第四話
しつこいようですが、完全に作者の妄想で書かれています。あくまでフィクションとしてお読みください。
ホストクラブに来る人は本当に幅広い。若いOLみたいな人や学生っぽい子にお金持ちのマダム、あとは同じ水商売のホステスやキャバ嬢。ここに来る理由も払っていくお金も全然違う。中には私が1ヶ月真剣にバイトしたって手に入らないお金をポン、と出していく人もいる。
ホストの皆は舞踏会で踊る王子様のように軽やかに舞い、幅広い知識を武器にして滑らかな弁舌を奮い、艶やかで魅力的な笑顔や悩ましい目では魅せる。当然、客はすぐに彼らの虜になっていく。一時の夢を提供する彼らはプロで、女を落とすためにいつも細部まで気を配っているのを、こうして見学する度に実感させられるのだ。
「ユコ、お待たせ」
子供っぽくオレンジジュースを飲んでいると(ホストの皆に酒を飲んだら出入り禁止と言われているから)従業員室のドアから静かにユウさんが出てきて、私の前に膝をついた。
ユウさんは30後半だけど、すごく若々しい。でも大人の色香がムンムンで私はいつもクラクラしている。ハーフであるユウさんはビスクドールもかくやという美貌だし、若い頃は何年もナンバーワンホストの座に君臨していたというのも頷ける。
「ユウさん!突然お邪魔してごめんね。今日は小春、いないの」
小声で言うと、ユウさんは目と唇だけ緩く笑みを乗せて頷いてくれた。
「ユコが来てくれて嬉しいよ。…この前、電話番号教えたのに何で連絡くれなかったんだ?」
「え?皆に教えてるんじゃないの?」
元ホストだし、そういうことは挨拶代わりだと思ってた。…そうじゃなかったのかな?
ユウさんは心外そうな顔をして眉を上げた後、何かに気づいたようで、あ〜…と苦々しく呟いた。
「あれはプライベート用の番号だから。店のヤツもお嬢も知らないよ。知ってるのは親兄弟とオーナーくらいだ」
「え…そんなものを、何で私に教えてくれたの?」
目を丸くした私に、ユウさんは盛大なため息をくれる。それさえ色っぽくて思わず赤くなった私は悪くない。
「ユコって案外鈍いのな。プライベート用の番号教えたのは、俺がユコを落としたいから」
「ふぇ?」
今、何と言った?
「親子くらいの年齢差あるのにユコに本気で惚れたから。生憎お利口さんに見守るなんて俺にはできないし、それなら自分のものにするしかないだろ。…なんだ、てっきりフラれたんだと思ったら気づいてなかったのか」
思考停止して固まった私に、ユウさんは鮮やかな笑顔を向けた後、私の手を取ると指先にキスをした。そしてその指を絡め、立ち上がる。
「今は何もしないから。とりあえず、従業員室来いよ。話があったんだろ?聞くよ」
顎をしゃくり、私の手を引く。私の体は立ち上がると同時にユウさんの腕の中に収まった。ムスクの匂いとタバコの匂いが混ざったユウさんの匂いが鼻腔に入り込んできて、私は体が熱くなるのを感じた。腰を引き寄せられ、私たちの体はさらに密着する。
こんな所でくっついてて良いの?と頭の片隅で思ったが、ナンバーワンホストだったユウさんに高々高校生が敵うわけもなく、私はすぐに白旗を上げた。
「うん…」
鼻にかかる声で返事をするとユウさんが私のつむじにキスを落とす。
「ユウ、さん…!」
ここが店じゃなかったら叫んでいるのだが、ちゃんと理性が残っているからそれができずに、非難を込めて私はユウさんの名を呼んだ。頭上からはクスクスと笑い声が聞こえる。
「やっぱ可愛いな、ユコ」
甘ったるい声が降ってきて、私の顔は沸騰したみたいに熱くなった。
そのまま促されるように従業員室に入った私は知らない。スバル君とハヤテ君が仕事中だということを忘れてユウさんを睨み付けていたことを。呆れたようにケイシ君とヨシ君が顔を見合わせたことを。そして「面白いことになってきた」とニヤニヤするマヒロ君のことを。
従業員室の中に入るとユウさんは私をソファに座らせ、ユウさん自身はパイプ椅子を持ってきて私の前に座った。
「それで、今日はどうした?」
目で促され、私は話を切り出した。
「あのね、誰にもバレないように部屋を貸してほしいんだけど…1週間でいいの」
その言葉にユウさんが目を見開いた。
「え〜…ユコ、順を追って説明してくれないか。内容が分からないと答えられない」
眉間を指でほぐしながら説明を求めるユウさんを見て、さすがに突飛すぎるかと反省し私は話し始めた。
「私がB高に通ってる理由、前に話したの覚えてる?」
「あぁ。好きな男と友達がイチャイチャしてるのを見たくなくて逃げたって話だろ。面白い女だなってユコに興味を持ったきっかけだから忘れるわけない」
「…それがきっかけ…。じゃなくて。ここ1週間くらいその男の子に駅で待ち伏せされて何でこんなことしたのか理由を問い質されるし、由亜…友達は興信所使って私を調べ上げた上に牽制してきてさ」
ここ1週間、鬼気迫る表情で壮ちゃんは私を責めてくる。わざと通学の時間をずらせば会わないんだけど、残念ながらそういう時は帰宅時に出会う。壮ちゃんが何でそこまで私が姿を消した理由を知りたいのかよく分からない。
由亜の方は…やっぱりという感じだった。そもそも大金持ちの家の娘だ。人を一人探すのに8ヶ月以上もかかるなんて変だと思っていたら、案の定入学して1週間後には私の現状など調べ上げていたらしい。それを今頃になるまで放置していたのだから、友達が聞いて呆れる。
目を閉じると学校から帰ってきた私を家の前で迎えた由亜の姿が目に浮かぶ。
『久しぶり。心配してたわ』
白々しく挨拶をする由亜の表情は冷やかで、それは決して壮ちゃんには見せない顔だ。彼女の裏の顔を久々に見ると、やっぱり綺麗な薔薇には棘があることを実感させられてしまう。
『やっと壮介君の前から消えてくれたと思ったのに、何でまた現れたのよ』
『壮ちゃんが勝手に見つけ出してきたんだもの、私のせいじゃないけど』
憎々しげに放たれた言葉に冷静に返事をすると、可愛い顔が不服そうに歪む。
『何、その言い方。私は何も悪くありませんって言いたいわけ?逃げたくせに』
怨嗟の篭った言葉は、彼女の外見からは凡そ想像つかないものである。私はため息を吐くのを堪えて彼女の言葉を受け止めた。
仮にも中学の2年間は友達だったはずなのに、何だか空しい。
『結子。壮介君を解放してあげてよ』
唇をきゅっと結び、由亜が私を見上げてくる。
『私は最初から壮ちゃんを縛りつけたつもりはないよ。寧ろ、私の未来も期待も捨てて由亜にあげたじゃない。由亜と壮ちゃんが一緒にいればいいって、この前壮ちゃん自身にも言ったよ』
『そんなの嘘!壮介君は何かに取り憑かれたみたいに結子を追いかけてる!いい加減にして!』
ヒステリックに叫ばれ、私は目を丸くした。由亜は普段から声を荒げることはしない。こんな姿は初めて見た。
『嘘じゃない。私は拒絶した。今私に彼女がいることも伝えたし、金輪際関わらないでって頼んだもの。これ以上何をしたらいいっていうの』
『結子が壮介君をちゃんとフってくれないからよ!変に気をもたすから…』
『フるって…壮ちゃんが好きなのは由亜でしょう。意味が分からない』
由亜がさっきから何を怒っているのか分からない。これじゃまるで人様の恋人を奪ってその相手に抗議をされているみたい。壮ちゃんが選んだのは由亜なのに、選ばれなかった私が責められる謂れはないはずだ。
『結子…あなた、気づいてないの?』
突然呆けた表情をした由亜に、私は首を傾けた。
『何が。由亜と壮ちゃんが両思いってこと?それは知ってる』
『………それ、本気で言ってるの』
『?本気も何も事実でしょ』
今さら何を言うのだろう。困惑した私を見て、由亜の表情が驚きから悔しさに、そして呆れた風に変わる。
『信じられない。気づいてないのは、結子だけよ』
『どういうこと?』
『教えない。とにかく、壮介君に気を持たせるようなことをしないで』
『最初からそんな気無いし、壮ちゃんだって由亜が心配してると思ってるから私に構うだけだよ』
一昨日の会話を思い出し、私は頭が痛くなりそうになる。何で二人がそこまで私に構うのか分からない。ただ、ほとぼりが覚めるまでは自宅に帰らない方が良いかもしれないと思った。それで部屋探しの相談をユウさんに持ってきたというわけだ。小春に相談したら面倒になるのは必至だから、ドライな関係でいられるユウさんならと考えたのだ。
「………お前って本当にトラブルメーカー気質というか不幸体質というか…。何で変なヤツばっかり引き寄せるんだ」
げんなりした様子で呟くユウさん。
「失礼な。私は普通に生きてるよ。それで部屋を借りたいの。でも1週間なんて短期間じゃ貸してもらえないからユウさんに相談に来たんだ。お金はあるし、ちゃんと対価は払えるよ」
「…ユコの行動力って変な方向にしか向かわないもんな。まぁそれが可愛いんだけど。
それで部屋だけど、ここの最上階の部屋が空いてるからそこを貸してやろうか?」
頭をポンポンとされ、私は思わず目を細める。
「良いの?お金はどのくらい出したらいい?」
「金はいいよ。たかが1週間部屋を貸すくらいで惚れた女から取れねえし」
「でも」
「ユコが身体で払ってくれるんならそれでもいい」
悪戯っぽく流し目で見てくるユウさん。
「本当に?私、経験無いからお姉さま方みたいにユウさんを楽しませられないけど、それでもいい?」
ユウさんが今まで付き合ってきたであろう女の人たちのが綺麗だし(小春に教えてもらったけど皆美人だった!)絶対にうまいし。
真面目に言ったはずなのに何故かユウさんは吹き出した。
「ぶっ………んな冗談を真に受けんなよ。対価としてお前抱いても意味ねぇし。
それより、ユコはもっと自分を大事にした方がいい。どうもユコはこっちの世界の匂いがする。純粋過ぎる心とその匂いのアンバランスさが堪らないし、隣で支えてやりたいって思わせるんだろうけど…」
「それって微妙…」
「ユコって誰にも染まらないからな。自尊心の高いヤツや俺たちみたいに女を見尽くしたようなヤツは、いつまでも真っ白なまんまのユコを自分の色に染めたくて惹かれるんだ。しかも見た目が上物だし、愛でるには最高だろ?」
私が恋愛事に鈍いと知ってるユウさんは丁寧に解説をしてくれる。誉められてるのか何なのか分からないから複雑だ。それが顔に出ていたのかユウさんに笑われてしまう。
「ま、ユコはユコのまんまで良いってことだ。部屋は貸す。金は要らないから、どうしてもっていうなら毎日店に顔見せてくれ」
「そんなことで良いの?」
「あぁ、ユコがいるとアイツらが張り切るから売り上げが良いしな。それに俺もユコに癒されたいから」
ユウさんの綺麗な顔が近づいてきたかと思うと頬にキスをされた。チュッとわざと音を立てられて私は顔を赤くした。
「な、なら!私、厨房で皿洗いする!」
仕事をせずにいたら、本当にユウさんの手管にドロドロにされてしまう。
「別に俺の隣にいたら良いのに…」
「いや、うん!やっぱりタダはダメ!家賃には足りないだろうけどお手伝いさせて?」
「分かった。…じゃあ、いつから来る?」
「今日は荷物無いし、明日からでいい?」
一応親に一言言わないとさすがにマズイ気がする。私が外泊を何泊したって興味無いみたいで何も咎められないけど、1週間は長いから伝えといた方がいいと思う。
「俺はいつでも良いよ。なんなら俺の部屋に来ればすぐに住めるし、生活用品一式くらい用意してやるよ」
「けっ、結構です!」
「くくっ…俺はユコとこのまま同棲になだれ込んでも良いんだけど残念だなぁ」
「もう!ユウさんの意地悪!からかわないでよ!!」
「無理、だって面白いもん。同棲は本気なんだけどな」
私の腰を掴んで持ち上げ自分の太ももの上に座らせると、頭を胸に引き寄せられた。
「俺も元ホストだから女を手玉に取って遊んできたけど、ユコは別だ。俺の全てをお前にやっても惜しくないほど惚れてるから。それは忘れないでくれ」
トクトクと少し速い鼓動に私は黙って耳を傾けていた。
見ての通り結子は無自覚天然の変な人ホイホイです。そして鈍感なので話がややこしくなっていく…