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私の婚約者には、好きな人がいる……はずでした

作者: 夢子
掲載日:2026/09/02

「エマ嬢、初めまして。クラマラーレ家子息、オースティン・クラマラーレです。どうぞよろしくお願いいたします」


 先日デビュタントを終えたエマ・フランシスは、初めてのお見合いを経験していた。


 両親が用意してくれた相手は、同じ伯爵家の子息、オースティン・クラマラーレ。


 金髪なのかオレンジ色なのか、どこか曖昧な色合いの髪に、これといって目立つ特徴のない平凡な容姿のエマとは違い、オースティンは青い髪に黄金色の瞳を持つ、端正な顔立ちの青年だった。


 その上、第一王子の側近を務めており、将来も安泰。

 なぜ自分にお見合いの申し込みが来たのか、不思議に思うほどだった。


 あまりにもハイスペックな彼と自分では、どう考えても釣り合いが取れない気がする。

 それでも貴族令嬢として、エマはこのチャンスを逃したくはなかった。


 何より、オースティンがとても格好良くてエマの好みだった。


 たった一度の顔合わせだったけれど、エマの心は決まっていた。


「お父様、お母様。私、オースティン様と婚約したいですわ」


 エマの宣言を聞いた両親は、大いに喜んでくれた。

 未来の王の側近の妻。


 伯爵位の中でもそれほど力のないフランシス家にとって、これほどありがたい婚約はない。

 そしてエマ本人にとっても、これ以上ない良縁だった。


    


 婚約後、初めて二人で出かける日がやって来た。


 向かうのは、友人に招かれた何でもないお茶会。


 婚約者ができたからこそ参加できる茶会も初めてなら、デビュタントを終えてから初めて参加する茶会でもあった。


 オースティンに少しでも釣り合うようにと、エマは普段より大人っぽい装いを選んだ。

 化粧も少しだけ大人びた雰囲気に仕上げてもらう。

 鏡の前で何度も自分の姿を確認しては、エマはドキドキしながらオースティンの訪問を待っていた。


 やがて約束の時間になると、オースティンが屋敷へやって来た。

 両親との挨拶を終え、エマへ視線を向けた瞬間、オースティンの眉間にほんの一瞬だけ皺が寄った。


(あれ? もしかして、私……失敗したかしら)


 オースティンは今日のエマの装いが気に入らないのか、それ以上何も言わなかった。

 普通の婚約者ならば、「可愛いね」とか「似合っている」とか、何か一言くらい言ってくれてもいいはず。


 けれどオースティンはすぐにエマから視線を逸らした。

 そして、両親の前であることを思い出したように、無難な言葉を口にする。


「素敵な……装いですね」


「……ありがとうございます」


 褒められて嬉しいはずなのに、なぜか胸が痛かった。


     


 茶会へ向かう馬車の中、エマは申し訳なさでいっぱいだった。


 きっと背伸びをしすぎて、呆れられたのだ。

 今日の装いは、あまりにも自分には似合っていなかったのかもしれない。


 そんな考えが、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。


 そして、それを裏付けるように、オースティンはエマの方をチラリとも見ようとしなかった。

 ただ車窓を眺め、言葉も発しない。


(嫌われてしまったの……?)


 楽しみにしていた初めての茶会だった。

 オースティンとの距離が近付く予感がしていたのに……


 それなのにエマの記憶に残ったのは、屋敷を出てからずっと続く気まずい沈黙だけだった。


     


 それからしばらくして、二人で参加する初めての夜会の日を迎えた。

 今日こそはオースティンに気に入ってもらおう。

 そう思ったエマは、年相応の可愛らしい雰囲気を意識して装いを整えた。


 化粧は薄く。夜会でも目立ちすぎない程度に。


 髪も巻かず、編まず、自然な雰囲気を心がけた。


 そして期待を胸にオースティンを待っていると、迎えに来た彼はエマを見るなり、またしても視線を逸らした。


「今日は……ずいぶんと、可愛らしいのですね」


 笑顔も何もない、視線さえ合わない、感情の無い、無理に絞り出したような言葉だった。


 その瞬間、エマの心は沈んだ。


(ああ、今日も、ダメだった……)


 夜会へ向かう馬車の中でも、やはりオースティンは車窓を眺めるばかり。

 エマとの会話を楽しもうとする様子は、少しもなかった。


(婚約したことを、後悔しているのかしら……)


 そんな不安を抱えたまま会場へ到着すると、エマは笑顔を作り、オースティンの知り合いへ一緒に挨拶をしていった。


「こんな可愛い子が好みだったのか」


「オースティン、やったじゃないか」


「清楚なご令嬢で羨ましいぞ」


 友人たちからそんな言葉を掛けられるたび、オースティンの笑顔がわずかに引き攣っていく。


 それを見て、エマは胸の奥がズキリと痛んだ。


(きっと、自分好みの婚約者ではないのに、おめでとうと言われるのが嫌なのね……)


 だったら、なぜエマと婚約などしたのだろう。

 その理由は、聞かなくても何となく分かる気がした。


 第一王子の結婚が間もなく決まる。

 その際、近衛として婚約者も結婚相手もいない者は、王子妃の護衛につくことができない。


 だからきっと、エマとの婚約は仕事のためなのだ。


 時期的にも丁度よく、家格も問題ない。


 そして何より、エマは目立ちすぎる容姿でも性格でもない。


 それが、自分が選ばれた理由なのだろう。


 エマにはオースティンに聞かなくても、その答えが分かっていた。


 だって自分は、どこにでもいる普通の令嬢なのだから。


 オースティンがわざわざ褒めるところを探さなければならない程度の女の子。


 それを、エマ自身が一番よく分かっていた。


    


「エマ嬢、すみません。少しこの場を離れます。殿下に話がありますので」


「えっ……?」


 ダンスの時間になると、オースティンはエマを残し、第一王子の元へ駆けて行ってしまった。

 一人残されたエマは、茫然とその背中を見つめる。


(殿下にお話って……私と踊りたくない口実よね?)


 壁の花となったエマの思考は、どんどん悪い方向へ流れていく。

 オースティンが望む婚約者像とは、一体どんなものなのだろう。


 大人っぽく頑張ってもダメ。


 可愛らしく着飾ってもダメ。


 何をしても、オースティンは自分に興味を示してくれない。


(もしかして……仮面夫婦をお望みなのかしら?)


 そんな愚かな考えまで浮かんでしまうのも、仕方のないことだった。

 なぜなら、オースティンがエマの元へ戻ってきたのは、夜会も終盤に差しかかってからだった。


 結局、一緒にダンスを楽しむこともなかった。

 ただ夜会へ一緒に行っただけ。

 そんな状態になってしまった。


(このままではいけないわ)


 エマは、ぎゅっと手を握った。


(婚約者として、オースティン様と少しでも良い関係を築かないと)


 エマももちろんだが、両親もオースティンとの婚約を喜んでいる。

 それなのに理由も分からないまま婚約破棄や婚約解消になれば、フランシス家の傷にもなる。


 何より、オースティン以上の婚約者など、今後現れるとは思えない。

 それに一度でも婚約を破棄され、傷がついた令嬢の嫁ぎ先は限られている。


 年の離れた相手や、後妻になることだってある。


 そんな未来を、エマは考えたくなかった。


 だからこそ、決意した。

 自分から動かなければならない。


 エマはオースティンへ向けて、手紙を書いた。


『オースティン様の望む婚約者とは、どんな方なのでしょうか?』


 勇気を出して綴った一言。


 季節の挨拶や日常の出来事を書いた文章の中に、そっと忍ばせた、自分なりの決意だった。


 けれど……

 いくら待っても、返事は届かなかった。


 代わりに届いたのは、一着のドレスだった。

 それも、色素の薄いエマには似合いそうもない、濃い紫色のドレス。


(一体、どういう意味なの……?)


 エマだけでなく、両親までもが「間違いではないのか」と首を傾げるほどだった。


 そんな中、女性だけのお茶会で、エマは思いがけない答えを知ることになる。


「オースティン様には、想う方がいるようですよ」


 嫌がらせに近い囁きに、エマは納得してしまった。


(ああ、そういうことだったのね……)


 きっとオースティンが望む婚約者は、あの濃い紫色のドレスが似合う女性なのだ。


 その後、オースティンがフードを被った女性と街中で会っていたという話を聞いても、エマは驚きはしなかった。


 ああ、そうか。


 オースティンが望む婚約者とは……


 空気のように存在し、邪魔にならない女性なのだ。


 エマは、静かに目を伏せた。


「仮面夫婦……受け入れましょう」


 いつしかエマは、オースティンへの期待をすべて消していた。


 もう、あの方には何を聞いても無駄。


 そう思うようにまでなっていた。


★★★


「あの子は、妖精か……?」


 王子の側近として夜会に出席していたオースティンは、その日デビュタントを迎えた一人の令嬢に目を奪われていた。


 金色にもオレンジ色にも見える、不思議な色合いの髪。


 幼さを残した愛らしい顔立ちに、慈愛を感じさせる淡い緑色の瞳。


 これまで王子の側近として多くの令嬢から婚姻の申し込みを受けてきたオースティンだったが、たった一目で心を奪われるような令嬢に出会ったのは初めてだった。


「あの子の名は、何というのでしょう?」


 見惚れすぎて紹介の声すら聞き逃していたオースティンは、思わず隣にいる王子ダリウスへ尋ねた。


「フランシス伯爵家の娘、エマ嬢だよ。なんだオースティン、一目惚れか?」


 くすくすと揶揄うようなダリウスの声など、もはや耳に入らない。

 オースティンの頭の中には、ただエマの姿だけが焼き付いていた。


 妖精のような容姿に、おしとやかな仕草。


 その令嬢の名は、エマ・フランシス。


 朴念仁と呼ばれてきたオースティンに訪れた、あまりにも遅すぎる初恋だった。




 ダリウスの取り計らいもあり、エマとのお見合いは驚くほど早く整えられた。


「エマ・フランシスと申します。オースティン様、よろしくお願いいたします」


 目の前で微笑むエマは、あの夜会で見た時と変わらず可愛らしい。


 いや。


 近くで見ると、あの時より何倍も可愛かった。


 オースティンを見て照れたように微笑むエマに、心臓が大きく跳ねる。


 ドキドキと五月蠅い心臓は、今にも爆発しそうなほどだった。


 それから数日後。


 エマから婚約の了承を得たオースティンは、天にも昇るような気持ちになった。


 だが、喜びに浮かれてはいけない。


 何よりも、エマに嫌われてはならない。


 そう自分に言い聞かせ、浮かれそうになる心を必死に引き締めた。


 そして遂に、待ちに待った初めてのデートの日がやって来た。


 超絶に緊張しながらフランシス邸へ向かったオースティンだったが、玄関先に立つエマを見た瞬間、すべての思考が吹き飛んだ。


 そこには、女神が降臨していた。


 もちろん、その女神とはエマ以外にいない。


 あまりの美しさに、オースティンは思わず目を見開き、その姿を凝視してしまう。


(こんなにも美しい女性が、この世にいるのか……)


 いる。


 目の前にいる。


 それも自分の婚約者。


 だが、言葉が出てこない。


 あんなにもシミュレーションした言葉は一つも思い浮かばなかった。


「す、素敵な……装いですね」


 ようやく口から出たのは、それだけだった。


 本当はもっと伝えたい。


 今日の貴女は誰よりも美しい。


 いつまでも見ていたい。


 できることなら、その美しさを自分だけのものにしたい。


 そんな言葉が頭の中には溢れている。

 けれど、口下手なオースティンには、それを言葉にすることができなかった。


 そもそも、女性とまともに交流してこなかった彼に、女神を前にして気の利いた言葉が浮かぶはずもない。朴念仁と呼ばれるオースティンにとって女神を褒めるなど、百年早い行いだった。


 馬車に乗り、二人きりの空間になると、緊張はさらに増した。


 エマの隣に座っているだけで心臓がうるさい。


 どんどこ、どんどこ鳴るオースティンの心臓は、既に故障寸前。

 とてもではないが、彼女の顔をまともに見ることができない。


 オースティンは車窓に映る己の顔を見つめ、どうにか気持ちを落ち着かせた。


 やがて茶会の会場へ到着したが、エマをきちんとエスコートできたのかすら、オースティンには記憶がなかった。


「あの、オースティン様。本日はありがとうございました。次はもっと楽しめるようにいたしますわね」


 茶会が終わり、別れ際、エマからそんな言葉を掛けられた。


 どうやらエマは、慣れていないオースティンのエスコートに文句を言うどころか、次はもっと楽しみましょうと励ましてくれているらしい。


(エマ嬢は、心まで綺麗なのだな……)


 嬉しさで口元が緩みそうになる。

 だが、それを見られるのも恥ずかしく、オースティンは俯いたまま「ええ」と答えるのが精一杯だった。


 それでもエマは、最後まで笑顔でオースティンを見送ってくれた。


「お気をつけて……」


 たったその一言とエマの笑顔だけで、今夜はパンを三斤ほど食べられそうだった。


(次こそは、ちゃんとエスコートする。そして、エマ嬢を褒めるんだ!)


 固く決意していたオースティンだったが、次にエマと出かける夜会の日がやって来た瞬間、その決意はあっさりと崩れ去った。


(今日こそ、今日こそエマ嬢をちゃんと褒めるんだ! 俺の女神ーーー!)


 そう意気込んでいた。


 いたのだが……


 今夜のエマは、まさに精霊そのものだった。

 オースティンの好みを、そのまま具現化したような姿で現れたのである。


 その瞬間。


 オースティンは、すっと目を逸らした。


(駄目だ……)


 直視したら、夜会が始まる前に鼻血を噴き出し、出血死するかもしれない。

 それどころか、理性を失ってエマに襲い掛かってしまう可能性すらある。


 もちろん、そんなことは絶対にできない。

 だからオースティンは、エマをできるだけ見ないことにした。


 馬車に乗ってからも、エマの姿を視界に入れないよう、ひたすら窓の外を眺める。


 木が一本。


 木が二本。


 木が三本。


 木が十本。


 百本。


 五百本。


 そして、数えること千本近く。

 ようやく王城へ到着し、オースティンは心の底から安堵した。


 だが……


 そこは狼の群れが集まる、危険極まりない場所だった。


「こんな可愛い子が好みだったのか? (お前には勿体ないぞ)」


「オースティン、やったじゃないか! (羨ましいな。俺に譲ってくれよ)」


「清楚なご令嬢で羨ましいぞ! (俺の好みにもぴったりだ)」


 友人たちが次々と声を掛けてくる。


 表向きは祝福の言葉。


 だが、オースティンにはその言葉の裏にある彼らの本音まで手に取るように分かった。


(こいつら……)


 きっと自分とエマの仲が悪ければ、平気で間に割って入るつもりなのだろう。


 その緩んだ顔を見れば分かる。


 デレた目を見れば分かる。


 目の前の男たちは、完全に獲物を狙う狼と化していた。


「エマ嬢、あちらへ行きましょう」


「えっ……? ええ……」


 狼たちの前でも、精霊のように微笑むエマ。

 純粋な彼女が友人たちの邪な感情に気づくはずもない。


 オースティンはエマを守るため、できる限り彼らから距離を取ることにした。




 そしてしばらくすると、会場に音楽が流れ始めた。


 ダンスの時間だ。

 エマの顔に期待の色が浮かんでいるが、オースティンは気づかない。


 オースティンは運動神経が良い。


 剣術も得意だし、体を動かすこと自体は嫌いではない。


 だが、ダンスだけは苦手だった。


 いや、正確に言えば、踊ることが苦手なのではない。

 女性と近づき、身を寄せ合うことが苦手なのだ。


 しかも、その相手がエマとなれば話は別だ。


 想像しただけで頭から火を噴きそうなほど緊張する。


(無理だ……)


 今の自分では、とてもではないがエマと踊ることなどできない。

 もう少し普通に接することができるようになってから挑戦しよう。


 自分でも情けないとは分かっていた。

 それでもオースティンは、エマを置いて王子の元へ避難するという道を選んでしまった。


 帰りの馬車の中。


 エマはとても静かだった。


 どこか疲れているようにも見える。


(きっと、俺の友人たちがエマ嬢を見て騒いだからだな)


 オースティンはそう結論づけ、心の中で彼らを呪う。


 今後はできるだけ夜会への出席を控えよう。

 そして、あいつらとの交流も最低限にするべきだ。


 エマの静かな態度を見て、オースティンはそう心に決めた。


 だが、翌日。


 エマから届いた手紙を読んだオースティンは、眉を寄せた。


 どこか不自然なのだ。


 その中には、こんな一文まで書かれていた。


『オースティン様は、どのような婚約者がお好みなのでしょう?』


「……絶対に、あいつらが何か言ったんだ!」


 オースティンには、それ以外の理由が思いつかなかった。

 ダンスが嫌だったとはいえ、エマから離れるべきではなかった。

 そばにいて、きちんと彼女を守るべきだった。


 そう後悔したが、今更昨日には戻れない。


 だが、だからといって返事に『私の理想は貴女です』などと書けるほど、オースティンは器用ではない。


 その上、別のいい返事など思いつきもしない。


 結局、どう返せばいいのか分からないまま、月日だけが過ぎていった。


「オースティン、そういえば、先日のエマ嬢のドレスはお前が贈ったのか?」


「えっ……? いえ……」


「そうか。では、装飾品を贈ったのか? どちらもよく似合っていたが」


 ある日、ダリウスからそう尋ねられた。

 そこで初めて、オースティンは気づいた。

 婚約者には、贈り物をするものなのだ。


(……そうだったのか)


 これまで恋人どころか、女性とまともに交流したことのないオースティンは、そういったことに驚くほど疎かった。


 母はすでに亡くなっている。


 女性への気遣いについて教えてくれる者も、身近にはいなかった。


 しかもオースティンは王城で過ごす時間が長く、実家へ帰ることも少ない。


 父も使用人たちも、まさか自分が婚約者への贈り物ひとつ選べないとは思わなかったのだろう。


 そう気づいた瞬間、オースティンは慌ててブティックへ向かった。


 街へ出たが、どんな店が良いのかすら分からない。


 ならば、王都で一番人気の店に行けばいい。


 そう考えたオースティンは、店に入るなり「一番人気のドレスを。フランシス伯爵邸へ届けてください」と頼み込んだ。


(これで手紙の返事の代わりにもなるな)


 王都一のドレスを着こなせる貴女こそ、私の理想です。


 ドレスを見れば、きっとエマにも自分の気持ちが伝わる。


 オースティンは、そう信じて疑わなかった。


 だが……


 そのブティックが、年配の女性貴族たちに特に人気の店だとは、オースティンが知るはずもなかった。


 そして届けられたドレスを見て、エマが喜ぶどころか困惑し、胸に抱いていた疑惑をさらに深めていることにも、彼は気づいていなかった。


 そんなある日。


「オースティン、貴方、婚約者ができたそうね。今日の視察で何かお土産を用意したらどうかしら?」


 ダリウスの婚約者であるキャロラインも一緒に王都の視察へ出た際、彼女がそんな嬉しい気遣いを見せてくれた。


「ああ、それは良い。せっかく街へ来たんだ。エマ嬢が喜ぶものをキャロラインに見繕ってもらうといいよ」


 ダリウスにも勧められ、オースティンはキャロラインと共に庶民も利用する可愛らしい装飾品の店へ足を運んだ。


「エマ嬢は、金色にもオレンジ色にも見える髪で……瞳は淡い緑色です」


「まぁ、それならこちらなんてどうかしら?」


 エマの髪色や瞳の色を伝えると、キャロラインはいくつかの候補を選んでくれた。


 その中から、オースティンは一つの髪留めを手に取った。


 黄色の髪留め。


 それは、自分の瞳の色にもよく似ていた。


(これを、エマ嬢につけてほしい)


 そう思った。


 ただ、それだけの理由だった。


 喜び勇んですぐにエマへ贈ると、ほどなくしてお礼状が届いた。


『オースティン様のお気持ちは、よく分かりました。できれば一度、ゆっくりとお話ししたいです』


「……!」


 オースティンは手紙を見つめたまま、固まった。


 装飾品の効果は絶大だった。


 エマから直接、逢瀬の誘いが来たのだ。


(これは、もしや……)


 胸が高鳴る。


 もしや、エマも自分と同じ気持ちなのではないだろうか。


(あのお見合いの場で、エマ嬢も自分に一目惚れだった……?)


 そして、二人きりで会うということは……


(ファーストキスの予感……!)


 そこまで考えたオースティンは、真っ赤になった。


 だが、まずは返事を書かなければならない。


 何度も文章を考えた。


 何度も書き直した。


 そして最終的に、便箋に記した言葉はたった二文字。


『了承』


 オースティンには、それが精一杯だった。


★★★


 フランシス邸の応接室。

 エマとオースティンは向かい合って座っていた。


 笑顔のエマは考える。


(きっと今日はオースティン様から告白を受けるのね)


 オースティンには別に好きな相手がいると知っているエマは、その相手が貴族男性が妻にできない庶民の娘だと、先日の思わせぶりな贈り物によって分かっていた。


 どう見ても街中で売っている装飾品をオースティンが選ぶなどおかしい。

 きっと噂になっていたフードの女性と出かけた際、ついでにエマにも買って世間を誤魔化そうと考えたのだろう。


『仮面夫婦で我慢して欲しい』


 そんな告白を受けるのだろうと分かっていても、エマの心はやはりざわついていた。


 愛されなくても構わない。

 家の為なら仮面夫婦もいとわない。


 そう思っていたけれど、エマだって年頃の少女。

 できれば幸せな結婚がしたいと、そう思うのも仕方がないことだった。


 緊張から仏頂面に近い顔のオースティンは考えていた。

 二人きりの応接室。

 いつもならば使用人が数名エマの後ろに待機しているはずなのだが、今日は人払いがされているのか二人きり。


 扉は少しだけ開いているけれど、それでも密室に近い状態だ。


(きっと今日はエマ嬢から告白を受けるのだろう)


 ドレスが嬉しかった。

 装飾品が気に入った。


 それに貴方のことが心の底から好きなのです。


 そんなことを言われてしまったら。

 もうハグだけではオースティンは我慢できないだろう。


(せめて頬にキスを……)


(いや、できたらあの小さく可愛らしい唇に、少しだけ触れることができたのならば……)


 そんな想像をしてしまう。


 お茶を飲み、どちらからでもなく視線が合う。

 オースティンは邪な考えを見抜かれないよう目を逸らし、エマはやはりと笑みが深くなる。


 どちらから相手の気持ちを聞くべきか。


 エマは今既に不機嫌な様子のオースティンを前に泣きそうで……


 オースティンはキラキラと光るエマの瞳が何かを望んでいるように見えて……


 無意識のうちにごくりと喉が鳴り「「あの……」」と同時に声が出た。


「んんっ、エマ嬢、どうぞお先に……」


「いいえ、オースティン様こそ、どうぞ……言いたいことがあるのでしたらハッキリと……私はとっくに覚悟ができております」


「覚悟……?」


「ええ、覚悟ですわ」


 覚悟と聞いてオースティンは鼻血を噴き出しそうになる。

 思わず顔をおさえ、違う違うだめだぞ!

 と自分に言い聞かせる。


(エマ嬢、覚悟って……まさか婚約中なのにその身を私に捧げるつもりか?)


 貴族令嬢にとって、結婚までの純潔は当然のこと。

 それなのにエマは、オースティンへ嫁ぐ覚悟を持って、今すぐにその身を捧げると、そう宣言しているようだ。


「エマ嬢……それは、早すぎます……結婚してからでないと……」


「いいえ、オースティン様、結婚前に私は貴方のことが知りたいのです」


 思っていることは違えども、言葉足らずなせいか勘違いは続く。


 可愛すぎるエマを前に俯き、チラチラと視線を送るオースティンはいかにも浮気がバレた男そのもの。


 そしてオースティンの本命相手を今のうちに知っておきたいと、そう決意を固めるエマは、少し震えながらもオースティンへの愛を分かってもらいたいと、訴えている乙女に見えていた。


(エマ嬢がまさかそこまで私のことを思ってくれているだなんて……)


(オースティン様がまさかそこまで本命相手のことを隠しておきたいだなんて……)


 そんな勘違いが続く中、エマが先に口を開いた。


「あの、オースティン様の理想の婚約者とは、どのような方でしょう……」


「えっ……?」


 今目の前にまさに理想の婚約者がいるのだが、エマはこれ以上にオースティンの好みを追求したいと、そう思ってくれているようだ。


 そのエマの気持ちにオースティンだって応えなければならない。

 口下手だとか、恥ずかしいとか言っている場合ではない。


 ここぞというときに自分の想いを伝えられない男など、エマのすべてを受け入れる立場にない。


 オースティンは動悸と息切れが激しく、貧血を起こしそうなほどの状態になりながらも、エマへの愛を伝えるために立ち上がった。


「あ、私が好きな、女性は……妖精のようで」


「そうなのですか……」


 オースティンの本命の女性は妖精のように可愛らしい女性なようだ。

 ならばあの渋い色のドレスも着こなすことができるのだろう。


「それに、着飾った姿はまるで女神そのもので……」


「女神……」


 ああ、だからオースティンはエマに触れるのをためらったのだ。

 ダンスをするとなればどうしても体が近付く。


 女神に愛を誓ったのならば、エマなどと手を繋ぐことさえ嫌だったのだろう。

 平凡な自分を呪いたいと思うエマは、今も自分の中にオースティンへの恋心があるのだと知る。


「それに笑顔は、精霊が生まれ出たかと勘違いするほどで……」


「精霊……」


 ああ、それならば平民女性でも貴族男子であるオースティンが惚れてしまうのも仕方がない。

 特筆すべき特徴が何もない、平凡なエマではオースティンの相手には勝てない。


 それならば貴族令嬢として、仮面夫婦も受け入れよう。


 いつになく頬を染め、首筋まで赤く染まっているオースティンを見て、エマは覚悟を決めた。


「分かりました……貴方との白い結婚を受け入れます」


「えっ……?」


「オースティン様に好きな方がいるのは分かっていました。でも、もしかしたら……とそう思ったのですけど、女神のような方とは争えません、勝負は目に見えていますから……」


 落ち込むエマの前、オースティンは言い過ぎたと思ったのか、顔色が悪くなる。

 正直に話して欲しいと言い出したのはエマの方。

 それなのにオースティンは慌てていて、婚約破棄でもされると、そう思っているようだ。


「ちょ、ちょっと待ってください」


「オースティン様、大丈夫です。私からは婚約破棄などしないので、安心してください」


「いや、そうじゃなくて」


「嫌ですか? でもオースティン様は白い結婚をお望みなのですよね? お相手の方を裏切らないために……」


「は……?」


 エマの言葉の意味が分からず、オースティンは口を開けたまま固まってしまう。


 オースティンのエマへの想いは伝わっていたはずだ。

 それなのに何故「婚約破棄」などという言葉が出るのか分からない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ、私が、好きな女性は、エマ嬢、婚約者の君なのだが……」


「えっ……?」


 今度はエマが固まる番だった。

 オースティンの言葉の意味が本当の意味で分からない。


「でも、あのドレスは……」


「ドレスは王都で一番有名なブティックに、一番人気のものをお願いしたんだ」


「えっ……? じゃあ、あの装飾品も?」


「あれは、お忍びで出かけた時に、キャロライン様にお願いしてエマ嬢に似合いそうなものを厳選してもらい、私が選んだ。街中で売っているものは普段使いに良いと……その、私の色を、君に付けていてもらいたかったんだ……」


「「……」」


 つまりすべては勘違いということで、エマの顔は真っ赤になる。


 そしてオースティンもまた邪な勘違いをした自分を恥じ、真っ赤な顔になっていた。


「なぜ……手紙の返事をくれなかったのですか……」


 赤い顔のまま俯き、エマはちょっと責めるようにオースティンへ問いかける。


 もう先ほどまでの悲壮感はない。

 オースティンの心がどこにあるのか分かった以上、不器用なオースティンが可愛いと、そう思えるようになっていた。


「すまない、その、何といっていいのか分からず……エマ嬢に嫌われたくなくて、ドレスを贈ることへ逃げてしまった……」


「や、夜会の時、一人にしました!」


「アレもすまない、反省している。その、ダンスでエマ嬢に触れると思うと、頭が沸騰して……」


「ーーっ!」


 やっとお互いの想いが通じた今ならわかる。

 二人に足りなかったのは、相手の気持ちをちゃんと聞くことだった。


「私、女神や妖精だなんて、そんな綺麗な女性ではないです……」


「いや、エマ嬢は、世界一美しい女性だ……私は今日、君に……」


「なんですか?」


「……いや、あの、告白してもらえると思っていた……その、私を好きだと、そして、その後は……」


「その後は……?」


「誓いの口付けを……」


「ーーっ!」


 真っ赤になりながら見つめ合う、オースティンとエマ。


 もう、その瞳に映るのはお互いだけ。

 二人の間にあった勘違いは、すべて消えていた。


 不器用で、恋愛には少しばかり疎い二人。

 それでも、互いの気持ちを知ることができた今なら、もう迷うことはない。


 二人の影が、そっと重なったかどうかは……

 誰にも秘密となった。




 それからというもの、オースティンは言葉にして想いを伝える大切さを知り、エマもまた、怖がらずに相手の気持ちを尋ねる勇気を持てるようになった。


 二人は少しずつ距離を縮め、誰もが羨むほど仲の良い婚約者となった。


 そしていつの日か、今日の勘違いさえも笑って思い出せるような、幸せな未来へ向かって歩き始めた。


 はずなのだが……


 オースティンの恋愛経験値が劇的に上がることだけは、期待できないのだった。


おはようございます、夢子です。


本日は短編を投稿します。


オースティンのポンコツっぷりが楽しくて、書いている私自身もとても楽しみながら書きました。


どうしてそうなるの!?と思いながらも、最後まで温かく見守っていただけたら嬉しいです。


通勤・通学中の皆さまの、ちょっとした癒しや息抜きになれば幸いです。


少しでも楽しんでいただけましたら嬉しいです。


2026.9.2 夢子

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