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第二話

兼子由亜(かねこゆあ)は才色兼備の、生粋のお嬢様だ。

兼子家は名士の家で、遠く遡ると何とかっていう親王が降嫁したこともある由緒正しき血筋である。その本家の末娘が由亜だ。上には兄が二人と姉が一人いる。

彼女は出会った時から、纏う空気の違う人間だった。真っ黒で艶やかな髪は肩を越すくらいまであり、対比して肌は真珠のように滑らかで白い。少しだけ吊り上がった猫目は気がきつい印象を与えるけど、常が落ち着いていて涼しげな表情だから彼女の清廉な雰囲気を際立たせるものになっている。紅く色づき弧を描く唇はやや薄く、鼻梁は綺麗の一言に尽きる。華奢な肢体はしなやかで美しい。

外見も身分も頭脳も、卑下するものが何もない彼女。しかしそんな彼女にも唯一、コンプレックスがある。



由亜の左膝から下は義足だ。



彼女が幼い頃に事故に遭い、足を切断するしかなかったらしい。彼女はその足を憂いていて、他者に知られるのをひどく嫌う。だからこのことを知っているのは由亜の家族と主治医、学校の先生たち、そして私と壮ちゃんだけ。

壮ちゃんは由亜の足をいつも気にかけていて、常に近くで見守っていた。まるでお姫様を守る騎士のように、ずっと。


壮ちゃんは所謂インテリ系のイケメンだ。背が高くて細身だけどちゃんと筋肉はついているし、銀フレームの眼鏡をかけた顔は冷悧だけど綺麗な造りをしている。見た目だけじゃなくて、中学の時はずっと学年トップの成績だったから、頭もすごく良い。口数は多くないけど、周りに気を配れる優しい人だ。…惜しむらくは異性関係にとことん疎いことくらいだろう。壮ちゃんの目に映っているのは由亜だけで、それ以外の人はどうでも良かったのかもしれない。


そんな二人と、私は友達だった。私は見た目も普通だし、勉強も運動もほどほどだ。泣きの涙で成績を維持していたけど、正直に言えば自分の能力に限界は感じていた。二人といればその思いが一層強くなり、その度に胸がズキズキと痛んだのを覚えている。

由亜とだけ、もしくは壮ちゃんとだけ一緒にいたのなら、或いはこんな劣等感を覚えずにいられたのかもしれない。二人といると、私は常に疎外感を感じずにはいられなかった。私だけ、不釣り合いだった。


それなのに。


それなのに私は、壮ちゃんに恋をしてしまった。


その恋はすくすくと育ち、花開いてしまった。



私は怯えた。

壮ちゃんが由亜を誰より大切にしていて恋い焦がれていることも、由亜が壮ちゃんに恋していることも、誰の目にも明快だ。そこに今まで友達面をしていた女が割って入ったら、二人はどう思うだろうか。蔑むような目で見られたら、はっきりとした拒絶をされたら、私は生きていられない。

けれど、想いは隠せないのだ。

近ければ近いほど、聡い二人は私の想いに気づいてしまう。



だったら。



逃げるしかないでしょう?



それが私の出した答え。

親の期待も、思い描いていた未来も、私自身も捨てて、私は二人から逃げた。…何も言わずに。

私の住む県では、私立高校は1校、公立高校は2校まで受験することができる。当初、親が私に望んだのは私立高校で且つトップクラスの一高だった。私もそうするつもりだった。けれど一高は由亜と壮ちゃんも受験する。そしたらまた同じ学校になってしまう。

そこで私は画策をした。

一高と滑り止めで公立の上位校である西高を受験する二人と同じように私も同じ場所を受験する。そしてもう一つ受験できる公立高校を桜野高校…つまりB高を受験することにした。一高と西高のテストをほぼ白紙で出せば確実に落ちることになるから、そうなれば必然的に私はB高に行くことになる。どうせお互いの受験番号は知らないから、入学するまでどうなったか分からないはずだ。家も小学校区が離れているから知るはずはないし、入学と同時にスマホの番号もアドレスも全て変えてしまえば連絡は来ない。

私が立てた計画は怖いほどうまくいった。だからこうして私は二人に知られずにB高に通っている。





入学して8ヶ月、私は新しい環境で割と楽しく生活していた。楽な勉強にくだらない会話、小春といること、たまに男の子たちと遊んだりすること、夜の街をただ目的もなく彷徨くこと、何もかもが新鮮だ。…男の子たちは小春が怖くて私を自分のものにしようとはしないけれど、戯れのキスやスキンシップくらいはするし私もそれを拒まない。なし崩しに体の関係になっても別に良いかなって思ってるし。そう話したら、小春に

「なら私が結子を抱く!」

なんて真面目な顔をして言われたので、それは遠慮願ったけど。

中学までは真面目が服を着て歩いているような私だったから、今の生活は随分と堕落的で魅力的なものだ。一生懸命背伸びしていた時は苦しくて仕方なかった。でも今は背伸びしなくていい。それが心地よかった。

親は私の度重なる所業に呆れ、そして怒り、それでも私が変えようという意識が無いことが理解できると、私を捨てた。今は医学部に行きたいと頑張っている中学生の妹のお守りに夢中だ。私は空気みたいにいない存在になっていて、それがまた息苦しいから余計に私は夜の街へ、小春の住む闇の世界へ引き寄せられていく。




今日も夜の街へふらふらと出掛けようと最寄り駅の階段を昇っていた。派手な化粧をつけ、ワインレッドのダッフルコートににミニのジーンズスカート、膝までのブーツといった出で立ち。近づいたら何かされると思うのか、通り過ぎる人たちは私を大きく避けていく。ため息を吐いて降りてくる人波を見上げた時、誰かと目が合ったような気がした。ほんの一瞬、気のせいかなって思うくらい僅かなコンタクトだったのに、気づけば私はその場に足を止めていた。そして



「…結子………!」



私の名を呼ぶ声に、私は凍りついた。




「なん、で」




なんで出会うの?



数段上に、驚いたように目を見開いた壮ちゃんがいて、私は自分の運の無さと迂闊さに天を仰いだのだった。






あの後すぐに、逃げる間もなく私は腕を取られて駅の外に引き出された。右腕を掴む力が強くて痛いけれど、それ以上に壮ちゃんの機嫌の悪さが伝わってきて、私はただ大人しく後に続く。一高の制服を着た男の子と、いかにも遊んでますという趣の私とではあまりに異色すぎたのだろう。歩いている間、好奇の視線が降り注いでいて正直居心地が悪い。

改札口を出て、人気のないトイレ脇に私を連れ込むと壮ちゃんはやっと腕を離し、そして両手を私の顔の横についた。真っ直ぐに向けられる目が至近距離にあって、体がかぁっと熱くなる。

「結子、お前何をしたんだ」

「は?」

壮ちゃんとの距離の近さに動揺していた私は壮ちゃんが何を言ったのか理解ができなくて間抜けな返事をした。それが気に入らなかったのか壮ちゃんは眉間にシワを寄せる。

「何で、一高どころか西高にもいないんだよ。今、結子はどこで何をしてるんだ?どうして何も言わずに消えたんだよ!」

壮ちゃんの剣幕に私は微動だにできず、ただただ彼の目を見つめ返した。


それは、私を少しでも特別だと思っているから?


だから、怒ってるの?


胸の内で沸いては弾ける期待が、匂い立つように広がっていく。最後の期待が弾けた時、


「由亜が心配してた」


彼は残酷な現実を突きつけた。




あぁ、そういうこと…




期待した私が馬鹿みたいだ。最初から、壮ちゃんの心には由亜しかいないのに。どうして期待なんてしたんだろう。もしかしたら壮ちゃんも私のことを、なんて。

のぼせ上がった頭が急激に冷えていくのを感じる。

「…どこで何をしようが、あなたに関係ないよね」

抑揚のない低い声に、壮ちゃんが目を見開く。

「そんな、」

「私たちはただの中学時代の友達でしょう。何で全て教えなければいけないの?

あぁ、でも答えてあげる。私は今、桜野高校に通っていて見ての通りの生活してる。楽しいわよ?夜遊びや男遊び、授業をエスケープしたり…気ままで好きなことだけできるし」

鼻で笑って壮ちゃんの腕の間から逃げて距離を取った。私の告白に、壮ちゃんは驚きのあまり硬直していた。普段動揺した姿など見せない彼のそんな姿に、私は微笑む。


そうやって、私のことだけ考えてたら良いのに。


「じゃあ行くから。…あ、私のこと探すのやめてよね。あれ、すごく迷惑。彼女に心配かけちゃったじゃないの」

先日、小春が話していたことを思い出しながら告げる。

「彼、女?」

「私ね、今は女の子と付き合ってるの。お人形みたいな子よ。由亜と並んでも遜色の無い可愛い女の子。それと彼女、県内で幅効かせてるヤクザの組長の愛娘だから。私が望むことは叶えてくれるんだって。…例えば、しつこく私を探す人を抹消するとかね」

ニィッと唇の端を吊り上げると、私は強張った表情の壮ちゃんに手を振った。

「バイバイ。私になんか構わずに、あなたは由亜の隣にいたら良いの。お姫様を守る騎士が傍を離れちゃダメでしょう?じゃあ由亜にもよろしく」

「結子!!」

「今の私はあなたたちといた結子じゃないの。気安く呼ばないで。じゃあね」

それだけ言うと私は改札口に向かって駆け出した。当然だけど壮ちゃんは追いかけてこない。

電車に飛び乗ると、私はスマホを取り出して小春にメールを送った。大した内容じゃなかったけど、小春と話してないと自分がおかしくなりそうだった。

電車のガラスには泣きそうな女の子が映っている。中学までの私とは全くの別人。

「そういえば、何で分かったんだろう…」

誰も気づかないのに。どうして壮ちゃんはすれ違っただけで分かったんだろう。

そんな疑問は、小春からの返事で掻き消えてしまう。電車のドアに体を凭れかけさせながら、私は小春へ送る言葉を考えていた。


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