人生それぞれ
限界だった。
今の妻と結婚して三十年。私は身を粉にして働き、二人の子供を大学まで行かせた。どちらも人生のパートナーを見つけて今ではそれぞれ幸せに暮らしている。しかし、一方で私と妻の関係は破綻しかけていた。
私は秘書課の子と二年以上深い関係を続けている。彼女は結婚を望んだりしない。むしろ私と妻の生活が壊れるのを心配している。しかし、私は妻との関係を修復する気はない。浮気をしている私が言うのもおかしいが、原因は妻の異常な嫉妬心にあるのだ。それが顕著になったのは子供達が皆独立して、二人きりの生活が始まってからだった。隣の奥さんに挨拶するだけでも、
「貴方、そんなにお隣の奥さんがいいの?」
と言う始末だ。以前はそんな人間ではなかったのに、何が切っ掛けなのだろうと思う。
その妻の嫉妬心から逃れたいともがいていた時、彼女に会ったのだ。まさに彼女は私にとって救いの女神であった。私は彼女に、
「結婚しよう」
と告げた。最初は考え直すように言った彼女だったが、私の決意が本物なのに気づいて承諾してくれた。だから私は今日、妻に離婚の話をするつもりだ。
「お電話です」
昼休みになった時、部下の女の子が言った。誰だろうと思いながら受話器をとる。
「お電話代わりました」
相手はスーパーの警備員だった。驚いた事に妻が万引きをしたと言うのだ。放っておく訳にも行かず、私は仕事を切り上げ、早退して妻がいるスーパーに行った。
妻は事務所の中で椅子にポツンと座っていた。
「何があったんだ?」
私は妻に声をかけた。
「誰ですか、貴方は?」
妻の第一声がそれだった。
「何を言ってるんだ、私だよ」
いくら呼びかけても、頑なに知らないと言い張る妻。明らかに様子がおかしい。
「警備員さん、助けてください! 夫のフリをした変質者に襲われそうです!」
妻は喚き散らした。警備員が驚いて私と妻を見比べてオタオタしていたが、私は、
「取り乱しているだけです。ご迷惑をおかけしました」
と言うと、妻の万引きした商品の代金を支払い、妻を宥め、スーパーを出た。
泣きじゃくる妻を見ているうちに哀れになって来た。これほど取り乱し、喚き散らす妻は見た事がなかった。私は妻に追いつめられていたのだろうか? むしろ私が妻を追い込んでいたのではないのか? そんな風に思えて来た。私は意を決して彼女の携帯に連絡した。
「すまないが、話がある」
その私の話を聞きながら、妻がニヤリとしたのを私は知らなかった。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。