断章2 正裁の天秤
この小説はフィクションです。
ま、間に合った……。
藤原眞左人は真新しいベッドの上で目を覚ました。
簡素なシャツとズボンのインナー姿の彼は、現状を把握しきれなかった。
(ここは?)
起き上って見渡してみる。
折り畳み式の収納ベッドと、小さな机、そして衣装ケースだけがあり、他には何もない薄暗い部屋だった。
ただ、壁に当たる部分が遮光カーテンのようなものである。おそらく大きな部屋をこのカーテンで区分けして、いくつかの小部屋として活用しているのだろうと眞左人は結論付けた。
(……俺たちはどうなったんだ?)
無意味に動くよりもここで落ち着いて整理した方がいいと思い、ごろんと寝ころび、手を組んで頭に添えた。
(あの男が来て、手を伸ばして、それでどうして俺がのんびり寝てるんだよ?)
今更ながら、疑う眞左人。
目を閉じて思い出す。あの男の能力。あれはおそらく大規模な転移魔術だろう。
(あんなの、孝広さんでも使えないぞ)
そもそも空間に関わる魔力の《界》を扱う精霊自体が少ないので、眞左人には《影縫い》しか空間移動魔術を見たことがないのだ。
突然シャッと音を立て、カーテンが開かれた。
身構えて、威嚇のために銃を抜こうとしたところ、それがないのに気づき、眞左人は頭を抱えた。
(今更銃とか小太刀がないことに気付いたのかよっ!!)
「……何をしていらっしゃるんですか?」
カーテンを開いて現れたのは黒いフードを被り、口以外の顔のほとんどを隠した少女だった。
その手には盆があり、それにコップに入った水がある。
「……え~と」
どこの中世の魔術師だよ!!と眞左人は内心ツッコミを入れていた。本当は今でも魔術師の正装にフードつきのローブはあるのだが、需要は少ない。
まあ、状況も分からないうちに荒事を起こしても仕方が無い。
「とにかく、どうぞ。お水です」
小部屋の中心にある小さなテーブルに盆のコップを少女は置いた。
一瞬、それを飲むべきか眞左人は逡巡する。もしも水に何かを入れられていたらと疑ったのだ。だが、武器を奪われている時点で彼女たちに抵抗しても何の解決にもならない。
立ち上がり、コップを手にして一気に飲み干す。
「もう大丈夫そうですね」
少女の唇が少し微笑んだように動く。
「聞いていいか?ここはどこで、あんたは何者だ?」
「ここは、とある貴族の屋敷。わたしは正裁の天秤の葉山香恵です」
正裁の天秤。眞左人には覚えがないが、おそらく何かの組織名なのだろうと結論付けながらコップを少女に手渡した。
「その正裁の天秤ってのは何をする組織なんだ?」
「正裁の天秤とは魔術と科学の両方を適切に扱い、時には二つを合わせることで新しい技術を生み出そうとする結社の一つです」
少女は活き活きした声で即答した。
(歴史上、そういう組織は多少あったな)
例えば米国の自由人という組織は魔術を研究しながら、工業企業などが参加していた。この少女が言う正裁の天秤もまたそんな組織だと眞左人は結論付けた。
「俺たちを助けたあの男もその正裁の天秤の一員なのか?」
眞左人の疑問に香恵は唇を笑みの形にし、
「ええ、彼は私たちのリーダー、アッセル・リーヒニストです」
そう答えた。
正裁の天秤のリーダーたる青年、アッセル・リーヒニストはルナタワーの事件を報じるニュースを見ていた。
『大変衝撃的な事件でした。テロリストによる無差別爆破、これによる死傷者は五四名。行方不明者は爆発時に巻き込まれた警察の機動隊を含めて、九六名です。
では、解説の沖さん。死傷者よりも行方不明者が多いのはどうしてでしょう?』
にやり、と青年は笑う。
(それはほとんど俺が連れ去ったからだよ)
アッセルはタワーから脱出不可能になった藤原眞左人たち人災警官隊と、タワー住人の計六五名を貴族の屋敷に移転させた。
その際同時に人の認識域を超える光を浴びせ、一時的に気絶させたのだ。アッセルとしては一時的のつもりだったのだが、長時間の緊張状態にあった彼らはそのまま眠りについたため、タワー崩壊から既に五時間が過ぎていた。
今はもう夜も更けているのだ。
(だが、それでも人数が足りない。つまりそれは……)
考えながら青年はリクライニングの椅子に腰を下ろし、そのまま背もたれを倒し、寝ころんだ。
その背後に二つの黒い影が近づいた。
「……」
フッとアッセルは笑う。
「何しに来た?」
右側の背が高い影が低い男の声を投げかける。
「さあな?世界を救いに来たとでも言っておくよ」
青年は嘲るように唇を歪ませる。
アッセルは行動に男の隣の低い背の影が肩を震わせながら、
「ふざけてるの?」
声を怒らせて少し歯を軋ませるのは少女の声をした影だ。
「この世界の管理は完璧よ。あの人が作った世界だもの。あんたなんかに救われる必要はないわよ」
無言ながら男も肯定するように小さく頷いた。アッセルはそれを見ていないが、何故か理解して、ため息を吐く。
「世界は確かに完璧かもしれないな。
だが、お前たちは?本来はここにいないはずのお前たちがいつまでもここに留まっているから、妙なことになってるんだよ」
彼は実に面倒そうに首を回す。
「だから、早く帰れと?」
男は冷静に結論を言う。
「分かってるな。だったら早く帰れ」
彼の背後の気配が薄れる。
最後に「それができれば、苦労ないさ」という言葉を残して。
(やれやれ)
面倒臭い奴らだとアッセルは呆れ、浅い眠りについた。
屋敷は眞左人が想像したものよりも広いらしい。
黒フードの少女に案内されたところだけで既に三つの宴会場クラスの大部屋を発見している。どこの貴族だよと本気で眞左人は頭を抱えたかったが、少女の手前止めた。
天皇制度や華族制度は廃止された日本だが、その実、華族から貴族たちへと名を変えた彼らは未だに政界などを牛耳っている。
貴族は国内の治政を担当し、軍は海外との交渉と戦闘を担当する。故に警察の上層部は貴族が大半を占めている。
対して軍は基本的に誰でも所属できる。魔術師師団団長の川瀬などは元はただの一般人だ。
講堂と思われる部屋に通された眞左人には、ある疑問があった。
比較的魔術師に寛容な軍とは逆に、貴族は反魔術師派が主流である。にもかかわらず、この屋敷主はおそらく魔術師であるあの青年や自分たち人災警官隊を保護するのは何のためか。そもそも魔術を認める思想に近しい集団である《正裁の天秤》に協力しているのは何故か。
(どっちかっていうと、正裁の天秤が俺たちを引き込みたがってるからそれに協力した感じがするがな)
何気に特殊能力の予感を発動させながら眞左人は出されたコーヒーを飲んだ。
その時、眞左人は耳に生暖かい風が流れ込まされた。
ビクッ!と眞左人は肩を驚かせ、瞬時に振り返ると、
半透明で何かの虫のように腺が通っている羽を持つ小人の少女、まるで童話などによく出てくる妖精のようなものが浮かんでいた。
「……何やっているんだカオル」
「いやー、人を心配させた罰?悪戯?」
少女は悪びれた様子もなく頭を掻いた。
カオルと呼ばれた妖精の本名は《薫風》。眞左人の契約する精霊だ。
薫風だと呼びにくいので、薫の部分だけを訓読みしてカオルと呼んでいるのだ。
「……というか何でここにいるんだ?俺ら、一応転移術で移動したはずだから、お前じゃ補足できないんじゃないのか?」
「もう、ほんとに困ったわよ。お手上げ?王手?」
肩を竦めるカオル。
「疑問符を語尾に付けるのは止めろ。……それじゃ、どうしてここに?」
「いやー、よくわかんないけど、ここに来なきゃいけないと思ってね。野性の感?超感覚?」
「そんな曖昧なものを頼りにするなよ」
呆れて肩を落とす眞左人ではあるのだが、その実、彼も予感という曖昧なものに従っているのだが、あまり深く考えていないので彼は気づいていない
「ちなみにほかのみんなも同じものを感じてここに来たのよ。フィールシェア?共感覚?」
フィールシェアは共感覚の直訳だろう、とツッコム前に壁から白い翼を持った白馬が湧き出てきたので、タイミングを逸した。
「……《ペガサス》。頼むから壁から出てこないでくれ。心臓が止まる」
『……すまん』
低い男性の声が白馬から聞こえた。この《ペガサス》は天属性の精霊で、眞左人と同じ警察の組織、人災警官隊の一員の倉田祈の契約精霊だ。
他にも多々精霊が現れる。鷹に、黒猫に、牛にしては小さい何かに、手のひらサイズのミミズクに、糸目のトカゲ等。いちいち壁抜けして出てくるので恐ろしい。
精霊はこの世界に存在しているのだが、その体は様々な物理法則には縛られないのだ。
ここだけなら、霊魂などとほとんど変わらないのだが、唯一の例外は契約した魔術師本人だ。精霊は契約者に触れることで物理法則の影響下に入る。そのため、電車などの公共交通機関に乗れば魔術師にしがみ付く精霊が見つけることができる。ちなみに、見つける側の人間も魔術師なので同じような格好で乗っている。
そういう訳で、彼ら精霊は壁をすり抜けることができるのだが、眞左人は怖すぎるから止めてもらいたいのだ。特に突然後ろから出てこられるとキツイ。
ガチャっとノブを回す音がしたので見てみると、黒フードの少女が入ってきた。後ろに一人少女が立っていた。
薄暗い廊下の中、青白い髪とアメジストのような紫色をした瞳の少女、橋口瑞樹は部屋に入って驚愕する。
「ここは、って何!?どこの動物ワンダーランドよ!!」
フードの少女は首を捻った。魔術師でない者に精霊は見えない。よってフードの少女が見たのは妙にビクビクしていた眞左人だけなのだ。
「……」
ギロとアメジスト色の殺意を込めた睨みを送る瑞樹。知らん知らんと首を振り、ジェスチャーで返す眞左人。
フードの少女が去った後、向かい合うソファーにそれぞれ腰かけ、二人は会話する。
「で、何か分かったの?」
何で妙に上から目線なのかと眞左人は内心憤ったが、瑞樹にそれを言っても藪から対戦車砲が飛び出てくるので放置する。
「ここはどっかの貴族の屋敷だってことと、俺らを助けた男がアッセル・リーヒニストって名前らしいこと、あの女の子とアッセルが所属する組織が正裁の天秤って言うらしいこと、ぐらいかな」
正裁の天秤とは魔術と科学の調和を求める組織だと説明し、彼らは自分たちを利用するつもりなのだろうと言った後、高圧的にフンと瑞樹は鼻を鳴らす。
「使えないわね。アンタ」
自分は何も調べてないのを棚上げにして何を言ってやがると眞左人は本気でキレそうだった。
『そう怒らないで瑞樹』
彼女のソファーにいつの間にかゴールデンハムスターが登っていた。
「トール~。あたし寂しかったよ~」
掌に乗せて、瑞樹はハムスターに頬擦りする。
(なんだこの激変振りは!?)
驚愕し、震える眞左人。この雷女は意外と可愛いもの好きなのかと彼はその様子を凝視する。
「……何よ?」
種に染めた頬を膨らます瑞樹。
なんだこのかわいい少女は!と驚愕し、目を逸らす眞左人。不覚にも彼はときめいたのだった。
遂に眞左人たちがいた講堂に、アッセルが助けた八四名が集まった。
基本的に皆一様に助かったことを喜んでいたのだが、一人、後ろで冷ややかな目でそれを見つめる男がいた。
人災警官隊隊長、白葉孝広である。
彼も他の隊員と同じく装備を一式管理されて、動きやすく、炭素加工した繊維で編まれたジャージを着ている。
その彼は壇上を睨みながら、行動を決めかねていた。
(奴は妙なことを言った)
確かに自分たちはほとんど死亡に近しい行方不明だが、それとしても、自分たち元の生活を送れないとは思えない。
(一つだけ考えられるのは、政府にとって知られたくないことがあの事件にはあったのか)
口止めで一番確実で簡単な方法は、その人物を抹消することだ。経費も少なく済む上に、信頼度も高い。
ならば、ここで聞かずに去るべきだ。そう孝広の理性は訴えている。だが、自分でさえ知らされていない情報を何故アッセルが知っているのか、その情報とはいったい何なのか。
それを知りたくてしょうがない。
どうする。
悩んでも答えは出ず、アッセルが壇上に立っていた。
「さて、突然の出来事でまだ混乱しているだろうが、聞いてほしい」
アッセルは真剣な表情だった。
(動くなら今しかない)
瞬きを左右交互に二度繰り返す。
それが挙動魔術の発動キーだった。
アッセルの周囲の空間が歪む。
一瞬の後に、アッセルと孝広は屋敷の外の庭園に飛ばされていた。
孝広とアッセルの距離は一〇メートル前後まで縮められていた。
「やって来るとは思っていたが、今のタイミングだとは想像できなかったよ」
突然の事態にもかかわらず、むしろ余裕に満ちた笑みを孝広に向けた。
「確かお前の魔力は尽きていたと思うのだが、どうやった?」
軽く微笑む彼に、孝広は歯軋りして、怒りを露わにする。
「俺の精霊の《ユグドラシル》は不定形の精霊なんだよ。実はあの事件の時もあいつはずっと俺のそばにいた。転移の時も一緒だったらしいぞ。気づかなかったのか?」
皮肉気に返したのだが、アッセルの表情は変わらない。続けろとでも言いたげに、掌を差し向ける。
「それで、俺が眠っている間に魔力の譲渡を済ませたんだ」
孝広はちらっと月光で浮かび上がった自身の影を見た。
すると少し影が揺らいだ。
彼の精霊は彼の影と同化し、常に彼に付き添っている。
つまり、彼は魔力の補充をどこででも行えるのだ。しかし、大抵の精霊は一日二四時間に一度しか魔力を譲渡できない。
ルナタワー時ではユグドラシルは魔力を提供できる時間ではなかった。だが、今は魔力譲渡が可能である。故に孝広は渡された魔力を使い、武器一式とを魔力で作り出した亜空間に納めていた。
亜空間からタクトと9mm拳銃を取り出し、まずは銃だけを向ける。
「話せ。ルナタワーの事件の裏側を」
まずは自分が聞く。それがもし隊員やルナタワーの住人が知るべきではないと判断した時には、どんな方法を使ってもこの男を止める。そう孝広は覚悟しているのだ。
アッセルは肩を竦めながら口を開く。
「昼間のルナタワーの事件は反魔術師派のグループが起こした事件だが、その裏に潜むのは科学至上主義の貴族たちだ」
アッセルは銃を向けられているのに、臆面もせずに語り始めた。
「奴らは遂にニュートロンを完成させたらしい」
孝広はその一言を聞いて、あまりに衝撃的だったため、銃を落としそうになった。
「ニュートロンだと!?」
およそ一〇〇年前、米国が完成させた兵器ニュートロン。それは爆発と放射線によって生命を駆逐する大量殺戮兵器だった。
日本では核兵器と呼ばれている。
核兵器は未だ実戦では使われていないが、米国ではエネルギーとしても既に使われている。また、実験も行われていて、中国解散の折に、太平洋のとある孤島で試験使用したことがある。
その当時、島の自然は壊滅し、人の住めない土地が一つ増えてしまったと学者は嘆いていた。
「これによって科学至上主義の貴族はこう考えたそうだ。『これなら大規模魔術に頼らなくても、大国と対等に渡り合える』ってな。そんで、魔術師を排除にかかっているらしい」
馬鹿げたことだと孝広は苦々しく顔を歪め、内心で貴族たちを罵倒した。
だが、アッセルの言葉が真実だと決まったわけではない。と思い直し、銃に力を込める。
アッセルは特に驚かず、続けてポケットに手を伸ばす。
孝広はタクトをいつでも向けられるように構え、その行動を監視する。
「これが証拠の写真」
アッセルがポケットから出したのは一枚の写真。
真っ白な防護服に身を包んだ数人が、黄色い三角のようなマークが付けられた白い設備に触れている。
「これは核反応を起こさせる施設だ。それで、この施設の研究が成功したようだ。
来週には発表になるそうだが、政府はこれを使った発電所を作る法案が可決される。これでニュートロンを所持していると世界に示すつもりだ」
発電施設に核を用いることができるなら、兵器に転用することもできる。アッセルはそう言いたいのだ。
「まあ、これでも疑わしいことは多々あるだろうし、信用しろとは言わないがな。ただ、これで被害を被るのは魔術師であるお前たちだ。ついでに言うと、ルナタワーの旧欧州人は強力な魔術師が多い。それを管理するためにも本当は生け捕りにしたかったらしい」
次にアッセルは折りたたまれた紙と別の写真を取り出し、孝広に渡そうと手を伸ばした。
それを孝広は銃を構えたまま受け取った。
紙は書類だった。
書類には最後、人質はなるべく生かせ。という誰かの言葉が記されていた。
「それはテロリストとその背後の提供者の会話記録。そっちの写真は昨夜のルナタワーの防犯カメラの映像だ。写っているのは、特務隊か?」
特務隊。それは政府の密命を受け動く秘密部隊。
人災警官隊が動かないような国外のスパイなどを排除する組織。それでいて、他国にスパイを送り込むこともする。いわば日本版CIA。
写真は地下のもので、黒づくめで顔も隠した集団が大量の何かを柱に張り付けている様子を映したものだった。
「タワーの支柱を爆破したのはテロリストじゃなくて、この国直属の部隊だったわけだ」
皮肉気に笑ったのはアッセルだったが、笑いたいのは孝広だった。
人災警官隊は軍とは違い、政府の、ひいては貴族の指揮下にある。
つまり人災警官隊(自分たち)は身内に切られそうになったのだ。
「万に一つ、このことが人災警官隊に漏れないとも限らない。だから突入部隊には消えてもらうのがシナリオだったようだぞ。まあ、お前の采配のおかげで全滅はしなかったが、このまま進めば残りの人災警官隊を含めた魔術師全てが、この国に潰されるぞ」
貴族は人一倍プライドだけが高いものが多い。そのためか、魔術という能力を自分たちが使えないのが腹立たしい。
そんな劣等感が、彼らの魔術師嫌いを生み出している。
その実態を知っている孝広は、射殺すかのような瞳をアッセルに向ける。
「馬鹿馬鹿しい。それが事実だとすればなお馬鹿馬鹿しい」
ドス黒い殺意を放ちながらタクトを向ける。
「だが、それを話す必要があるのか?ちゃんと自分たちは何も知らないと証明すれば、あいつらは普通に暮らせるはずだろう?」
「そうかもしれない。そうでないかもしれない。だが、最悪の事態を考えて動いた方が何事もいいものだ」
アッセルは影を落とした表情でその殺意を受け流した。
「……」
孝広は少し、納得してしまった。
アッセルの言う通り、そんな希望的な観測で物事を言われても信用できないだろう。
だが、それでも普通の生活を送らせてやりたいと思う彼の意思は曲がらなかった。
「お前には黙っていてもらう。あいつらに元の生活を送らせるためにな」
「……。
それでいいのか?
何も知らないまま、何時か魔術師だからと言って迫害されたり、殺されたりする日が来るというのに、今を平穏に過ごせればそれでいいのか?
多少苦しんででも、真実と向き合わなければならない」
遂に孝広はタクトをアッセルに向ける。
眼球までも動きを封じられたアッセルに孝広は引き金を絞りながら言う。
「お前のそれは理想論だ。人間はそんなに強くないんだよ」
孝広が、家族との生活を守りたいと思い、銃を撃つように。
正しいことを人がいつも行えるわけではないのだ。
バンッ!!
銃声と共に射出された銃弾がアッセルの眉間に迫る。
その時、
孝広は動かないはずのアッセルの唇が笑みの形に歪んだように見えた。
次に彼が見たのは真っ暗な庭園だった。
先程までアッセルが立っていた芝の上には靴型だけが残され、そこには誰もいなかった。
(何!?)
銃を構え直し、前後左右を確認するがどこにもいない。
(そもそも影縫いの魔術からどうやって逃げられるんだッ?)
存在を空間に固定されて動けるはずがないのだ。
例えるなら、この世界という面に存在という紙を刺しとめる釘、それが影縫いだ。
それを動かすためには多少紙を破る必要がある。
つまり存在が保てなくなる。
消えるのだ。
(消えたのか?)
少し緊張を解いた孝広に、
「油断しているな?」
と声が聞こえた。
瞬時にタクトを振るう。
彼が立っていた場所に、熱を持った光が襲う。
芝を焼く臭いと音が影縫いで移動した孝広に届いた時、
先程まで孝広が立っていた場所の一歩後ろにアッセルが白い光に包まれて現れた。
神々しいとまで言えるその様子に、思わず孝広は息を呑む。
はっとして銃を撃つ。
アッセルはいつの間にか左手に黒い鞘の刀を持っていた。
刀を右手で抜き、振るう動きを刹那の間で行い、銃弾を弾いた。
銀色の刀身を自身の光で輝かせるアッセル。
「……何故、影縫いを抜けられた?」
銃を向けながら、尋ねる。
「それが分からないのか?経験不足だな」
どう見ても年下のアッセルに言われたのだが、全く違和感を感じなかった。
「《界》を操る魔術は、同じく《界》を操る魔術の干渉を受けやすい。つまり、妨害が簡単にできるんだよ。
白葉孝広。お前が同系統の魔術師と対決の経験がないのが仇になったな」
アッセルは笑う。
だが、孝広は静かに汗を流していた。
アッセルの言う通り、孝広は《界》属性の魔術師と戦ったことがなかった。
だが、この青年はそれを常識のように話す。
改めて、この青年は何者だと孝広は疑問を抱く。
そもそもルナタワーを脱した際の大規模な転移魔術は何だったのだ。
疑問が疑問を呼び、彼の中にえもいえぬ恐怖を生み出させる。
影縫いで動きを止める常の戦法は封じられた。
普通に銃弾を撃っても弾かれる。
(ならば、影縫いで移動し、死角から銃弾を撃ち込むだけだ!)
タクトを振るい、アッセルの背後に移動する。
はずだった。
孝広の表情が驚きに染められていく。
確かに魔術は発動したはずだった。魔力も消費されている。
だが、彼はそこから移動していなかった。
「俺の空間移動術は、魔力を広げた空間を自分の領域にする。その中を自由に瞬間移動できる。領域内の空間は俺の思うままだ。お前の空間移動ぐらい止められるよ」
この男は一体どんな魔術を学んだのだと憤る孝広。
(なら、最後の切り札だ)
銃を亜空間に戻し、円を描くようにタクトを振る。
アッセルの光は既に収まっていた。しかし、彼の余裕を持った表情は変わらない。
「アッセル・リーヒニストだったな?」
ニヤリと孝広は笑う。
タクトが描く円に、何かが集まっていた。
それは揺れだった。
陽炎のように揺れる球状になったそれは、濁った水晶球のように見えた。
『界弾』というのがこの魔術の名称だった。
界属性の魔術師である白葉孝広が使うそれは、世界の質量を重量に変化する。
世界、空間とは人には認識できないが、確かに存在するものだ。そして、それには数量がある。世界の重さ、というものを人に干渉できるものに変化させ、放つ。
これが『界弾』だ。
空間の質量は莫大なものだ。それをぶつけられれば、体中の骨を砕き、押し潰される。
純粋な巨大な質量。それこそが最大の武器だと、この魔術を通じて孝広は実感した。
「これを受けきれるか?」
アッセルは笑みを消し、目を細める。
タクトをレイピアのように突き出す。
濁った世界の質量を込められた弾がアッセルに向かって飛ぶ。
アッセルはただ刀を垂直に構えた。
途端に閃光弾が破裂したようにアッセルの体から光が吹き出す。
そのまま刀を、地面と平行にした。
刀身に黄金にも似た光が宿る。
そして、突き出すと同時にそれは黄金の濁流となって界弾を呑み込む。
あまりの輝きに孝広は目を開けてられなくなり、
次に開いた時には空が見えた。
(何?)
一歩遅れて、自分が地面に倒されていると気付いた。
「白葉、お前の負けだ」
起き上ってみると、アッセルが面倒臭そうに頭を掻いていた。
「お前はいったい何者だ?」
心の底からの疑問を彼にぶつける。
彼はニィッと笑い、
「さあ、言うなれば異世界人かな」
なんだそれはと孝広はため息を吐いた。
それと共に、今更ながら彼は自身の弱さを悔やんだ。
(何が人災警官隊隊長だ。切り札を一つ封じられただけで、こんなにあっけなく負けるとは)
「さて、じゃあ俺はみんなに話させてもらうぞ」
アッセルは倒れたままの孝広を放って、屋敷へ向かい始めた。
「待て」
無視されるかと思ったが、意外なことにアッセルは止まった。
「これから正裁の天秤はどうするんだ?」
もしも協力することになるなら、それは知っておくべきだった。
アッセルは少し考えるような素振りを見せたが、笑うと、
「京都で魔術師協会が行動を起こすらしい。俺たちはそれのサポートをする」
「魔術師協会が?」
「魔術師協会は軍の傀儡みたいなもんだからな。貴族に対抗するには軍に貸を作っておくのがいい。
あいつらは自分の分野である外交に入り込まれたのが気に食わないらしいからな、好意的に受け入れられたよ」
アッセルの言葉に、それで解決できるのかと疑問を持った孝広は、疑わしそうな視線を向ける。
「ふ、心配するな。ちゃんと考えてある」
アッセルはそう言い、
「だから、お前も戦えよ」
それだけ言い、彼は屋敷に向かって歩いて行った。
今から読み直すと修正したくなります。
少なくとも2月までは大丈夫ですけどね。
それではよいお年を。