第一章 非日常開始 2 side 出雲響(その2)
ドアが縦に開く。横に開閉した方が出入りはし易いが、防犯面では縦に開閉するほうが優秀である。外には空も風も無く、俺の部屋と変わり無いモノトーンの世界が続いている。
廊下を歩きながら口笛を吹く。まだ世界が平和だった頃に流行った曲らしい。昔、先輩に教わったお気に入りの曲だ。
居住地区から就業地区へ移動する。同じ様な景色が続く場所を通り過ぎ、一般市民では立ち寄れないブロックに足を踏み入れる。勿論ブロックに入る際に生態認証はされている。もし、関係ない人間が入ろうとしたら、最悪射殺されかねない重要ブロックなのだ。
重厚なドアの前に立ち止まる。表札は『科学部時空移動課』。ドアの前で小さく深呼吸をし、ノブの変わりに付いている金属プレートにそっと触れる。
「H Izumo 2494 De 24」
音声パスワードが認識されるとロックが解除される。ピッと電子音が鳴り、ドアが縦に開く。
「失礼します」
丁寧に挨拶をして部屋に入る。すると、すぐさま俺より十歳以上年上の大人達が俺を囲む。因みに着ているユニフォームは全員赤。何名かは上に白衣を着込んでいる。
「響、もう集合時間十分前だぞ。今日がどれだけ大切な日なのか分かっているのか!?」
主任が声を荒くして怒鳴り散らす。
「すみません」
十分前が遅刻なら、最初からその時間を集合時間にすれば良いんだ。
でも、取り敢えずちゃんと謝る。上司の命令には絶対服従、それがここで生きていくルール。長いものに巻かれないと生きていけない。
「まあまあ、主任そんなに怒ってもそれこそ時間が勿体無いですよ。響も謝らなくて良いから仕事で反省してる事を示してもらおうか?」
今度は若い男性の声がして俺と主任の間に入る。
「零先輩……」
声の主を見て安心から一瞬顔が緩む。この橘零先輩が俺の一番歳の近い同僚だ。そうは言っても零先輩は二十一歳だから、俺より六歳も年上。結構年齢は離れている。それでも同じ年代の人間との接点が少ない俺にとって、零先輩は同僚であり、親友であり、兄であり、尊敬する人だ。
JIPANGにも子供は沢山居るし、学校教育のシステムも存在している。しかし俺は特異体質だった為、九歳までしか普通の教育を受けていない。
「全く四次元耐性が強いってだけで偉そうにしやがって!」
白衣を着た名前すら覚えてない二十代後半の男が、わざわざ俺の耳に入るように大声で言いながら舌打ちをする。
「…………」
勿論聞こえてはいるが、特に反応はしない。周りも彼を嗜めたりはしない。
こんな事は日常茶飯事。俺もこんな些細な事でいちいち傷付いてはいられない。
四次元耐性。俺の特異体質の名称。
四次元耐性とは時空移動に耐える適性の事だ。時空移動中に身体が崩壊しないように維持する遺伝子がどれだけ含まれているかで判別される。
数年のタイムトラベルに耐えられる適性は、誰にでもある。ただし、時空移動を何十年何百年の単位でするには、高い適性が必要になる。もし、適性の無い者が長時間の時空移動を行うと、体が時間の壁に負けてしまい、体の組織を維持できずに存在そのものが崩壊してしまうのだ。体が全て消えてしまう場合もあれば、一部が消えてしまう場合もある。また、体は丸ごと残っていても精神だけが消えてしまう時もある。
何十年単位の時空移動に耐えられる人間は、多く見積もって人類の一%しかおらず、百年単位で可能な人間は、更にその中の一%未満だ。
そして、不幸にも俺はそんな一万人に一人の人間だったりする。
それも五百年以上の時空移動に耐え得る、飛びきり強い適性を持っていた。
用意された着替えを受け取り、部屋の隅に用意された更衣室で着替えをする。二十一世紀初頭の服に着替える。
採寸はされたが、実際に袖を通すのは今日が初めて。流石に特注だけあってサイズは合っている様だ。
「う~ん」
くるっと一回転するが、果たしてこれが正しい着こなしなのか自信が持てない。生まれてこの方、こんなにだぼだぼした服は着た事が無い。
「弓月さーん」
着替えが済んでから、服を用意した女性スタッフを呼びつける。
「なぁに?」
弓月さんは直ぐに更衣室に駆けつける。肩につく長さの金髪に近い茶髪を後ろで一つに縛っていて薄い茶色のきりっとした瞳が印象的なお姉さまだ。
「あのー、折角用意してもらって申し訳ないんですけど……。これ、下着がはみ出しちゃうんですけど……」
俺はジーンズの上からはみ出しているトランクスを差しながらしどろもどろ訴える。それぞれの服の名称はさんざん勉強したからバッチリだ。
「あ~、二十一世紀の流行なのよ」
弓月さんがあっさりと応える。
納得。
流行って不思議だ。やっぱり女の人も男のパンツなんて見て嬉しいのか?
他のブリーフやボクサーパンツと言う種類の下着の時もこう言った感じで見せるのだろうか?
本当は他の服が良いのだが、流石にこの期に及んで我侭は言えない。大勢の大人たちに囲まれて自分の意見は中々言いづらい。
「出雲君」
名前を呼ばれてパンツ考察……もとい、服飾歴史考察から我に返る
「部長」
部長とはこの『科学部時空移動課』を統率しているお偉いさんだ。年齢は五十歳になったばかり。この部屋で一番年長だ。部長は俺の肩を掴むと唾を飛ばすような勢いで、いや実際に飛ばしながら熱く語り始める。
「出雲君。君のような少年に我ら人類の未来を託すのは本当に心苦しいのだが、時空移動者としての適正が非常に高いのだ。それに君はターゲットとも同年代だし、知能指数も運動能力も高い。君がこの任務を遂行するのに一番相応しい人間なのだ。分かってくれ。君は私達人類にとって救世主だ!」
面と向かってベタ誉めされると流石に照れる。というか、そんなに大した人間じゃないんだけど……。さっきの白衣が言ったように、ただ四次元耐性が強いだけなのに……。
「はい」
でも返事はしっかりする。このテンパった状態で謙遜するだけ時間の無駄。嘘、謙遜する程の自信も無いだけだ。
任務と言うのはとても単純。
時空移動装置で過去に行き、p‐typeを発明した科学者を発明前に殺してしまうのだ。
今回の任務を遂行する時空移動者候補はもう一人居た。それが零先輩だ。けれど検査の結果、全体的に俺の能力がほんの少し高かったらしい。正直信じられない。普段の言動から察するに、零先輩が俺に劣っている筈が無いのだ。
検査ってのは何百回とされたけど、検査部の皆さんには申し訳ないが本当にちゃんと計っているのかと、疑ってしまう。
勿論能力云々だけではなく、p‐typeを発明した科学者が、p‐typeを発明する三年前の年齢が十五歳。丁度今の俺と同い年。二十一歳の上に大人っぽい容姿の零先輩よりは、同年代の俺の方がコンタクトを取りやすいと判断されたようだ。
「響、最終確認だ」
終わりの見えない部長の激励に困惑していると、零先輩が声をかけてくれた。
「はい、零先輩」
「……まぁ、とにかく頑張ってくれたまえ」
ごく自然に部長から解放される。俺がもう少し大人になったら、こういう風に人に気を使う事が出来るようになるのだろうか?
「分かってると思うがもう一度説明するぞ。今からお前は西暦二〇一〇年九月一〇日の日本のN県N市へタイムトラベルする。そして我らが人類の敵、聖……いや」
そこで一度言葉を切ると、零先輩が俺の瞳を覗き込む。
「麻生聖を始末するんだ」
―――麻生聖、p‐typeの製作者の名前だ。
二十六世紀の人間なら誰でも知ってる破壊神。
その名前と通っていた高校以外の情報は、人類が地上を追われた時に失ってしまったらしい。本人が故意に消去したと言う説が有力だ。だからこそ高校生の麻生聖と確実に接触する為に、麻生聖が一年生でいる二〇一〇年に行くのだ。卒業したのかも、退学したのかもハッキリしていない。よって、在学の可能性が高い一年生の時点を作戦時代に定めたのだ。
外見に関する資料は全く残っていないが、きっと髪の毛を七対三に分けていて、瓶底眼鏡のがり勉っぽい嫌味な奴に違いない。
「響、あんまり気負うなよ」
心配そうに俺を覗き込む零先輩。本当は任務の確認の為に話し掛けてくれた訳ではない事が伝わってくる。ずっと弟みたいに可愛がってくれた俺を心配してくれているのだ。嬉しくて、思わず顔がほころんでしまう。
自信が有る訳じゃない。
「行ってきます」
けれど、自信満々に零先輩を見つめて宣言する。
零先輩も黙って頷く。
俺は時空移動装置へこれ以上ない位、自信に満ちたような足取りで向かう。
周りの時空を制御する機械は大きいが、時空移動装置本体は直径一メートル程度の金属製円形台だ。台に乗った物だけを移動させる仕組みになっている。
「座標測定開始」
「変数タイプα。誤差〇.〇一時空ミリメートル」
「誤差許容範囲内」
「座標測定終了。座標地点A」
「時空移動者搭乗許可」
アナウンスに従い移動台に俺が乗ると、すぐにカウントダウンが始まる。
「一〇……九……八……」
目を閉じて時が来るのを待つ。
正直不安はある。
五百年ものタイムトラベルは尋常じゃない。テストでは俺の体に何の影響も無いらしいがそれでも不安がが頭を過ぎる。
「三……二……一……」
バリバリッ!!
空気を切り裂く音が聞こえ、目の前が真っ暗になる。
目を瞑っているから、本当に暗くなったのかは分からない。それでも、瞼越しでも光が遮断されたのは分かる。
暗くなったのは一瞬。
次の瞬間目の前が真っ白に変わる。
「!」
思わず目を開ける。
「青い」
周りは一面青い空。下を見ると、ビルの様な建物が目に映る。
そして今、俺の体を固定する物は何も無い。
「えっ?」
一瞬では自分の置かれた状況が理解出来ない。落下を肌で感じて、自分は今落ちているのだとやっと認識する。
「…………」
「うわあああぁぁぁぁぁあああ!」