第六話
とことんご都合主義だなと思います。
白い壁、微かな薬品の匂い。
手を動かせばサラリとした布の感触がした。
「あれ…?」
ここはどこだろう。覚醒しきっていない頭で考え、そして苦笑する。
そうだ…私、撃たれたんだった。
間抜けにも避けることすらできずに、脇腹を一発。そこで意識を失ってしまったんだった。
周りを見回せばソファーやテレビがあり、机の上には花瓶に活けられた豪華な花が飾られている。誰かが世話をしてくれたんだろうと申し訳なく思いつつ部屋の奥に目を向けると、椅子に座って壁に凭れかかったまま目を閉じている……
「っ!つぅ…」
ベッドから飛び起きようとしたら脇腹に激痛がはしった。…そうだった、撃たれた傷がまだ塞がっているわけがない。痛みに悶えて脇腹に手を添えていると
「ん…、」
低く篭った声が聞こえ私は硬直し。
起きちゃった!!
慌てて隠れようとしたが、点滴の繋がった腕や導尿のチューブやらでうまく動けない。第一傷口が痛むのに逃げられるわけがない。半ばパニックになっている私をよそに、彼の目がゆっくりと開けられていく。窓から射し込んだ夕日に照らされた双眸がキラキラと輝きを放ってガラス玉みたいだ。
あの時と一緒だ。
「壮、ちゃん…」
私の唇から零れ落ちた声に、壮ちゃんは目を大きく見開き、そして驚くほどの速い動作でベッドに近づくと、私を抱き締めた。
「何で、壮ちゃんがいるの?由亜は?あの男たちは?」
しばらく何をしても動いてくれなかった壮ちゃんがやっと体を離し、ナースコールで呼ばれた医者が簡単な診察をした後、私と壮ちゃんは向かい合っていた。小春は自宅、由亜は別の病院に入院中、ホストの皆はお仕事、両親には小春とそのお父さんが連絡をしてくれて3日後に家に帰す旨を伝えてくれたとのこと。さすがに拳銃で撃たれましたとは言えなかったらしい。幸いにして弾は脇腹を掠めただけで大事には至らなかったのも事情を伝えずに伏せた理由のようだ。そりゃあもちろん瀕死だったら伝えただろうが、そうでもないのに事を荒立てる必要はない。
気まずい沈黙を打開しようと私は必死で話題を探し、無難な質問をした。
「由亜は打撲だけだ。念のため入院している。あの男たちは…まぁ、後で若宮さんに聞けば良いだろう。お前を傷つけておいて無事で済まされるはずはないけどな。…で、結子」
どうやら私の意識がない間に色々と処理されているらしい。とりあえず由亜が無事なら良かった。
一人胸を撫で下ろした私を、壮ちゃんが呼ぶ。その声が心なしか震えている。
「どうしたの?」
首を傾げると、壮ちゃんが歯を食いしばったのが分かった。
「結子が生きてて良かった。このまま二度と目を覚まさないかもしれない、と思った瞬間、全身の血が凍りついた」
痛みを堪えるような表情が胸にじんわり滲んでいく。
私はその表情を変えたくて、壮ちゃんの手に自分の手を添えた。動くと引きつれたように傷口が痛むけれど、固く握り締められた異常に冷たい拳を融かせるならそれでいい。
壮ちゃんは私の手が自分の手の甲に触れたことに気づくと、握り締めた力を弛めた。そして目を閉じると、頬を幾筋もの涙が伝っていく。
「本当に良かった…」
安堵した声が少し震えていた。それが私を満たしてくれる。
壮ちゃんの涙は見たくないとずっと思っていたけれど、今は私のために流してくれている涙を見ていたい。胸が甘く痺れて、トクントクンと鼓動が速くなる。
こんなことを思ってはいけないけれど、壮ちゃんが私を見てくれるなら怪我をしたことも悪くない。そう考えて、私の心には今も壮ちゃんが住んでいることを自覚する。誰に口説かれても大切にされても、これから先もきっと私の心は壮ちゃんにしか向かないんだろう。それは絶望的な未来でしかないのに、それも良いかなと思う私はおかしいのかもしれない。
「俺、ずっと考えていたんだ」
日が落ちて薄暗くなった部屋の中、ポツリと落とされた言葉に私は彼の目を見つめた。
「何で結子は俺の前から消えたんだろうって。何がそこまで結子を追い詰めたんだろうって」
「壮ちゃん…」
彼の目は床をぼんやりと捉えているだけで、どこか遠い。
「自分の隣に結子がいないことが堪らなく腹立たしいこと、結子の苦しみを打ち明けてもらえなかったことが辛いこと、友達という区分に入れられるのが許せないこと、その理由をずっとずっと考えていた」
そこで一度言葉を切ると壮ちゃんは自嘲的に笑う。
「結子が撃たれた時、やっと答えが出た。
俺は結子が好きなんだ」
え…?
私の中で時間が止まる。
「結子がいなくなって、世界に色が無くなった。何もかもがどうでも良くて、勉強も部活も何もかもが手につかなくなって。ただ、結子に会いたかった。声を聞きたくて、笑ってほしくて。結子に逃げられる度に胸が押し潰されそうになった。
…結子だけだよ。俺の心を掻き乱していくのは」
不意に向けられた焦げそうなくらいの強い眼差しに、私は反射的に目を伏せた。
頭が現状を飲み込めていない。まだ私は夢の中にいるんだろうか。きっとそうだ。壮ちゃんが私だけを見ているなんて、都合のよい夢に決まってる。
夢から早く抜け出さなければと、私は現実世界での公然とした立ち位置を主張する。
「でも私には恋人が、いるの。女の子の」
事実はどうであれ、それが私を取り巻く人たちにとっての真実である。実態は、私は小春の虫除け兼暇潰しであり、小春は私を守り、私を闇の世界に誘った人なだけ。ギブアンドテイクな関係でしかない。私たちの友人関係は、青臭い青春の代名詞ではなく、利害関係を基盤としたドライなものだ。けれども、それを知ってるのは当人同士だけ。ホストの皆だって、私と小春が純粋に友人関係を結んでいると思っている。
壮ちゃんは何故かふっと口元を弛め、柔らかく微笑んだ。
「結子と若宮さんの関係は、若宮さん本人に全部聞いた。恋人じゃない、ってさ。
あぁ、でも結子はどこにいても人気者だな。ホストの人たちから、自分たちも恋人候補だからっていう宣戦布告をされた」
………ダメだ、やっぱり思考がついていかない。火照った顔を俯け、私は考えることを早々に放棄した。
壮ちゃんの視線は尚も私に突き刺さっている。
「もう一度言うけど、俺は結子が好きだ。すぐに振り向いてくれとは言わない。けれどいつか俺の手をとってくれるように努力するから、傍にいたい」
「でも由亜が…」
「アイツとは絶交した」
………は?
予想もしていなかった言葉に、今度こそ私の思考は完全にフリーズした。
由亜と、絶交?
何がどうなるとそんな話になるんだろうか。二人の間で何があったのか分からないけれど、変な方向へ話が進んでいるらしい。
壮ちゃんの話を聞けば聞くほど色んなことが分からなくなっていく。困惑して視線をさまよわせた私の手を離して壮ちゃんは立ち上がると、部屋の電気を点けた。そしてまた元の場所に戻ってくると、私の顎に手を添えて俯く顔を上向かせる。
「結子、俺じゃダメか?」
熱っぽくユラユラと揺れる瞳に、私は縫い付けられたように動けなくなる。それをどう受け取ったのか、艶を帯びた赤みのある飴色が惑うことなく私を映して近づいてくる。
躊躇いと疑問、そして胸に灯る熱。色んな感情に後押しされるように私の瞼は自然と閉じられていく。緩慢な思考の中、流されている、とは思ったけれども、このまま流されてしまえ、という心の声が堪らなく甘美だ。目を閉じれば壮ちゃんの吐息が鼻先を掠める。
「結子!!意識が戻ったって本当か?!」
壮ちゃんの唇が私の唇に触れる瞬間、病室の扉が勢いよく開いた。咄嗟に私と壮ちゃんは距離を取って離れた一瞬の後にハヤテ君が飛び込んできた。その後ろからユウさんとスバル君が入ってくる。
「ユコ!」
大型犬が飛びかかってきたみたいな勢いで抱きつくから、脇腹に衝撃がきて私は低く呻いた。けれどもそのお陰で頭が冷静になる。
あ、危なかった…
私…流されるところだった。
壮ちゃんが私を好きだなんて、そんなことあるわけないのに。
内心苦笑しながら、ハヤテ君に苦情を言う。
「ハヤテ君…痛い」
「うぉっ、悪い!」
慌てて飛びずさるハヤテ君。いつもと違って落ち着きのない様子に、彼が私の無事を心から喜んでくれているのが分かった。
「ユコ、ハヤテが悪いな。コイツ、ユコが眠ってた丸1日、ずっと落ち着きがなくて。今日はたまたま店が定休日だったから連れてきたらこれだもんな」
1日眠ってたんだ、と驚く私とは別に、呆れたようにハヤテ君を見てユウさんは盛大にため息を吐いた。
「ううん、気にしてないから良いよ。寧ろ、そんなに喜んでくれて嬉しい。ありがとう、ハヤテ君。ユウさん、スバル君、来てくれてありがとう」
小さく頭を下げてから微笑むと、3人とも微笑み返してくれた。
「ユコが生きてて良かった。ユコを撃ったバカなチンピラはお嬢が制裁を加えておいたから、安心して」
「ユコが撃たれたって知った時のお嬢をお前に見せたかったよ。フランス人形が怒るとホラーだな、あれは」
「俺、組長とお嬢はやっぱり親子だって思ったもん」
綺麗な笑顔で物騒なことを言ったのはスバル君、悪戯っ子のようにニヤリとしたのはユウさん、ユウさんの言葉を引き取り体を震わせたのはハヤテ君。こんな見慣れたやりとりが、今は何故か嬉しくて仕方ない。
やっぱり、皆といられるのってホッとする。
「私、いつ頃退院できる?」
「明日には良いらしい。なんせ脇腹を掠めただけだからな」
脇腹を掠めただけで丸1日意識の無かった私って…
遠い目をした私を見て、スバル君が笑う。
「けど掠り傷で良かった。ここは腕が良いから多分痕はほとんど残らない。裏社会の連中が専門の病院だからな、こういうことには慣れっこなんだ」
道理で事情を詮索されないわけだ。ニコニコと人の良さそうな笑顔で往診をしてくれた壮年の医師の顔を思い出し、人間って見た目じゃ分からないなと妙に感心をした。裏社会なんて知りませんみたいな顔をしていたのに、本当にビックリだ。
「じゃあ退院できたら実家に戻るから、借りてる部屋を片付けたいの。退院したら手伝ってほしいな」
「なんだ、ユコ。もう里帰りか?ずっと俺らの所にいれば良いのに」
スバル君が残念そうな顔をする。それをお客さんに向けたら、絶対にもっとお金を出して豪遊してくれるだろうに。残念ながら店ではクールな王子様キャラを演じているから、使うことはない。
スバル君のレアな表情にいくらお金が積まれるか頭の中でそろばんを弾きながら、私はへらっと笑ってみせた。
「う〜ん…今回のことで皆に迷惑かけちゃったし。由亜が襲われたのだって、私がこっちに居座ったからでしょ?それにもうバレちゃったから帰るね」
「そうか。…ま、俺は今まで通り結子が顔を見せてくれたらそれでいい」
「うん。家に戻るだけで、こっちに遊びに来るのは変わらないよ。これからもよろしくお願いします」
ペコリと頭だけ下げると、ユウさんが頭をポンポンとしてくれる。そのうち指で優しく髪をすかれ、私は思わず目を細めた。
「…ユウさん、抜け駆けはしないでくださいよ」
不服そうなハヤテ君の言葉を綺麗にスルーし、ユウさんは私の髪を掬い耳を露にした。
「ユコ、愛してる」
不意に耳元で囁かれた睦言に瞬時に顔が沸騰する。
「ユウさん、何やってるんすか!」
「ユコ、耳を塞げ!この人の言葉は媚薬並なんだよ!」
「…なんでこんなヤツばっかり引き寄せるんだ…」
私の悲鳴に似た声に被さるようにハヤテ君、スバル君、壮ちゃんの声が降ってくる。それが更に羞恥をかき立てるものだから、私の顔は止まることなく熱くなっていく。
「ユウさん…勘弁して」
泣きそうになりながら懇願すると、ユウさんは声を上げて笑い出したのだった。
お読みくださりありがとうございました。
これでハーレム構成要員は出揃いました。あとは超鈍感娘が誰を選んでいくのか…。
次回から少しずつ真実が明らかになっていきます。