天秤たちの暗躍 1
この小説はフィクションです。
今回は前回の続きで天秤について主に説明をしております。
前回のフラグ、約一名実はおと……、は未回収です。
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藤原眞左人は手元の写真を見ながら、眉にしわを寄せて考えていた。
その写真にはどこかの庭園らしき場所で、夜の空のような光沢がありそうな黒髪の華奢で小柄な少女が立っている光景が写されていた。
少女は可愛いと綺麗の中間点を体現したような美人。服装は写真だけでも高級だとわかるような純白のドレスだった。年齢は十五歳程度だと推測される。
壁に背を預けるアッセルと写真を交互に凝視してから、眞左人は疑問を自称異世界人のリーダーにぶつけた。
「アッセルさん。これは何なんですか?」
食堂で、目立たないように食事を終らせた一行が解散を言い渡されたとき、眞左人と瑞樹はそれぞれアッセルの部屋の前に集合せよと命じられた。
瑞樹は女子組と別れるのに手間取っているのか遅れてしまったために、先に眞左人だけがその写真を見ていたのだ。
アッセルは面白そうに唇を歪め、
「そうだな……、探し人ってところかな」
何が楽しいのだろうか、絶えずアッセルはニヤニヤと笑っていた。
「探し人って何のこと?」
眞左人が振り返るとそこには紫電を宿したような瞳があった。
「よう。遅かったな」
未だに笑みを絶やさないアッセルの言葉を不満そうにしながら聞き流し、眞左人の手元の写真をひったくるように奪い取った。
「……この娘がアッセルさんの探し人?」
「正確には俺じゃなくて、正裁の天秤の探し人だな」
首を捻る眞左人とは対照的に、事情を把握したらしい瑞樹は興味を失ったように写真をアッセルに押し付けた。
「どういう意味なんだよ?」
瑞樹は溜息を吐き、人差し指を眞左人の鼻先に押し付けた。
「いい?どんな団体にしろ、活動するには絶対に必要なものがあるの。なんだと思う?」
ぐいぐいと押される鼻を気にしながら彼は直感的に思ったことを口に出す。
「金か?」
「ほぼ正解ね。特にこの正裁の天秤みたいな思想組織には金持ちなパトロンがついてなきゃろくに活動できないことが多いの」
「ほー」
微妙に納得できないのか眞左人は気の抜けた声で返答した。
瑞樹は人災警官隊で、組織犯罪の調査を担当していた。そのため、彼女には比較的身近なことだったのだが、平隊員の眞左人には縁遠い話であった。
「例えばだ」
笑っていただけのアッセルが真剣な表情をし、窓枠に腰かけて語りだした。
「どこかに平和を訴える思想団体があったとしよう。
そいつらは活動は人々にその思想を広めることってことになる。そのためにはどうするか」
流れる風景を背に、組織の中核たる青年は語る。
「必要なのは、そうだな……、まず広告。チラシとか、可能ならマスメディアやインターネットを使った大規模な呼びかけが効果的だな。
これにどれだけの費用が掛かるか」
チラシの紙代。配布物を付けて配るならその分の代金。マスメディアの利用は多額の費用が必要であり、インターネットを使うにしても通信費などが必要だ。
そうアッセルは指折りしながら例示していく。
「活動だけでこれだけ、さらにこれに加えて働いた団員への支給、窓口設置に関する住宅費、通信費。平和の為に政治関与も必要とするなら、もっと膨らむぞ」
コクリと頷き、瑞樹が引き継ぐように口を開く。
「そこで必要になるのがパトロン。後援者よ。思想に共感した人もそうだけど、その団体の活動が自分の利益につながると見越して出資する投資家みたいな人もいるわ」
次々に想像もしなかった金銭事情を聞かされ、少し頭がパンク状態になった眞左人は結論を急ぐように「つまり?」と尋ねる。
アッセルは先程瑞樹に邪険に扱われた少女の写真を人差し指と中指で挟んで持ち、二人に見せる。
「この少女を捜索することで、ある貴族が俺たちに出資してくれているということだ。
ちなみにこいつは橋口瑞樹の言ったタイプのどちらのパトロンでもない。俺たちを便利屋として雇っているつもりの野郎だよ」
「どうしてその貴族サマはこのかわいい(ブニ)女の子を探せと?」
途中鼻を押し潰されたために詰った声になったが気にせず眞左人は続けた。
その異様な光景にアッセルは引きつった顔をして二人を見ていた。
「……」
少し冷静になったのか、眞左人の鼻から瑞樹は手を退けて明後日の方向へ顔を逸らした。
解放された眞左人は不満そうに鼻を擦り、アッセルを見た。
「この少女は貴族様の娘なんだが、その立場が悪い」
この際二人とも無視したアッセルはこの上なく楽しそうに笑い、告げた。
「この貴族が科学推進派。だが、娘は魔術師なんだよ」
佐賀県のとある海岸線。そこにぽつりと一軒だけ建てられた古めかしい日本家屋に、人災警官隊の隊長だった男がいた。
彼の名は白葉孝広。現在は人災警官隊隊長ではなく、正裁の天秤の窓口として活動している。
アッセルは魔術師と陰陽師の争いに介入するために京都に向かった。同時期にここで極秘の科学技術のお披露目があるという情報から、彼がここに派遣されたのだった。
その際、正裁の天秤の長たる青年は、
『お前が正裁の天秤に来た理由を確かめてきてくれ』
(俺がこの組織にいるのは、……核兵器、ニュークリアの情報を知るため。だとすると、ここで行われることは……)
辺りを見渡す。
その家屋には彼の他にも十数人の人物が集められていた。
その幾人かに、彼は見覚えがあった。
とある大手の兵器開発会社の代表。電力会社の社長。そして、
(……陸軍大佐、波佐間修平)
モミアゲと繋がった髭が獅子の鬣のような大男。軍の兵器開発課の男が私服でそこに存在した。
(アッセルの言った通り、ここでニュークリアの軍事的開発を行っているのか?)
だが、それにしては他の面子がどうしているのかが納得できない。軍事使用のニュークリアに、なぜ電力会社の社長が来たのか。
疑問は尽きないまま、案内役らしき白衣の男性が障子の奥から出てきた。
「どうぞこちらへ」
言葉短く男はその奥を指し示す。そこには返された畳と、その奥に地下へと続く階段があった。
あたかもその先が異界であるかのように、材質がコンクリートに変わった階段だった
階段を下りた先には筒状のエレベーターがあった。
白衣の男性に従って、一行はそれに乗り込みさらに下を目指す。
数秒の後、薄明るいエレベーターの中が突如青い光で満たされた。
ガラス張りのエレベーターから見えたのは、幻想的ともいえる青く輝く揺れるカーテンのような天井だった。
それは海中から見た海面の姿だ。視点を下に移すと海藻が揺れ、魚たちが自由に飛ぶ、人が干渉できない世界が広がっている。
しかし、その中に不似合な建造物があった。
およそ一〇キロメートルほど離れた海底に、ドーム状の仄かに緑に発光するそれはあった。
「海底都市ポセイドンです」
息を呑む孝広たちに、白衣の男は解説する。
「正確には実験都市でして、様々な研究開発を続けております。本日皆様にご披露する研究は……」
男は勿体付けるように一度間を空けてそれぞれの顔を見渡す。
「核エネルギーを用いた発電技術であります」
孝広が佐賀へ旅立つため、空港にいた。
そこは秋の大型連休間近ということもあってか、大変混雑していた。
しかし、その中にあっても彼の隣を歩く青年は一際浮いていた。
「孝広。アンタに教えておきたいことがある」
見た目は特に変わったところはないのだが、不自然に落ち着いた雰囲気と余裕に満ちた態度がどことなく不気味なアッセルは言いながら孝広にベンチを勧める。
一瞥し、孝広は無言で首を横に振る。
見ると小学生ほどの子供がその周囲を走り回っていた。アッセルは肩を竦め、そのまま歩き続けた。
「改まってどうしたんだ?」
孝広は半眼でアッセルを睨みつける。まさかこれから行くところは危険だと今更言うつもりでもあるまい。
「いや、俺たちのグループについて話しておきたかっただけだ。そう警戒するなよ」
そんなつもりもなかったのだが、敢えて否定はせずに、「それで?」と先を催促する。
「俺たちは簡単に言って折衷を目指すグループだ。難しい理念や、規則はない」
盗聴を警戒しているのか、アッセルは魔術や科学技術などの言葉は使わずに説明する。
「折衷といっても、それが簡単ならグループは生まれなかったはずだろう?」
歴史の表だけを見ても、三つほど彼らと同じ思想の元で活動した者たちもいた。裏の数を含めればどれだけ膨らむものか分かったものではない。
アッセルもそれに同意したのか頷く。
「だが、やらなければならない。そうなって欲しいと思った男がいた」
遠くを見るため、天井を見上げるアッセル。その顔には少しの悲哀が滲んでいた。
しかしそれはすぐに消え、彼は落ち着いた様子で次の言葉を紡ぐ。
「そいつが、天秤を作った。二つの技術のバランスをとって、正しい世界を築き上げるために、な。
それが正裁の天秤の由来だ」
「それがお前なのか?」
「いや、違う」
少し驚いたように孝広は目を開いた。リーダーをやっているのだから、彼の話だとばかり思っていたのだ。
「そいつは病気だった。今の医療技術では救えない、な。だから、そいつはこう思ったんだ。『魔術ならこの体を治せるかもしれない』と」
孝広は少し目を伏せて、その創設者の心中を察した。
おそらく、可能性には全て掛けたのだろう。名医を求めてコンタクトを取ったり、新薬が開発されれば真っ先に飛びついたりといった風に。
だがそれらは全て効果を出さなかった。それで、魔術という全く違う技術を求めたのだろう。
「結果から言うとそれは駄目だった。魔術でできるのはせいぜいどこが悪いのかを調べることだけだからな。根本的に治すことは不可能だ」
よくあるファンタジーのように体の傷や病を治癒する魔法はこの世界にはないのだ。
魔術は異能ではあっても、万能ではない。
「だが、どこが悪いのかは分かった。それによって治療法も確立された。今では、あいつの病は治るものだ」
二つの技術が意図せずに協力し、より良いものができた。それは、正裁の天秤が目指したものの先達であった。
「だが、あいつの病はもうその時にはもう手遅れだった」
なんと報われないことだろう。しかし、それを語る青年の表情は特に暗いものはなかった。
孝広は話よりも彼の表情や態度が気になった。
アッセルのそれは、日常会話をするものとほとんど変わりなかった。
さっきの悲哀が嘘のように、彼は平静そのものだった。
「そいつと俺が出会ったのはその時期だ。もう死を迎えることしかできなかった彼は、最後に願った。『自分のようなことが二度と起きないように』と。それを聞いたそいつの友人たちがこの組織の原型を作った」
孝広は話が落ち着いたと見て、疑問を口に出す。
「それを話して俺にどうして欲しい?」
そこで始めて、アッセルは笑った。
理解がいい。
その顔は言外に語った。
「別にどうにも。これはただの昔話だ。重要なのはここからだ。
俺はその組織にリーダーとして加わって欲しいと頼まれたわけだが、その際二つ条件を出した」
彼は親指と人差し指を立てた妙な指の形で二を表した。
「一つはこの組織の目的を二つの技術の折衷を目指すとともに、過剰な技術研究には断固として対抗させることだ。
もっと簡単に言ってやる。暴力を使ったとしても、止めるべきものは止める」
暴力とはすなわち戦うということであった。
だからこそ、思想組織の正裁の天秤に孝広たち人災警官隊が加えられたのだ。
生存と引き換えにして。
暴力を使ってまでも自身の主張を押し通す集団を、人はテロリストと呼ぶ。
つまり、その時正裁の天秤は思想団体から、テロリストに分別される組織になる。
「もちろん、あくまでも過剰な研究。……そうだな。人体実験とかだな。そんなものがあれば実力行使で潰す」
「穏やかじゃないな。後盗聴の心配はもうしなくていいのか?」
「問題ないさ」
短く告げる。
孝広もそれ以上追及しなかった。
おそらくこの異世界人を名乗る魔術師はそれぐらいの対策は既に済ませているのだろう。
ならば心配するだけ無意味だ。
アッセルは親指を折って、指の数を減らす。
「もう一つは……」
驚きと疑惑を含んだ視線を孝広は向ける。
彼は知らずに息を呑んでいた。
より一層目を鋭く細めるアッセル。冗談のような気配など欠片もない。抜身の刀のような威圧感が絶えず放出されている。
「……それは、無責任ってものだろうが」
止めていた息を吐き出すように、孝広は怒りを露わにする。
ふざけている。
今アッセルが語った二つ目の条件はそもそも前提に矛盾するものだった。
致命的とも言ってもいい。地雷を処理するためにその地域一帯を爆撃するといったような根本からずれた欠陥。
「気に入らないなら自分で思考し、行動することだ」
アッセルは笑う。
どこまでも楽しそうに、どこまでも虚しそうに、その男は笑う。
「それよりも白葉孝広」
仕切り直すように彼はその名を呼んだ。
「お前にはこれから行く場所が武力制圧が必要かどうかを見てきてくれ」
「……一つ目の条件ってやつか」
「ああ。あそこは情報だけ聞いてるが、ヤバそうだ。お前を行かせるのはその辺の知識も十分で、なおかつ次回攻める時のことも考えてくれそうだからだ」
人災警官隊の隊長を務めていただけあって、孝広の武器や戦闘で必要な情報収集能力は高い。そのことをアッセルは当然のように見抜いていた。
「そのことはまた後で話し合わせてもらうぞ。
俺たちは創設当初のメンバーじゃないからな」
それは暗に二つ目の点について、しばらくは問わないということを伝えていた。
「とにかく頼む。もう伝えたように俺は京都でちょっと魔術師の争いに顔を出してくる」
理解したのか、していないのか、アッセルは事務的にそう言い放つ。
そのまま、孝広の返事を聞くこともなく、彼は背を向け去って行った。
(アッセル・リーヒニスト。あいつは信用できない)
ドームへと続く長い一本の道。それはアーチ状の形をしていて、光景だけ見れば水族館の水中トンネルの中のようだった。
動く床による自動移動の道の進む中で、彼はアッセルの言葉を思い出していた。
『暴力を使ったとしても、止めるべきものは止める』
それは決意表明に似ていた。覚悟に満ちたそれはどこか頼もしく思えるが、果たして認めていいものだろうか。
いや、だからこそ見極めなければならない。
アッセルを、正裁の天秤を、世界を、この研究施設を。
ドームの前に彼らは辿り着いた。
白衣の男が扉らしき隔壁に近づいた。そこにはセキュリティ用の暗証番号入力装置と指紋認証装置が見えた。
男はそれの入力と認証を終えると、前かがみになって何かに顔を寄せていた。
どうやら角膜の紋まで調べられるらしい。
確認が済んだのか、男が少し隔壁から離れた。何気なく孝広は男の足を見た。ただ単に左足を後ろに引いているだけだった。
ずいぶん厳重なことだと嘆息しながら、孝広はそのドームへ足を踏み入れた。