表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/21

第十七話

ただ互いの体温と鼓動を感じるだけの永遠に続くんじゃないかと思った時間は、ヨシ君の腕が緩慢に私の背に回されたことでまた動き始める。

「………ごめん…」

幼い謝罪は何に対してのものか、私には判別することができない。それでも私をきつく抱き寄せる腕が、私を離したくないと叫んでいるように思えた。だからきっとこの謝罪は、拒絶ではないのだろう。

「私、ヨシ君が思ってるより強かで逞しいよ。傍にいられなくて辛いって泣くかもしれないけど、いつかヨシ君と二人で歩んでいく未来があるなら頑張れる。

ねぇ、ヨシ君。私にあなたの心をちょうだい」

あなたの心があれば、私はそれだけで生きていける。

そう言い募ってもヨシ君の口から言葉は聞けず、代わりに彼の指がすがるように私の服を握り締めたのが分かった。そんな動作に彼の葛藤を感じて私は苦笑する。


…何であなたはそんなに不器用なんだろう。

欲しいものを欲しいと言えず、自分の心さえ簡単に抑え込んでしまう。


本当に、私たちはそっくりなんだね。


我慢して、気持ちに蓋をして。

それは誰かを幸せにするためであり、自分が傷つかない術であったけれども、それは所詮は偽善でエゴだ。

私が良かれと思い壮ちゃんから逃げたことで、たくさんの人を傷つけた。自分の人生も大きく変えてしまった。

だから、私はもう自分の気持ちから逃げない。そしてヨシ君にも逃げてほしくない。

「ヨシ君。未来じゃなくて今を見て。私のことを好きだともう一度言って」

そう。

それだけで良い。

私の言葉にヨシ君は腕の力を弛めて体を離すと、私の顔をじっと見た。ヨシ君は今にも泣きそうな顔で唇を震わせている。

「…結子」

「うん」

「こんなはずじゃなかった。本当に、結子を好きになるつもりはなかったんだ」

苦しげに吐露される想いは後悔を含んでいる。それだけで、どれだけヨシ君が自分の気持ちに悩んできたのかが分かる。

「でも、無理だった。俺は結子を好きになって。もう戻れない所まで来てしまった。

…きっと、一度結子を手に入れてしまったら俺はお前を手放すことはできない。どれだけ結子が泣いても、だ。そんな俺が結子を好きだなんて、言えるわけがないだろ」

「ヨシ君…」

「俺は自分の愛情が重いことを自覚してる。相手をどこまでも溺愛して、独占して。そんな愛し方しかできないんだ。

結子には色んな可能性があって輝けるはずだ。俺はそれを応援したい。…なのに俺自身が結子の可能性を潰してしまいそうで怖い。

そしてそんな俺を、いつか結子が嫌悪する日が来る」

俯いたヨシ君の額が私の肩にコツンと乗せられ、その直後、奥歯を強く噛み締めた音が聴こえた。

私は丸まったヨシ君の背に腕を回して、その体を抱き締める。私よりも大きくて逞しい体が今は頼りなく思えるのに。


やっぱりこの人が好きだ。


そんな想いが自分の奥底から沸き上がってくる。

きっと私はヨシ君の全てを知っているわけじゃない。もしかしたらヨシ君の言うとおり、私がヨシ君を嫌いになる日が来るかもしれない。

けれども、それは私だって同じことだ。私だっていつかヨシ君に愛想をつかされる日が来るかもしれないのだ。

とはいえいつか、は確定じゃないし、確実な未来じゃない。それに私たちは今こうして確かに心が重なっている。それで十分だ。

「…誰かを愛するってことは、相手を受け入れることだと思う」

ぽつりと落ちた言葉にヨシ君の肩が揺れる。

「未来は誰にも分からない。人の心は移ろい行くものだし、永遠なんてあるわけない。

お互いの知らなかった一面を見るのは、きっと怖いことだよ。自分が隠したい一面を知られるのはもっと怖い。

だけどね、怖いって気持ち以上に私はヨシ君を知りたい。『ヨシ』としてのあなたも『喜之』としてのあなたも、全部受け入れたいの」

そこまで言って私は息を吸い、そしてヨシ君の耳元に吐息を溢すように囁きかける。

「ヨシ君が私を部屋に閉じ込めたいならそうしても良いし、どこへも行くなというなら傍にいる。束縛されたってヨシ君なら良いんだよ、私。だって、私はヨシ君が大切で大好きだから」

寧ろ束縛されれば、ヨシ君の心と時間は確実に私だけのものになるでしょう?そんな幸せなことはないわ。

笑ってみせると、唐突にヨシ君が顔を上げ。そして気づけば床に押し倒され唇を重ねられていた。


唇に触れた柔らかい感触が心を満たしていく。


いつの間にか私の手を床に押さえつけ、指を絡められ。最初の可愛らしさとは程遠いキスが降ってきた。

「結子…、結子っ」

唇が離れる度に涙が滲んだ声が私を呼ぶ。それだけでこちらが泣き出したくなって、胸がぎゅっと締め付けられた。

切なくて苦しくて、心臓がたまらなく熱くて。

絡めた指を握り締めれば、その繋がりはより深くなっていく。


私、生きていたい。


この人の隣で生きたい。


普段優しくて穏やかな顔ばかりを見せているヨシ君の激情に翻弄されながらも、私はやっぱりヨシ君との未来を願ってしまう。

どんなヨシ君でも、いい。私は胸を張って好きだと言える。

それって、愛してるってことでしょう?

ぼんやりと霞がかった思考の中、私はヨシ君をただ受け止めていた。





永遠に続くんじゃないかと思えた時間も、やがてヨシ君が荒い息を吐いて私の手を解放したことで終わりを告げる。

肩で息をしながらヨシ君は私の隣に仰向けで寝転がり、そして突然明るい声音で笑い出した。

「ハハハっ…」

ちらと隣を見れば、清々しい表情で目を閉じるヨシ君の横顔が近くにある。

「ヨシ君?」

「悪い。…俺、こんなに結子に骨抜きにされてるのに…この想いから逃げ切れるなんて思ってたんだと気づいたら可笑しくて」

そう晴れやかに宣ったヨシ君は目を開けるとこちらを見て視線を緩めた。その目には涙が滲んでいて、笑みを深くした瞬間にほろりと一筋零れる。

「結子に自分を受け入れてもらえるだけで心が満ちたんだ。そうしたら自然と自分の気持ちを受け入れることができた。

…自分の中にある暗い感情に光が射して、温かい感情が広がって。大切にしたい。全てを受け止めたいって気持ちが溢れた。それで、これが人を愛するってことなんだって気づいた」

ヨシ君の腕が私を抱き寄せる。

「俺、結子の全てを受け止めたい。結子の過去も今も未来も、全てを受け止めていたい。

愛してる。だから、俺に結子を愛する権利をくれ」

真摯で惑うことのない真っ直ぐな懇願が、簡単に心の中に入り込んでくる。


やっと…


やっと、手に入れた。


私が望んだ唯一が、今、私の目の前にある。


「…私をたくさん愛して。そしてヨシ君を私に愛させてね」

「あぁ」

「喜之君、大好き…っ!」

もう大切なものは離さない。他の人に譲ったりしない。

パクパクと鳴り響く鼓動を聴きながら、私は喜之君の背に腕を回した。












あれから、本当に色々と大変だった。

ハヤテ君がいるのを忘れて愛を語らいキスをした私たちは、当然のことながらハヤテ君にからかわれるはめになり。

そのせいで夜蝶の宴の皆にも事の次第が知れ渡ることになって、しばらくは生温い視線を頂戴することになった。

ただユウさんだけは優しい表情をしていて。

『ヨシに飽いたら俺がユコをもらってやるからいつでも言えよ』

なんて冗談混じりに笑っていた。…ううん、本当に冗談なんだろう。だって両親が私を見つめる時のような私を慈しむ目をしていたから。

思い返せばユウさんはどんな時も私を見守ってくれていた。時々恥ずかしくなるくらいの愛情表現もあるけれど、大切に大切にしてくれた。

あれは…うん。今思うと小さな自分の娘を溺愛する父親のようでもあった。私が幼い頃、父が私をお姫様みたいに扱っていたのと同じかもしれない。

…そう、私は忘れていたけれど、確かに父は幼い私を溺愛していたらしい。それがいつしか、私が遠慮の塊になってできなくなったのが淋しかったのだと父は言っていた。ちゃんと私は愛されていた、と思うと面ばゆいけど嬉しくなる。

ユウさんのことは好きだ。

でも、それは恋愛感情ではない。いつの間にか失くしてしまった父との時間を、惜しみ無く与えられていた愛情をユウさんに求めていただけだ。

ユウさんに父親の面影を重ね、甘えていただけ。

きっと、ユウさんもそのことに気づいていたはずだし、逆にユウさんも私に誰かを重ねていたのかもしれない。…だから、翻弄するような言動をしながらも絶対に一線は越えたりしなかった。

『幸せになれよ』

笑ったユウさんの目はやっぱり穏やかで、それは父の目とそっくりだった。



慌ただしく過ぎていった日々を思い返し、私は飛行機の窓から外を見る。

窓の外には青い海と、留学先であるオーストラリアの地が広がっている。見慣れた景色とはやっぱり違いすぎて、少しだけ淋しいなと思い、そして私の背を押してくれた喜之君を想う。

今日からしばらく、誰も知り合いのいない土地で母国語とは違う言語を扱いながら生活することになる。

不安でいっぱいになる胸を、支えてくれた人たちを思い浮かべることで鼓舞し、私は笑顔を作ってみせた。

「これは夢への第一歩。大丈夫、私なら頑張れる」

一人呟いて、大きく深呼吸。

大丈夫。皆がいる。私は一人なんかじゃない。

この地で私はもっと大きくなって、そして自分の未来を掴むのだ。それが私の、皆に対する恩返しであり、感謝になる。

…それにこれは、喜之君と一緒に同じ未来を見るための大切なチケットを手に入れるのに必要なステップなのだ。

地元へと戻っていった喜之君の傍に私がいるために大切なこと。そのためなら何だってできる。

愛情深くて淋しがり屋で、不器用にしか人を愛せない彼のことを支え、愛し続けるためなら、多少の苦労なんて苦労じゃない。

「…頑張りますか」

左指に填められたプラチナリングを一撫ですると私は目を閉じて、そこに唇をつけた。


これがいつか、永遠を約束する証になりますように。


ひんやりとした指輪に愛しい彼を想う。

満たされた気持ちのまま、私は飛行機から降りる準備を始める。新しい土地に心を馳せながら。

これで本編は終了です。この後はエピローグ、番外編になります。



長い間ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ