2 前線基地
この小説はフィクションです。
今回はいろんな人の視点で話が進みます。
そろそろ物語の核が見えてくるかと。
まだまだ銀さんの話は遠い。
☽×❀×☀
シンラたち一行は無事に古都京都へ到着した。
観光地ということで賑わっている京都の中で浮かないように彼らはそれぞれお洒落していた。
シンラは年も相まって学生に変装している。折り目正しく学ランを着ている。
着慣れていないためか襟元を気にしている彼の手には野球のバットをしまうような黒皮の細長いケースがあった。その中にあるのは彼の魔法出力器である可動杖《如意》である。最小サイズの一メートル程度で納められている。
その隣のジーンズに白いブラウスの上にデニム素材のジャケットを羽織っている少女。
「来たわよー!京都!」
無駄に勢いよく拳を上げるのがホムラだ。
彼女は肩に引っ提げる形で布で包めた『日暮れの雨』を携帯している。
「修学旅行みたいなノリは止めてくださいよ。俺たちは何しに来たんですか?」
傍から見ると修学旅行に来たとしか見えないシンラが溜息を吐くと、半眼になってホムラは睨み付ける。
「あのね、シンラ君。あたしんたちは一体何のために呼ばれたのかちゃんと理解しているの?」
「何のためって、単純な戦力じゃないんですか?」
言った途端にホムラは小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「ふっふっふ。甘いわシンラ君。チョコレートを塗りたくって蜂蜜掛けて、アンコでコーティングしたマシュマロみたいに、うぇっぷっ」
「自分で言って自分で想像して胸焼けしないでください師匠」
口元を抑えて蹲るホムラ。今更ながら何でこの人日本最強の魔術師の一人なんだろと、シンラは本気で頭を抱える。
しばらくして復活したホムラは勢いよく立ち上がり無意味に胸を張った。
「あたしんたちは所謂あれよ。抑止力と軍がどれだけ本気かを見せるための演出なの」
シンラがあまりにも無反応だったためか、照れたようにホムラは頬を朱に染めていた。
どうも軍は穏便にことを済ませたいらしい。自分たちが本気で陰陽師たちと相対していることを印象付けるために四聖獣の名を冠したホムラを呼び寄せたという。
「魔術師と違って陰陽師は数が圧倒的に少ないそうよ。それに、術を使うためにはそのための場を用意する必要があるんだって。あらかじめ魔力を得た魔術師に敵うはずがないの」
「ようは痛い目を見たくないならおとなしくしていろってことですか」
そういうこととホムラは首のあたりをマッサージしながら肯定した。
「でも、いざとなったら戦うんですよね?」
シンラはいつの間にか笑っていた。
彼の眼は戦いを望む眼だ。ホムラは赤い瞳を細めそれを見た。四年前の初陣での彼女と同じその瞳を。
「倒す必要はないよ。シンラ君は自分の身の安全だけを考えてね」
「はい」
顔に影を落として彼はそう答えた。
(絶対にそうしないわね)
ホムラはそう断定した。しかし、どうすればいいのかわからないまま時間だけが過ぎていった。
そうするうちにもう一人の男が立ち上がった。
「皆。どうやらお迎えが来たようだ」
指さす銀は黒いスラックスに黒のノースリブの上着の下にホムラと同じようなカッターシャツを着ている。しっかりとした体つきの銀のイメージにはそぐわないカジュアルな格好だった。
一人一人の変装は悪くはない。しかし、三人が揃うと何しに来たのか分からないような妙な集団だった。
ちなみにサクラは服装を変えることもできないし、何より一般人には見えないので常の通り桜色の丈の短い和服である。
銀の指差す先、黒いワゴン車からサングラスを掛け、スーツを着た男が近づいてきた。
男は無言で車内を指し示す。
「無愛想な案内役ね……」
そんなホムラの感想はともかく、それに従って彼らはワゴン車へと向かう。
もはや空気と言って差し支えないサクラはシンラにしがみ付きがら、シンラはそのサクラを引きずるように、銀は頭を一度ぶつけながら、ホムラは何の障害もなく、それぞれが乗り込んだ。
ワゴン車はその後部座席と運転席が完全に切り離された非一般的な構造になっていた。まるで囚人を運ぶために作られたようでもある。
また、後部座席は二列あったのだが、前の列は後ろの列と向かい合うように既に向きを変えられていた。 それを見てホムラは電車にある向かい合った席を思い出していた。
「ちょっと狭くないですか?」
ゆっくりと車に乗り込むシンラはちょっと顔を顰めながら呟く。
「確かに。移動用ならもう少し広くてもいい気がするな」
頷きながら銀も乗車する。
「ああ、軍ってのは資金不足なんだろうな。あと五、六メートルほど長くないと乗用には向かないだろう」
「全く同意だ、シンラ。俺なんてデカい分、余計にしんどいだろうが」
二人の表情は真剣そのものだった。
それ故に、もう一人の同行者のひき様は尋常ではなかった。
「……えっ!?」
改めて驚愕のリアクションを取ったホムラに、一同は視線を集める。
「師匠?何ぼんやりしてるんですか?」
「え!?……あのお、二人とも、その話って本気で言ってるのかな?」
そんなわけないよね、ないよねと呪詛のように内心で繰り返すホムラ。
「師匠?俺たちの会話がどうしたんですか?」
「なんか妙なことがありましたか?紅さん?」
お二人とも大真面目でしたー!!とムンクのシャウトのように悶えるホムラはだらりと腕を伸ばし脱力する。
彼女たちが乗るこのワゴン車は一般で使用されているのと同じサイズである。
常識的に考えてここが狭いわけがない。つまり彼らの常識が一般と違うだけなのだ。
「もしかして、お二人は、ものすんごいお金持ちの家の出身だったりするのかな?」
一瞬、空気が死んだように沈黙が車内を支配した。
それを見計らったように車が動き出す。
あまりにも静かなエンジン音だったが、今の彼らには十分なきっかけだったらしい。
合わせたように二人は高速で首を振る。
「なな、何言ってんですか!し、師匠!?僕は普通の普通の人間ですよ?」
口調がおかしい上に普段は使わない僕という一人称を使うシンラは、隣に座り汗をだらだらと流す銀から見ても怪し過ぎた。そんなことを思う銀もホムラから見れば同様に怪しいのだが、そんなことにも気付かないほど動揺しているらしい。
本来ならホムラとしても気にすることではないのだが、あからさまに誤魔化されると逆に気になるというのが人の性だろう。
「そういえばシンラ君のお家の話、聞いたことないよね~。どんなところなの?」
シンラにそれを聞いてしまった。
(意外にあたしんもシンラ君のこと知らないしね)
そんな好奇心も加わって、さらにホムラはシンラに詰め寄る。
焦るシンラに嗜虐的な笑みを浮かべるホムラ。
「べ、別に普通の家だったと思いますよ?」
「ホントに?ホントに?」
密かにホッとしている銀を脇目に留めつつも、どう言って切り抜けるべきかとシンラは頭をフル回転させる。
「だから、ちょっと僕の家の車が大きかっただけで、そんなことぐらいで人をお金持ちの出身だなんて思わないでくださいよ」
しかし、先程の彼らの言葉はリムジンなどの高級車のことを指していたのだろう。そして一般人はリムジンを乗用車に持っていることは皆無に近しい。
さらに追及しようとホムラが口を開いた時だった。
「やめてください!!ホムラさん!!」
甲高い声が響いた。それはシンラの隣から放たれた声だった。
全員の視線がサクラに集まる。
彼女はぎゅっとシンラの腕に抱き付き、ホムラを鋭く睨む。
「シンラさんがどんな家の人かなんてどうでもいいじゃないですか!なのにどうしてそんなに問い詰めるんですか?」
薄い桜色の瞳には燃えるような感情が宿っていた。
対するホムラはどうしていいのか分からず視線を宙に迷わせた。
もちろんホムラは本気で問題に思っていたわけではない。ただ、シンラの事を意外と自分は知らないのではないかと気づき、少し不安になっただけなのだ。
シンラが本当に拒絶すれば、彼女だってそれ以上は尋ねなかったはずだ。
ただサクラにしてみれば、自分のパートナーが追い詰められるように感じてしまったのだ。
ここは素直に謝った方がいいわねとホムラは思考を変え、銀とシンラに向かって「ごめんなさい」と頭を下げた。
シンラと銀は顔を見合わせ、それに合わせるように笑う。
「自分が本当にこういうことを言う資格があるのかはわかりませんが、大丈夫ですよ紅さん」
「気にしてませんよ。師匠。サクラもありがとう。でも、そんなに怒ることじゃないよ」
サクラを宥めるようにシンラは彼女頭を掌で優しくなでる。
目を細めてそれを堪能したサクラは目を細めながら「はいッ」勢いよく首を縦に振る。
かすかに香る彼女の名と同じ花の匂いを感じながら、シンラはサクラについて考えていた。
(もう少し人のコミュニケーションってものを教えないといけないのかな?)
今のやり取りはホムラにしてみれば悪ふざけで、シンラを傷付ける意思などあるはずもなかった。
人との会話という点で、サクラは見た目以上に幼く、経験不足なのが露呈した。
(サクラも見た目は人間でも中身は精霊なわけだし、何かある度にこんな些細な衝突をしてたらきりがないよな)
自分の魔術の訓練もしたいところに、思わぬ障害が浮上してきたことにシンラは眉間をほぐしながら悩んでいた。
ビルも立ち並ぶ京都の街並みを進むこと十分。
ワゴン車はとあるビルの地下駐車場に入った。
薄いオレンジ色のライトが彼らを照らし出していた。
『ホムラ、貴女ここがどこかわかる?』
旅路ではずっと黙っていた《天照》が首を左右に忙しなく振る。
「あー、多分魔術協会のなんかでしょう?あたしんもよく知らないけど」
落ち着きのない小鳥の動きをうっとおしそうにしながらホムラは眠たげに眼を擦った。
思ったよりもこの座席の座り心地が良かったのかもしれない。
『《天照》さんに、サクラ。何だか少し妙な感じがしない?』
銀の膝に寝ころぶ《アルテミス》がぴくぴくと髭を動かしながら二人の精霊に尋ねる。
「どうしたんだ?いったい何があるんだ?」
『分からないです。何だか胸を圧迫されるような……。これは不安、恐怖といった感情なのでしょうか?』
怯えたような表情で固まる猫を銀は優しく撫でる。それを見ながら赤い鳥は、
『妙な気配はするわね。でも、それは大分前からしてたわ。確か、あの列車に乗っていたころだったかしら?』
まだ冴えない頭を揺らされながら、ホムラは思考する。
(魔力を生産する精霊が感じる不安?何よそれ?)
生物にとって不安や恐怖とは何か。最も原始的な恐怖とは即ち、
(死の恐怖?この世界では不老の存在の精霊がそんなものを感じるの?)
駄目ね、と彼女は首を振る。まだ寝ぼけているためか、その思考は少し脈絡に欠けていた。
「私もちょっと……」
サクラが遅れて反応した。
怯えるように隣のシンラの腕をさらに固く握る。というよりもう絡みつくようであった。
その豊満な胸がシンラの上腕を夢のような感触で埋め尽くす。脳内の自制心を総動員し、彼は意識を外に逸らそうとしているが、鼻の下が伸びているのは隠せなかった。
そんなものが目に入ったのだから、寝ぼけていたホムラが覚醒するのも当然といえたかもしれない。
彼女もまたぎりぎりと歯を鳴らし、拳に力を込め、シンラに抱き付くサクラを羨み、席を替わりたいという気持ちを必死自制しようとしているのだった。
(落ち着け~!あたしん!あの娘も精霊だから、《天照》のように不安を抱えているだけなんだから仕方ないわ!
あの娘は精霊だから仕方ない。あの娘は精霊だから仕方ない。あの娘は……)
呪詛のようにひたすら繰り返し自らにホムラは言い聞かす。
しかし、そんな彼女の努力を否定するかのように次の言葉は紡ぎだされた。
「私、暗いところが怖くてだめなんです!!」
ただの暗所恐怖症だというカミングアウトの元、ホムラの頭の中の導火線に火が点いた。
「そんなに暗いのが嫌なら!!あたしんが何もかも照らし出してやるわよぉぉっ!!」
ホムラの魔力が赤い煌きを帯びる。
いち早くシンラが彼女に飛びつき羽交い絞めにする。
「師匠!!それ、車内で使う魔術じゃないでしょうが!!」
しかしホムラは逆に顔を真っ赤にして、彼の脇に引っ付くサクラをギラリと輝く赤い色の瞳で睨む。
「明るくして欲しいんでしょうっ?じゃあここを太陽並みに明るくしてあげるわよ!!」
「そんなことをしてどうするんですか!?俺たち燃える尽きるじゃないですか!」
「シンラ君とならむしろ本望よ!!」
「さすがにそれは受け入れ難いですよっ!」
バタバタと暴れるホムラ。
シンラはつらそうに歯噛みしながら腕の力を強くする。
腕っ節が弱いわけではないシンラだったが、本気で暴れる彼女を抑えることは難しい。小柄ながら彼女は魔術を日本刀型の魔法出力器を使う魔術師。腕力など筋力は男性にも劣らないものだった。
「シンラ君!!どうして邪魔するのよっ!?」
「俺たちにも被害があるからです!!それと魔術師が精霊を攻撃するのは御法度ですよ!!」
「そんな法律はこのあたしんがぶち殺してあげるわ!!」
「くだらないこと言わないでください」
そうこうしている内に車は止まり、そのスライド式の扉が開かれた。
「到着です」
無愛想な男は社内の混沌とした絡み合いを見ても平然とした顔でそう言った。
ただし、眼光が絶対零度の冷たさを感じさせた。
『何やってんだクソ野郎!車内であばれてんじゃねーぞゴラルゥァァ!』
男の瞳は言外にそう語っていた。
「「……」」
ホムラもシンラも流石に反省して大人しくワゴン車から降りて行った。
地下駐車場からエレベーターが設置されたホールに向かう一同。
ホールにはガラスの自動ドアがあった。しかし、その前に道を塞ぐように男が立っていた。
茶色の外套を纏い、その片手には黒い鞘に納められた日本刀がある。
黒髪黒目で、見た目は二十代半ばほどの青年はにこやかな笑みを浮かべた。
「ようこそ皆さん。歓迎しますよ。
紅御一行様」
シンラは綺麗に一礼し、ホムラはフンッと鼻を鳴らし、銀は頭を掻いて無理やり笑みを浮かべた。
その反応を見て、青年は一礼し刀を腰に帯刀した。
「初めまして。私はここからの案内を務めさせていただく者です」
そうしてまた人の良さそうな笑みを青年は浮かべた。
「……」
「……」
「……」
沈黙がしばらく続き、耐えかねたようにシンラが口を開く。
「あの、お名前は?」
「聞く必要はないわよ」
青年が答える前にホムラは面倒臭そうに口を開いた。
「はい?」
「この人、裏方の人だわ」
ホムラの鋭い眼光が青年を貫く。かすかな憎悪を込めた視線に、青年は肩を竦めるだけで受け流した。
シンラはその様子に違和感を覚え、ホムラの後ろ姿を見る。
「裏方とはなんです?」
車外に出てようやくシンラから離れたサクラが首を傾げた。
その彼女はさらに青年から離れた場所で様子を窺っていた。
「正規の軍人じゃない協力組織の人間の事をそう呼ぶんだよ。表立ってできないこともするから裏方ってあだ名されるそうだよ」
最後尾にいた銀が敢えてシンラにも聞こえるような声で説明した。
なるほどとシンラはこっそり頷いた。
サクラはほへ~と分かったのかそうでないのか分からない反応をしていた。
「もし不便と思われるなら、私の事は六月とでもお呼びください。漢数字の六に年月の月で六月と表記します」
六月は恭しく頭を下げる。どこか他人の事であるようなその態度がシンラには少し気になった。
「ではこれから私が皆さんをご案内するのですが、それにあたってお願いがあります」
しかし六月の影の無い表情を見ているとそれが何だったのか分からないまま霧散してしまった。
「皆さんにはこれから識別のための魔術を施させてもらいます。これは敵と味方の区別と位置情報の把握のために必要です」
六月が説明を終えるとホールの中から二人の男が出てきた。
男たちは濃い若草色の軍服を着ていた。その手にはそれぞれ先端にマンホールほどの大きさの金属の輪が取り付けられた杖があった。
(魔法出力器だ)
シンラは一目でその杖の正体を判断した。それは魔力を感じたからだ。
魔力に関する感知能力。それは魔術に関わる者全てに備わるものだ。しかし、その能力の高さには個人差がある。俗説ではあるが魔法出力器など魔術道具を製作に携わる人間(彼らの事を人は技巧者と呼ぶ)は高い魔力感知能力を持つと言われている。
シンラも自身の『如意』を自作した経歴を持つ技巧者の一人だ。その魔力感知能力は人並み以上に高い。彼はその杖に込められた魔力を感じたためにそう判断したのだ。
「これから二人ずつ魔術を掛けていくので、皆さんご協力してくださいね」
それを合図に二人の男はシンラとホムラに近づいた。
何をするのかと少し身構えてシンラに向かって男は杖を振り上げた。
そして、円状の輪の中にシンラが入るように杖を振り下ろした。そしてカキィンという輪の先からコンクリートの床に触れた音が響いた。
「……はい?」
その男たちの姿は大きな虫取り網を振ったようであった。もっとも、網がないので些か間抜けな格好に見えるのだが、男たちは気にした様子もなく円にシンラが触れないように黙ったまま杖を持ち上げた。
「あの、六月さん?これで終わりですか?」
感知能力をふんだんに使ってみても何も感じない。ためしにシンラは「数値化」と詠唱魔術を唱えて自身の体を見ると、そこには不自然な数値で表された自分がいた。自分という数値に別の数値が上から書き足されている。その数値は誰かに対して特定の波動を送り続けている。
つまりこれが発信機としての機能を果たすのだろう。
耳無し芳一を彷彿とさせる姿であったがわざわざ手前で呼び止めて行うことにしてはあまりにも無変化に思えた。
あからさまに拍子抜けしたと語るシンラの表情に、六月は肩を竦めた。
「ええ。終わりです。お疲れ様でした」
「え?これだけ」
「もともとこの魔術は追跡用のもので、本来人に気付かれないよう相手の魔力を動力として起動するものなのです。実を言うならその輪っかも形だけで、不要な手順なんですよ」
「だったら何で宣言したんですか?ばれないならこっそりやっていた方が効率的でしょう?
それにこのデバイス。本当にこの魔術を使うのに必要なんですか?」
「そうですね。貴方の仰る通りです。このデバイスも飾り程度の意味しか持ちません。本来ならこの建物に入った瞬間に勝手に掛けているのですが、皆さんのような|重要人物(VIP)ではまた異なるのです」
流暢に語る六月に疑わしそうな瞳を向ける。
「何故かと申しますと、我々の言うVIPは魔術的にも地位的にも非常に強い力をお持ちの方です」
例えばホムラ様のようにと彼女を手で指し示す。
「そんな彼らがこの魔術を探知できないはずもありません。もし、それが敵対行為だと思われてしまうと、どうなるかわかりますか?」
ニヤリと暗い笑みを浮かべる六月。
「……反撃されるかもしれませんね」
「その通りです。そうなると我々と彼らの関係を回復させることは困難でしょうね。
そんな争いを避けるために我々はまず最初にご説明しているのですよ」
(でもそれも)
頷きながらもシンラは考えていた。
(自分たちの戦力を得るためなんですね)
どのみち戦いは避けられない。そんな状況に自分たちはいるのだ。
だが、彼にそれを悲観するつもりはなかった。
(それでいい。戦いは技術を進化させる。そうして俺も目標にたどり着ける)
シンラの瞳は野望に満ち溢れていた。それを見た茶外套の青年は
酷薄な笑みを浮かべた。
そんな会話をしている内にホムラと銀の識別も終わったらしく、二人して欠伸や背伸びをしていた。慣れた様子にシンラは少し引きつった笑みを浮かべる。
前を見てみると綺麗に真っ直ぐとした姿勢で頭を垂れた六月がエレベーターホールに掌を向けていた。
この人燕尾服とか似合いそうだなとシンラはこっそりと感想を口の中で呟いた。
「では、皆さん。ようこそ前線基地へ」
茶外套を翻し、六月は背を向けた。
その背を、
数値化を解かないまま見たシンラは、
シンラの背後を歩いていた銀は彼がふらりと倒れそうになったのを見て、すぐに手を伸ばして支えた。
「おい?シンラ?」
横から顔を覗き込むと呆然とした表情でシンラは固まっていた。それは理解を超える事象を目撃した人のようであった。
「……なんだよ。あれ」
「いや、お前がどうしたんだよ?」
呆れたように目を細める銀の手から離れ、シンラは六月とホムラを追って歩み始めた。
銀は首を捻りそれに続こうとして、桜色に煌めくその少女の髪を目に留めた。
それはシンラの精霊であるサクラだ。
暗所恐怖症のためだろうか。サクラはかすかに震え、青ざめた表情をしていた。
彼女を心配して思わず銀は肩に手を置こうとして、止めた。
例え魔術師でも他人の精霊に干渉できない。
ただ触れて彼女を安らかにすることもできない。
「サクラ?」
銀はそう声を掛けることしかできなかった。
サクラはビクッと不自然に大きく肩を揺らして銀を見た。
その表情は恐怖。
「どうしたんだ?」
じっと彼女の瞳を見る。怯えた彼女を安心させるために背中を擦るぐらいはしたかったが、それも望めない。だから、瞳を見て話す。
彼女の感情をできる限り拾うために。
「なにか、こ、怖くなったんです」
サクラは青い顔で唇を震わせながら言葉を紡ぐ。
しかし、次のその言葉は銀の予想とは違うものだった。
「なんていうんでしょう。あの六月という人、な、何か変な感じがして……」
自分の中の感情を言葉で表す。それは人間にとっても難しいことだ。それは精霊も同じなのだろうか。 銀は心のどこかでそんな疑問を持った。しかし、今の銀はその疑問を思索する余裕はなかった。
何故なら震えるサクラに銀ができることは彼女の言葉を待ち、聞くことだけだったからだ。
六月に関する疑問も今は浮かばない。
「とても、大きい。そんな感じが」
その時銀の背後からコツコツと人の足音が響く。
地下空間ではその乾いた音が反響し、どこか非日常的な印象を持たせる。まるで敵か何かが近づいているかのような、緊張に満ちた薄い恐怖。
だが、その想像はまるで違っていた。
「二人ともどうしたんだよ?置いていくぞ」
銀が振り返った先にはシンラがいた。
先程の立ちくらみのようなものから回復したのか、歩き方も見た目も自然体で特に心配する必要はなさそうだ。
「悪い。ちょっとサクラがな」
シンラに話すべきかどうか逡巡している間に、彼はサクラに歩み寄り、その細い手を握った。
「サクラがどうかしたのか?」
シンラは自身の精霊から目を離し、銀を見ている。それ故に気づかない。
サクラの表情から見る見るうちに青さが抜けていくのを。
彼女は安心しきった小動物のように顔を綻ばせ、握られたその手を軽く握り返した。
「……ふっ。いや、なんでもないさ」
シンラは不審そうに銀を睨んだ後にサクラを見るが、その頃には少女の姿をした精霊はいつも通りの花が咲いたような笑顔でいた。
不思議そうに首を捻りながらも、彼は大して気にしていなかったのかそのままサクラの手を引いて歩き出した。
(あいつ、やっぱりすごいのかもしれない)
何がサクラを元気づけたのかは知らないが、シンラがそれをしたのは確かなようだった。
手当て、という言葉がある。
その語源は怪我や病気の人間に手を当て、労わるところからきているという。
人に触れる。それは人を思い、その感情を伝える手段なのかもしれない。
今のシンラがサクラの手を握るという行為は、サクラには伝わったのかもしれない。
シンラ本人にも気付かない、深層のサクラを思いやる彼の心が。
(それがサクラを勇気づけた。……とでも思っておくか)
実際のところは分からない。
ただ手を握られて安心したのかもしれないし、もしかしたら契約者という立場で自分を必要とするシンラを見て守ってくれると安堵したのかもしれない。
もし銀がサクラに触れられればそれで解決したのかもしれない。だが銀にはそうは思えなかった。
(多分俺、……ううん。わたしには絶対できない芸当だね。
一体どんな魔法を使ったのかな?)
シンラのそれはいったい何なのか、それは銀という青年にも、また彼女にもまだわかっていない。
本来の口調に戻った彼女は歩み始める。
(ある意味わたしの目標だよ。シンラ。わたしもそんなオーラが欲しいよ)
羨望の眼差しを送る先には、師匠と慕う少女とパートナーの精霊に両腕を占領された少年がいる。
(……両手に花は、勘弁かな)
銀という少年の姿をした少女は苦笑いしてエレベーターへと乗り込んだ一行に続いた。
その銀の肩にしがみ付く精霊、アルテミスは総毛立つ思いをしながらボタンを操作する青年を見る。
決して本人には気取られることがないように、視界の隅に置いて。
この地下に来て感じていた違和感の正体が何なのか、アルテミスはこの六月と名乗る青年と出会い確信した。
それは恐怖だった。それは獰猛な肉食獣の檻に閉じ込められたような生命の危機に感じるものと同質のものだった。
何もかもの原因はこの青年だとアルテミスは結論付けた。
青年を数値化して見たシンラが立ちくらみを起こしたり、サクラが六月を大きいと感じた事さえも全てはこの青年の莫大な魔力が引き起こしたことだった。
その魔力を数値化して見た時、その数値はまさしく桁が違う。永遠と続く円周率のような何万何億と続く数字の羅列を見た時、人はそれを瞬時に把握することなどできない。それをシンラは一時的に許容量を超えた情報整理を行いかけて立ちくらみを起こした。
例えて言うならそれは明暗の順応に似ている。真っ暗な空間から突然光を浴びれば、暗闇に慣れた目には一時的に何も見えなくなる。
それと同様に、シンラは重力や体のどの位置に力を入れることという無意識の計算を全て捨て、瞬間、六月の魔力の計算に入ってしまい、足元が疎かになってしまったのだ。
サクラの言う大きいとは、単純な魔力の総量の事だ。圧倒的な六月の魔力量に彼女は恐れを抱いたのだ。
魔力量が多い精霊である彼女ですらそれであったのだ。
天照やアルテミスは、それの比ではない。
緊張感、畏怖、呑み込まれそうな感覚。魔力を水として例えるなら、六月を海、サクラは池ほど、そしてアルテミスたちはただの水滴程度でしかない。
それは比較の問題だった。それほどまでに、六月の魔力量は膨大だったのだ。
アルテミスたち精霊が感じていた違和感。それもこの青年の魔力を感知した結果だった。
エレベーターが止まり、密室から出たために銀やホムラは六月から少し距離を空ける。
案内する六月が自然と距離を空けたのだ。
だが、緊張はまだ続いていた。
何も考えられない彼らは六月の正体を思考できないまま、ただ目の前の有り得ない事象に意識を奪われ続けるのだった。
その時ホテル『シー・ウェル』の五階エレベーターホールを警備する男たちがいた。
ホールの警備はエレベーター前に立つ衛兵が二人。いざという時に飛び出すためホールに最も近い部屋を三つ陣取った私服の軍人が各部屋三人ずつの計九人。
彼らは皆、日本軍魔術師団の団員である。
ビジネスマンの変装をした男、一ノ瀬は真新しくも着慣らしたスーツを身に纏い、ホールの監視に努めている私服の軍人だ。
休息がてら食事を済ませようと下へ向かう彼は廊下の出口で男女五人組とすれ違った。
瞬時に顔の特徴や髪の色などを一ノ瀬は覚えていく。
(こりゃもう癖だな)
内心苦笑いしながらも先頭の若者の姿を横目で確かめる。
年齢は二十代くらい。茶外套を身に纏い、黒い鞘の刀を持っている。髪と瞳は共に黒い。魔術師なら属性はおそらく闇。
その次を歩くのは、何やら難しそうな表情のまま後ろの少女の手を引く少年。学ランを着たこの少年も黒髪黒目だったが、魔力に馴化する前であるためだろうと一ノ瀬は結論付けた。
少年に引かれる少女の年代は十代半ばから後半。桜色の髪に金色の瞳で、注目を集めるだろう美少女だった。服装は桜色を基調とした和服。しかし、袖が繋がっていなかったり、丈が極端に短い。
その次の少女は言わずもがな、朱雀の異名を持つ魔術師の紅焔だった。軍関係者の魔術師なら、彼女の事を知らぬ者はいない。赤い長髪に紅い瞳。その手には布で包まれた日本刀があった。
最後の少年は長身で、程よく肉もついた体に黒髪黒目。これも先程の少年と同じで、馴化前の魔術師であるためだろう。
ホムラの存在があったため特に警戒せず彼らに道を譲り、廊下の先へと行かせる。
目礼し少年たちは進み、一ノ瀬もまたエレベーターへと向かうが、ふと足を止め振り返った。
(そういえばあの茶外套のヤツ)
既に曲がり角を曲がっていた彼らの先頭の少年の表情を彼は思い出した。
(どうして、あんなに笑っていたのかねぇ)
思わずといったような、堪えていたのが漏れてしまったような不覚そうな笑みだった。
六月に連れられて、シンラたちは五一九号室と書かれたプレートの部屋へと入った。
そこは客室だった。畳の間の中心にテーブルと四人分の座布団と背もたれが付いた椅子があり、壁の隅にはテレビと貴重品管理用の金庫が設置されている。奥には脚の着いた椅子が二つと丸テーブルがあり、そこから外が見渡せるようだ。
既に日も暮れ始めていて部屋には夕陽が差し込んでいた。
(秋の日は短いな)
シンラは少し哀愁を漂わせた笑みを浮かべてみたが、たまたま見えた手洗い場の鏡を見ると恥ずかしくなってしまった。
咳払いをし、畳の間に行く。
「ここは男子部屋ということにしましょう。水戸瀬様と御子柴様はこちらの部屋をご使用ください。西日が射しこむ部屋ですが、大丈夫ですか?」
少し申し訳なさそうに表情を歪め、その後慇懃に一礼し六月は人の良さそうな笑みを浮かべる。
しかし、シンラには後半よりも前半に少し気になる部分があった。
「すみません。良ければ俺の事はシンラと呼んで下さい」
もちろん六月にそんな意思はなかったのだろう。少し驚きを入り混ぜながらも、口元だけで六月は笑みを維持し続けていた。
シンラにも分かっていることだ。だが、どうしても彼はミトセという名が好きになれないのだった。
所謂コンプレックスのようなものだった。
「それと、ついでに様付けも止めてもらいたい。くすぐったくてしょうがないんだよ
それに見たところ貴方の方が年も上のはずだ」
銀の一言に六月は頷き、
「では、シンラ殿に御子柴殿。お二人はこの部屋で今日一日をお過ごしください」
「殿はどうだろう?もう一つ、できれば敬語も止めて欲しんだが」
微苦笑した銀に、六月も苦笑した。
「お二人もお客様ですので、流石に憚られます。平にご容赦を」
仕方ないなといった風に肩を竦める銀に六月はまた一礼した
「ところで六月さん。あたしんたちは指定された日に到着したんだけど、どうしてその呼び出した本人が出てこないの?」
棘のある言葉を口にしたのはホムラだった。ホムラは日本軍の魔術師の頂点に位置する川瀬五郎の指示でここに来たのだ。
事実上日本の魔術師のトップに立つ五郎ではあるが、実力の面で言えばホムラとそう変わらない。
日本には最強と呼ばれる魔術師が四人いる。彼らはそれぞれ四方神の名を冠している。
朱雀の紅焔。玄武の川瀬五郎。などという具合である。
ホムラは軍を脱退しており、地位で言えば川瀬に劣る。その分低く見られがちだが、二人の間には優劣や格という認識はない。
川瀬五郎が頼みごとをしてきたのに、挨拶や迎えがないのはどういう事だ。
ホムラの態度にはそんな意思が滲み出ていた。
「申し訳ありませんが、川瀬は大河元帥をお迎えに行っておられまして本日中は戻られません。
明日には戻られますので、今しばらくご辛抱ください」
恭しく礼をする六月。
この人頭下げてばっかりだなとシンラは呆れたように彼を見つめる。だが彼はむしろ楽しそうに笑い返してきた。
(……本人が楽しそうならいいか)
そもそも関わるべき話じゃないなとこっそり再確認する。
(けどそうなると川瀬准将と顔を合わせるのは明日になるのか)
三〇代を前にして軍の准将に伸し上がった男。現在日本軍の魔術師の頂点。
(それに大河元帥も来るのか)
大河清斗は軍に入った後に魔術を学んだ魔術師である。軍の名誉位である元帥になった既に歴史上の人物になった老人である。
現在は軍を退役し、銀も学んだ鋼拳流の師範として名を馳せている。そして、ホムラや川瀬と同じく白虎の名を得た魔術師だ。
その戦法は弟子の一人である銀と同じ、憑依魔術を使用した魔術と体術を融合させたものだ。大河清斗の場合はそれにさらに魔術による肉体強化をしていると言われている。しかしその魔術は明らかになっていないため、あくまでもそう予想されているだけである。
これで青龍がいれば日本最強と称される魔術師が一堂に会することになったとこだ。
しかし、青龍は軍の人間でもほとんどその正体を知る者はいない極秘の存在だ。
そういう意味で、今回のここに来る必要もなかったのかもしれない。
「とにかく、着き次第知らせて。大河さんがいるならあたしんも顔出さないといけないから」
先程とはまた違うニュアンスの彼女の言葉は隠しきれない倦怠感が滲んでいた。
「了承しました。
では、紅様とそちらの方のお部屋に案内します」
六月はそう言いシンラに引っ付いたサクラを見る。
サクラはほわほわと柔らかい表情のまま空想の世界を漂っているようだった。
「あ~、サクラは大丈夫です」
繋いだ手を示してシンラは肩を竦めた。
六月は首を捻った。
シンラとサクラを交互に見てから咳払いをした。
「一応そういうのはしてもらっても構わないのですが、ここは兵士たちの詰所でもあるので控えていただきたいものです」
その意図を理解したホムラとシンラの顔が瞬時に赤く染まる。
「ちちち、違います!!俺とサクラはそんな関係じゃありません!!」
「そうよ!サクラとなんてヤらせないわ。あたしんは大歓迎だけど!」
「いや師匠!何爆弾発言してるんですか!?」
ある意味いつも通りのやり取りを繰り広げる二人を銀は慣れた様子で、六月は引きつった顔で見ていた。
結局サクラはシンラたちと同室で過ごすこととなった。
これには例えホムラと同じ部屋に連れ込んでも逃げられるとホムラ自身が気づいたためだある。
ホムラは一つ上の階で寝泊まりするらしい。六月がその部屋に案内をしたのだが、なぜかシンラも付き合わされた。
「どうして俺も付き合わされているんですか?」
とシンラが尋ねた際、ホムラは妖艶に笑った。
「決まってるでしょう?シンラ君が夜這いするときに迷わないように気を使ってあげているのよ」
思わず眩暈を覚えてしまうようなセリフにもうシンラも苦笑いを返すぐらいしかできなかった。
ちなみにサクラは窓から見える景色にご執心である。
抱き付かれていた片腕を回すシンラ。ようやく得た自由に腕はバキボキと鳴って喜びを表現しているようだった。
一同は階段で六階に上がる。
「六階は男子禁制ですから、夜這いするときは見つからないようにお願いしますね」
笑顔で告げる六月は朗らかなのだが、シンラにとっては事実上のOK サインと同義であり、乃ちホムラのテンションメーターの針が振り切れそうで怖かった。
六月の前方を歩く赤い少女は天を突きそうなほどのガッツポーズをしていた。
(……よ、夜が怖い)
どうせ行かなくても向こうから来たりするのだ。先程の六月の控えていただきたいという発言で少し安堵したシンラではあったのだが、今のOKサインでそれも消失した。
せめて軍の魔術師たちの魔術式や力を研究したかった。いや、しなければならないのだ。
己の目的を果たすために。
彼は、シンラはそのためにホムラの教えを求めた。
(俺は、あの人を利用しているんだ)
これまでも。そして、今からも。
彼は利用し続ける。彼女を。その繋がりと地位も含めて。
そして何より。
彼自身に自覚があるのが、シンラにとっても見ている者たちにとっても辛いものだった。
だからこそ、彼はホムラの好意を受け入れられないのかもしれない。
(でもそれも、言い訳なのかもしれないな)
シンラはそんな風に考える自分が、好意を受け入れられない自分が嫌いだった。