たらちねのナントカ⑤はいり口(くち)にて控えておりゃ
「どういうこと?」
柴原琴美は取り乱したのか一度はそうつぶやいた。
だが、気を取り直し、
「渡辺君。業者さんに連絡するので、この場を頼みます」
また109である。
電源が落ちたり、鍵が故障したりのスタジオ109である。
「どこからの浸水なの?」
109の扉の隙間から少しずつ廊下側へも水が染み出している。鍋島夫妻より中の様子の画像も送られてきた。
急に床から水が出て。
今のところ、電気系統に影響はなさそうだがこれからどうなるか。
『機材は濡れないようにテーブルの上にまとめました』
どうして夫妻は落ち着いているのだろうか。
『増築した場所が、地下水が出る場所だったんですかねえ』
『温泉だったらよかったのにね。ははは』
なぜ笑っていられるのか。
実は問題は水だけではないのだ。
またもや扉が開かなくなった。
「今、啓太に連絡入れましたから、もうすぐブチャ公先生も来るでしょう」
綱木がスマホに向ってそのように話している。話している相手は鍋島太郎氏だ。
『ブチャ公が来れば、何とかなるよね。ありがとう綱木君』
「いえいえ」
祟られているのに、ことがあれば頼みにする。
どうも鍋島家はそうらしい。
『あはは、水を避けて僕らも失礼して椅子の上にいるんだけど、この水、もっと増えるのかなあ』
「増えてるんですか?」
『今のところ増えてないよ。大丈夫、今日の僕らはアザラシとラッコだからねえ』
「あはははは」
綱木も笑っている場合ではない。
「大丈夫ですか?」
他のスタジオから一人、また一人出てきた。
ギャル風のボーカルと、アフロヘアーのドラマーだ。
今日は平日であるせいか自主練が多い。
「お騒がせして申し訳ありません。
他のお部屋で異常はありませんか?」
「109は、地下だから。うちらがお借りしてる部屋は何ともないし、どこも大丈夫じゃないかなあ」
地下にあるのは防音性を追求して、とかそういう理由があったと聞いていた。本日のように企業の利用を見込んで設計されたものでもあった。
「それよりさあ、あの増築した部分って、隣のお店が閉まって土地を買った部分でしょう」
ギャル風の女性が眉をひそめた。なんだか怖い話がはじまりそうな語り口だ。
「何のお店だったか覚えてる?」
「なんでしたかねえ」
「スナックだよ。俺行ったことある」
アフロヘアーが遠い目をして言った。
「ママがトランプ占いとかする人だったんだよね」
「そう。
でもそれは仮の姿で、本当は霊力の強いママがあそこでお店をやることによって、地縛霊が抑え込まれていたっていうのよ……」
「まさかあ」
「あたしもおかしい話だとは思うのよ。
だって、お店のママ、そんなお力があるって話なのに、お年だからってお店閉めて何するのかと思えば、娘さんの家に同居しただけだもん。
怖いオカルト的な噂がいっぱいあったのに。霊的なフォローは何もしないで。噂だけだったんだろうね。
でもさ、ママはともかく、噂の部分は本当だったんじゃない? ドアが開かないのしょっちゅうじゃない」
「えええ……」
綱木の手に負えなそうな話だ。
「渡辺君!」
その時、駆け付けたサラリーマンがいた。啓一郎だ。
「叔父さんたちは? 水が出てどうの、って」
「床から水が出たんですけど、今のところ大丈夫です。
困ったのはドアが開かないことで、それは支配人が業者さんに連絡取ってます」
「そうか」
綱木はその後ろに、啓太とブチャ公、八重子が立っているのを見た。みんな心配で来たんだなと思った。
「あ、ブチャ公先生」
「え? ブチャ公先生?」
「あら、かわいい」
ギャル風ボーカルが、啓太の抱いている猫を見て言った。ブチ蔵はただの猫のふりをしていた。
「お客さま。ご家族も到着しましたので、あとはご心配なく。すみませんでした」
「何かあったら呼んでね」
彼らがそれぞれの部屋へ戻っていった頃合いで。
「はいり口にて控えておりゃ」
八重子の言葉に啓一郎も綱木も一瞬固まった。




