7 吸収剣
戦闘パートA シンラ×銀×ヘルvs魔力強奪者 その1
ホテルの一室。スイートルームなのか五人の人間がその部屋いても、手狭さを感じることはない。
部屋の中心には高級感溢れる赤いソファー、少し離れた部屋の奥には、大人二人が横になっても十分にスペースが空きそうな大きさのベッドが備え付けられている。
それ以外にも大画面の液晶テレビや、ほど良い明るさのシャンデリアなど、スイートの名に相応しい装飾品が備えられている。
だが、非常事態の今、それらを楽しむ余裕などない。
にもかかわらず、正裁の天秤のメンバーはその部屋を出ることは許されなかった。
「俺たちも戦いますよ!」
扉の前に立つ青年に眞左人が詰め寄った。
青年はいささか神経質そうに眉を顰めた。
「しかし……。私にそれを許可する権限は与えられていないのです」
「私たちが何をしたって言うのよ?」
些か挑戦的に瑞樹は青年を睨み付ける。
「あなた方は疑われているのです。今回の襲撃を手引きしたのではないかと」
「そんなことあるわけないでしょ!?」
暴れ出しそうな瑞樹を眞左人が素早く駆け寄り羽交い絞めにして抑えた。
「はいはい。どぅどぅ」
「何でそんな動物を宥めるような声を出すのよっ!?」
火に油を注いでいるようではあったが、物理的には抑えているので一応問題はない。
「つまり、私たちはここで大人しくしていろと?」
ソファーに腰かけていたリーナが静かに尋ねた。
「はい」
「それじゃ、私たちが何をしにここまで来たのか分からないじゃないですか?」
その言葉を聞いた青年は少しムッとしたように表情を一変させた。
「それは私も同じです。わざわざ京都に呼び寄せられて、どうしてあなた方のお目付け役などしているのですか?」
リーナたちには理不尽としか言いようがない、青年の逆上した言葉だった。
三人は憎らしげに青年を一瞥した後、青年を避けるように出入り口から離れて行った。
一人だけ、終始ふかふかなベッドに体育座りをしていたアイナは、誰にも聞こえないほど小さく呟く。
「……つまんない」
魔生糸を左手に持ち、その手首のブレスレッドを掲げ、魔力強奪者は高らかに叫んだ。
「魔力を喰らえ! 吸収剣!」
右手から発生した青色の魔力が波打つ光のように動き、やがて型に押はめるように形を成していく。
その形は剣。青銅のようなメタリックな青い輝きを放つ、魔力の剣だった。
それはシンラの魔術〈如意〉に近しいものだった。だがシンラほど精度の良いものではないのか、時々大きく揺らぐ。
ニヤッと、人を小馬鹿にしたような笑みを魔力強奪者は浮かべた。
そして、おもむろにその剣を振り上げ、シンラに飛びかかってきた。
シンラは咄嗟に如意を突出し、無属性の防御魔術を展開した。
それが魔術であるならば、その防御魔術は攻撃を弾くはずだった。
しかし、その想像は脆く崩れ去った。
繊維を裂くような妙に生々しい不快な音と共に、その防御魔術を引き裂いて吸収剣がシンラの目前に迫っていた。
ふと、シンラは頬に冷気を感じた。しかし、振り向くことすらできない。もちろん、迫る刃を躱すこともできない。
その瞬間、魔力強奪者は刃を左へ逸らした。
シンラの横の壁から人一人ほどの大きさの氷柱が魔力強奪者へ向けて伸びた。
それはヘルの魔術だった。氷柱は鋭い先端で、魔力強奪者の身体を貫こうとしていた。
しかし、氷柱に向けて剣は逸らされた。
剣と氷柱が一瞬だけ明確に接触した。
しかし、次の瞬間には氷柱は跡形もなく消え去っていた。
「!?」
驚きに固まる二人には致命的な隙が生まれていた。
剣を振った勢いを生かし、魔力強奪者は片足を軸にして、そのままシンラへ回し蹴りを見舞う。
強烈な一撃がシンラの腹部に炸裂した。
勢いだけを追求して、自分の身体へのダメージなど考えていないような、型も何もない無茶苦茶な蹴りだった。
しかし、威力は高い。
シンラは膝を折って、蹲る。
それを見たヘルがようやく我に返ったのか、剣の平を前に突出し、詠唱のために神経を研ぎ澄ませる。
対する魔力強奪者は挑発するように笑みを浮かべていた。
非常に、相手の思惑に乗せられていると分かっているため、腹立たしい。
ヘルは仮面のような表情の下、確かな怒りを感じた。
攻撃を誘われている。
それは分かった。さっき魔術が切断し消滅させた剣。それが魔力を吸収するというヤツの名の所以たる魔術なのだろう。
シンラは懸命に酸素をかき集めるように、荒く息を吸い込む。
そうしながらも思考を研ぎ澄ます。
シンラの中に残る魔力は師が渡した炎と、パートナーが渡した光の魔力が精々光の魔術一発分。
対する魔術強奪者は水の魔術を使う。
さすがに相性が悪すぎる。
魔力にも相性がある。それは物理現象とほぼ変わらない。
例えば炎は水によって消される。氷は炎によって溶かされる。
そのため魔力にも相性が発生する。
それは多大な魔力で押し切ることもできるが、今の状況ではそれは得策ではない。
(僕は、僕は足手まといになりたくないんだ!)
痛みが、焦りが、危機感が、シンラの思考を加速させていく。
(この男を攻略するためには、どうすればいい?)
ヘルの魔術が完成する。
「凍てつけ! アイスブラスト!」
目に見えるほどの白い冷気の塊がヘルの直前の空間に圧縮される。
急速に空気が冷やされていき、廊下の壁や床に結露が発生していく。
彼女の胸の前でサッカーボールほどの大きさに集まった白い塊。その冷気が砲弾のような速度で撃ち出された。
空気中の微細な水分すら凍らせ、白い尾を引きながら、それは一直線に魔力強奪者へ飛ぶ。
果たして、人を凍死させかねないほどの冷気の塊を受けることになった彼は、危機感など微塵も感じていないように表情を変えることはなかった。
そ魔力強奪者は青色の魔力の刃を横に一閃した。
途端、廊下に満ちていた冷気がすっと消え去った。
代わりに満ちたものは湿っぽい空気だった。
ヘルの額に前髪が張り付く。しかし、それは残った湿り気が原因ではない。
(あれが、魔力強奪者の絶対の武器……)
ヘルは剣の腕が良いわけではない。故に剣を戦闘で武器として使うことはあまりない。
必然的に彼女の攻撃は魔術が主体となる。
ヘルの一番得意な魔術は一時魔力を凝縮させて、相手に向かい放つ射出系の魔術だ。
先程の魔術『アイスブラスト』は速度だけを見れば彼女の魔術の中でも最速の部類に入る。
しかしそれ以上に向こうが速い。
今のがまぐれでなければ、正面から真っ当に攻撃を仕掛けても、魔力強奪者へ当てることは困難だ。
(でも、今のが偶然だなんて、楽観はできない)
意を決して、ヘルは脚を踏み出す。
ヘルはその細い脚のどこにそんな力があるのか、信じられないほどの速さで駆けだした。
「放て、氷の礫!! アイスブレッド」
走りながら彼女は詠唱を完成させる。
先程と同じ射出系の魔術。握り拳ほどの氷柱を目標物に向かって撃つ単純な魔術だ。
速度から言えば『アイスブラスト』よりは少し劣る。
(でも、振り向きざまなら対応は難しい!)
あわよくばそこで、隙を作ることも……。
氷柱は振り返ろうとしていた魔力強奪者目掛け飛んだ。
(速いな……)
銀髪の騎士のような剣を持った少女が駆け抜けていくのを見て、彼は本心からそう思った。
(魔術を使用しているならともかく、純粋な身体能力であの速度を出すとは……、賞賛するよ)
彼の剣「吸収剣」は魔術に反応し、持ち主へ振動で伝える。
しかし先程の少女の急加速に、この生き物のような魔剣は反応しなかった。
心から彼は彼女を褒めていた。彼の嘲るような態度とは全く違い、彼の内心は素直だった。
しかし、まだ戦法としては甘い。
(確かにその速さは素晴らしい。しかし、その程度は反応できる!)
魔術の完成に吸収剣が反応したのを合図に、彼は片足を軸に急速回転し、魔剣を振るった。
傍目では青い魔力の剣が、氷柱を両断したように見えただろう。
しかし、この吸収剣は魔術と魔力以外は干渉できない。
単純に言えば、この剣は物体を斬ることができないのだ。
つまり斬るというよりは氷柱を透過したように見えるのだろう。
(もっとも……、斬り終える前に吸収剣は魔力を喰らい尽くすのだけど)
先程、吸収剣を防ごうとしたあの少年は、この剣の本質を理解していなかったことになる。
(まあ一度見ただけで、この剣がどういうものなのか、気づくことはないだろうな)
剣の刃に触れた瞬間、氷柱は跡形もなく消え去った。
氷柱に使われいた魔力が、魔剣から魔生糸に流れ込む。
確実に、魔力を貯めることができている。
(さぁ、その調子で魔力をこいつに喰わせてくれ)
魔力強奪者は唇を歪めた。
なるべく相手の怒りを買うように、不快な笑みを作るように。