第十一話
ある意味急展開?
盛大に泣いて、幼い子供のように母にしがみついて。
一度感情が溢れ出したら止まらなかった。本当は愛されたい、必要とされたいと願う心が解放されて私を支配する。今まで物事を斜めから見て、大人ぶっていただけで…思った以上に私は精神的に幼稚なまま、ここまで来てしまったようだ。なんとも情けない気持ちになりながら、それでもこの温もりから離れることができない。
「あのね、お母さん…」
自分の呼吸が落ち着いてきたのを確認してから私は母の顔を見た。目尻のシワや髪に混じる白髪が目立つようになっていて、この1年近く自分がどれだけ心配をかけたのかが分かって申し訳なく思ってしまう。
「なぁに?」
「あのね、」
私は深呼吸をしてからこれまでのことを話した。小さな頃から今に至るまで、何を考え、何をしてきたのか包み隠さず。…小春のお父さんと連絡を取り合っていたというのだから私の所業もバレているはずだ。私はホストクラブに顔を出してることも、そこで生活したことがあることも全部説明した。父は開いた口が塞がらないようだったが、母は涼しい表情でその話を聞いてくれた。
「…というわけで、夜出歩いてごめんなさい。と、やっぱり私にとってあの場所は大切なので、これまでみたいに顔を出したい」
ホストクラブに通いたいなどという申し出をして許されるだろうかと、ビクビクしていた私の耳に届いたのは、母の溜め息だった。
「………やっぱり、結子は私の子なのねぇ。明弘さんの血は入ってないかもしれない」
明弘さん、とは私の父だ。父はその言葉にムッと顔をしかめる。
「素直なところは僕に似たんだ。それに髪質だって爪の形だって…」
イマイチ言われてもよく分からない所ばかりを指摘する父に私は苦笑した。目の形とかそっくりなのに何でそこを敢えて避けるんだろうか。
「はいはい。結子は間違いなく貴方の子ですよ。
…こんな話を娘にするとは思ってなかったなぁ。あのね、若宮さんは私の幼馴染みで、昔よく一緒につるんで遊んでた。だから春来君…あ、若宮さんのことね。春来君のお父さんが経営するお店にもよく顔を出したし、バーのマスターと付き合ってた時期もあるの」
母が落とした爆弾の威力が大きすぎて、私は目を見開いたまま母の顔を凝視した。
「で、でもお母さん。実家は堅気だよね?」
祖父母は小さな駄菓子屋を営んでいる。
「もちろんよ。じゃなかったら明弘さんと結婚できてないし。そもそも私、一高出身なんだから庶民よ、庶民。…あぁでも春来君も一高だったかぁ」
「ええっと…」
一高は優等生の集まりだと思っていたのに、母と小春のお父さんのせいでそのイメージが崩れる…。そもそも遊んでたのに一高卒ってどうなんだろう。母のハイスペックな能力を羨むべきか、変なところばかり似て肝心の頭脳が遺伝していないのを恨むべきか。詮ないことを考えて、少しの間現実逃避をすることにした。
「とりあえず、結子が今やってるようなことは私もやってきたし、女の子なら通る道でしょ」
半ば魂が抜けていきそうになっている娘に気づかない母は自信ありげにニッコリと眩いばかりの笑顔をくれた。その母に私は乾いた笑いをするしかない。
…それって当たり前のこと?
私の母は世間様とはだいぶかけ離れた思考の持ち主なのかもしれない、と母に対する認識を改めることにした。きっと今まで夜遊びをしても見守ってくれていたのは、無関心だからではなくてそれが当然のことだと思っていたからなんだと理解できた。
私は父に目を向ける。父は疲れきった表情で静かに首を横に振った。その目には諦めが見て取れて、この二人は何で結婚したのだろうかと疑問を持ってしまった。
「だから、行くなとは言わない。ただし、行く時にはちゃんと報告して」
「…はい」
ホストクラブに行くことを報告する約束をさせる母がどこにいようか。…まぁ、目の前にいるんだけど。本当に良いのかなぁ。呆気なく了承されて逆に戸惑ってしまう。
「とにかく、親に心配かけさせるようなことはしないでね」
母の心配は一体何なのだろうか。夜遊びOKと言っているのに、そこは心配ではないのだろうか。
母の認識と私の認識には大きな溝がある気がする。こんな母だから気の弱い父とうまくいっているのかもしれないけど。
「…ということで、よく分からないけどあっさりと了承をもらったので、また『夜蝶の宴』に顔出せるよ!」
「結子、遠い目してる」
苦笑しつつ小春が私にメニューを回してくれる。クリスマスも終わり、お正月に向けて慌ただしいのは大人ばかりで、私たちは暇をもて余してファミレスに居座っている最中だ。
店内は冬休みということもあり、私たちみたいな学生や家族ばかりだ。安く食べて長く居座るにはファミレスが一番いい。
「だってさ、うちのお母さんと小春のお父さんが幼馴染みで、大学行くまではつるんで夜の街闊歩してたなんて信じられる?」
「信じられるも何も…事実だし。まぁ、こうして娘たちも仲良くなるんだから縁があるのよ。……にしても、そっか。パパの初恋は結子のママなのかぁ」
小春曰く、小春のお父さんは小さい頃に母に一目惚れして大学入ってからも好きだったらしい。ただそこは超がつく鈍感な母。気づくわけもなく、とっかえひっかえ他の男の子と付き合った挙げ句に、卒業間近に『私、この人と結婚するから』と宣言し結婚してしまったらしい。因みにその相手は私の父です。
話を聞いていると、母は悪女だとしか思えない。しかも自覚がないから質が悪い。娘として耳が痛いばかりだ。
「…でもやっぱり血はすごいね。見た目から中身までそっくりなんだもの。遺伝子って優秀。私、遺伝子の勉強してみようかなぁ」
「ん?どういうこと?」
「いいのいいの、こっちの話。で、留学はどうするの?」
あ、これ美味しそう。とか言いながら、小春が尋ねてくる。
「行くつもり。…えっと、ヨ、ヨシ君がね、今…英語教えてくれてるの」
「ヨシ君が?」
吃りながら告げると、驚いたように小春が顔を上げた。ヨシ君が英語を教えてくれてるのってそんなにびっくりすることなのか。
「うん、だって…大学の英米科の4年生だし、ホスト辞めるまでの数ヶ月くらいなら良いよって」
「へぇ、ヨシ君がねぇ…。やっぱり結子は恋愛で敵に回したくない子だよね」
「ん?」
「ヨシ君は落ちないと思ってたのになぁ…あのホストクラブでも学歴、家の格、見た目、性格、どれをとっても特上だから、本気で恋人にしたがってるマダムも多いのに。でも、そういう意味では見る目あるのね」
そんなにヨシ君ってすごいんだ、とは思うけど、それ以外の部分はよく意味が分からない。…私の話なのかな?くらいで、誉められたのか呆れられたのかも判断できない。
私がポカンとしていたからだろう、小春はクスクスと笑い、そして身を乗り出すと、私の頬に手を添えた。
「パパ以外の人なら、いくらでも協力するから」
「はい?」
「ヨシ君のこと、好きなんでしょ?さっきからヨシ君の名前が出る度に顔が赤くなるけど」
そう言われて、心臓が大きく跳ねる。恥ずかしさに俯こうとしたが、小春の手がそれを許さず、仕方なく私は小春を見つめた。綺麗な目が真っ直ぐに私を映す。
「ヨシ君のこと、好き?」
ヨシ君のこと、好き?
好き?
自問してみるが、よく分からない。半年くらい前までは確実に壮ちゃんが好きだった。けれど、今は誰が好きとか考えたことがない。誰が好きか、考えたくなかったから。
何人もの人に好きだと言われても、私が選べるのはたった一人。
その他の人は切り捨てることになる。そうする勇気が私にはなかった。今までのように話せなくなったらと思うと怖かった。だから、ずっと皆とは一線を引いてた。
でも、ヨシ君は違う。
気づけば傍にいて、そんなことすら安堵を覚える相手だ。
多分、英語を教えてくれる話だって、壮ちゃんやユウさんたちからだったら遠慮してた。
ヨシ君だから、教えてくれると言われた時に素直に受け入れられた。
私にとってヨシ君は特別だ。
でもそれは、恋?
考え込む私に、小春はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「ヨシ君はね、とっても真面目なの。今時珍しいくらい。ただ一人に全てを捧げる、騎士のような人だから。どんなことがあっても、自分の愛する姫を守ろうとする。そういう人」
それには私も手放しで賛同できる。
確かにヨシ君は真面目だ。
最初は壮ちゃんみたいだと思っていたけど、壮ちゃんより口うるさかった。
だから、うるさいお兄ちゃんみたいに思ってた。
でも、困っていたら必ず助けてくれる。
ダメな時は叱ってくれるし、悩んでいれば諭してくれる。いつも、私のことを考えて接してくれていた。
ヨシ君との日常を思い返すだけで胸が熱くなる。
優しく優しく触れる指がもどかしくなったのはいつからだろう。
時折反らされる目が悲しくて、つい詰ってしまったのも最近のこと。
初めて抱き締められた時、何で安心したんだろう。
あと少しで別れが来ると知って、心が悲鳴を上げたのは何故。
「答えはゆっくりと出したら良いよ。きっとヨシ君なら、待ってくれる」
「何で、待ってくれるの?もういなくなるのに」
「ん〜、それは本人に聞けばいいことだから、私は言えない。
でもね、ヨシ君は結子のことをすごくすごく大切にしてる。それだけは覚えていて」
小春の言葉が染み込んでいく。
そうだ、私はヨシ君からたくさんの優しさをもらった。その優しさを忘れちゃダメだ。真綿でくるむように大切にしてくれていることを理解しなきゃいけない。
「結子、クリスマスにヨシ君からプレゼントもらったでしょう」
突然代わった話題に私はキョトンとし、そして全身が沸騰した。
「な、な、なんで、なんで、小春が知ってるの」
クリスマスの日は忙しくなるからと言って、ヨシ君は午前中に英語の勉強に付き合ってくれた。場所はホストクラブから二駅離れた所にあるカフェ。個室があったから、そこで英語を教えてもらった。ヨシ君と別れる時、彼から華奢な感じのネックレスをもらったのだ。中央の台座には私の誕生石であるアクアマリンが嵌まり、星のように煌めいていた。ヨシ君は
『クリスマスだからな』
とぶつぶつ言いながら私の首の後ろに手を遣り、器用につけてくれた。少しの間だけど、ヨシ君の首筋が真ん前にあって、ヨシ君の匂いが近くて心拍数が上がったのを覚えている。
『あ、あ…ありがとう』
熱くなる頬をそのままにヨシ君を見上げると、ヨシ君は優しく微笑んで一房落ちた髪を耳にかけてくれた。
頭から湯気が出そうなくらい茹で上がった私は、なんとかヨシ君に用意をしていた手作りのスフレを渡し…その後はドキドキが収まらないまま、帰宅したのだった。
思い出して真っ赤になった私を、小春がニヤニヤとしながら見遣る。
「二人は秘密のデートかもだけど、その駅はね、私の行きつけの美容院があるの。…で、偶然見ちゃった」
ニッコリとした小春が悪魔に見える。絶対に私の反応を見て楽しんでるに違いない。
「答え、すぐに出そうね」
やっと手を離し、軽やかな可愛らしい声を上げた彼女に、私は返事もできず俯くしかなかった。
ということで、皆さんも薄々気づいていたと思いますが、閑話その1はヨシ君目線でした。
やっぱり母子は母子です。結子はお母さんのミニチュアなので、実はお母さんとやってることはそっくりです。ただ違うのはお父さんの気弱さももらったので男の子ととっかえひっかえ付き合う度胸がないことくらいかな。
ヨシ君の見た目は壮ちゃんに似てるから、結子の好みなのです。ヨシ君はロールキャベツ男子のつもりがいつの間にかクリーミー男子になっていて、あれ?という感じですが…まぁ、結子は気に入ってるみたいです。
ここから急速に話は進んでいきます。結局結子が誰を選ぶのでしょうか。
お読みいただきありがとうございました。




