旅行
がばっ。
はっ、こんな所で寝てはいけない。
私は慌てて身体を起こしたが、そこはもうお風呂場ではなかった。
「あれ、ここ……」
私はベッドの上で、ちゃんと布団にくるまっていた。
…………裸で。
私はあわてて色々確認してしまったが、特に何かされた形跡はない。
ほっとはしたけれど、でも、バスタブの中で眠ってしまったのは事実で、そこから一人身体を拭いてここまで戻ってきた自信はない。
どう考えても、誠さんが運んでくれて、体を拭いてくれたのよね。
それでも目が覚めなかった私って……。
しかも、新婚初夜に。
夫婦としての第一歩がぁぁぁぁ。
私は音がしそうなぐらい、がっくりと肩を落とした。
あたりはまだ暗いけれど、もうしばらくすれば夜明けが来る頃。
私がゴソゴソ動いたのに気づいて、横で眠っていた誠さんが目を覚ましてしまった。
「……まどかさん?」
「ごめんなさい、起こしてしまって。それにごめんなさい、寝てしまって」
私は思わず深々と頭を下げた。
誠さんは枕元のメガネを取って、ベッドサイドの明かりをつけた。
あっと、誠さんも裸ですね。
「びっくりしました。いつまでたっても出てこないし、声をかけても返事が無いので」
「お騒がせしました」
「死んでいないかと思って、慌てました」
「大丈夫です。生きております」
「良かったです」
「すみません……重たくなかったですか?」
「必死だったので。勝手に体を拭いてごめんなさい」
やっぱり誠さんが拭いてくれたのですね……恥ずかしさのあまり、穴があったら入りたい気分です。
「いえ、有り難うございます」
私は軽く頭を下げると、ついつい誠さんのパンツ姿が目に入ってしまった。
……朝の生理現象ですね。
はっ、そういえば私も裸で、胸を隠し忘れていました。
「まどかさん……その」
「あっと、えっと……そうですよね。はい」
私は意味もなく、慌ててしまった。
遅くなりましたが……その、はい。
「ちょっともう一度、身体を綺麗にしてきます」
「はい」
私は身体を隠しながらベッドを出て、お風呂場へ向かった。
「もう、お風呂場で眠らないで下さいね!」
「はい! シャワーだけにします」
何とも色気のない会話で、二人の朝は始まってしまいました。
朝早く起きたのに、ちょっと遅めの朝食をホテルのレストランでいただくことに。
ホテルの朝御飯というとビュッフェというか、洋食のメニューになるのですが、何故かいつもとても美味しく感じてしまう。
お家ではもっぱら、朝はご飯にお味噌汁なのに。
ちょいと朝に体力を使ってしまって身体は気怠いのですが、トーストがたまらなく美味しかったり、フレッシュジュースが体に沁みたりと、一気に上機嫌になっていた。
「美味しい! 幸せー!」
私の笑顔を見て、誠さんもとっても嬉しそう。
何というか、じわっと幸せを噛み締めているような。
窓からの朝日を浴びて姿勢良く座る、幸せそうな誠さんの姿……ちょっと写真に撮りたいぐらい。
私の存在がそうさせているのであれば、光栄なことです。
幸せも不幸も、相手あってのことなんだな、とつくづく思う。
悠太ではないけれど、その笑顔が曇らないように頑張らないと。
そして私も、笑顔を絶やさずにいたい。
あなたの笑顔を見るだけで私も幸せになれるのだから、私もあなたに笑顔を見せつづけたい。
先ずは北野天満宮に、大学を合格できたことのお礼参りへ。
だいぶ時が経ってしまっていたけれど、変わらない景色に誠さんとも昔話で盛り上がった。
「あの時は会話をすることに自信がなかったな」
「そうでしたね。一気に友達が増えて、誠さん混乱していたと言うか」
「急激な変化についていけなかったです」
「私は勉強のほうで自信がなくって……今でも合格したことが信じられません」
「でも、今では学部内でも成績上位じゃないですか」
「誠さんと一緒に勉強を続けているからですよ」
あれから数年しか経っていないなんて、不思議。
今は夫婦として、同じ道を歩いている。
誠さんは、だいぶ人と話すことにも自信がついてきたようだし、私も勉強に対して自信がついてきた。
やっぱり何事も経験だ。
積み重ねは裏切らないけれど、一朝一夕には何事も身につかない。
さて、これからはどんな日々が待っているのだろう。
龍安寺の石庭にも行ってみた。
ここは素晴らしいお庭を持つ、世界遺産のお寺。
白い小さな石が庭一面に敷き詰められて、それがすこし波をうっていて、まるで海みたい。
そこにいくつかの灰色の石が置かれていて、島のような、山のような。
何とも不思議な光景だけど、綺麗と言うか、落ち着くと言うか。
二人で縁側に座って、しばらくそのお庭を眺めていた。
誠さんがぽつりと呟く。
「……今まで文章を読んだり、書いたり、言葉にしたり。私の中では、文字というものが何事にも基本にありました」
「はい」
「でも、見て、感じる、と言う中には文字が存在しないのですね」
「そうですね」
「それが、とても多くの情報を持っていて、そして心地よいということに、初めて気づきました」
ふっ、深いなぁ……。
でも、解る気がします。
以前、誠さんが言っていた「時を越えて残っているものにはそれだけの力がある」と言うのを、この庭からも感じる。
どう、と説明はできないけれど、いくら見ていても飽きないと言うか。
また日をおいて見に来たい。
私達はしばらく黙ったまま、ゆったりとその光景を見続けていた。
そして少し遅くなったけれど、お昼は葛きりをいただいた。
黒蜜がとても優しい甘さで、葛がすっきりと爽やかで。
お客さんは沢山いらっしゃるのに静かな店内で、私達は京の味を堪能した。
そして、ゆっくり嵐山や嵯峨野を散策した。
特に嵯峨野の竹林はとっても素敵で、竹と笹が風にゆっくりと揺らめきながら、その隙間から光がきらきらと輝いていて、その光景が心に響いてしまった。
私達は何枚か写真を取りながら、言葉にしてみたりして、思い出を残してみようと試みた。
でも、「やっぱり来てみて感じることには敵わないね」と二人で呟いた。
「また来ましょう」
「そうですね。ぜひ」
「残念だけど、そろそろ帰りましょう。明日は学校に行かないと」
「うー、解っていますけど、もう一泊したい気分」
ホテルも観光も、とっても楽しかった。
一週間とは言わないけれど、もう一泊ぐらいしたかった……。
「ぐらっとくる一言ですね。僕も同じです。でも、今日は帰りましょう。自分達のお金で、また何とか来ましょう」
「そうですね」
「それに、今回のことで旅行が楽しいことが解りました」
「あっ、誠さん、いわゆる旅行って……」
「無い、とは言いませんが、ほとんど無いです」
「そうなんですか……」
もともと誠さんは休みの日は勉強していれば満足だったらしく、どこかに連れていって欲しい、とあまり我儘を言わなかったらしい。
……お父さん、ごめんなさい。
私は心の中で父に謝った。
私はしょっちゅう「どこかに連れて行って」と言っていました。
「海外も行きたいですね」
「わぁ、行きたい!」
「ピラミッドも、ギリシャ神殿も。ヨーロッパもアメリカも。アフリカで野生動物とも会いたい」
「ワクワクしますね」
誠さんも嬉しそうにうなずいてくれた。
本当に、誠さんと世界中を旅できたらいいな。
年をとったとしても、いろいろと楽しめそう。
本当に世界は、見渡せば楽しそうなことが満ちている。
近くにも遠くにも。
今日はこれで帰るけれど、京都も待っていてね。
そして、世界も。
私達は互いに手を握りしめて、ゆっくりと竹林をあとにして歩き出した。




