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第十三話

我が家の正月は寝正月だ。今でも仲良しな父母は寝室から出てこないし(理由は察してほしい)、朝の弱い妹は昼まで起きない。そうなると必然的に大晦日から3日までは、私には何の予定も無い。

新年からゴロゴロしてもなぁ…とは思うけど、小春はお父さんと海外旅行してるし、由亜は親戚一同の集まる場で接待役をしている。ホストクラブは休みだし、元旦に会う程の友達もいない。

「暇だぁ…」

元来貧乏性の私は常に何かしていないと落ち着かない性分で、暇とか休みという言葉が苦手だ。なら留学に向けて英語の勉強をすれば良いのだが、そうするとヨシ君を思い出してしまい、淋しさで押し潰されそうになる。

結局ヨシ君に年末年始に会う約束を取り付けることができず、次に会うのは休み明けの5日だ。1週間も会えないのは辛い。思い出すと「会いたい」と電話しそうなくらい淋しくて仕方ない。

そんな時に壮ちゃんから初詣のお誘いが来たものだから、深く考えもせずつい飛び付いてしまった私は悪くないと思う。




「明けましておめでとう」

除夜の鐘は既に鳴り終わった午前1時、私は近くの神社の鳥居の前で壮ちゃんと落ち合った。地元の氏神様を祀る小さな神社だから、初詣客も少なくて、テレビで観るような混雑はない。

「明けましておめでとう」

濃紺のマフラーに同系色のトレンチコートを着た壮ちゃんは、すごく大人びていてパッと見は大学生みたいだ。今日はコンタクトなのか眼鏡をかけてないから涼しげな目元が露になっていて、余計にそう見える。やっぱり壮ちゃんはカッコいい。

ヨシ君と壮ちゃんが似ているとはいえ、こうして見るとヨシ君のが目は大きいし、輪郭もシャープだから違うところもたくさんある。壮ちゃんは凛々しいけど、ヨシ君は少し甘めの顔だ。

そんなことをぼんやりと考えながら、ヨシ君は今、何をしているんだろうと実家に戻った彼に思いを馳せる。

「結子、今日は化粧薄いのな」

「ん?…あぁ、だって壮ちゃんはこっちのが見慣れてるでしょ」

今日の私は肩甲骨の辺りまで伸びた髪をそのまま下ろし、ファンデーションを軽くはたいて目元にアイラインを入れただけの顔になっている。どうしても幼くなってしまうけれど、壮ちゃんが知ってるのはこっちの私だから、敢えて塗りたくらなくても良いかと思ったのだ。

服もミルクティ色のダッフルコートにジーンズにブーツといった、いかにも高校生です、みたいなものにしてある。じゃないと服に着られた感が半端ない。

「まぁ、そうだけど。俺は素の結子のが好みだから嬉しい」

「…こんな幼い顔が良いの?変わってる」

「可愛いの間違いだろ。俺はずっとそう思ってた」

そう言われて、私は壮ちゃんに告白されたことを思い出す。どうしても片想いをしていた印象が強くて、未だに壮ちゃんが私を好きだという事実を忘れてしまいそうになるのだ。

ずっと好きだった人に褒められて現金な私は単純に喜んでしまう。ただ少しだけ、心の隅に違和感を感じて、その分だけ対応が遅れてしまう。

「ありがとう。でも、由亜や小春みたいに本当に可愛い子を見ている私としては複雑なとこ」

曖昧に笑ってその違和感を掻き消すために、わざと話を濁す。こういう時に深入りするとドツボにはまる気がする。…そういう危機感が生まれてきたのって間違いなくホストの皆のお陰だ。普段はからかわれて困るけど、ちゃんと身についたものがあったんだから感謝しなきゃいけない。

頬を染めるでもなく冷静に対応した私に、壮ちゃんは何度か目を瞬かせた後、小さく苦笑した。

「昔はあたふたして真っ赤になってたのに。男遊びをしてた成果が出てるわけか」

男遊び…というよりホストたちの手管に鍛えられて、と言った方が正しい気がしたが、どっちもどっちなので笑って流すことにする。ユウさんの攻撃で学んだが、余分なことを言うと自分の首を絞める結果になるのだ。

「俺はどんな結子でも好きだから構わないけどな」

壮ちゃんは私の頭を軽く撫でると顔を覗き込んでくる。互いの吐息が絡まるくらい近くに寄せられた顔に流石に狼狽して、かっと頬が赤くなった私を見た壮ちゃんは、悪戯っ子のような笑みを見せた。少し薄めの唇が満足げに弧を描いている。

「やっと赤くなった。そうやって少しは意識してくれないと淋しいだろ」

この人は一体誰だろうと思うほど甘く囁く声と蠱惑的な笑みに、私は目眩がしそうになった。今までは友達というラインを越えてくることはなかったのに、あの告白からどうも枷が無くなったらしい。遠慮無しの誘惑は、クールで真面目な印象からは程遠いものである。なまじ見映えがするから、それもさまになるのが悔しい。

壮ちゃんには女の子を籠絡して弄ぶだけのスキルと要素があるらしいと、変なところで感心しながら私は体をぐいっと離す。

「壮ちゃんって、意外に意地悪だね。そうやってからかって楽しい?」

「あぁ、楽しいよ。結子が俺の一挙一動に反応してくれるなら、これ以上嬉しいことはない」

「…悪趣味」

「何とでも言ってくれ。嫌われたらどうしようだとか考えて遠慮してたら結子に逃げられたんだ。だから次にチャンスがあったら容赦しないって決めてた。結子に鎖をつけて逃げないように、結子がどろどろに溶けるくらい甘やかして愛したいから」

優秀な人はどうにも頭の回転が早いから困る。何を言っても全てが口説き文句で返ってくるなんて、はっきり言って私の手には負えない。呆れた顔をした私を、ひたと壮ちゃんが見据える。


「結子がどう感じてるか分からないけど…俺、本気だから」


不意に告げられた気持ちに、私は動きを止めた。その言葉はかつて欲しくて仕方なかった。

なのに、どうしてだろう。

体の内側を引っ掛かれたみたいな揺らめきはあるのに、心に響いてこない。前だったら間違いなく嬉しかったはずなのに。

自分の中で何かが大きく変わってしまったことを否応なしに自覚させられて、壮ちゃんの言葉より私は自分の変化に動揺していた。

「うん…」

気の利いた言葉すら紡げずに頷いた私に、壮ちゃんは甘く蕩けそうな笑みをくれる。

こうして遠慮が無くなった壮ちゃんを見ると、私は本当に彼にこういう関係を求めていたのだろうかと疑問になる。私が好きだったのは紳士的で優等生な、壮ちゃんの仮面の部分であって、彼の中にある狂気的にも思える愛情深い部分ではなかった。

もしも中学時代、その姿を見せられたら私は壮ちゃんを受け入れていたのだろうか。今のように戸惑っていたのだろうか。

「…まぁ、とりあえず初詣に行こうよ。新年早々から神社の前で立ち話も何だし」

思わぬところで自分の心理状況を確認できてしまったなと思いながら、私は話を変えた。

「そうだな。じゃ、行くか」

これ以上私がこの話をする気がないということが伝わったらしく、壮ちゃんはあっさりと引いて提案に賛同した。そのことにホッとしてため息が零れ落ちそうになり、私は慌てて息を飲み込んだ。

まだ会って1時間も経たないうちに疲れてて大丈夫だろうか。

早くも迂闊に誘いに乗った自分に反省をしつつ、その後悔を胸に押し留める。…あれだけ欲した人に愛されているのに、その愛に戸惑う自分しか見つけられない。


ヨシ君に、会いたい。


そんな願いがほろりと零れて、私はそっと空を見上げた。




お賽銭を投げ入れて私たちは手を合わせた。毎年願い事をしているが、今年はどうしようか。隣では壮ちゃんが目を閉じて真剣に何かを拝んでいる。私もとりあえず目を閉じたものの、モヤモヤとしてはっきりとした願いが浮かんでこない。

そのうち壮ちゃんは拝み終わったらしく、その場を離れようとしているのが空気で伝わってきた。背後には参拝の人の会話が近づいてくる。



ヨシ君が遠くに行っても、毎日健康で仕事もうまくいきますように。あと、ヨシ君が幸せになれますように。



咄嗟に考えたことはヨシ君のこと。4月には遠くに行ってしまうヨシ君が元気でいてほしいなと思う。事故や病気になってほしくない。そしてあの穏やかで柔らかな笑顔を自然と見せられるような生活を送ってほしい。私は傍にいられないから。せめて彼の幸せを祈っていたい。

そこまで考えて、顔がかぁっと熱くなった。



…私の思考って、ヨシ君でいっぱいだ…。



思っていた以上にヨシ君が好きなのかもしれない。

目を開けた私は赤くなった顔をマフラーに隠すように俯くと、その場を離れて脇に避けていた壮ちゃんの元に駆け寄った。

「えらく長いお願い事だな」

さりげなく境内の人気のない所へ私を誘導した壮ちゃんの呆れたような感心したような何とも言えない声音は柔らかく、そっと見上げれば熱の籠る目をした壮ちゃんが私を見つめていた。月明かりと仄かな電球の光の下でも分かる綺麗なガラス玉みたいな瞳は、雄弁にその感情を映す。



あれ…?




いつかその目が私にだけ向けられたら、と願ったことがあったが、それが今叶えられているというのに。どうして嬉しいと思えないんだろう。

脳裏を過るのは優しくて不器用な熱を映す闇色の瞳。

「うん、大事なお願いだから」

胸に広がったほろ苦い想いを押し隠して私は薄く微笑む。

「何を願ったんだ?」

向けられる焦がれるような眼差しが、苦しい。

恋の始まりに似たそれは、昔を懐かしんで思い出を愛でている時の感覚に近い。切なさに息ができなくなる。


そっか。


ちゃんともう、答えは出てた。



「好きな人の、幸せを。誰よりも大事な人の未來を。私には、それしかできないから」



ヨシ君が好きだって気づいてから、壮ちゃんへの想いはどうなったんだろうと考えていた。二人ともが好きなのかとも思った。


でも違った。


敢えて口に出した事実は、壮ちゃんと私を決定的に別つためのものだ。ずっと壮ちゃんだけに贈り続けた願いが、まさか別の人へと向けられる日が来るなんて、1年前の私には想像もできなかった。


どうして恋はうまくいかないのだろうか。


小説やマンガのように、好きな人と両想いになって結ばれてハッピーエンドで終われたら、きっとこんなに苦しい思いはしない。現実はすれ違いの連続で、重なり合っていたはずの心は簡単に離れていく。

「好きな人は、俺じゃなさそうだね。泣くなよ」

新年から泣き顔なんか見たくないから。

そう言って壮ちゃんは私の肩に手を置くと無造作に抱き寄せる。そして、頭を壮ちゃんの胸に押し当てる格好になった私の背をポンポンと叩いてくれた。

「やっぱり、あの時に無理矢理でもキスしたら良かったかな」

あの時、とは多分私が入院してた時だ。

確かにあの時なら、心は壮ちゃんに傾いたかもしれない。壮ちゃんに淡い恋を抱いていたのはそう遠い過去ではない。ただ、あの時の私が純粋に壮ちゃんを好きだったかと問われたら、迷わず頷く自信はない。

好きだったら、壮ちゃんの想いを受け入れることはできたはずなのだ。そう浅くはない付き合いの中で、壮ちゃんが本気か冗談かなんて瞬時に判断できるのだから。彼の本気を信じなかった、とあの時は思っていたけれど…そうじゃない。心のどこかで受け入れたくないと拒んだから、無意識に自分が納得できる理由にすり替えただけ。

きっととっくに壮ちゃんへ感じていた恋心は無くなっていた。それなのにその欠片を大事に抱き締めて、恋は終わっていないと思い込みたかっただけ。だって恋が終わってしまったら、私が選んだ道の正当性が無くなってしまう。

「ごめんなさい…」

もう、あなたを好きだった私はいない。

頬を涙が伝っていく。

「ずっとずっと好きだった。人生を変えても良いと思うくらい、本気で好きだった」

もっと早く言えば良かった。そしたらこんな結末ではなかった。その場から逃げたことで、運命の歯車は大きく狂い出して、今こんな形でかつて愛した人を切り捨てることになってしまった。

「でも、今は違う。私は別の人を愛してる。その人の幸せを、ずっと願っていたいの。本当は傍にいたい。離れたくない」

ヨシ君のことを想うだけで幸せな気持ちになる。

「そっか、それが答えか」

淋しさの滲んだ声が鼓膜を揺らし、同時にきつく抱き寄せられる。

胸が痛い。でも壮ちゃんのがもっと…。

お読みくださりありがとうございました。

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