閑話その0
閑話です。読まなくても差し支えはありません。結子の複数な心境とホストの面々の攻防戦等々がです。
終電で家に帰ると私はシャワーを浴びて身支度を整えた。体は重いし眠いけれど、早いうちに荷物は作っておきたい。
服と化粧道具、学校の鞄やスマホの充電器など必要なものを旅行用のトランクに詰めていく。元々物は少ないから準備は30分くらいで終わり、私は親への置き手紙を書いた。会ってグズグズ言われるのは面倒だけど、無反応だとそれはそれで傷つくのは分かっているから。もしかしたら家族の輪を乱した私は不協和音でしかなくて、両親にとっては不要な存在なのかもしれない。その原因は自分が蒔いた種だというのに、認めてしまったら私は立ち直れないような気がした。
とりあえず1週間くらい友達(さすがにホストクラブの最上階とは言えなかった)の家に世話になること、連絡はメールにしてほしいという旨だけを簡単に書き、私はベッドに寝転んで勉強机を眺めた。机の上には中学校の時に使っていた参考書や問題集が並んでいて、それを見るだけで胸がチクリと痛む。もう必要が無いのに捨てることができなかったそれらは、私の過去に対する未練であり、手放し切れなかった夢の名残だ。本当は、本当は…。
「…どこで間違ったんだろうなぁ…」
私も中学生の頃は妹のように医者になりたいと思っていた。けれども由亜や壮ちゃんに出会って自分の能力に限界を感じてしまってからは、その夢は揺らぎ始めた。常に劣等感を感じ、そのうち何を努力しても自分の未来が描けなくなってしまった。好きだったはずの勉強が自分を責め立てる存在になっていった。そして今、私は自分の現実から、それを突きつけた二人から逃げるために堕ちている途中だ。
今なら分かる、自分の恋心を二人にどう思われるか怖くて逃げたんじゃない。
私は、現実を見たくなかっただけ。どんなに頑張っても二人には届かないと認める度に私は私を削っていった。ただ、勉強や外見だけじゃなくて、恋すら由亜に負けてしまったことが私を砕く決定打になっただけで。もっともっと前から私が劣等感に押し潰される要素はいくらでもあったのだ。
二人に出会わなかったら良かったのかもしれない。
ふと頭に思い浮かんだ考えに私は苦笑する。
出会ってなくてもいつか私は自分の限界を感じていただろうし、同じようなことで逃げ出していただろう。きっと結果は同じだった。それに逃げた先で色々な人に出会えたことは私にとって幸せなことだ。そのことを考えたら必ずしもマイナスではなかったのだと思える。
でも、やっぱり後悔はしてる。
苦しくて逃げ出してしまったことも、周りの人を失望させてしまったことも…そして何より、壮ちゃんへの想いをそのままにしてきてしまってきたことを私は後悔している。
目頭がじんと熱くなってきて、私は枕に顔を押しつけた。
ユウさんが貸してくれた部屋に移り住んで3日、適応能力だけは異常に高い私はちゃっかり生活に順応し、今は台所で皆の夕飯を作っている。
ホストの皆は昼くらいまでそれぞれの自宅で寝てるらしいけど、夕方くらいになると出勤し仕事の準備が始まる。いくら仕事柄モテるといっても所詮は独身、(彼女と同棲中のケイシ君は別として)ご飯を作ってくれる人はいない。もちろん買い物も面倒だからご飯を作る気も無い。コンビニで買ったパンや弁当を食べて、あとは仕事で少し食べるくらい。アフターで上客にディナーをご馳走になれば別だけど、そんなことが毎日あるはずもなく。皆さん、びっくりするほど不摂生で。呆れ返った私の提案が、食材を買ってきてくれたら夕飯を作る、というものだった。
結論から言えばその提案に皆が飛びついた。…それぞれ理由は違ったみたいだけど、提案した次の日の昼(普段から考えたらとんでもなく早いご出勤です)にはスバル君が両手に一杯の野菜や肉、魚を買ってきてくれたので、私はお店の厨房にあった調味料を使って料理をした。
『店のナンバーワンホストを顎で使ってスーパーに食材を買いに行かせるなんて、全国探してもユコだけだよ』
マヒロ君がニヤニヤしていたけど、単純にスバル君が気の利く人だから率先して買ってきてくれただけだもの、そんな言い方失礼だよ、と真面目に答えたら皆が各々の口に入っていた料理を噴き出しかけていた。まさかのヨシ君までそんな反応をするとは思わなかったんだけど。そしてスバル君は何故か項垂れている。
『スバル、お疲れ』
『姫の鈍さは折り紙つきだから、スバルのせいではない』
『てかユコのスルースキル、どんだけ高いんだよ』
意味不明な、そして私を馬鹿にする内容にムッと顔をしかめると、ハヤテ君が私の頬をムニッと摘まんだ。
『さすが俺のユコ。俺に落ちるまで絶対に他のヤツに落とされるなよ』
『って、私はハヤテ君のじゃないってば!』
『照れんなよ。俺とお前の仲だろ?』
『どんな仲よ!!』
『『……へぇ?』』
ペシッとハヤテ君の手を払い、頬を撫でながらいつもの応酬をしていると、低い低い二つの声が響いて私は口をつぐんだ。誰と誰の声かは分かってるけど、なんだかお怒りの様子。気温が下がった気もするし。
『えっと…ユウさん、スバル君…?』
恐る恐る二人の顔を伺えば怖いくらいニッコリとしてくれた。
『ハヤテ、ユコが誰のもんだって?』
『今、ユコに触っただろ』
笑顔のまま告げられた言葉にハヤテ君の顔が引きつる。
『ユコ、ちょっとこっちにいようか』
そう言いながらマヒロ君が私を強制的に部屋から退場させたので、その後のことは知らない。ただ次にハヤテ君を見た時、膨れっ面のハヤテ君の唇の端が青くなっていたので、まぁ…聞いてはいけないことなんだと私は理解した。
『二人とも、どんだけ余裕がないんだよ』
そういえば去り際に聞こえたケイシ君の言葉は何だったんだろうか。疑問は尽きないが、世の中には知らなくて良いこともたくさんあるから、知らない方が良いのかもしれない。
とにかく私は1週間、皆の夕飯を作る係になり今に至る。
私は料理が得意だ。小学生の頃から包丁を握っていることもあり、レパートリーも多い。フンフン鼻歌を歌いながら鍋に野菜を投入する。どうしても不摂生になりがちな皆のために、野菜がたっぷりのポトフに豚肉のピカタ、白米かバケットかは選択制。品数が多い方が本当は良いけどゆっくり食べてる時間は無いから、1品にたくさんの材料を入れて栄養バランスを考えている。
部屋にポトフの匂いが立ち込めた頃、ドアを開けてユウさんが入ってきた。
「おはよう、ユコ」
後ろから抱き締められて私は体を竦める。
「ユウさん、急に抱きつかないでって言ったじゃない」
「いや、料理してるユコが可愛かったから。家に帰ってきて可愛いカミサンが料理作って待ってるなんて、男の理想だよな。………ユコ、やっぱり俺のもんになれよ。一生大事にするから」
抗議したはずが更に口説かれて私は赤面した。ユウさんは大人の余裕なのか私の気持ちを無視して体の関係を迫ることはない。けれど毎日毎日甘く囁き、隙あらば口説いてくる。
「ユウさんの恋人や奥さんになったら周りからの嫉妬がスゴそうだもん。私は無理」
まだ死にたくない。
「そうくるか。相変わらず落ちない子だなぁ…」
「何でユウさんが私に固執するのか理解できないんだけど」
別にどこにでもいる女子高生なのにさ。
そう言えば、突然ユウさんが私の体をくるりと回転させて向かい合う形にさせられた。
「ユウさん!私、今日は休みだったからノーメイクなの!見ないでって!!」
今日は休日だから学校は休みだ。ついメイクを忘れたことを思い出して慌てて顔を隠そうとしたが、ユウさんの右手が私の顎を掴むから俯けなくなる。
「ユコ、それは犯罪だろ…」
私の顔を見て呆気に取られているユウさん。
「だから、見ないでって言ったじゃない…」
メイクしている時の私はまだ綺麗だけど、素顔は全くの別人なのだ。恥ずかしくて仕方ない。なんだか悲しくなって目だけ伏せると、瞼の上に柔らかい何かがそっと触れた。
「やべぇ…可愛すぎる。普段は美人なのに素顔は可愛いとか有り得ねぇ。顔立ちは整ってるとは思ったけど、ここまで可愛い顔だとは知らなかった」
「え?」
「ユコ、あいつらには素顔は見せるなよ。特にヨシ。アイツのもろど真ん中だから、絶対に惚れる。断言してもいい」
「はい?」
「料理は俺が運ぶからユコはメイクしてこいよ」
若干興奮した様子のユウさんに、私は目線を上げて顔を伺う。ユウさんは私と目が合った瞬間に私の視界を手で遮り、熱い吐息のような声で囁いた。
「んな目で見るな。抱きたくなるだろ」
「私は別に…」
「心が無いって分かってるのに抱く気はねぇって言っただろ。ほら、早く行けよ」
「分かった」
渋々頷くとユウさんは私を奥の部屋に押し込んでしまった。メイクをして戻った時にはいつものユウさんだったけど、休みの日でもちゃんとメイクはしようと誓ったのだった。