば止めたいのです。できれば止めたいのですが、とっても残念ながら、ここの備品は自由に使用していいことになっているのです」
「ふっ。なら、遠慮なく使わせてもらうよ。どっこいしょ」
僕はダンボール箱から煤けた本の束を取り出した。
机の上にどかっと置く。
「ひーい、ふう、みい……、全部で三冊あるのです」
「どれも分厚いなあ」
ひとまずいちばん上の本の表紙を眺めてみる。
真っ赤な本の表紙には、黄色い三角の文様が描かれている。
なんだろうね、これ。フラクタルっていうのはわかるんだけれど。
「タイトルが読めないよ。初花、国語は得意だろう」
「お姉ちゃん、これは日本語ではないのです。英語だけはお姉ちゃんも読めるはずなのです」
「いや、でもこれ英語ですらないよね。初花もだめかい?」
「わからないのです」
「まあいいや、適当に読んでみよう」
僕はぱらぱらと本をめくってみた。文字ばかりで意味がわからない。
たまに挿絵で、表紙と同じ三角の文様が出てくる。
「お姉ちゃん。遠くのほうで煙が上がっているのです」
「火事かな。見た感じ、ずいぶん遠くだから、特に問題ないよ」
やや遅れて、遠くのほうで公共放送がサイレンを鳴らす。
「もういいや、次」
二冊目は真っ白な本で、表面がぶよぶよしていた。
表紙にはおぞましい人間の顔が描かれている。
マッドサイエンティストたる僕は、ぜんぜん怖くないけどね。
「お姉ちゃん、この本、なんだか怖いのです」
「そうかな。僕は平気だよ」
僕はぱらぱらと本をめくる。やっぱり読めない。
「お姉ちゃん、虹ができたのです」
「おお、本当だ」
本の上に綺麗な虹のアーチができていた。
僕は虹を手でちぎり、ぼりぼりと食べた。
「え」」
「甘くて美味しいよ。初花も食べるかい」
「遠慮しておくのです。……お腹を壊しても知らないのです」
虹のアーチをきれいに食べ終えると、僕は最後の本を手にした。
表面は獣の皮が使われていて、柊の絵が描かれている。
「タイトルはさっぱりだね。じゃあ読むよ」
僕はぱらぱらと本をめくった。なんだか頭に変な感触がする。
「お、お姉ちゃん! 耳!」
「うん?」
初花の弱気な声がいつもよりよく聞こえる。
初花の指差すあたりを手でまさぐってみる。
初花は慌てながら、手鏡を開いて見せた。
「猫耳だね。生えたのかな」
初花は口をぱくぱくさせている。
「菊花お姉ちゃん。写真を撮りたいのです」
なんだかんだいって、初花もタフな精神力を持っているよ。
「構わないけれど、普段は帽子を被ったほうがよさそうだね、これ」
猫耳を引っ張ってみた。とれない。しっかりとくっついている。
「あと、なんだかおしりのあたりがムズムズするんだ。たぶん、しっぽも生えていると思うんだけど、どうしようかな、これ。削ぎ落とす?」
「そんな、もったいないのです! もうちょっとこのままでいてほしいのです」
初花は僕の耳を撫ではじめた。もうちょっと優しく撫でてほしいかな。
「あのさ、初花」
「どうしたのですか」
僕は細いお腹をまさぐった。
「お腹痛い」
その後、僕は猫耳と猫しっぽの出し入れが自力でできるようになったよ。
いまでも初花にモフられるよ。
僕は保健室のベッドで仰向けになった。
保険の日代先生が聴診器で僕のお腹をぺたぺたする。冷たい。
「まだかな。雷が落ちたらおへそを食べられちゃうじゃないか」
日代先生は苦笑している。初花は溜息を吐いた。
「外は晴れているのです。雷なんて落ちるわけがないのです」
「でも、突然火事が起こるくらいだから、わからないよ」
「それはきっとお姉ちゃんのせいなのです」
「どうしてそう言えるんだい?」
「なんとなくそんな気がするのです」
日代先生の診療が終わり、僕と菊花はベッドでふたりきりになる。
「変な妄想をしないでほしいのです」
「妄想? 何のことだい?」
僕はにやにやした頬をつねられた。痛い。
「それで、菊花お姉ちゃん。結局、部活名は何にするのですか。活動内容は、『退屈を紛らわすために楽しいことをする部活だよ』、って、あいまいすぎです」
「じゃあ、『菊花と初花のファンクラブ』にしよう」
「え」
「きっと大きなお友達がたくさんの融資をしてくれるはずだよ」
「お姉ちゃんは猫耳アイドルで決定なのです」
「そうだ、初花もあの猫耳本読んでよ」
「嫌です。お姉ちゃん。安静にするのです」
それは無理な相談だね。安静にしたら僕は退屈死してしまう。
「で、『僕ら猫耳JKシスターズ』っていうPVを出そう。ふりふりのエプロンドレスを身に着けて謳って踊るんだ。喫茶店でもいいかな」
初花は頬をぷっくりと膨らませた。
「もう。お姉ちゃんは、大人しく寝ているといいのです!」
「ああ、待ってくれ。僕はおかゆが食べたい」
「さすがお姉ちゃん。図々しいのです」
初花は立ち去ろうとしたところ、何もないところでコケた。
「ふみゃっ!」
「大丈夫かい? 見えちゃいけないものとか出てないかい?」
「そんなものはないのです」
初花はよろよろと立ち上がると、小さく嘆息したよ。
きっとストレスが溜まっているんだろうね。誰のせいかな。
「わかりました。だから、黙って寝ているのです」
「……はい」
みんなは虹を見つけても拾い食いしたらだめだよ。
僕みたいにお腹を壊して、初花に怒られてしまうからね。
ああ、退屈だ。はやくおかゆが食べたい。(了)
桜庭菊花「僕は歌姫になりたい」
桜庭初花「冗談はやめるのです……」