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第九話

「おはようございま〜す」

いつものようにホストクラブの従業員用の入り口から入ると、タバコをふかしたユウさんがソファーに座ってお出迎えしてくれた。

「ユコ、今日は早いな」

「うん。今日から学校が冬休みだからね。ご飯作りに来たの」

ぶら下げていた買い物袋を持ち上げて見せると、ユウさんが相好を崩す。

「サンキュ。アイツらもそろそろ出勤だから、急がないと捕まるぞ」

タバコを灰皿で消し、ソファーから立ち上がったユウさんは私から買い物袋を取り上げ、私の肩を抱き寄せる。二人の間では慣例になった挨拶代わりの抱擁に、私はほうっと息を吐いた。

ユウさんは相変わらず甘い。元ナンバーワンホストはやっぱりすごいんだなぁと感心しつつ、タダでその手管を堪能できる私って贅沢過ぎやしないかと思う。確かに時々、ご飯を作ったりフロア掃除の手伝いはするが、そんなくらいじゃ本当は足りない。と言っても適度に甘やかしてくれるのが少し嬉しくて、なかなかユウさんから距離を取れない私はなんて身勝手なのだろうと思う。

「皆はいる?」

なんだか非常に居たたまれなくなり、若干の後ろめたさを感じつつもさりげなくその腕から逃れる。ユウさんは可笑しそうな顔をしただけで何も言わない。そういうところがすごく大人で、スマートなんだよね。

「そのうち来るだろ。…俺といる時は俺だけ見ろよ。他の男の話をされると妬いちゃうだろ」

…訂正。私をからかって楽しんでるなんて、子供っぽい。

「だ、か、ら!耳元で囁かないでってば!」

顔が赤くなっているのは自覚しているが、とりあえず怒ってますというポーズはとっておかないと更に甘い言葉でドロドロに溶かされてしまう。

私の抗議など痛くも痒くもないくせに、ユウさんは悲しげな顔をする。美形はどんな表情もカッコいいけど、これだけは捨てられた子犬みたいに見えて可愛い。そして私は言うまでもなくその表情に弱かったりする。

「そうも拒絶されると傷つくなぁ…ユコは俺を傷つける天才だからな」

「う、」

「ユコがキスしてくれたら傷も癒えるかもしれないなぁ」

芝居じみた言い回しをして、ユウさんは自分の頬を叩く。

「…って、私にキスしろって言うの?!」

無理無理無理。されるのは良いけど、するのは無理。心臓が止まるかもしれない。あぁ…慌てる私を見て、ユウさんが楽しんでいるのが手に取るように分かる。

私が前みたいに自分を安売りしなくなってからは、私をそんな風にからかうのがお楽しみらしい。って分かってるのに私も反応してしまうものだから、最近はホストの皆に娯楽を提供してしまっている。

「まぁ、無理にとは言わないけど」

そう言ってニヤニヤするユウさん。さっきまでの悲しげな顔はどこへ行った。にしても、これだけからかわれると悔しい。

私はユウさんの右手を両手で掴み、自分に引き寄せた。

「これなら良いよ」

そう言って、そっと手の甲にキスをする。

ユウさんはそれを目を丸くして見ていた。ユウさんの珍しい表情に、私は心の中でガッツポーズをした。

「ユコ………その方がエロいんだけど。ヤベぇ、可愛すぎ」

「…はい?」

「やっぱり俺んとこ来いよ。一生可愛がってやるから」

雲行きが怪しくなってきて、私はユウさんの手を離すと後退りをした。

「いや…え、」

「結婚しよう」

「え、ぇえ?」

「俺、結構稼いでるから金あるし、夜の方だってユコを満足させられると…というか俺が満足できそうだし、あと」

「って、何でそっちに話が…」

項垂れた私にユウさんは腹を抱えて笑い出した。

「もう!酷い、からかって」

「ごめん、ツボに入った。本当に面白いよなぁ。見てて飽きない。やっぱりユコは可愛いよ」

「あのねぇ…」

涙を拭いながらも尚笑うユウさんに呆れつつ、私はユウさんを促して上の階の部屋へ向かう。そこは以前私が1週間弱間借りしていた部屋で、立派なシステムキッチンがある。皆にご飯を作る場所はなんとなくその場所というのが定着してしまい、最近では知らない間に大きな冷蔵庫まで備え付けられていて私を驚かせた。

いつまでも私の腰に腕を回しているユウさんから買い物袋を受け取ると、私はユウさんに丁重にお礼を言って部屋に入った。もちろんユウさんは追い出した。だってユウさんが張り付いていると落ち着いて料理ができないんだもの。ユウさんは不満げに唇を尖らせて、また迎えに来るとか何とか言いながら去っていった。

「さて、作りますか」

食材を冷蔵庫にしまい終えた私は服の袖を捲った。




ブロック肉を醤油ベースのスープで煮込む間、私は持ってきた鞄からパンフレットを取り出した。それは終了式の日、脇田先生から受け取ったものだ。先生は壮ちゃんからこれまでのことをかいつまんで聞いたらしく、小さくなって座る私に呆れたようなため息をくれた。

『水野。俺の可愛い弟をいじめてくれるなよ』

『い、いじめてなんか…』

理由はどうであれ、壮ちゃんを激しく傷つけたのは自覚しているので、強く否定ができないのが悲しい。…壮ちゃんの言葉を鵜呑みにするならば、彼はずっと私を好きでいてくれた。私が勘違いしなければ、紆余曲折あったとしても同じ学校に通い、そしてもしかしたら恋人として甘い時間を過ごしていたかもしれないのだ。それを全部ぶった切ったのは私。壮ちゃんからしたら、好きな人にポイ捨てされたようなもの。

現状が把握できている今、私にできることはあちこちに謝罪することだけで。

『すみませんでした…』

先生の顔も見ることができず、私は深々と頭を下げた。

『まぁ…色恋は当人同士のことだから、二人が納得できる形で和解できたらいい。でもな』

どれだけ待ってもそこから先の言葉が続かない。恐る恐る顔を上げた私は先生の顔を見て、そして固まった。


壮ちゃんそっくり…。


困ったように微笑んだ先生の目が優しくて、それがまた壮ちゃんが私を見る目とそっくりで、思わず息を飲んでしまう。

『このままじゃダメだろ』

『…へ?』

ぼんやりと先生に見惚れていた私は、先生が何を言ったのか分からず間抜けな声を出した。そんな私に構うことなく先生はぐいっと顔を近づけて話を続ける。…先生の眉間にシワが寄っている。

『水野は視界が狭すぎる。だから今回みたいなことになるんだ。もっと広い世界を見て、もっと視野を広げた方がいい。…画策してまで壮介から逃げた…その行動力と脳みそは違う所で有効利用しろ。宝の持ち腐れもいいところだ』

痛いところをグサグサと刺された私が胸を押さえると、先生はニッと白い歯を見せた。

『そんな水野に俺からチャンスをあげようと思う』

『はい?』

『これ、行ってみないか?』

顔の前にドンと突き出されたのは…

『これ、短期留学?』

パンフレットには市が募集するオーストラリアへの短期留学について書かれている。条件は高校生であることだけ。

困惑して先生を見上げると、先生は私の頭に手を当ててグリグリと撫でた。

『先生っ、セットが!』

『うるさい。髪をクルクルさせてる奴が今頃何を言ってるんだ』

『アイロンでカールさせるのとボサボサなのは全然違う!』

『俺には同じに見えるけどな。別に少しくらい崩れたって良いだろう。…いつもおもってたけどお前さ、カッコつけすぎ。形に拘りすぎ』

手を止めた先生が笑う。

『若いうちは見映えだとかそんなものに囚われず、がむしゃらに生きれば良いんだよ。そのうち嫌でも型に嵌まる日が来るんだ。だからもっと貪欲に生きて、一つでも多くのものを見て聞いて感じろ。それが将来、役に立つ』

『先生…』

『この留学は水野にとって良い経験になると思うんだ。…英語検定2級を持ってるんだから、英語が苦手とは言わせないからな』

『げ、なんでそれを』

皆には内緒にしてたはずなのに、何でバレてるの?というか学校で受けたんじゃなくて個人的に受けたものだから、中学から高校に送られる調査書には書いてないはずなのに。

唸りながら情報の出所を考える私を見て、先生は楽しそうに声を上げて笑った。

『水野、確かに俺は見映えだとかそんなものに囚われず、とは言ったが百面相をしろと言ったわけじゃないんだけどな』

『先生、笑うなんて酷い!』

『お前の顔が面白いから悪い。…情報の出所は壮介だよ』

笑いを噛み殺して先生はあっさりと情報源を教えてくれた。

『壮ちゃんが?』

私、壮ちゃんにそんな話をしただろうか?いくら考えてみても思い出せない。

頭が痛くなって眉間にシワを寄せると、先生は机に肘を突いて私の目を覗き込んだ。

『………水野も厄介な奴に好かれたもんだよな』

『はい?』

何ですか、その憐れみの籠った目は。

胡乱げな目を向ける私に先生は曖昧に笑う。

『いや、まぁ…気づかない方が幸せなこともある。

で、他にも漢字検定準2級、書道は毛筆3段硬筆4段、剣道が初段で県大会まで行ったことがあるんだって?あと、読書感想文が全国まで行って表彰されたとか』

『ええっ?!』

大会の話は中学からの情報だとしても、それ以外のものは何で壮ちゃんが知ってるの?

『ま、そういう意味でも水野はこの学校で有名人だからな。…で、俺はその才能の塊であるお前を放っておくわけにはいかないと思っている。だから、留学行ってみろよ』

『でも、お金が』

見れば市が補助してくれるのは渡航費と学費だけ。あとは自腹だ。つまりタダでは行けない。

『水野の両親にはちゃんと了解を得てる』

『え?』

『親御さん、お前のこと心配してた。…そりゃそうだろな。今まで優等生だった娘が突然不良の仲間入り、挙げ句に医学部行きたいって言ってたのが就職したいに変わったら誰でも驚く。まさか、盛大なエスケープだなんて思いもしないからな。…良い機会だから、一度親御さんとしっかり話をしたらどうだ』

そう言って、今度は優しく頭を撫でてくれる。たぶん、私が泣きそうな顔をしているからだ。

今まで私は好き勝手なことばかりしてきた。それでも毎日ご飯を作ってくれたのは母、通学の交通費や学校の諸経費を払ってくれているのは父だ。聞く耳を持たずに外へと逃げ出した私を、ずっと見守ってくれていた。そんな愛情を私は分かっていたのに分からないフリしてた。

どうして気づかなかったんだろう。自分は一番に愛されてないと捻くれて、両親を蔑ろにした。一番だろうが二番だろうが、ちゃんと愛してくれていたのに。

『子供には分からないだろうけど、親はどんな子も自分の子なら可愛いんだよ。俺も昔、親父に反発して家を飛び出したから分かる。壮介ばかりが愛されてるように思えて、それが羨ましくて悔しくて仕方なかったんだ。

でも今、こうやって教師やってると、自分の見てる子たちは皆可愛くて仕方ない。どんなに世話が焼けてもやっぱり可愛い。だからきっと親父もそうだったんだろうなって思ってる』

『先生…』

『それに俺、そろそろ家庭ができるからな』

『え、先生結婚するの?』

『あぁ。まだ皆には内緒な。親にすら言ってない。彼女にプロポーズしてOKもらったばっかだから。…水野は口が固いと信じて話したんだから、まだバラすなよ。壮介にもだからな』

コクコクと頷く私に先生は幸せそうに微笑む。その彼女さんのことが本当に好きなんだろうなって感じがする。

『彼女さんはどんな人?』

『そうだなぁ…普通の女の子だよ。水野みたいに美人でも、若宮みたいに可愛くもない。でも俺には誰より可愛く見えるんだ。隣にいて笑ってくれるだけで幸せだって思える』

『先生、のろけすぎ』

『悪い悪い。水野もさ、見た目とかそういうのじゃなくて、本当に自分がソイツといると幸せだって思える相手を見つけろよ。それが壮介だったら嬉しいけど、そうじゃなくても俺は応援する』

その言葉があまりに優しくて。私は何度も頷きながら泣いてしまった。

多くの人に支えられている。

分かっていたつもりで本当は何にも理解できていなかったんだと、ぼんやりと考えながら、私は今までの自分を酷く恥じた。

脇田先生には彼女がいます。という暴露話をさらっと入れてしまいました。由亜ちゃんは失恋決定です。

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